京都大原記念病院グループリハビリスタッフのあんなことこんなこと

あんなこと

橋本

Try&Error じゃ足りない

2022年6月14日(火)

小学生の頃に読んだ漫画に「釣りキチ三平」がありました。

その中で釣りが巧くなるには、短気な方が良いとありました。

気長にじっと待っていても魚は釣れない。

餌はどうか、仕掛けはどうか、ポイントはどうか等、現状駄目なら待つのではなく検討しないと魚は釣れない。

短気に色々と考えをめぐらさないと駄目だというようなことが書いてありました。

 

短気かどうかはともかく、釣りに限らず、結果が出なければ、やり方にこだわらずに、色々と検討して変えなきゃ駄目だというのは道理だと思います。

 

昨年若手のスタッフに「浪人」の話をしました。

 

セラピストで10回以上国家試験に失敗した人がいるんです。

 

私がある人から最初その話を聞いた時、真っ先に思い浮かんだ疑問は「10数年間何をしていたのか」です(正確な回数を聞いてますが差し控えます)。

そのある人が言うには、リハビリの助手として数か所の病院、医院を転々としながら毎年試験に挑戦していたそうです。

 

気が長いにもほどがある。本人的にはやり方(勉強方法や勉強量等で)を変えたつもりなんでしょうけど、結果が出なかったということは変えたというほど変わっていなかったということでしょう。

結局その人がセラピストになれたのは10数年目にして国試専門の予備校に通うことで、全く違うやり方を選択した結果のようです。

 

結果が出なかったら(失敗したら)、終わりというわけではありません。

その人も10数年やり方を変えなかったことは、失敗の自己分析が甘すぎたとしか言いようがありませんが、それだけ長い期間挫けずにTry&Errorを続けたことは立派とは言えます。

 

そもリハビリに限らず医療はTry,Error&Analyzeの連続ですし、それなくして医療の発展などありえません。

 

1回でも100回でも失敗の回数が問題ではなく、失敗しただけの新しい知見がないと駄目だということです。

 

「なんでかわかんないけど失敗した。もう一遍やってみる」は勿論駄目ですし、

「なんでかわかんないけど失敗した。だからお終い」も駄目なんです。

 

「こういう理由で結果が出なかった。だから次はこうやってみる」とか「こういう理由で失敗した。これでは可能性が低いから全く違う方法でやってみる」とかでないと、失敗でもやった意味がないですし、成果はいつまでも出せません。

 

最近、出来なかった、失敗した、わからなかったで、何の分析も対策もないまま放置とか、投げ出す人が多いように思うのですが、気のせいでしょうか。

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