TPOの話(と言うタイトルでいいかな?)
2022年5月18日(水)
既に平成生まれが社会に出てから久しく、昭和生まれも第一線から次第に消えていくんでしょうけど、セラピストの名簿を見ていたら今年から21世紀生まれがいましたよ。
誤解している人もいるようですが21世紀は西暦2001年から2100年までですから年度としては2000年度生まれですけど、セラピストは最短で21歳でなれるわけですから、2001年1月から3月生まれのセラピストが早や就職してきたわけです。
話は変わりますが、つい先日出勤途中に聞いているラジオで「〇INEに直ぐに返事がないと…」と言ってましたが、正直な話「〇鹿なの?」と思ってしまいます。
直ぐに返事が欲しいなら「電話しろよ」と言いたい。
実際何度もそう言ったことがあるんですが、そういった場合決まって「突然電話しても迷惑かもしれないし」とか「夜中に電話は非常識」とか恥ならぬ馬〇の上塗りのような返事が返ってきます。
自分の都合でメッセージ送りつけといて、直ぐに返事がないとブータレた上に、迷惑かもしれないとか、非常識とか、どの口がという話です。
そう言うと「電話するほどじゃない」と言いますが、電話するほどじゃないなら直ぐの返事も必要ないだろうってことで、堂々巡りのような問答になります。
電話、メール、あるいは〇INEもコミュニケーションの道具でしかありません。それぞれの道具にはそれぞれのメリット、デメリットがあります。だから状況に応じて使い分けるというのが当たり前のはずですが…
どうも〇INEだったら〇INE一辺倒で、他の手段は考えないという人が少なからずいるようです。
驚いたのは彼、彼女どころか家族の間でも〇INEの連絡先しか知らない人もいるとか。色んな意味で脳天気かなぁと感じます。
TPOを考えて連絡の仕方を考えるってだけの話なんですけど。私見ですが、「お!出来るな」って人ほど、メールや〇INEの返事が来ないなんて文句言ってないと思います(その前に電話してる)。
皆さんはどう思いますか?
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納得できないこと
2021年12月01日(水)
ご無沙汰しています。久々に出てまいりました。
めっきり寒くなりました。ここから見る北の山も雪帽子をかぶっています。
先日は嫁さんの提案で西教寺まで歩きで紅葉を見に行ってきました。私の住む雄琴と西教寺のある坂本は地図上では隣の学区なんですけど、自宅からたどり着くまでに2時間以上かかって、日中は天気がいいこともあり、汗ばむほどの運動量になりました。
さてなんかいろいろと書きたいことはあるわけですけど、どれ書こうか選んでいるときに気がつきました。
今どれにするか悩んでいるネタはどれも私自身が納得していない(していなかった)ことなんです。
例えばLGBT。LGBTの人たちがどうこうでは無くて、LGBTを取り巻く人たちの中に首をかしげたくなるような人が少なからずいること。後日あらためて(のつもり)。
例えばこれはLGBTにもかかる話なんですけど、多様性を受け入れるっていうこと。「多様性を受け入れる」と言うこと自体が実は「多様性を受け入れない」と言うことではないのかと言う疑問。後日あらためて(のつもり)。
例えばハラスメント。「被害者」がハラスメントだと感じればハラスメントだという考え方。客観的に見れば「言った者勝ち」ではないかと。後日改めて(のつもり)。
そんな感じで納得できないことが少なからずあります。
納得できなかったらどうするのか。私の場合はまず納得する話をしてくれそうな人に話を聞く。
そう書くと聞けば終わりで簡単そうですが、私の疑問はたいてい皆がそう思っていることに何故と疑問符が付くので、満足いく答えが得られたことがあまりないです。
聞いても(調べても)わからないなら自分で答えを見つけるしかなくなりますが、見つけると言っても、ほとんどが自分で考えるしかなくなるわけで、当然何も思いつかなければ未解決のまま疑問は残ります。
残った疑問はわからないで「片づける」のではなく、わからないで「保留」にします。
「保留」にした納得できないことは、何かのきっかけで「回答」が得られることがあります。きっかけも色々で資料に目を通しながらとか(回答が書いてあったりもした)、何某かの出来事をきっかけとしたり、浴槽につかる瞬間だったり(私としては結構多い)、タイミングも「保留」の直後だったり、4~5年たってからなんていうのもありました。
勿論いつまでも「保留」のままなんて言うのもあります。
そういうことを考えると、私は面倒臭がりで怠惰なくせに執念深いのかと思ってしまいます。
久々に出てきてなんかつまんない話ですみません。
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続きです 車椅子
2021年5月19日(水)
私の事故関係でまだまだ書くことはあったはずなんですが、この1か月のドタバタで私の頭から記憶が消え去ったようです。今回を限りに事故関係の話は一旦終わりにします。あとは思い出し思い出し書くことにします。
車椅子は私のようなセラピストだけでなく、使っている人はもとより、医療福祉関係者なら誰でも馴染みのある道具だと思います。
当然押すだけでなく、自分自身が乗って操作することにも慣れています(のはずなんですが、最近はそうでもないセラピストが量産されてますね)。
あまりにも身近過ぎて、駆動するならともかく、車椅子を押すだけなら何の難しいこともないと思ってたのですが、違いました。
前回書いたように良性発作性頭位性めまい症で病院へ行ったわけですが、状態が状態なもので「行った」と言っても自分ひとりで行けるわけもなく、嫁さんの付き添いでです。勿論病院内を動き回れるわけもなく車椅子に乗って嫁さんが押してくれるわけですが、初めて車椅子に縁がない人と言うのがどういうものか理解できたというか…
うちの嫁さんは決して雑な人間ではないです。私の方がよっぽど雑で大雑把な人間で、嫁さんは何事も丁寧できっちりしているほうだと思います。
でも、車椅子(の操作)に慣れていないとちょっと狭い場所ではあっちにドン、こっちにドン、たんすにゴンとぶつかりまくりで、押すだけならユルユルとやるんですが、方向転換は加減がわからないせいか、結構急な転換(人によってはゆっくりなんでしょうけど)で首が置いて行かれて、さらに目が回り吐き気が戻ってくるという感じでした。
入院中には看護師さんや介護士さんにも車椅子押してもらいましたが、そういうことはなかったので思いもよりませんでしたが、車椅子を押すというだけでもそれ相応の慣れと言うか技術が必要なようです。
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謝る
2020年12月03日(木)
ここにきて終息どころか拡大の一途ですね。
一昨日メールマガジンで北海道のある病院がクラスター発生して、それも道内最大規模のクラスターになっているという記事を読んで、野次馬気分でホームページを覗いたんですけど、ホームページトップで目に飛び込んできたのは、事態説明と言う名の「私たちは悪くない、悪いのは保健所、市役所(市長)と地元大学病院」という理事長名義の責任回避の告発文とでも言うべきものでした。
そもそも最大規模のクラスター発生に加えて、かなりインパクトのある理事長声明が出ちゃった関係か、すぐにホームページはアクセス困難で(未だに満足に見れない)、どさくさに紛れてその文書も後ろに引っ込めたようです。
引っ込めたにしても事後(アフターコロナ)名指しで非難した保健所、市役所、大学病院とどう付き合っていくつもりだったのでしょうか。これまで通り付き合えると思ってたのでしょうか。
言い訳したり、責任転嫁する人って、絶対に謝罪しませんね。
悪いと思ってないからと言う意見もありますが、あり得ない。本当に悪いと思ってない人はせずに何が悪いのか聞いてきます。少なからず「拙い」と思ってるからこそ言い訳責任転嫁するんです。
これ以上何か書こうとすると、繰り言になるんでまたの機会にします。
皆さんはどう思いますか。
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寄る波
2020年10月21日(水)
先週田舎の父親が散歩中、足の痛みで歩けなくなり救急車を要請。緊急入院になったと妹から電話がありました。
でちょうど週末だったので土日で帰省し見舞いにでも行くかと思ったものの、福岡市内の病院はどこも面会不可らしく断念。
幸か不幸か翌日には何とか歩ける様にもなったようで、昨日父が近々法事があると主治医に訴えると即日退院が決まりました。
早々と退院が決まったのは良しとしても、どうせなら色々と検査漬けになれば良かったのにと思う私は親不孝でしょうか。
私の父は昭和13年生まれです。病院にいる同世代の利用者さんと同じようなイメージを持っていたのですが、どうも違う。
昨年帰省した折、台所仕事をする父を見ていた(今は隠居しましたが寿司職人)のですが、現役時代と変わらずちょこまかと動く動くww
驚いたのは高さ50㎝ほどの椅子の上に手すりも何も持たずにひょいと上った時です。
恥ずかしながら当時私はダイエットの影響もあって全身の筋力が格段に落ちていた時期で階段の昇降にも手すりが必要でした。
そういうことを80過ぎの父がこともなげにやっているのを見ると、現役時代の仕事量、運動量の賜物ということでしょうか。
そうは言っても寄る年波には勝てず、一次的にでもヘルニアで入院と言うことにはなるのですが、鍛えてきた結果なのか早々に回復して退院ですからねぇ。
子供としては有難いようでもあり、一方でこういう時は少しはゆっくりしてもらった方が安心できる気もするんですけど。
年を経れば親も自分自身も衰えるのは当然としても、やはり子としては親が「老いた」事実を前にすると結構来るものがあります。
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まだ、あった
2019年5月10日(金)
つい昨日、ネットで懐かしい車いすを見つけました。
10年以上前ですが、ある利用者さんが、どんな車椅子もずり落ちが見られて、座っていられなかったのです。
最後に試して、なんと、落ち着いて座っていることが出来て、本人様も楽になられた車椅子がありました。
ただ、その車いすは、車いすの要素はあったのですが、車いすとしては当時普通には販売されていませんでした。
検査用のストレッチャーと椅子の間ぐらいのものとして、点滴や検査中に、しんどい方に長く同じ姿勢を保っていただく安楽に過ごして頂く道具として販売されていました。
その後すぐ車いすとして販売もされるようになったのですが、フレームも車輪も頑丈なストレッチャーのようでした。
なので、介護する側からすると、移乗介助が対面介助は難しいですし、サイズも大きく、普通の大型車椅子よりもさらに重たい重量級の車いすだったので、不便な点もありました。
それでも、ご家族様はずり落ちがなくなったこと、ご本人様が穏やかに座っていられるようになられ、安心して一緒に外へ散歩にも行けるようになり喜んでおられました。
自分も重度な障害になったらこの車いすがいいなって思っていました。
しかし、その車いすはとっくに廃盤になって、売られていませんでした。そして、それに似たものも見かけませんでした。
ところが、
その車いすの後継機がアメリカの福祉機器展に出ていたとネットで紹介の記事をたまたま目にしました。
残念ながら日本での販売はしていないようですが、まだ作られていたんですね。
それも、前よりおしゃれになっていますね。ちょっとうれしくなりました。
相変わらず60万円程するようですが、これしか座れない人にはこれしかないですから。
日本では売られていなくても、メーカーは販売を続けていたんですね。
また、日本で販売されないかな?
日本の環境ではサイズが大きく重いので導入しにくいですが、座っていられるっていう生活の選択肢が増える人はいると思うのですが…。
日本にも色々物が増えましたが、海外に行けば、また違う環境で、違う要素のものが作られて使われているって再認識しました。
探せば知らないものがまだまだありますね。
気温が高くなりましたね
2019年4月22日(月)
寒いかなどうかなって天気から一転、
昨日は、暑い一日でした。
昨日、私は休みでしたので、子供を連れて、車でお出かけをしていました。
久しぶりに、窓を全開にして車を走らせました。
服も半袖Tシャツ一枚で過ごすことが出来ました。
ガラッと気温が変わると、昨日までと服装もガラッと変わります。
外を歩くのに、ちょっと前は、
暖かい日向を探していましたが、今度は涼しい日陰を探すようになりますね。
いつもと同じ一日のようで、
今日は今日の一日です。
リハビリでは動作の自立を目指すことが良くあります。
自立はいつも同じことが出来るってことだけではなく、
その日、その日に合わせて、適応できる能力を身に付けていることが自立です。
同じようでも、調子も環境も少しずつ違います。
その少しの違いに適応できないと失敗します。
失敗しないように自分で調整できることがとっても大事ですよね。
昨日の私は、
気温に合わせて、過ごしやすい服装を自分で選んで、
一人で着替えたので、
着替える能力が自立していたってことですね。
なんだかなぁ
2018年11月16日(金)
病院では週刊誌を読みながら昼食と言うのが私の習慣です(行儀が悪いですが)。
週に2誌は読んで時事ネタを仕込んでいます。
昨日買った週刊誌には皆さんもすでにご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、現職国会議員が結婚詐欺で訴えられたとか言う話が載ってました。
(記事によれば)彼が(国会議員が)信じてくれと言ったので、信じたら騙されたと言う話なんですが、そも妻子ある男が妻子を裏切ろうとしているところに「信じてくれ」と言ったところで信用できるわけないじゃんかと思うわけです。
こういう話を聞いているとあまり使いたくない言葉ですが「騙される方も悪い」と言いたくもなります。
「私を信用して」という言葉を吐く人間ほど信用できないってのが私の考えです。
20代のまだまだピヨピヨの頃の話ですが、私とは違って実績も社会的地位もあるセラピストの人から「信用してくれ」と言われて信用したら、1年もたたないうちに「アホが見るブタのケツ」(すみません、品がなくて)と言う経験をしました。
その時私は悟ったつもりです。「信用して」と言葉にしなければならないのは、結局のところ信用に値する実績がないからだ。実績がなければ信用することもされることもない(当たり前と言えば当たり前ですが、身を持って経験しなければわからないのが凡人の悲しさ)。
先に「騙される方も悪い」と書きましたが、騙されたと言っている女性も、はなからその国会議員が信用できるだけのモノを持ってないとわかっていたはずです。
多分彼女は信用できるから信用したのではなく、信用したいから信用したんじゃないかと思います。
皆さんはどう思いますか?
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頑張りますから‼︎
2018年4月19日(木)
患者になったことがあるなら、医師や看護師、あるいは私たちのようなセラピストに「頑張りましょう」と言われた経験ある人は多いと思いますし、医療側の人間ならそう言った経験がある人も多いと思います。
今回の入院で私は担当医に「頑張れ」ではなく「頑張りますから」と言われました。
ドラマなんかでは「全力を尽くします」なんていう医師なんかいますけど、実際そんなこと言う医療人って少ないんじゃないかと思います。
こういうことを書くと身も蓋もありませんが、病気というのは患者本人にとって重大事であって、医療側からすると大多数の者にとって他人事なんです。患者の身になって、患者に寄り添ってなどとよく言われますが、そうは言っていても、やっぱりなかなか身になれないし、寄り添えないのは自分のことではないからです。
だから「頑張りましょう」や「頑張って」と言う医療人は多いですが、「頑張りますから」と言う人は少ないんじゃないかと。
ですから担当医に「頑張りますから」と言われた時には、医者が頑張ると言っている以上、病気は患者である自分自身の問題だから、更にその上を行く覚悟で頑張らねばと改めて思ったような次第です。
私が今入院している病院では、患者1人につき主治医の他に担当医として2人の医師がつくことになっているようです。
私の場合転科しているので、計6人の医師が担当として、私を診てくれたことになるのですが、まぁどの先生も熱心な人ばかりでした。熱心というかワーカホリックというか。
次回も2、3日中にアップしたいと考えてます。
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君の名は
2018年4月14日(土)
昨日転科(受診科が変わる)などもあって結構慌ただしくブログ書いている暇がありませんでした。
大病院というところは少しでも異常があるままに退院させるのは病院の名折れとばかりに身体の粗探しをするので、うっかり肩が痛いだの腰が痛いだのとも言ってられません。
さてどこの病院でもというわけでもなく、自分のところの病院では確かなかったと思うのですが、私が入院している病院では、医師が患者のいる病室まで訪床して病状説明をしてくれるわけですが、当然のことながら大部屋であれば、同室者にも自分の病状は丸分かりなわけです。病状だけではなくて、日々の健康状況、例えば体温や体重、血圧排泄の具合なども知られるわけです。
私自身は自分の病状が他人に知られようが気にはならないのですが、これ気にする人はものすごく気にするよなぁと感じたところです。
これは入院したから気がついたことではなくて、前々から気になっていたことですが、いつ頃からか個室でない限り皆さんベッド周りのカーテンを常時しめる人がほとんどだということです。
昨日までいた病棟では同室者への紹介ということもなかったのですが、新たな病棟では看護師さんがしっかり紹介してくれました(更には前の病棟ではなかったのですが、今度は師長自ら病室に出向いて挨拶をいただきました。師長による病棟のカラーがしっかり出ている気がします)。
自己紹介すればいいだけの話なんですがね、いつもカーテン閉められてちゃ、それもままならないわけです。
うっかりしていると同室者の名前を知らないままという事です。
私が以前入院していた時はカーテンしめるのは着替えたり、ベッドサイドで用を足したりするときだけでしたけど、今はそうでもないんですね。
プライバシーが大事なのはわかるんですが、息苦しくならないのかなと、気になるところです。
私は今4人部屋にいるのですが、ほかのお三方はカーテン閉めてらっしゃるので、逆に私はフルオープンでもある程度のプライバシーは保てるというおかしな話です。
まぁ私も寝相が悪いので、寝るときだけはカーテン閉めてますが。
昨夜はタブレット持ったまま寝落ちしているところを起こされました。
あと1週間近くは入院の予定です。
次回は2、3日後にでも。
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