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失敗は成功の母
2012年12月23日(日)
1年の締めくくりが近づいていますね。
仕事をしていると、いろいろトラブルに遭遇します。
どんな仕事でも、トラブルは起きると思います。
トラブルの原因は人だったり、物だったり、環境だったり、色々複合的に関わっていると思います。
でも、
その原因の一つには必ず自分が入るはずです。
ここで、自分を原因に入れない人も居るでしょう。
そういう方はおそらく自分の責任を受け止めるだけの力がないのだと思います。
自分を原因に入れない人は、その時々のトラブルで自分に責任は回って来ないかもしれません。
しかし、そのうち責任ある仕事は回ってこなくなります。
でも、自分では、ミスもしていないし、周りのせいでできていないだけって思いこんじゃってますね。
そのうち「他人のせい」で仕事を辞めていくかもしれません。
これでは、いけません。トラブルが起こらない仕事なんて、どこにもありませんから。
全部を自分のせいにする必要はありませんが、
自分がどうすれば防げたのかは、考えないと問題解決ができません。
※それを失敗ととるか、結果として捉えるかは人の胆力の差だと思います…。
この問題解決する思考こそが、次への企画につながり、未来を作ってくれると思います。
学生の皆さんは卒業後に就職して、新たな「仕事」に向き合うことになります。
必ずどこかで、クレームや事故、仕事が上手くいかないなど、トラブルの関係者や発見者になります。
その時、必ずどこか、自分に改善できることがあると思って考えてください。
そして、その為に報告して連絡して相談してください。
小さな失敗を自分のものとして振り返り、次につなげることのできる人だけが、
次の大きな失敗を回避できる人だと思います。
「失敗は成功の母」ですから、
そんな大事な母を他人のものにしては、健やかな発達も成長もできませんね。
そういう意味で、あなたの療育環境を作るのは、あなた自身の心がけですよ。
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意図は何だろう?
2012年9月06日(木)
今年の夏休みは、計画停電対策やピーク電力への貢献も兼ねて、
いろいろと先に決めていた予定があったこともあり、
学校の登校日を休ませたのですが、その日に夏休みの宿題を追加されたそうです。
そして、夏休み明けの日、登校日に来なかったので・・・と、
やっていない宿題として手渡され、やってくるようにいわれたそうです。
(伝え忘れたのか?と思いましたが、とくにそんな感じではなかったみたいです)
さて、普通の会社では、こんな報連相や対応では、信用失墜しますが、
そうは言っても、しなければいけない宿題なら、させないといけません。
そんな大事な宿題やったら、
夏休み中に連絡してくれたら、親が取りに行くのに・・・と思いながら、
内容を見ると、[エコなことをした絵日記]でした。
「えっ? エコなことなんて、言われないとそんなのやってたかな・・・・?」
と思って思い出しても、敢えて取り組んでいる姿は思い出せません。
「特殊な日記なんて、先言ってくれないと、大人だって無理やって・・・」
そんな風に思いながら、
夏休みにした(はずのない)エコなことについての絵日記を、
夜遅くまで、なんとか書こうとしている姿を見て、
作り話を書かせることに、本来の宿題の意図があったのだろうか・・・と、
複雑な気持ちになりましたが、
この絵本を作る作業には、きっと先生にしかわからない意味があるんでしょう。
一連の「なんじゃそら・・・」は、折を見て担任や校長に聞いてみます。
やるべきことは、やるべきタイミングにやらないと大変なことになる
伝達すべきことは、間に合うタイミングで伝達しないと大変なことになる
そんなことを、身につまされた出来事でした。
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失敗したら
2012年1月30日(月)
まずは、報告、連絡、相談いわゆるホウ・レン・ソウですね。
学生からいきなり社会に出てきた人たちは、その習慣がありませんし、失敗どころかホウ・レン・ソウがないと叱られることも多いかと思います。
でもホウ・レン・ソウぐらいは余程のペケでもない限り、誰にも出来るようになるものです。
ホウ・レン・ソウが出来るようになっても、その後にも問題はあります。
その失敗を人に話せるのか。
一度学校の同期で集まって飲んでいた時に話したのですが、失敗したら、叱られたら、一刻も早く人に話さなければ、落ち着かない気持ちになるということで、意見が一致しました。
自分の失敗を話すのは恥ずかしいことですが、話さずにそ知らぬ顔をしていることは、もっと恥ずかしいのです。
仕事での失敗は同僚に知られるのが普通ですし、皆が知っているのに涼しい顔は出来ません。とにかく早く話さなければ気が済まない。
そんな気持ちになるのです。
話すとどうなるか、慰められもするでしょうけど、多分笑われるでしょうし、「馬鹿な奴」ぐらい思われるでしょう。ただ話すことで二度と同じ失敗はできないという気持ちにもなります。それでなお同じ失敗をすれば「馬鹿な奴」が、「本当に馬鹿だった」になりますから。
失敗を話すというのは、恥ずかしいことかもしれませんが、二度と同じ失敗はしないという決意表明かもしれません。
今の若いスタッフは失敗を話すどころか、失敗そのものを恐れすぎです。わかりやすく言えば、恥をかくことを恐れています。
恥をかくことを恐れるあまり、本当に恥ずかしいこともわからなくなっているようです。
一度の失敗を話すことを恥じるくせに、何度も同じ失敗を繰り返すことは何とも思っていない。とても恥ずかしいことなんですけどね。
この「失敗したら」は最低後1回は続きます。










