京都大原記念病院グループリハビリスタッフのあんなことこんなこと

へんなこと

橋本

暴言・暴論(その2)

2019年5月10日(金)

あなたは手取り月々12万円。その給料ではなかなか外食と言うのも難しく、できてもせいぜい月に一度安い居酒屋とかファミレスに行くくらい。

そんなあなたにも年に一度のボーナス支給日。たまたまあなたの誕生日と重なったので、この1年間のせめてもの自分へのご褒美に高級レストランでフルコース〇万円のディナーを食べることにした。

 

↑このことにとやかく言う人はいないはずです。人によってはいやそれでも自分はいつも通りの事として特別なことはしないと言う人もいれば、いやいや贅沢するにしたっていつものファミレスでハンバーグセットじゃなくてステーキセットにするぐらいという人もいるでしょう。

それが人による価値観の違いでしょう。どの考え方が正しいとか間違ってるとかではなく、価値観によって選択は変わるわけで、価値観の数だけ選択肢はあるはずです。

いずれにせよどの選択肢(料理)を選ぶのかは、食事をする人の価値観に左右されるわけです。

 

ここで高級レストランで食事となった場合、いくつかの問題が浮上します。

 

普段行きつけのファミレスや居酒屋と違い、メニューを見ただけでは何が何やらさっぱりわからない料理の名前が並んでいる事。あまりにも高級店を選んだばかりにメニューに値段さえ書いてない事。

あてずっぽうに選んでもどれもおいしいのだろうけど、多少の好き嫌いもあるあなたは魚料理は避けて肉料理にしたいと考えているし、予算超過は避けたい。

 

そこであなたは専門家(ウェイターorウェイトレス)の意見を聞くことにする。とりあえずメニューのいくつかを指さしてどんな料理か、値段はいくらか等。専門家もあなたがあまり料理に詳しくないのを察して、逆に色々と聞いてくる。肉と魚だったらどちらが好みか。こんな店に慣れてないとしたら何か客にとって特別な日か何かか。それらを聞いたうえでウェイターはあなたにあったお勧めの料理もいくつか紹介して来る。

 

結局あなたは

予定通りフルコースディナーにした。

予算超過だったが、滅多に出回る事のない鶏肉を使った料理にした。

予算よりだいぶ低いがウェイターの説明でどうしても気になったピラフにした。

 

いずれにせよ自分で選んだ料理ということには(味ではなく)、納得と満足を得たあなたは、

来年こそはフルコースディナーを味わってみよう。

来年はもっと奮発して鶏肉料理を食べてみよう。

この値段だったら半年後にもう一度ピラフを食べてみよう。

どれも価格相当じゃなかった、次はなし。

となるやもしれない。

 

といずれにしてもあなたの価値観が決めるわけです。

 

少し前に福生市の病院で腎臓疾患の患者さんが透析治療をせずに死亡したことがニュースになっていました。

識者と言われる方々(医療関係者含む)が、医師はもっと患者・家族と向き合って話し合うべきだったとか、医師はもっと患者に寄り添わなければと言う意見が多かったように思います。一方でごく少数でしたが医師が説明した上で患者が納得したんだから(informed consent:説明の上での同意)、何の問題もない。人が死んだからと言って騒ぎすぎ。といった意見もありました。

 

こっから暴言ですが、私は医療側と患者側が話し合う必要はないと思っています。寄り添う必要もない。

そも医療側が話し合いと称しているモノは患者やその家族にとっても「話し合い」なんでしょうか。

「話し合い」と言うからには意見のやり取りがあると思われるのですが、医師の「こうしたらどうでしょう」というソフトな問いかけにさえ、異を唱える事をためらう患者や家族がまだまだどれほどいる事か。

ましてや「あんたの場合はこの治療法が一番や。これにするで。ええな?」そう医師に言われて、思わず頷いてしまわないと言える患者・家族がどれほどいる事か。

 

時折新聞の社会面に載る医療関係のトラブルは「そういったリスクは聞いていない」や「他に治療法があるとは聞いていなかった」なんて医療側の説明不足の感は否めないと思います。

それは話し合いと言いながら、患者と家族に医療側の価値観を押し付けようとした結果じゃないのかなと。

 

だからそんな「話し合い」なら必要ないですし、必要なのは(専門家でもない)患者と・家族が自分たちの価値観で適切に判断が出来るように必要な情報を提供することじゃないかと。言うなればウェイターが客にメニューを説明するように。

 

「あーあんたの場合はねぇ、手術と2種類の違う薬による治し方があるんやけどねぇ。手術はねぇ成功すれば完全に治るけど、いろいろリスクあってねぇ、死亡率もはんぱないねん。5割は死んじゃうなぁ。薬はなぁ、保険外の奴やと50%は症状が軽くなるけど、完全に治らないし2年で薬が効かなくなるで、そうなったら手術しか手がない、金もかかるしな。もう一つの薬は保険内やけど25%くらいしか症状は改善せぇへんし、飲み続けたってすこおしずつ悪なるから、5年が寿命や。勿論なんもせぇへんかったらあと2年。さぁどれにする?」

 

ここでの言葉は汚いですし、省略もしていますが、話し合いではなくこういったinformed choice(説明の上での選択)が最も重要なんじゃないかなと思います。

患者はそれぞれの治療のメリット、デメリットを聞いたうえで、自分の価値観で治療法を選択する。

手術までして長生きしたくないのに、そればかり勧められるとか、こちらの懐具合も考えずに高い薬を投薬するって言われたとか、そういう選択にまつわるしこりは無いわけです。

 

このinformed choiceと言う言葉調べてみたら実際に医療で使われている言葉でした。歯科医師の世界で…orz

歯科は保険外診療も頻繁なので、informed choiceと言う概念もそれなりに一般的なんでしょう。

 

それ以外の医療分野では話し合おうとか、寄り添おうとか、informed consentとか言ってるうちはトラブルが絶えない気がします。

 

もっともそうなれば病院や医師にお任せとも言ってられないわけですから、患者や家族も医師の説明が理解できるほどの理解力と判断力が求められるわけです(まぁわかりやすいように説明できるかどうかも医療側には求められますが)。

65606

20190510 1625

どんなこと

遠藤

まだ、あった

2019年5月10日(金)

つい昨日、ネットで懐かしい車いすを見つけました。

 

10年以上前ですが、ある利用者さんが、どんな車椅子もずり落ちが見られて、座っていられなかったのです。

最後に試して、なんと、落ち着いて座っていることが出来て、本人様も楽になられた車椅子がありました。

ただ、その車いすは、車いすの要素はあったのですが、車いすとしては当時普通には販売されていませんでした。

検査用のストレッチャーと椅子の間ぐらいのものとして、点滴や検査中に、しんどい方に長く同じ姿勢を保っていただく安楽に過ごして頂く道具として販売されていました。

その後すぐ車いすとして販売もされるようになったのですが、フレームも車輪も頑丈なストレッチャーのようでした。

なので、介護する側からすると、移乗介助が対面介助は難しいですし、サイズも大きく、普通の大型車椅子よりもさらに重たい重量級の車いすだったので、不便な点もありました。

それでも、ご家族様はずり落ちがなくなったこと、ご本人様が穏やかに座っていられるようになられ、安心して一緒に外へ散歩にも行けるようになり喜んでおられました。

自分も重度な障害になったらこの車いすがいいなって思っていました。

しかし、その車いすはとっくに廃盤になって、売られていませんでした。そして、それに似たものも見かけませんでした。

 

ところが、

その車いすの後継機がアメリカの福祉機器展に出ていたとネットで紹介の記事をたまたま目にしました。

 

残念ながら日本での販売はしていないようですが、まだ作られていたんですね。

それも、前よりおしゃれになっていますね。ちょっとうれしくなりました。

相変わらず60万円程するようですが、これしか座れない人にはこれしかないですから。

日本では売られていなくても、メーカーは販売を続けていたんですね。

また、日本で販売されないかな?

 

日本の環境ではサイズが大きく重いので導入しにくいですが、座っていられるっていう生活の選択肢が増える人はいると思うのですが…。

日本にも色々物が増えましたが、海外に行けば、また違う環境で、違う要素のものが作られて使われているって再認識しました。

 

探せば知らないものがまだまだありますね。


ページトップ

カテゴリー

  • あんなこと
  • こんなこと
  • そんなこと
  • どんなこと
  • へんなこと

新着情報

カレンダー

2019年5月
« 4月   6月 »
 12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  

アーカイブ

タグ