京都大原記念病院グループリハビリスタッフのあんなことこんなこと

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橋本

巷の話題 免許ってなんでせう。

2018年2月22日(木)

すみません。先週ブログすっとばしました。

別にそんなに忙しかったわけではなく、腰を落ち着けて書く間がなかっただけです(それを人は忙しいと言う)。

 

巷の話題としては今はやはりオリンピックが一番のようですが(フィギュアとかスピードスケートとかついつい声をあげて応援してしまいました)、私としては気になるのが高齢者の車の運転です。一時的にオリンピックの報道がメインですけど、相変わらず高齢者の車の運転による事故の報道が絶えません。

一般の人たちもそれほど馬鹿ではないので、最近になって高齢者の自動車事故が増えているなんて思っている人はいないとは思います。

ただ単に報道が増えただけであって事故は昔からそれなりの割合であったはずです。

 

それはともかく先月の事になりますけど、病院の近くの自動車教習所で京都府の公安委員会の方々と障害者の方の車の運転に関する適性検査についての意見交換会に出席しました。

 

そこでわかったのは公安委員会としては運転に不適切な障害者や高齢者が仮にいたとしてもそれを探し出して(あるいは情報提供などを呼びかけて)、適性検査を受けさせるようなことはしない。あくまでも免許保持者が自主的に受けないと駄目ということと、適性検査を受けてこのままでは運転免許が交付できないとなっても「不可」と言うことではくなく「保留」という判断がほとんどだということ。極端な話、両手、両足がなくとも「不可」ではなくて「保留」なんだそうです。

 

何故「保留」なのかというと「可」ではない理由があるから。

「可」ではない理由と言うか問題点を改善できれば「可」とします。と言うスタンスだそうです。

 

そういうやり取りを聞きながら私が思ったのは「免許」ってなんでしょうということです(意見交換会にもかかわらず私は只の木偶の坊でした。色々考えてたんで)。

 

私は常々新人のスタッフには「理学療法士」、「作業療法士」や「言語聴覚士」と言う免許はそれが出来ると言う「保証書」ではない「やりたかったらやれば」と言うだけのもので、決して「出来る」と言う保証書ではないからと言っています。

 

ですが公安委員会の方々とのやり取りを聞きながら思ったのはやはり「免許証」はそれがどんな免許であれ、「出来る」と言う「保証書」ではないかということです。

 

何故実態としては「保証書」になっていないのか。運転免許を交付された(保証された)にもかかわらず、結果的に適性とは言えない理由や無謀な運転ゆえに事故を起こすのか。

 

何故学校も卒業して国家試験にパスして免許を交付されたにもかかわらず、セラピスト本人や学校の教員はこのままではセラピストと言う仕事が「出来ない」というのか。何故更なる卒後教育が必要だと言うのか。「出来る」という「保証書」とは言えないのではないか。

 

皆さんお手元にある某かの家電の取り扱い説明書と保証書をご覧ください。

多分取説とは違う使い方で壊れた場合は例え無償補償期間内であっても有償となる云々との記載があるはずです。

あくまでも取説通りに取り扱ったうえで支障があった場合、無償での修理乃至交換に応じるなどとなっているはずです。

 

つまり車の免許であれ、セラピストの免許であれ、或いはその他もろもろの資格や免許は学校で習った通りにやれば保証するってことです。

 

日本社会は性善説に基づいているので、車の免許にしても本人が習った通りに(交通法規に沿って)運転すると言っている以上は(実際そうかどうかは別にして)無碍に与えなかったり、取り上げたりは出来ないわけです。

 

セラピストも同様です。学校で習った通りにやるのであればと言う条件付きで免許は「出来る」という「保証書」となるわけです。

 

習った通りとは何も教科書に書いてある病気や治療法のノウハウに限った話ではありません。医療人としての考え方や倫理観、技術者としての取り組み方など教員と実習指導者(ま、残念な教育者もいることは否定できませんが)が語ってきたすべてであると思います(おそらく殆どの教員が言うであろう「臨機応変」「自分で考えろ」「患者の立場で」は特に強調しておきたい)。

 

先に新卒間もないセラピストも学校の教員もこのままでは「出来ない」と言っている。卒後教育が絶対必要だとしていると書きましたが、言い方を変えると教えたとおり、習った通りにはできないと言っているわけです。

学校の先生も「教えたとおりにやったら出来る」ぐらいの意気込みで臨んでほしいものです。

 

次回私のブログは来週のどこかで。

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30数年前ですか。私が専門学校の最終学年時はGW明けから11月30日まで移動日および出校日の併せて2週間を除いてすべて医療機関での臨床実習でした。

それも地元近くでだったらまだしもすべて学校から3時間から半日以上かかる地方都市での実習でした。当時は勿論携帯電話もなく、固定電話回線も開通するのに7万円はしていたので、学生の身分でそんな贅沢もできず、下宿先にテレビを備え付ける余裕もなく見知らぬ土地で話し相手もいない土日の娯楽と言えば、私にとっては「映画」でした。

 

その映画もシネコンなんて気の利いたものはなく、地方都市なので映画館が3~4軒あればいい方。当時大都市なら映画館も多いので1本立てが普通だったらしいですが、地方では映画館が少ない分2本立て3本立てで、それも一旦小屋にかかれば1か月以上プログラムに変更なしと言うのが普通だったので大体2週間で映画を観つくしてしまうと言う格好でした。

 

それでやむなく(喜んで?)足を向けたのがポルノ映画館です。ポルノ映画の場合3~4本立てが普通でしかも1~2週間でプログラムが変わるので観るネタは尽きません。

ポルノ映画館に足を運ぶうちに注目するようになった男優さんが2人いました。蛍雪次郎さんと大杉蓮さんです。

昨日大杉蓮さんが亡くなりました。まだ66歳の若さだと言うのにとても残念で寂しいことです。

女子スピードスケート パシュート決勝前に入ってきたショックなニュースでした。

 

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