京都大原記念病院グループリハビリスタッフのあんなことこんなこと

こんなこと

橋本

まえとあと

2019年7月10日(水)

ご無沙汰でした。さきほどブログのプラットホームを見ていたらここ2か月だけでも書きかけの原稿が5~6本もあるのに気が付きました。

毎回書こうとして、仕事の都合で中断して今に至る…みたいな感じでしょうか。

ブログと言うのは書き手にとってのトレンドというか、書かなければならないものじゃなくてその時に書きたいことなんで、ちょっとでも時間がたつと書く気が無くなると言う感じです。

この「まえとあと」は一昨年、昨年、今年3月にも書きかけたものですけど、ようやく書き終えそうです。

 

先日仕事で奥出雲の亀嵩に立ち寄りました(勿論2019年の6月です)。

 

亀嵩といえば松本清張原作の映画「砂の器」の舞台です。

 

普通小説が映像化されると、賛否両論巻き起こりがちですが、原作者の松本清張をして「こんな話だったのか!!(オイオイ…)と感嘆ならしめた脚色です。

 

後に数回のテレビでドラマ化の際にはほとんどが橋本忍山田洋次がものした脚本がベースとなっています。

随分前ですが、その山田洋次監督が新聞のインタビュー記事で橋本忍の脚色手法について語っていました。

 

例えば登場人物がドアを開けて部屋に入ってくるところから場面が始まるとしたら、ドアに入るその前は登場人物が何をしていたかを書き込まねばならないと指導を受けたそうです。

原作ではほんのわずかな描写しかない容疑者と容疑者の父の半生を感動だけではなく誰もが納得の脚色に出来たのは、原作にはない容疑者の人生に思いを寄せたからでしょう。

 

リハビリも似たような事があります。

最近のセラピストは今の患者さんの状態しか見ていないのが多すぎます。

患者さんがこの病院に来るまでどんな生活していたのか、どのようにして病気(怪我)したのかまるで関心がない。まぁ口ではそんなことはないちゃんと考えているとかなんとか言いますが…

 

患者さんが自宅で転んで足を骨折して、入院したとします。リハビリやって体が回復して、以前と同じように体が動くようになればそれで終わりと考えるセラピストは多いです。

 

「今しか見ていない」とはその患者さんがどうして転んだのか把握していないセラピストが非常に多いからです。

どれほど体が元通りになろうが、転倒の原因を把握し、その原因を除去しない限りはまた転倒するかも知れないし、患者さんがそれに不安を感じないはずがないのに、そういう事に気付きもしない。

 

例えば脳卒中で入院した患者さんのリハビリのゴールを家族の希望で「歩行」にしたとセラピストが言ったとします。私は入院前の患者の生活状況を尋ねますが、把握していないとセラピストは言う。確認して来いと追い返して、持ってきた答えが「10年間寝たきりでした」

どれほど腕のいいセラピストでも10年間寝たきりの人を半年かそこらで歩かせるように出来るのは不可能です(10年かかっても無理です)。

 

例えば一人暮らしの老人が自宅で脳出血を起こして救急病院から我が病院へ転院してきたとします。

担当のセラピストが言うわけです。この方(患者さん)は麻痺もほぼ回復し、身の回りのことも十分できるようになった。これまでどおり自宅で生活できます、と。

こういう場合私の質問は一つだけです。「この患者さんはどうやって病院に行ったのかな?」

またこの返事がどいつもこいつも通り一遍なのは笑うしかないのですが「救急車で」。

この話のどこがおかしいのか、わかるならあなたは立派な普通の人です。うちにいる何人かの(多寡はわかりませんが少ないことを祈るのみ、想像以上に多いと思いますが)セラピストより立派な医療人になれるでしょう。

 

上記3つのたとえ話はどれも実際にあったことです。

どのエピソードも「今しか見ていない」以外にもいろいろと問題があるのですが、とりあえず病院に来る前というか、来歴、現病歴は大事って話です。

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