京都大原記念病院グループリハビリスタッフのあんなことこんなこと

あんなこと

橋本

1か月

2022年11月08日(火)

一旦「自立」の話から離れます(どう書こうが繰り言になりそうで)。

 

1ヵ月は思った以上に長かったようです。

 

先にも書きましたように10月の下旬に漸く骨がくっついて、「好きに歩いて良し」とお達しが出たので、以前と同じように歩きだしました。

 

骨折以前は1日21000~23000歩程度、杖ついている間は8000歩程度、とりあえず魚の目も痛いし20000歩前後を目安に10日ほど歩きましたが、疲れ方が尋常じゃない。毎日25000歩は歩いたような疲労感です。骨折と言っても小趾ですから多少は歩けていたのでたいしたことないと思っていたのですが、1か月のペースダウンは想像以上に体力が落ちていたようです。

 

昨年自転車に撥ねられた時、退院後どんなだったかメモを見たんですが、元通りに歩けるようになるまで2か月かかっていました。2週間足らずの寝たきり生活で体力が戻るのにそれだけかかったということでしょう。

 

今回は寝たきりではありませんでしたが、1か月間それまでの半分以下の運動量だったから、やっぱり元通りになるのに同じかそれ以上かかるのかなと考えているところです。

 

思った以上に時間が出来たので、ドラマばっかり見てないで、他のことにも挑戦してみようと思います。戦しようと考えています。

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あんなこと

橋本

自立(その2)

2022年11月01日(火)

十代の頃、一人暮らししたくて仕方ありませんでした。

理由は簡単で「親が五月蠅いし鬱陶しいから」

 

親が五月蠅くて鬱陶しいのは子のためとは理解していましたが、だからと言って子がすべてを許容できるはずもなく、我慢できなければ出て行くしかないのが世の習いと思っていました。

 

現代は親が五月蠅くもなく、鬱陶しくもないから、学校を卒業して働く事になっても実家から通うことに何の抵抗もないんでしょう。

 

「友達親子」というフレーズを耳にするようになって久しいですが、「友達親子」の間には五月蠅いことも鬱陶しいこともないだろうなと思います。

 

「友達」関係だから「躾」などと言うものは存在しないし、子に「自立」をさせるのは親の務めであって、「友達」は応援することはあっても、「務め」ではないから、本人がその気にならなければそのまま。

 

仕事から帰れば、上げ膳据え膳、風呂も沸いてて、掃除も行き届いている、その上親も五月蠅くないとなれば、居心地良いし、楽なんでしょう。

 

ここまで書いてみると「友達親子」と言うのがかなり歪なものではないかと思います。

 

友達親子とは子に親が対等な立場で接することとありましたが、親の庇護下にある以上対等であるわけがない。

友達は行いに意見はしても、社会のルールを強要したりはしません。学費を出したりしませんし、一方的に衣食住を提供したりはしません。何故なら友達はそんな責任は負いませんし、それを担うのは親子関係にある親だけです。

親が子供に責任を負う以上、対等な関係はありません。子供が大人なら話は別ですが、その代わり一方的な責任と言うものもありません。

 

対等でないのにさも対等であるかのように振舞うのは歪ではないでしょうか。

 

話が逸れました。

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(さらに…)

あんなこと

橋本

自立

2022年10月20日(木)

プライベートではずっと歩いてばかりでしたが、骨折したことで時間が出来ました。

 

日本と違い1クール20話以上ある海外のテレビドラマは今まで敬遠していましたが、折角なんでオンラインで観ています。

 

海外のテレビドラマもいろいろと面白そうなラインナップでしたが、選んだのは「マダム・セクレタリー」です。

Madamですから家庭持ちのキャリアウーマンで、何のSecretaryかというと国務長官(外務大臣相当)です。

過去女性の国務長官はオルブライト、ライス、クリントンと3人いますが、マダムと言うことなのでクリントンがモデルかなと思ったんですが、筋立てからしてモデルでも何でもないですね。

 

大統領継承順位4位の国務長官の仕事がどういうものかと、ドラマでも一番興味がわくところですが、そういう女性の家庭がどんなものかも気になりますが、夫婦の経歴が特異的過ぎて(主人公が元CIAで前職が国際政治学関係の大学講師、旦那が元NSAで宗教学者の大学講師)どうなんだろうという感じです。

 

まぁそれでも興味深い家庭シーンもありました。大学を中退した20の娘が私だって大人だと主張するわけですが、「大人は親元で暮らさない」とバッサリ。

 

大人は親元で暮らさない

 

こんなこと言うと目の色変えて反論する人がいるような気がしますが、自立した人(大人)の一つの目安ではあると思います。

 

自立とは

「他人からの支配や援助」を受けずに自分自身で選択・決断できるようになること。

 

とありますから、「大人は親元で暮らさない」は間違いでもなさそう。親元でも大人と言うには、一人暮らし相応の家賃を払い、一人分の生活費を払い、家事の完全分担でもすれば話は違いますが。

 

皆さんはどう思われますか。

 

この話続きます。

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あんなこと

橋本

かるがも

2022年9月13日(火)

京都大原記念病院にはリハビリの学生が複数人実習に通ってきています。

一時に10人ほどになることもありますが、基本的に一時期に1校から1人です。

 

一時期に複数来ている場合は理学療法学科とか作業療法学科、言語聴覚療法学科と学科が違うような時です。

 

看護学生の場合は一時に1校から複数人来ているようです。しかも学校の先生も一緒です。

 

ここ何日間かは、始業前に病院の周りを歩いていると、先生を先頭に一列縦隊で整然と出勤してくる学生さんに出会いますw

 

勿論、院内を全員で移動する際も先生を先頭に一列縦隊で(ry

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あんなこと

橋本

偶に(たまに)

2022年9月08日(木)

ネットのコラムで「夫婦で共通の趣味を持つとろくなことにならない」とありました。

 

ここ10年ほどで同居期間25年以上の夫婦の離婚が2倍以上になり、偕老同穴の契りもどこへやら。

 

夫の定年退職後夫婦で顔を突き合わせる時間が長くなって、夫の自由になる時間が長くなり、妻の自由になる時間が減るのが一因だそうです(まさに亭主元気で留守がいい)。

 

今年の初めぐらいでしたか。「ウォーキングよく続くね。なんでかな」と嫁さん。私はちょっと考えて「一人で歩くから」と答えました。

私と嫁さんは月に2、3回は休みの日に一緒に出掛けますが、一緒にウォーキングは数か月に1回ぐらいしかありません。

その時のことを考えると、一人で歩いてるからこそ続いてると思います。

 

別に嫁さんと歩くのが嫌ではありません。

 

普段は歩数もペースも自分で考えたうえで歩きますが、そういう時は全部嫁さんのペースに合わせると結構新鮮に感じます。新鮮には感じますが、たまにだからこそであって、嫁さんでなくとも人と一緒に歩くとなると長続きしそうにありません。目的も自分の中でのノルマもあってのことですが、好きな時に好きなように歩くから毎日続くんであって、人に合わせながらではなかなか続かないと思います。

 

「夫婦で共通の趣味」も「共通」であるだけに一緒にやろうとするから、ろくなことにならないのではと思えました。

 

結婚しているから、

一緒に生活しているから、

一緒のことをするのは、

偶にでいいのかもしれません。

 

今、当グループを利用している人生の先輩の方々はどのようにお考えなんでしょうか。機会があったらお聞きしたいものです。

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あんなこと

橋本

Try&Error じゃ足りない

2022年6月14日(火)

小学生の頃に読んだ漫画に「釣りキチ三平」がありました。

その中で釣りが巧くなるには、短気な方が良いとありました。

気長にじっと待っていても魚は釣れない。

餌はどうか、仕掛けはどうか、ポイントはどうか等、現状駄目なら待つのではなく検討しないと魚は釣れない。

短気に色々と考えをめぐらさないと駄目だというようなことが書いてありました。

 

短気かどうかはともかく、釣りに限らず、結果が出なければ、やり方にこだわらずに、色々と検討して変えなきゃ駄目だというのは道理だと思います。

 

昨年若手のスタッフに「浪人」の話をしました。

 

セラピストで10回以上国家試験に失敗した人がいるんです。

 

私がある人から最初その話を聞いた時、真っ先に思い浮かんだ疑問は「10数年間何をしていたのか」です(正確な回数を聞いてますが差し控えます)。

そのある人が言うには、リハビリの助手として数か所の病院、医院を転々としながら毎年試験に挑戦していたそうです。

 

気が長いにもほどがある。本人的にはやり方(勉強方法や勉強量等で)を変えたつもりなんでしょうけど、結果が出なかったということは変えたというほど変わっていなかったということでしょう。

結局その人がセラピストになれたのは10数年目にして国試専門の予備校に通うことで、全く違うやり方を選択した結果のようです。

 

結果が出なかったら(失敗したら)、終わりというわけではありません。

その人も10数年やり方を変えなかったことは、失敗の自己分析が甘すぎたとしか言いようがありませんが、それだけ長い期間挫けずにTry&Errorを続けたことは立派とは言えます。

 

そもリハビリに限らず医療はTry,Error&Analyzeの連続ですし、それなくして医療の発展などありえません。

 

1回でも100回でも失敗の回数が問題ではなく、失敗しただけの新しい知見がないと駄目だということです。

 

「なんでかわかんないけど失敗した。もう一遍やってみる」は勿論駄目ですし、

「なんでかわかんないけど失敗した。だからお終い」も駄目なんです。

 

「こういう理由で結果が出なかった。だから次はこうやってみる」とか「こういう理由で失敗した。これでは可能性が低いから全く違う方法でやってみる」とかでないと、失敗でもやった意味がないですし、成果はいつまでも出せません。

 

最近、出来なかった、失敗した、わからなかったで、何の分析も対策もないまま放置とか、投げ出す人が多いように思うのですが、気のせいでしょうか。

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あんなこと

橋本

お金と時間

2022年4月25日(月)

いつぞや、時間、お金、人手をかけてよいものが出来るのは当たり前。時間、お金、人手に制限がある中、やりくりしてどれほど良い結果を出せるのかが腕の見せ所と書いたと思います。

 

「時間」「お金」「人手」どれも無尽蔵ではないわけですから、当たり前っちゃ当たり前なんですけどね。

 

とくに「お金」はどれほど少ない金額であっても、用途が至極全うであってもホイホイ出せる会社や組織なんて言うものは経営が堅実であればあるほどないと思います。

ましてや結果に結びつかない誤ったお金の使い方は、一つ一つはたいした金額でなくても積もり積もってということもあるわけですから、どうしても慎重に考えなくてはいけません。

 

私も一応管理者ですからその点はよく考えるようにしていますが、「お金を出来るだけ使わない」のには別の理由も大きいです。

 

それはお金をかけなければかけないだけ「早く」出来る(取り掛かれる)というメリットがあるんです。

 

私は怠惰なくせにせっかちという大変我儘な性格なもので、新しい取り組みなんかは出来るだけ早く取り掛かって、出来るだけ早く結果を出したいもので、そうするためには、とりあえずお金も時間も人手もかけないのが一番です(拙速では困りますが)。

 

見方を変えるとお金をかければ相応にじっくり取り組めるという見方もあれば、出来るだけたくさんの人を巻き込むためにお金をかけるという側面もあるのかなと。

 

もう一つ。お金も時間も人手もかけていなければ、下手を打ってもさして責められませんw

 

最近予算もかけてないのに「検討中」で遅々として話がすすまないことにイライラしている私でした。

前にも書きましたが医療業界では100人を超えると「大企業」の分類だそうです。大企業病でせうか?

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あんなこと

橋本

変える

2022年3月04日(金)

戦争です。

パラリンピックの問題と一緒に思うところを書こうと思いましたが、やめました。

 

ロシアとベラルーシの選手が参加できなくなった件で異論を唱えたかったんですが、この状況では冷静に聞いてくれる人もいなさそうなので。

 

1月の半ばに一度投稿したんですが、その記事が消えてますね。

私の勘違いかなとも思ったんですが、その記事を読んだというスタッフもいたので勘違いじゃないようです。

何処行ったんでせう。現在鋭意捜査中です。

 

以前いたスタッフですが、彼女は新人を指導するコーチの一人でした。

私自身がその彼女と会話をしたのは、面接のときを除けば退職する半年近く前までありませんでした(在籍6年ほどはあったはずですが)。

 

そんな彼女と言葉を交わしたのも、課長が部長に面談してほしいとリストアップした面子の一人としてだったので、それがなければ彼女の退職時に「お世話になりました」「お疲れさん」で終わったはずです。

 

話をしてくれとは言われましたが、特に何をということもなく、話をしたこともないのですから、何を話せばいいのか(コーチなんで教育のことなんでしょうけど)、見当もつかない。ついでに言えば挨拶とかはちゃんと出来る子でしたが、笑顔を見た記憶が私にはなくて、よくわからない人というのが私の印象でした。

 

そんなわけで当日具体的に何を話題にして話せばいいのかよくわからないまま面談に臨みました。

仕方がないのでまずは「何が聞きたい?」と聞いたと思いますが(面談すると呼びつけといて「何が聞きたい」もないもんです)、彼女は今までに出された教育関連の指示のいくつかを上げ、それぞれに彼女なりの考えを加えて行動した結果、まったくうまくいかなかった。何やってもうまくいかなかったということは、相手(若手、新人)や、やり方云々よりも自分の考え方が間違っていたに違いない。ということを10分ほど(本当はもっと短かったかも)怒涛の如く喋られ、「どう考え方を改めればよいのか?」で締められました。

 

「どう考え方を改めればよいのか?」のところではもしかしたら私の呼吸は一時的に止まっていたかもしれません。勿論態度には出さなかったと思いますがそれほど驚きました。

彼女がそれほど喋るということもそうですが、それ以上に「どう考え方を変えればいいのか」には驚きと同時にこちらが思う以上の熱心さで仕事に取り組んでいたのかと感心しました。

 

今までうまくいかないから、うまくいかなかったからどうすればいいのかと聞いてきた人は数多くいますが、どう考え方を変えればいいのか(自分自身をどう変えるのか)聞いてきたのは私の記憶のある限りほとんどいなかったと思います。

 

人は自分の意に沿わない時、周囲の人間や環境を変えようと試みますが、自分自身を変えようとはなかなか思わないものです。ましてや人を指導する立場においてはなおさらでしょう。

周りを変えるより自分を変えるほうが簡単だとはよく言われますが、そう言われるほど通常は誰も自分を変えようとはしないし、言うほど簡単でもありません。

 

残念ではあっても致し方ないことに毎年我がリハビリテーション部でも退職者が出ます。理由は人それぞれですが、残念な理由の一つが「特に不満はないが、環境を変えてみたい」というのがあります。

 

本気でそういうことを言っているとしたら、そういう人は何事も責任転嫁をしがちな人に見えてしまいます。要するに良きにつけ悪しきにつけ全ては「周りのせいだ」と言ってるに等しいと思うわけです。

 

勿論私が人に「ちょっと環境を変えてみたら」と提案することはありますが、そう提案される人って言うのは視野が狭くなっていて身近なところ、目の前にあることにばかり視線が向いていて、俯瞰的にものが見えなくなっていてどっぷり嵌まり込んでいる状態のようです。

 

逆に自ら環境を変えたいという人は目前の問題から目を逸らし、俯瞰的に物を見ているのではなく、隣の芝生ばかりを見ているように思えます。自分自身の見方や考え方を変えれば、周りを変えずともなんぼでも刺激的な経験から問題の打開策まで目の前で得られるかもしれないのに残念なことです。

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あんなこと

橋本

最近

2021年7月19日(月)

ブログが滞りがちです。

 

忙しいわけじゃありませんが、いろいろと考えることが多くて、ブログの方まで手が回りません。

 

最近部署ごとにスタッフに話をする機会がありました(同じ話を都合20回あまり)。

同じ話をするわけだから数回も話をすれば後は慣れたものになるだろうと自分では考えていましたが、豈図らんやまったく慣れない。

毎回、どう話し出そうかと直前まで迷い、話しているさなかにも次に何を話すのか、一瞬わからなくなる始末(いよいよやばいのか)。

先ほど最後の1回を話し終えてきましたけど(ようやく300人近いスタッフ全員に話し終えました)、やっぱり途中で躓いたというか、何を話すかわからなくなりました。

 

まぁ(私が年齢的に)やばいってのもあるかもしれませんし、内容は言えませんが、そもそも口にしたくないようなことを言わなきゃならんからかもしれませんねぇ。

 

まだしばらく喋る日が続きそうです。

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あんなこと

橋本

続きです 年ですかね

2021年5月07日(金)

随分と長く間が開いてしまいました。

グループ内での「大変」で私の脳天気なブログは時節柄合わないので控えていました。

申し訳ありません。

 

この4月グループも大変でしたけど、私個人も結構大変でした。

 

4/7の朝でしたか、目覚めて伸びをした瞬間、ぐわ~~~んんとすごい眩暈が起きて、眩暈と吐気で暫く身動きがとれなくなりました。

2時間もしてちょっとは動けるようになったので、これは2月の事故の後遺症かと、お世話になった病院の脳外科を受診しましたが、これは頭じゃないと耳鼻科へ回され、最終的に「耳石が動いた」という診断でした。

 

眩暈は翌日には収まったんですが、大事をとって5日間休みました。

 

とその話を翌週内科のかかりつけ医に話したら、「まぁ、よくある話だね」と笑いながら言われたんで「よくある話じゃ困るんですよ」と言っていたら、さらに翌週の4/22の夜中目が覚めて寝返りを打った瞬間に、またもや前回より激しい眩暈が来てくれました。

 

嫁さんを起こしたところですぐには動けないし、トイレまで這って行ってげーげーしながら明るくなるのを待ちました。

 

こういう場合、治まるのを待つぐらいしかないので、病院へ行ってもあんまりすることないんですよね。それでもなぜ行くかと言うと、吐き気が激しいので飲食一切が出来なくなるから、脱水を防ぐために点滴だけしに行くんです。

 

良性発作性頭位性めまい症ですが、まぁ説明を読めばさほど深刻でも何でもないんですが、事情を知らない人が見れば、それなりのやばい病気に見えること請け合いです。

 

青白い顔して洗面器を抱えてよろけながら車から車いすに乗り移り、病院の玄関前だというのに、所かまわず洗面器に盛大に戻す場面(当然マスクはできないし飛沫は飛びまくりです)に出くわせば、なにがしか感染る病気かと引かれても仕方がないでしょうね。

 

実際何人かの人はそんな私を見てぎょっとした顔してたみたいだし、私なんか2度目の時はどういう病気かわかった上で、このまま死ぬんじゃなかろうかと思ったし、どっちの場合もたった1日で体重が2㌔以上落ちましたしww

 

年のせいでしょうか、それとももともとの不摂生の結果が今になってつけとなってきてるんでしょうか。

ここのところ大病ではないけれど日常生活に支障が来るような病が毎年のように来ている気がします(顔面麻痺とか、複視とか、眩暈とか首から上ばかりですが)。

 

まぁ年なんでしょうかね。

続きます。

 

PS 私のいる事務所の洗面所には「手洗いの方法」なる張り紙が貼ってあるんですけど、それがどうしても「芋洗いの方法」に見えるのは私だけでしょうか。字面似てますよね。

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