技を盗むって?
2012年10月01日(月)
彼が盗めって言ってましたね。
でも、盗むには下地が必要です。
まずは、相手のしている理由がわからないと同じ事をしているつもりでも、
同じ事ができません。
まねる事が大事と言われますが、ただまねをしても同じです。
私が思う盗むってことは、
例えば木を削って彫刻するとします。
木に現れる変化を比べて、自分となぜ師匠は違うんだろう?同じ事をしているつもりなのにって疑問を持つと思います。
そうです、なぜか師匠がした後は感動するほどすごいのに、自分がした後はただ削っただけになるんです。
そこで、理由を道具の違い?木の材質?木目????って思いますか?
だって、師匠が自分の道具を使って自分のを修正しても感動できるものになると思いませんか?
きっと、まず自分の腕前不足や自分が感じていない何かを師匠は感じたりしたりしているに違いないって思いませんか?
それが、盗む第一歩です。
盗むっていうのは、その疑問を感じるってことであって、
後は疑問を解決する為に努力して解決できるようになる事だと思うのです。
どんな職人さんも師匠が居たとしても、師匠と同じで満足はしないでしょう。
でも、師匠はいつまでも目標かもしれません。
それはきっと自分で身につけた事と師匠が身につけている事は、寸分違わず同じではないからこそだと思います。
だって盗んだ技は自分で磨きをかけていくうちに、
同じ技でも自分だからできる技に微妙に変化して、昇華されていくと思います。
作業療法士も、理学療法士も、言語聴覚士も同じです。
先輩や師匠がしている事から盗んでくださいって言葉は、
きっと、あなたがどれだけ疑問を抱いて解決できるかって問われているんですよ。
そして、
ヒントは患者さんの言動や些細な反応にきっと有ります。
でも、学生さんは実習がありますが、些細な反応をすぐ見抜くのは難しいので、
実習では(指導者のマネよりも)患者さんのマネをできるだけ精密にたくさんすると、見学だけよりも数段感じることが増えますよ。
昔、
美術の授業や通っていたお絵描き教室で、イメージ通りにいかない自分の作品を先生がなぶると、
なぜか整って自分のイメージより良くなる。
そのかわり自分の作品でもなくなった気がして、少し悲しくなったことを思い出しました。
今でも美術館にいったりして鑑賞するのは好きですが、
美術の技を盗むにはいたらず、自分ではイメージどおりの作品が作れないまま今に至ります。
美術の技を盗めていたら今と違う事していたかな?
印象に残る言葉③ -自分が動きなさい-
2012年7月28日(土)
前回の-手を鍛える-にも書きましたが、
とある厳しい先輩(私にとっては師匠ですが)から指導され、
体を張って、師弟もかくやという感じで徒手療法を中心に叩き込まれました。
そのときに、何度も言われたことは、
自分の下手くそな技術を戒めるための「大事なポイント」となっています。
その中で、しつこく言われたことは、「自分が動きなさい」でした。
〇〇法というような技術を練習していると、
見本の通りに動かそうと必死に手を動かしてしまいます。
また、見本通りに相手が動くようにと、自分都合に動かしてしまいます。
そんなとき、
「相手を自分都合に動かそうとせず、あなたが動きなさい」
「あなたがちゃんと動いたら、相手は自然といい感じで動かせる」
ときつく言われました。
それは、
自分が何となく腰掛けたり、立ち止まった位置から相手を動かそうとすると、
自分にとって、動かしやすい範囲や届く範囲、やりやすい動きをしてしまう、
ということでした。
技術を正しく使う・・・例えば、目的とする動きを相手にさせる、
目的とする動きをさせるには・・・その動きに合わせて自分が動く、
自分がうまく動けば、相手は自然と動かすことができる。
そんな感じでしょうか。
仮に、筋力的に無理な姿勢だとしても、それが必要であるならば、体を鍛えなさい・・・とも。
そのしばらく後、Vojta法をみっちり教わったときも、
先日、川平法の研修で霧島リハで教わったときも、
「あなたが動きなさい」「相手にあわせなさい」ということは、
再三、指導されることでした。
どんな手技でも、大事なことは似通っているということで、
それを自然とできる人が、技術やセンスがあるということかもしれません。
そして、私が人に教える機会に恵まれたときには、
やはり、同じことを(自分にも言い聞かせながら)指導することにしています。
印象に残る言葉② -手を鍛える-
2012年7月12日(木)
私が就職した頃、
当院のリハビリにあった(流行っていた?)特別な技術といえば、
車いすや福祉用具・自助具、住宅改修関係などでした。
そのとき、先輩がいろいろ厳しく教えてくれたことも、
生活とその環境整備についてがほとんどで、
学生の頃、実習での指導で納得できなかったモヤモヤした部分を教わりました。
また、介護保険が始まる前でもあり、時間の流れも緩やかで、制度も使いやすく、
いろいろな物をオーダーメイドし、その人にあわせるという、
今ではなかなか積みにくい貴重な経験はできました。
その1年後、そういったことだけに熱心だった先輩達が大量に退職したのですが、
入れ替わるように復帰してきた先輩が一人いました。
風体、眼力、パワー、そして話術など、恐ろしい印象の人でしたが、
もっとびっくりしたのは、その技術でした。
今から考えても雲の上の技術だと確信していますが、
新人そこそこの私にとって、
理屈や意味が分からない不思議な世界に映ったことを今も覚えています。
私が、理学療法士として働きだしてから2〜3年は、
1〜2日の予定で開催される研修会に月2回は参加しているような状況でしたので、
いろいろな手技の研修でいろいろな技術を見て感動する機会も多くあったのですが、
その先輩の不思議な技術には、何ともいえない驚きがありました。
(そして、体育会系+アルファのとっても濃厚な指導を受けることに・・・)
その先輩から指導を受ける内容は、
生理学や解剖学の書籍、〇〇法などなどの書籍を調べればわかることも多く、
前に行った研修で指導されたことと、さほど変わらないものだったのですが、
どんなに練習しても、全然違う。
対象者を支えるだけでも、そもそも力を入れずに軽く持って、しかも安定している・・・
なのに、私は同じようにはできない。
(なんか、吸い付いているんですよね・・・先輩の手は)
そんなことを繰り返している私に、その先輩は、
「手を鍛えなさい」、と。
(「手を鍛える?」・・・・って、めっちゃ練習しているけど・・・)
その後、何度も指導され、気づくことになったその真意は、
普段から、仕事以外でも手を動かしなさい、
いろんな持ち方をしたり、動かしたり、支えたりしなさい、
そして、触った感じや位置を覚えなさい、
ということでした。
それからというもの、
缶コーヒーを買ったら自然と手元で回したり、
意味もなく指を動かしてみたり、何やら触ってみたり・・・
そのうちに、確かにどんどん触りやすくなる・・・。
そして、そんな無意識の変な癖がついてしまったのでした。 (´_`。)
そのうち続編あるかも。