禍難
2024年1月17日(水)
高校3年の2月。受験の真っただ中で登校日でもなかったのでいつもより遅めに起きてテレビをつけたら「ホテルニュージャパンの火災」一色でした。
翌週には受験で関西方面に行く予定だったので投宿したら、いの一番に非常口を確認するよう親に言われたのを覚えています。
その翌日起きてテレビをつけたら「羽田沖墜落事故」の実況中継でした。
どういうわけか、関西方面へは飛行機でも新幹線でもなくフェリーで行く予定だったので墜落の心配はないと考えたのを覚えています(何かあれば、溺れる心配はあったわけですが)。
禍難は重なる。
元旦からの連日の禍事で40年余りも前の受験生の頃のことをそんな風に思い出してしまいました。
いまだ連日能登半島地震の報道が続く中、29年目の阪神淡路大震災の日を迎えました。連日というわけではありませんが2か月後にはサリンの事件が起こっています。サリンの事件と同じ3月には東北の震災です。
他にも1月にはチャレンジャーの事故が起こっています。
私の頭の中では1月から3月の間は事故や事件、災害が結構記憶されているようです。
どんなに嫌な記憶、楽しからざる記憶でも忘れられない、忘れてはいけないもののように思います。
先日書いたように私が年明けよりも年末が好きなのはそういうこともあるのかもしれません。
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思い出す
2023年10月27日(金)
近畿にいることもあって、今まで同窓会はずっとスルーしてきたんですが、還暦を機に向後学年での同窓会は行わないということだったので、先週、長駆久留米を訪い高校の同窓会に参加してきました。
私もちょうど同窓会の前日に「還暦」になったところで、当日参加者の90名ほどの還暦前後のおっちゃん、おばちゃんの顔を眺めてみました。
当たり前のことですが、自分自身もその中の一人だし、世間から見てくれだけでもどのように見られているか再認識しましたorz
一度も同窓会に出ていなかったし、卒業後すぐに地元を離れていたので2人を除いて全員が私にとっては40年ぶりでした。
40年と言っても大丈夫だろうとたかをくくっていたのですが、半数以上は誰かわかりませんでした。特に女性の中には変貌著しい人が少なからずいたように思います(誰をそう思ったかは秘中の秘です)。
残り半分もすぐにぱっと思い浮かんだ人というのは少なくて、顔に見覚えはあるけど名前が思い浮かばないというのが結構ありました。
面白いのは顔と名前がわかると当時彼や彼女が何を言っていたのか、何をしていたのか、どんな言葉を交わしていたのか、一緒に何をしたのかがパッと思い出せたことです。
どうやら思い出というのは、他者とのかかわりあいで紡ぎだされるもののようです。
皆さん久しぶりの同窓会前には卒業アルバムを見ておくことをお勧めします。
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そろそろ終わりかなぁ
2023年8月11日(金)
どおぉ~~~~んと花火が上がりました。
先週雄琴で、今週は浜大津で。
浜大津のと違って雄琴は時間も短く玉数も少ないので、人出も少なくゆっくり見れるので近所ということもあって出かけました。
4年ぶりとあって以前と同じほどの人出の中でどかん、どかん上がる花火を見てみんなの歓声を聞いていると、人それぞれなんでしょうけどようやくコロナ禍も治まりつつあるんじゃないかと言う実感がわきました。
もう少し時日が過ぎると、誰もが「コロナ前」「コロナ後」と分けて考えるようになるんでしょうね。
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続ダイバーシティ
2023年5月12日(金)
今回の表題は往年の映画タイトル風にしてみました。
最近ペースが遅くなっています。
書きかけのものが3つもあるんでネタがないわけじゃありませんが、文章でどう書けばいいのか思案中という感じで、なかなか皆さんのお目に触れる機会が減っています。
皆さんはゴールデンウィーク中はいかがお過ごしでしたでしょうか。
私は遠出するでもなくいつもの日曜日を連日過ごしたという感じです。
私の場合休みの日は出勤日より起床が早くて、大体5時から6時の間に起きて1~2時間ウォーキング。朝食後にさらに1~2時間ウォーキングか、電車に乗って京都までいき京都の街並みをウォーキング。2万歩以上歩いて夕方までに帰宅。あとはゆっくりという感じです。
いつもと違うのはGW中ということで、これに嫁さんがついてくるというのが違うと言えば違うところで。
以前は車で出かけることが多かったのですが、歩くようになって休みの日は車を運転しなくなり、歩きの距離が無理なところは電車かバスを利用するようになりました。
私が住む雄琴のおごと温泉駅は特急は勿論のこと急行も快速も止まらない駅ですが乗降する客がそれなりに多いのか、バリアフリーで車椅子でもプラットホームまでは辿り着けるようになっています。
おごと温泉駅でさえそうなんですから京都駅なんて言わずもがなですが、いずれにしろ車椅子でも「プラットホームまで」なんです。
プラットホームから電車に乗り込むのは渡り板が必要ですし、その渡り板は駅員に言わないとだめですし、対応してもらうには事前の連絡(予約)が必要だそうです。
聞くところによると、欧米ではその場で気軽に駅員が対応してくれるところが多いとか。
私の知人ですがボランティアで障害者の方たちの海外旅行に同伴した時の話。
スイスの景観がいい山並みを見るためにケーブルカーに乗ろうとしたところ車椅子の方が漕ぐのに手間取ってしまってちょっとばかり長い列ができたそうです(障害者、健常者別なく同じように並ぶ)。
駅員さんも、日本人以外の観光客の方々も日常的なことなのか皆さん黙ってのんびり待っておられたようなんですが、健常者の日本人観光客から「障害者がこんなところまで来るな」とはっきり言われたそうです。
介助にあたっていた知人は怒るより、呆れるより何より同じ日本人として猛烈に恥ずかしかったと言っていました。
もう何年も前ですが出張で江戸へ行ったとき、結構な時間が空いたので昼間新宿界隈をぶらぶら歩いたことがあります。その時何人もの電動車椅子の人とすれ違いました。京都では四条通や、新京極、河原町通りを休日歩いていても滅多にないことです(車椅子を押してくれる介助者がいるような人はままありますが電動車椅子で単独行というのは滅多にないです)。京都より江戸のほうが人口が多いというのは勿論あるんでしょうが、やはりより都会のほうがバリアフリーが進んでいるのかもと思った次第です。
当たり前のことですがダイバーシティ(Diversity)というのはsexual minorityに限った話ではありません。障害者も同様です。
大事なのは障害者が外に出ていきやすい環境(ハードウェア)よりも受け入れる社会の気持ちの有りようだとは思いますが、社会のそこかしこに障害者がいる状況にでもならないとなかなか理解も深まらないと思います。
受け入れる気持ちを待つより、外に出やすい環境を作るのが先と、公共交通機関の鉄道の利用しやすさを考えるほうがいいのかもしれません。
痴漢防止に女性専用車両があるし、高齢者障害者向けの優先座席もあります。車椅子用の優先スペースもあります。でも同じ様に車椅子の人が単独でも乗り入れできる車両や昇降口が何故ないんでしょうか。
本当はバスなんかもそう考えるべきなんでしょうが、電車と違って複数車両を連ねるわけじゃないから、専用車両にしろ、専用乗降口にしろ現実的じゃないですね。
このGW中電車に乗ってて思ったことでした。
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TPOの話(と言うタイトルでいいかな?)
2022年5月18日(水)
既に平成生まれが社会に出てから久しく、昭和生まれも第一線から次第に消えていくんでしょうけど、セラピストの名簿を見ていたら今年から21世紀生まれがいましたよ。
誤解している人もいるようですが21世紀は西暦2001年から2100年までですから年度としては2000年度生まれですけど、セラピストは最短で21歳でなれるわけですから、2001年1月から3月生まれのセラピストが早や就職してきたわけです。
話は変わりますが、つい先日出勤途中に聞いているラジオで「〇INEに直ぐに返事がないと…」と言ってましたが、正直な話「〇鹿なの?」と思ってしまいます。
直ぐに返事が欲しいなら「電話しろよ」と言いたい。
実際何度もそう言ったことがあるんですが、そういった場合決まって「突然電話しても迷惑かもしれないし」とか「夜中に電話は非常識」とか恥ならぬ馬〇の上塗りのような返事が返ってきます。
自分の都合でメッセージ送りつけといて、直ぐに返事がないとブータレた上に、迷惑かもしれないとか、非常識とか、どの口がという話です。
そう言うと「電話するほどじゃない」と言いますが、電話するほどじゃないなら直ぐの返事も必要ないだろうってことで、堂々巡りのような問答になります。
電話、メール、あるいは〇INEもコミュニケーションの道具でしかありません。それぞれの道具にはそれぞれのメリット、デメリットがあります。だから状況に応じて使い分けるというのが当たり前のはずですが…
どうも〇INEだったら〇INE一辺倒で、他の手段は考えないという人が少なからずいるようです。
驚いたのは彼、彼女どころか家族の間でも〇INEの連絡先しか知らない人もいるとか。色んな意味で脳天気かなぁと感じます。
TPOを考えて連絡の仕方を考えるってだけの話なんですけど。私見ですが、「お!出来るな」って人ほど、メールや〇INEの返事が来ないなんて文句言ってないと思います(その前に電話してる)。
皆さんはどう思いますか?
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納得できないこと
2021年12月01日(水)
ご無沙汰しています。久々に出てまいりました。
めっきり寒くなりました。ここから見る北の山も雪帽子をかぶっています。
先日は嫁さんの提案で西教寺まで歩きで紅葉を見に行ってきました。私の住む雄琴と西教寺のある坂本は地図上では隣の学区なんですけど、自宅からたどり着くまでに2時間以上かかって、日中は天気がいいこともあり、汗ばむほどの運動量になりました。
さてなんかいろいろと書きたいことはあるわけですけど、どれ書こうか選んでいるときに気がつきました。
今どれにするか悩んでいるネタはどれも私自身が納得していない(していなかった)ことなんです。
例えばLGBT。LGBTの人たちがどうこうでは無くて、LGBTを取り巻く人たちの中に首をかしげたくなるような人が少なからずいること。後日あらためて(のつもり)。
例えばこれはLGBTにもかかる話なんですけど、多様性を受け入れるっていうこと。「多様性を受け入れる」と言うこと自体が実は「多様性を受け入れない」と言うことではないのかと言う疑問。後日あらためて(のつもり)。
例えばハラスメント。「被害者」がハラスメントだと感じればハラスメントだという考え方。客観的に見れば「言った者勝ち」ではないかと。後日改めて(のつもり)。
そんな感じで納得できないことが少なからずあります。
納得できなかったらどうするのか。私の場合はまず納得する話をしてくれそうな人に話を聞く。
そう書くと聞けば終わりで簡単そうですが、私の疑問はたいてい皆がそう思っていることに何故と疑問符が付くので、満足いく答えが得られたことがあまりないです。
聞いても(調べても)わからないなら自分で答えを見つけるしかなくなりますが、見つけると言っても、ほとんどが自分で考えるしかなくなるわけで、当然何も思いつかなければ未解決のまま疑問は残ります。
残った疑問はわからないで「片づける」のではなく、わからないで「保留」にします。
「保留」にした納得できないことは、何かのきっかけで「回答」が得られることがあります。きっかけも色々で資料に目を通しながらとか(回答が書いてあったりもした)、何某かの出来事をきっかけとしたり、浴槽につかる瞬間だったり(私としては結構多い)、タイミングも「保留」の直後だったり、4~5年たってからなんていうのもありました。
勿論いつまでも「保留」のままなんて言うのもあります。
そういうことを考えると、私は面倒臭がりで怠惰なくせに執念深いのかと思ってしまいます。
久々に出てきてなんかつまんない話ですみません。
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続きです 車椅子
2021年5月19日(水)
私の事故関係でまだまだ書くことはあったはずなんですが、この1か月のドタバタで私の頭から記憶が消え去ったようです。今回を限りに事故関係の話は一旦終わりにします。あとは思い出し思い出し書くことにします。
車椅子は私のようなセラピストだけでなく、使っている人はもとより、医療福祉関係者なら誰でも馴染みのある道具だと思います。
当然押すだけでなく、自分自身が乗って操作することにも慣れています(のはずなんですが、最近はそうでもないセラピストが量産されてますね)。
あまりにも身近過ぎて、駆動するならともかく、車椅子を押すだけなら何の難しいこともないと思ってたのですが、違いました。
前回書いたように良性発作性頭位性めまい症で病院へ行ったわけですが、状態が状態なもので「行った」と言っても自分ひとりで行けるわけもなく、嫁さんの付き添いでです。勿論病院内を動き回れるわけもなく車椅子に乗って嫁さんが押してくれるわけですが、初めて車椅子に縁がない人と言うのがどういうものか理解できたというか…
うちの嫁さんは決して雑な人間ではないです。私の方がよっぽど雑で大雑把な人間で、嫁さんは何事も丁寧できっちりしているほうだと思います。
でも、車椅子(の操作)に慣れていないとちょっと狭い場所ではあっちにドン、こっちにドン、たんすにゴンとぶつかりまくりで、押すだけならユルユルとやるんですが、方向転換は加減がわからないせいか、結構急な転換(人によってはゆっくりなんでしょうけど)で首が置いて行かれて、さらに目が回り吐き気が戻ってくるという感じでした。
入院中には看護師さんや介護士さんにも車椅子押してもらいましたが、そういうことはなかったので思いもよりませんでしたが、車椅子を押すというだけでもそれ相応の慣れと言うか技術が必要なようです。
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謝る
2020年12月03日(木)
ここにきて終息どころか拡大の一途ですね。
一昨日メールマガジンで北海道のある病院がクラスター発生して、それも道内最大規模のクラスターになっているという記事を読んで、野次馬気分でホームページを覗いたんですけど、ホームページトップで目に飛び込んできたのは、事態説明と言う名の「私たちは悪くない、悪いのは保健所、市役所(市長)と地元大学病院」という理事長名義の責任回避の告発文とでも言うべきものでした。
そもそも最大規模のクラスター発生に加えて、かなりインパクトのある理事長声明が出ちゃった関係か、すぐにホームページはアクセス困難で(未だに満足に見れない)、どさくさに紛れてその文書も後ろに引っ込めたようです。
引っ込めたにしても事後(アフターコロナ)名指しで非難した保健所、市役所、大学病院とどう付き合っていくつもりだったのでしょうか。これまで通り付き合えると思ってたのでしょうか。
言い訳したり、責任転嫁する人って、絶対に謝罪しませんね。
悪いと思ってないからと言う意見もありますが、あり得ない。本当に悪いと思ってない人はせずに何が悪いのか聞いてきます。少なからず「拙い」と思ってるからこそ言い訳責任転嫁するんです。
これ以上何か書こうとすると、繰り言になるんでまたの機会にします。
皆さんはどう思いますか。
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寄る波
2020年10月21日(水)
先週田舎の父親が散歩中、足の痛みで歩けなくなり救急車を要請。緊急入院になったと妹から電話がありました。
でちょうど週末だったので土日で帰省し見舞いにでも行くかと思ったものの、福岡市内の病院はどこも面会不可らしく断念。
幸か不幸か翌日には何とか歩ける様にもなったようで、昨日父が近々法事があると主治医に訴えると即日退院が決まりました。
早々と退院が決まったのは良しとしても、どうせなら色々と検査漬けになれば良かったのにと思う私は親不孝でしょうか。
私の父は昭和13年生まれです。病院にいる同世代の利用者さんと同じようなイメージを持っていたのですが、どうも違う。
昨年帰省した折、台所仕事をする父を見ていた(今は隠居しましたが寿司職人)のですが、現役時代と変わらずちょこまかと動く動くww
驚いたのは高さ50㎝ほどの椅子の上に手すりも何も持たずにひょいと上った時です。
恥ずかしながら当時私はダイエットの影響もあって全身の筋力が格段に落ちていた時期で階段の昇降にも手すりが必要でした。
そういうことを80過ぎの父がこともなげにやっているのを見ると、現役時代の仕事量、運動量の賜物ということでしょうか。
そうは言っても寄る年波には勝てず、一次的にでもヘルニアで入院と言うことにはなるのですが、鍛えてきた結果なのか早々に回復して退院ですからねぇ。
子供としては有難いようでもあり、一方でこういう時は少しはゆっくりしてもらった方が安心できる気もするんですけど。
年を経れば親も自分自身も衰えるのは当然としても、やはり子としては親が「老いた」事実を前にすると結構来るものがあります。
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まだ、あった
2019年5月10日(金)
つい昨日、ネットで懐かしい車いすを見つけました。
10年以上前ですが、ある利用者さんが、どんな車椅子もずり落ちが見られて、座っていられなかったのです。
最後に試して、なんと、落ち着いて座っていることが出来て、本人様も楽になられた車椅子がありました。
ただ、その車いすは、車いすの要素はあったのですが、車いすとしては当時普通には販売されていませんでした。
検査用のストレッチャーと椅子の間ぐらいのものとして、点滴や検査中に、しんどい方に長く同じ姿勢を保っていただく安楽に過ごして頂く道具として販売されていました。
その後すぐ車いすとして販売もされるようになったのですが、フレームも車輪も頑丈なストレッチャーのようでした。
なので、介護する側からすると、移乗介助が対面介助は難しいですし、サイズも大きく、普通の大型車椅子よりもさらに重たい重量級の車いすだったので、不便な点もありました。
それでも、ご家族様はずり落ちがなくなったこと、ご本人様が穏やかに座っていられるようになられ、安心して一緒に外へ散歩にも行けるようになり喜んでおられました。
自分も重度な障害になったらこの車いすがいいなって思っていました。
しかし、その車いすはとっくに廃盤になって、売られていませんでした。そして、それに似たものも見かけませんでした。
ところが、
その車いすの後継機がアメリカの福祉機器展に出ていたとネットで紹介の記事をたまたま目にしました。
残念ながら日本での販売はしていないようですが、まだ作られていたんですね。
それも、前よりおしゃれになっていますね。ちょっとうれしくなりました。
相変わらず60万円程するようですが、これしか座れない人にはこれしかないですから。
日本では売られていなくても、メーカーは販売を続けていたんですね。
また、日本で販売されないかな?
日本の環境ではサイズが大きく重いので導入しにくいですが、座っていられるっていう生活の選択肢が増える人はいると思うのですが…。
日本にも色々物が増えましたが、海外に行けば、また違う環境で、違う要素のものが作られて使われているって再認識しました。
探せば知らないものがまだまだありますね。