京都大原記念病院グループリハビリスタッフのあんなことこんなこと

こんなこと

遠藤

うれしいことがありました。

2018年2月27日(火)

今日は、久しぶりに会いに来てくださったご家族がいはりました。
お父さんとお母さんが来られてました。

 

当時、私は病院勤務だったのですが、
その時担当していた患者さんの中でも若かったDさん。
お父さんも練習の時に横で掛け声かけたり、
結構賑やかに練習していた事を覚えています。

 

ご家族が熱心に来られ、いつも明るく前向きに話をされていたので、
ご本人も明るく頑張れたのだと思います。

 

そんなことを思い出しつつ、覚えて頂いていたことに感動です。

 

ずいぶん前のことで、記録ももう振り返ったりはできませんが、
記憶には残っています。

 

ただ、記憶は断片てきなので、もう覚えていないこともいっぱいあります。
でも、1つ思い出すと、徐々に想い出が連なって出てきます。
私も思い出せてうれしかったです。

 

ありがとうございました。

でも、
Dさんを一緒に担当していた理学療法士が誰だったか思い出せません。
誰だったのかな?

あっ、ちなみに私は作業療法士です。

こんなこと

遠藤

食器洗いが…難しい

2018年2月26日(月)

先日、食器洗いをしようと思い立って、洗剤を手に取ったのですが、

ふと、ついさっき右手首に湿布を貼ったばかりのことに気づきました。

なので、右手をあまりぬらさずにしようと思い、

 

いつもは右手にスポンジを持つところを、左手でスポンジを持って洗おうとしました。

 

しかし、これがなかなか難しく、上手く洗えません。

別に、右手も左手も握力もそれほど変わらず、麻痺も無いのですが、

いつもと反対の手で食器を持って、いつもと反対の手でスポンジを持って

さあ洗おうとしても、

うまく持ってられず固定もしにくく、洗う力も入っていないように思います。

しかもつい、右手と左手が反対の動きをするようなことになるのを抑えながらという感じになっています。

コップやお皿を2つ3つ洗ったら、

後は結局、いつも通りに持って洗うことにしました。

 

あらためて、

動作というのは、力の強さや動く範囲、感覚が大丈夫だからうまくできるわけではなく、

一連の流れに動くための学習課程の大事さを思い知りました。

そして、一旦身に付いた方法と違う方法で行うことの難しさも実感しました。

 

だからこそ、リハビリで動作練習するときは、

動作そのものの練習もしますが、動作の一部分だけを練習したり、その一部の動きばかりを練習をしたり、動作をイメージする練習をしたり、大きな動きや大胆な動きで動きを誇張して練習をしたり、物や目印などを使って練習したり、

いろんな練習の仕方を工夫して動作を身に付けてもらえるようにリハビリしますね。

 

以前と同じようにしたらできなくなった動作を

今できる方法でできるようになるために。

そんなリハビリのことも思い返しました。

 

皆さんも、一度スポンジを反対に持って食器を洗ってみますか?

何気ない動作のはずだったのに、

こんなに難しかったかな?って思いますよ…きっと。

そんなこと

橋本

巷の話題 免許ってなんでせう。

2018年2月22日(木)

すみません。先週ブログすっとばしました。

別にそんなに忙しかったわけではなく、腰を落ち着けて書く間がなかっただけです(それを人は忙しいと言う)。

 

巷の話題としては今はやはりオリンピックが一番のようですが(フィギュアとかスピードスケートとかついつい声をあげて応援してしまいました)、私としては気になるのが高齢者の車の運転です。一時的にオリンピックの報道がメインですけど、相変わらず高齢者の車の運転による事故の報道が絶えません。

一般の人たちもそれほど馬鹿ではないので、最近になって高齢者の自動車事故が増えているなんて思っている人はいないとは思います。

ただ単に報道が増えただけであって事故は昔からそれなりの割合であったはずです。

 

それはともかく先月の事になりますけど、病院の近くの自動車教習所で京都府の公安委員会の方々と障害者の方の車の運転に関する適性検査についての意見交換会に出席しました。

 

そこでわかったのは公安委員会としては運転に不適切な障害者や高齢者が仮にいたとしてもそれを探し出して(あるいは情報提供などを呼びかけて)、適性検査を受けさせるようなことはしない。あくまでも免許保持者が自主的に受けないと駄目ということと、適性検査を受けてこのままでは運転免許が交付できないとなっても「不可」と言うことではくなく「保留」という判断がほとんどだということ。極端な話、両手、両足がなくとも「不可」ではなくて「保留」なんだそうです。

 

何故「保留」なのかというと「可」ではない理由があるから。

「可」ではない理由と言うか問題点を改善できれば「可」とします。と言うスタンスだそうです。

 

そういうやり取りを聞きながら私が思ったのは「免許」ってなんでしょうということです(意見交換会にもかかわらず私は只の木偶の坊でした。色々考えてたんで)。

 

私は常々新人のスタッフには「理学療法士」、「作業療法士」や「言語聴覚士」と言う免許はそれが出来ると言う「保証書」ではない「やりたかったらやれば」と言うだけのもので、決して「出来る」と言う保証書ではないからと言っています。

 

ですが公安委員会の方々とのやり取りを聞きながら思ったのはやはり「免許証」はそれがどんな免許であれ、「出来る」と言う「保証書」ではないかということです。

 

何故実態としては「保証書」になっていないのか。運転免許を交付された(保証された)にもかかわらず、結果的に適性とは言えない理由や無謀な運転ゆえに事故を起こすのか。

 

何故学校も卒業して国家試験にパスして免許を交付されたにもかかわらず、セラピスト本人や学校の教員はこのままではセラピストと言う仕事が「出来ない」というのか。何故更なる卒後教育が必要だと言うのか。「出来る」という「保証書」とは言えないのではないか。

 

皆さんお手元にある某かの家電の取り扱い説明書と保証書をご覧ください。

多分取説とは違う使い方で壊れた場合は例え無償補償期間内であっても有償となる云々との記載があるはずです。

あくまでも取説通りに取り扱ったうえで支障があった場合、無償での修理乃至交換に応じるなどとなっているはずです。

 

つまり車の免許であれ、セラピストの免許であれ、或いはその他もろもろの資格や免許は学校で習った通りにやれば保証するってことです。

 

日本社会は性善説に基づいているので、車の免許にしても本人が習った通りに(交通法規に沿って)運転すると言っている以上は(実際そうかどうかは別にして)無碍に与えなかったり、取り上げたりは出来ないわけです。

 

セラピストも同様です。学校で習った通りにやるのであればと言う条件付きで免許は「出来る」という「保証書」となるわけです。

 

習った通りとは何も教科書に書いてある病気や治療法のノウハウに限った話ではありません。医療人としての考え方や倫理観、技術者としての取り組み方など教員と実習指導者(ま、残念な教育者もいることは否定できませんが)が語ってきたすべてであると思います(おそらく殆どの教員が言うであろう「臨機応変」「自分で考えろ」「患者の立場で」は特に強調しておきたい)。

 

先に新卒間もないセラピストも学校の教員もこのままでは「出来ない」と言っている。卒後教育が絶対必要だとしていると書きましたが、言い方を変えると教えたとおり、習った通りにはできないと言っているわけです。

学校の先生も「教えたとおりにやったら出来る」ぐらいの意気込みで臨んでほしいものです。

 

次回私のブログは来週のどこかで。

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(さらに…)

こんなこと

遠藤

びっくり

2018年2月13日(火)

ずいぶん前の部ログが紹介されました

ホームページで紹介していいかどうかの問い合わせが来た時は

びっくりしました。

その時々で、思い思いに書いている部ログですので、

改めて紹介されると照れたり焦ったりしますね。

自分の中でも、
流行りすたりがあるようで、
最近は、似たようなことは書いてなかったように思います。

また、こんな視点のも書いてみようかな?

そんなこと

橋本

まだまだ、いける

2018年2月06日(火)

出典は差し控えますが、こんな☟話。

 

泣ける話じゃないけど、5,6年前のことです。

会社から帰る途中の電車に、車椅子の男の子が1人で乗ってきた。
車内は割りと混んでいたので、「ちゃんと降りられるかな?」とは思ったけど、
そのまま読書を続けてました。

電車が終着駅に着きました。
ホームと電車の間に、結構大きな段差があったので、危ないなと思ったけど、
嫌がられるかも知れないので、手伝うことはせず、車椅子の後ろに立つだけにした。
周りでは、中年のサラリーマンとOLが数人とメール打ってる茶髪のにーちゃんが居ましたが、
全員興味なさそうに、そっぽを向いています。

ちょっと苦労していましたが、車椅子の男の子がホームに降りようとした時、

車椅子が大きく傾きました。
すぐに手が出せるように、あらかじめ後ろに居た私は、支えようとして車椅子に飛びつきました。

その時、

周りに居た人全員が、一斉に車椅子に飛びつきました。
男の子もびっくりしていたけど、私は中年のおじさんと頭をぶつけるし、
OLさんはブランド物のバッグ踏まれてるし、
茶髪のにーちゃんは携帯落っことしてるし…

知らん顔してて、皆同じこと考えてたんだと思う。
男の子がホームに降りた後、みんなちょっと照れくさそうにして、無言で改札口に向かいました。

改札口を出た後、なんだか急に誰かに優しくしたくなって、
両親に電話を掛けてみました。
「別に用事ないんだけど暇だったからさ。元気?・・・」って。

5分くらいで切っちゃったんだけどね。

 

人情は死なず。

 

次回私のブログは2/13頃です。

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こんなこと

遠藤

思ったのと違った

2018年2月05日(月)

一昨日の節分では息子や上の娘が鬼に豆を投げられるようになっており、

成長を感じました。

そして、昨日は立春。

暦の上では春になったはずですが、とっても寒いですね。

 

昨日は、娘3人を連れて水族館へ行ってきました。

動物園は寒いと思って水族館にしたのですが、

水族館への道中は寒かったです。

それでも、水族館に入れば暖かいだろうっておもっていたのですが、

忘れてました、展示箇所のいくつかは部屋の中ではなかったですね。

特に、イルカショーは一定時間屋外の椅子にジーッとしておく必要がありました。

 

まあ、電車乗り継いで、歩いて行ったので、防寒着も来ているのですが、

思ったより寒かったです。

 

いろいろ、深読みしないとなんとなくのイメージでは、思い違いになってしまいますね。

今回は水族館が思ったより寒かったってことですが、

 

利用者さんのご自宅での生活など、話に聞いてわかったつもりでも、

実際にご自宅に伺うと、

思ってもいなかった生活が見えてくることもあります。

百聞は一見にしかずって言いますが、

一見したときに新たな気づきが生まれます。

百の話を聞いて満足したはずなのに、

また聞き出したいことが湧き出てきたりします。

記憶と言葉だけって、なかなか正確に詳細にとなりませんね。

見るって大事です。


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