親の勉強
2013年1月26日(土)
最近スーパーに行くと葉物野菜が高く、我が家の食卓は少々野菜が少ない様な気がします。
※安いときに購入して、冷凍などしたもので現在対応しておりますが。
しかし大人は仕方がないにしても、子供には体のためにもバランス良く食事をさせたいものです。
その想いから食卓にお野菜を出すのですが、『あれ嫌、これ嫌い』と言い、残そうとします。
しかし、『偏食なく、何でもよく噛んで食べる事』を言い聞かせておりますので、嫌いなものを発見した時は、すぐには食べ終わりません。
※食物アレルギーがあるものは、無理に食べさせないで下さいね。
箸を口に運ぼうとしては止めてみたり、口に入れたが噛まずに飲み込もうとしたり・・・。
食べ物と格闘しますので普段よりも時間がかかり、後片づけが遅くなります。
そうなると、後の仕事が詰ってしまったりしますので、イライラ感が・・・。
※しかし、ここは我慢我慢。
親として、
嫌いなものを何とか食べさせようと、料理方法を変えて見たりアレンジして見たり、
農作業体験につき合わせて、新鮮な野菜をその場で食べさせて見たりして。
とにかく食べさせるために工夫をします。
食べさせるに策をめぐらしているのですが、そんな苦労は子供にとっては無関心でしょう。
※『親の気持ち子知らず』とよく言ったものですね。
最近思う事。
親になってから勉強する事が何と多い事。
子に指導や教育を施すには?
それを理解・伝えるに、その指導・方法はどの様にしようか?あれやこれや思考を巡らしております。
内容ではありません。その方法を勉強しております。
指導する側・される側双方共に勉強なんですが、
伝える内容を1とした場合、伝えるための方法はその何倍もの勉強が必要と感じております。
しかし、
どちらにしても、互いに学ぶ姿勢は大事ですね。
褒められて伸びるタイプ
2012年10月23日(火)
気がつけば、私が就職してから時間が経過し、結構な年数になりました。
私の能力は、周囲から要求される水準からは、まだまだ及ばないものの、
時間の流れとともに、教えてもらい指導される機会よりも、
する機会が多くなってきました。
(そう思うと、半年前の霧島での川平法の研修は、大変貴重な機会でした)
そして、そんな指導する機会があるたび、その難しさを痛感します。
私は、同世代やもっと若い世代の標準からはかけ離れているようで、
褒められたり、持ち上げられたり、
そんなことはどうも苦手で、嫌味ぐらいに思ってしまいます。
特に、技術や知識を追い求めるようなことでは、それは極端で、
自分が中途半端と思うところで褒められたら、
頭打ちを言い渡されているような気すらします。
心から私の成長を思ってくれるほど、
批判ではなく、叱ったり、課題を指摘してくれ・・・と思っているということでしょうか。
もちろん、叩いたり、叱って伸びるタイプなのでしょうね。
自分では職人気質だと思うようにしています。
でも、あんまり叱られてばかりもきついけど、
忘れた頃にちょっとだけ褒められるぐらいでちょうどいい感じです。
さて、
最近、教育や指導には褒めるが大事だと、書籍等で言われています。
そして、褒められて伸びるタイプを自称する人もかなり多くなりました。
褒めるほうが良い ・・・といわれても、
私にとっては、安易に褒めることは嫌味でしかないので、なかなか上手に褒められない・・・。
褒める場所がないのではなく、
山登りで言うと、上を見るとまだ山の稜線すら見えていない登り始めでの褒め方、
途中まで来た時の褒め方など、なかなかいい言葉が見つからないのです。
ほんと、人を褒めるって難しいですね。
患者さんや利用者さんを相手にすると、
自然と褒めて、一緒に取り組む会話ができるのですが、
なぜか同業者には、何かあるようです。
それにしても、褒めるのは難しい。
先日、プロ野球のパリーグで優勝した日本ハムファイターズの栗山監督のスタイルと
初監督1期目でのVという結果をみて、私の苦手な教育的対応の大切さを実感しました。
ごっこ遊び
2012年9月17日(月)
先日、休みの日にどこか出かけたいと子供にせがまれ、
甲子園のそばにある、子供が楽しみながら仕事をする施設に行きました。
一言で言うと、大掛かりに(入場料を含め)ごっこ遊びをさせてくれるのです。
子供たちが、仕事(というより作業)を体験できるよう、
係の人が、ほぼ直接的な誘導をしながら、関わっておられました。
わが子2人は消防、電車・・・いくつかの仕事(ごっこ遊び)を楽しんでいましたが、
そんな姿を見ながら、気が付いたことがありました。
いまどきの子って、ごっこ遊びをあまりしないなぁと。
(少なくとも、わが子とその周りでは、ほとんど見ない気がします)
しかも、
長男が小さい頃は電車が好きで、いろいろと連れて行ったせいか、
長男の電車の車掌姿はちょっとは板についていましたが、
わが子も含め、役に成り切っている子がとても少ないのが気になりました。
一昔前のごっこ遊びのほうが、子供たちにリアリティがあったように思います。
この施設に限らず、世に売られているおもちゃや、通信系の付録にありがちな教材は、
昔に比べて、リアルすぎるものも出てきていますが、
それを使って遊ぶ子供たちがリアルになるとは限らないようです。
まわりや大人がやっていることをごっこ遊びするにしても、
自分たちで、職業に興味を持ち、いろいろ観察し、それらしい素振りに気づき、
いろいろ工夫して準備して、設定を決めて、真似事をする・・・わけですが、
そんなことしなくても、なんとなくごっこ遊びが形になる時代なんでしょうか。
便利になった分、かえって創造力や観察力は必要ないのかもしれませんね。
どんな仕事でも、趣味でも、
「教えてもらうんじゃない、盗め」と職人気質に格好良く言いたいところですが、
見よう見まねで工夫して習得したり、自力で作り上げたり・・・といった作業が、
子供の頃から経験し難いような、そんなご時世なのかもしれません。
※1 「盗め」->「作業や物をそのままパクったりコピーすること」ではありません、念のため。
※2 時代・世代に関係なく、「盗め」ができるかどうかで雲泥の差があると感じます。
何でも、お膳立てがある時代の教育や指導の難しさを感じた一日でした。
失敗したら(その3)
2012年2月17日(金)
最近ここ2ヶ月ほどの間に、3回怒鳴りました。それ以前に怒鳴ったのはもう10年以上も前です。
私に怒鳴られたのはみな20代の若いスタッフ4人です。彼らは怒鳴られるほど悪いことをしたのか…。
結論から言えば彼らの失敗自体は怒鳴られるほどのものではありません。
誰しも失敗はあるものです。私にだってあります。
ではなぜ怒鳴られたのか。
謝罪もなく、言い訳に終始していたからです。
最近の若い人に多いのでしょうか。自分がしたいことにやりたいことに拘泥するあまり、周囲にどれほど迷惑をかけようが、まったく意に介さず、注意されても謝罪や改めるどころか、言い訳だけしてさらにゴリ押ししようとする人がいます。
そういう人は何故事態が悪化しているのか理解できず、誰かに注意されるまで、謝罪することさえしません。
失敗したら謝罪。言うまでもなく基本中の基本ですが、できない人が増えているようです、残念なことに。
そういう若いスタッフの実態を見て、「一体養成校は何やっている」と憤る人もいます。
そう言いたくなる気持ちはわからんでもないですが、謝罪は専門学校や大学で教えてもらう高等技術ではありません。それまでに培っておくべきものができていないと言うことでしょう。
それは親の問題でもあるし、小中高教育の問題なのかもしれません。そうして間違ったものを、最低でも18年間培ってきたものを、わずか3~4年で修正できるわけもないでしょう。
わが子を叱る時はいつもそんなことを頭の片隅で考えています。