京都大原記念病院グループリハビリスタッフのあんなことこんなこと

へんなこと

橋本

ダイバーシティ

2023年3月14日(火)

巷間よく目にしたり耳にしたりしますが、どういう意味だろうと調べてみたら「多様性」だそうです。わかった瞬間「日本語で言えよ」と思った私は古いんでしょうか。

「偏見をなくし多様性を受け入れましょう」の意で「ダイバーシティ」という言葉が使われているらしいです。

 

ヒポクラテスは「自由人と奴隷の別なく」、ナイチンゲールは「敵、味方の別なく」と医の偉人は患者には均しく接せよと言うことによって、皆平等と言いたかったのでしょう。

先達に倣い、医療人はまずそうあるべきということでしょうか。

 

偉人を引き合いに出しましたが、凡人の悲しさ、私自身はいろいろと偏見の持ち主だろうなと考えています。

 

「だろうな」とは自覚していないからこその「偏見」だと思うからです。

でも自覚すればOK(偏見解消)ではなく、自覚しなければ偏見の解消に至る思考も生まれないと考えています。

 

30数年前厚生省主催の研修会に参加した時、講師の一人である臨床心理士は「同性愛は治りません」と言い放ちました。

「治らない」という以上、LGBTなどに代表されるsexualminorityの人たちは「病気」と考えられていたわけです。今となっては大問題ですが当時はそう考えていた人は少なくなかったと思います。

 

先日はLGBT関連の発言で首相秘書官の首が飛びました。なんでも隣人にLGBTの人がいると思うだけで気持ち悪いと言ったとか。

 

誤解を恐れず言うなら「私」もそうでした。

ただsexualminorityといっても、以前は性的指向と性自認の二つの大きな視点があるとも知らず、LGBTのBやTのことなど何も知らず、LやGについての知識が少々あるだけでした(だから偏見があるともいえる)。

 

とにかくsexualminorityは病気じゃない、異常でもない、多様性の表れと言われるようになってきたので、数年前になりますがこのままではまずいぞと自分自身の考えの見直しを試みました。

 

私自身の場合、sexualminorityすべてを知っているわけではありませんでしたが、あらためて考えてみると気持ち悪いと感じているのは「G」だけと気付きました。他はなんともないというか関心がないというか。

 

何故かなと考えていくと答えは簡単で男に言い寄られると嫌だから。

そこまで考えていくと「誰でもそうじゃん」と。

この「誰でもそうじゃん」は男に言い寄られたらではなくて「誰でも意に沿わない相手に言い寄られたら」ということです。

相手が男だろうが女だろうが好きでもない相手に言い寄られたら気持ち悪いとまではいかなくとも、困惑するでしょう。その上グイグイ来られたら誰でも困惑より嫌悪や恐怖になるはずです。

 

そうでない限りは誰がどんな好みだろうが、誰が好きだろうが一向にお構いなしだと気付きました(私の場合はですが)。私が木村文乃のファンであっても誰にもとやかく言われないように。

 

ここでの私の偏見は男の同性愛者は無条件に私に言い寄ってくるかもしれないという思いこみというか、決めつけでした。冷静に考えればそんなはずはありません。相手にだって選ぶ権利はあります。

 

よし、これで私の偏見の一つは解消された、とはなりませんでした。

sexualminorityのうちある人たちだけどうしても「病気」としか思えなく、結局そこを「病気」としか思えないなら偏見が解消されたとは言えないからです。

 

「彼ら」を病気としか考えられず、病気でないならsexualminority全体がやっぱり「異常」ということになると、私自身の偏見が解消されないと呻吟したのですが、何の糸口もつかめない。

 

sexualminorityに偏見がないと公言する何人かに「彼ら」の話題を振ってみたことがあるのですが、全員異口同音に「あんな病気の連中は!」と怒気交じりの反応が返ってきました。「偏見がない」と言い切る人がここまで言うからには偏見ではなくて本当に病気なのかもと一瞬思いましたが、理由はわからないけどそんなわけはない。

 

私の言う「彼ら」とは小児性愛者、所謂ロリコンです。

病院のブログで何書いてんだと思われるでしょうが、もう少しお付き合いください。

 

「彼ら」もsexualminorityには違いありません。にもかかわらず何故「病気」としか思えないのか。

 

今から思えば随分と簡単なことなんですが「偏見」に凝り固まると簡単なことさえ分からなくなります。

 

いつ迄も「病気」「病気でない」と堂々巡りで行き詰まっているので何気にネットに何かないかなとサーフィンしていたら、ある人が「彼ら」のことを「彼らも気の毒だ」と書いてる記事に行き当たりました。

 

通常性的志向におけるsexualminorityはminorityと言えども必ず同じ志向の相手が少ないながらもどこかにいてその欲求を満たすことが可能です。ですが「彼ら」にはそれができない。同じ志向の「仲間」はいても「相手」はいません。それどころか「相手」の写真一枚持つことさえ違法です。「気の毒」とはそういうことです。

 

あぁなるほど。

私をはじめ「彼ら」を「病気」とみなしていた人は必ず子供にいたずらすると決めつけていたからです。勿論大多数の人は苦しみながらも法に則った生活を送っているでしょう。触法者は一部にしか過ぎないはずです。

それに子供にいたずらするのは「病気」ではなく「犯罪」です。

 

それだけのことが「偏見」を持っているとわからなくなるわけです。

 

文章でさらっと書きましたが、自分自身に偏見があると思ってから、ここに至るまでに5年ほどかかっています。

 

「人間皆平等やし」「おぉそうか」で済む話ではなくて、単純に物事を知るのではなく、理解しなければならないのに「偏見」が邪魔するので時間がかかりました。

 

とりあえず私の中のたくさんある偏見の一つはこれで解消できたでしょうか。

 

医の先達の遺訓に少しは添えたでしょうか。

 

凡人ゆえに言い切れないところが残念です。

 

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