京都大原記念病院グループリハビリスタッフのあんなことこんなこと

あんなこと

遠藤

やる気…お願いしまーす

2013年5月08日(水)

飲み込みしやすいもの しにくいものありますよね。

 

この食べることっていうのにも、意欲の問題が大きくかかわります。
中には食べるという動作をするのもしんどくて嫌で、食べるのを拒否する人もいます。
同じぐらいしんどいはずなのに、がんばって食べたいと強く思って食べる人もいます。

 

そして、人の体はいろんな感覚や感情に連動することがあります。
聞く話によると、食べ物の飲み込みが難しくて、いろんな工夫をしてもうまく食べられない人が、
大好物のトロのお刺身を食べさせたら、上手に食べちゃったって話がありました。
嫌いなものでは食が進まない。好きなものだとどんどん食べられるってことに似た話でしょうか?
のどの通りも左右されるんですね。

 

なんにせよ、食事も楽しくなければ、食べたくならなければ、食べるのに苦労するってことですね。

 

リハビリも同じです。
ご本人がする気にならなければ、いくら家族やスタッフが時間を割いても効果が大きくなりません。

 

そんな方には、リハビリを楽しく提供するのも方法ですが、
もちろん、リハビリに来ないほうが気楽に楽しめることも多いでしょうし、
さすがに楽しむだけでは、効果的な訓練は難しかったりもします。
限界があります。

 

リハビリそのものよりも、リハビリしたくなるそんな気持ちにさせることがやっぱり大事です。
その大事なことに必要なのが、リハビリをする目的(目標)だったりします。
「歩く練習をして、もう少し歩けるようになったら、孫が出るサッカーの試合見にいこうね。」とかでいいのです。
でも、「歩く練習をして、もっと自分で移動できる距離をのばしてね。」ではちょっと楽しくないので、
本人がそのことを思うと楽しくなるような目標を立ててみてください。
これは、スタッフでは知らない楽しみを知っている家族だからできることだったりします。

 

この目標を家族とご本人が共有できていると、大分違います。
それが、認知症であっても家族とご本人で目標を話して共有しているとわりと違ったりするんです。

 

ぜひ、目標をスタッフとだけではなく、ご本人とも共有してくださいね。
ご本人はスタッフと共有しても自分の生活につなげて認識できなくても、
ご家族とはちゃんと認識できたりします。
なので、お願いしまーす。

へんなこと

遠藤

してあげる介護?

2013年1月12日(土)

当グループには、介護老人保健施設が2つあります。

 京都大原記念病院と廊下続きで建つ「博寿苑」と、少し離れ(徒歩20分、車で5分程)て建つ「おおはら雅の郷」があります。

私はこの1月より、京都大原記念病院からこの2つの介護老人保健施設へ異動になりました。

 

 介護老人保健施設は久しぶりに担当です。

懐かしさをかみしめる中、ちょっと思い出したことがあります。

「してあげたいって思い」が強い人はボランティアは続かない。

って、昔テレビか何かで、ボランティア団体の方が話していたのを聞いたことがあります。

 

してあげたいって思いが強い人はどうなんでしょう?

でも、そうかも知れません。

 

してあげたいって思いを満足するには、

自分がしてあげたいことが出来ないと満足できません。

そこに介護される側の思いは汲まれていません。

そのままでは、強要する介護になってしまいます。

そして、してあげる満足はがんばらないと達成できません。

それは自分に負担をあえてかけていくことになります。

すると、頑張ったわりに喜ばれず、場合によってはクレームがきて、空回りして疲れるってことでしょうか?

 

本当は、してあげたいよりは、しても良いよぐらいの方が良いのでしょうか?

そこを手伝ってほしいならしても良いよ。

これを準備しておいてほしいならしても良いよ。

って。

そこには介護される側の意思があります。

 

実際のところ、どうかと言われても分かりませんが、

思い入れが強いと、介護される側も言いたいことが言えないこともあるのは知っています。「一生懸命してくれているのにそんなことはよう言わん」って。

お互い、過剰に気を使い合って、なぜか浪費し合って生活していたりします。

 

だから、してあげるって思いだけでは駄目な気がします。

介護される側の意思を慮ってすることも必要だと思います。

それが例えちょっと物足りないって感じる介護でも、後で、なにげにフォローすれば良いやって思って、時には肩肘張らず、相手の言う通りにするのも有りなのかもしれません。

 

さじ加減は未熟な私には分かりませんが、

頑張るだけが良いことではないのでしょうね。

へんなこと

遠藤

なんで?って

2012年12月19日(水)

むすこが、「なんで?」と質問することが多くなりました。
でも、見ていると、その質問は、
「何で?」という言葉通りの意味ではなくて、

 

「今の状況が受け入れられないから、違う答えを言って。」と言っている
と思うことが結構多いです。

 

飼っていたバッタさんのお墓を作って「さよなら」した時も、
そのバッタさんが何で動かないのか?さよならするのはなんで?っていうのもあったのですが、
テレビ番組が終了して、もう終わったから見れないって時も、なんで?
イベントが終了してお片づけになっていて、さあ次へ移動と言うと、なんで?

 

なんで?って聞かれて、
説明して、でも、説明は聞かなかったことにして、再度なんで?
って感じになります。
これが、割としつこい。
きっと現実を受け入れられないから、受け入れたい現実に変えて欲しいと願っているのでしょう。
でも、今ある現実は変わりません。

 

患者さんでも同じです。
つらい現実を受け入れられないので、
いくら正論でも、正しい予測でも受け入れられないことが有ります。
でも、現実が変わるわけでは有りません。
…でも、取り組み次第で後の生活が変わるのも現実です。

気持ちを切り替えて頑張って欲しいと願います。

 

受け入れられないのは、心の防衛反応だと思います。
より大きな気持ちで、その方の心を支えられたら、
その防衛反応を乗り越えて、その現実を受け入れられるようになると思っています。
悲観するのは本人だけにしておきたいです。
周りに居る私たちは大きな心で受け入れて、患者さんが未来を作るために、支えていく力になれたらいいな。
今ある現実を、漫画みたいな奇跡は起こせませんが、よりよい現実に少しでも変えるために。

 

大きな心持てたらいいな

力になれたらいいな

そんなこと

遠藤

体を動かすコツ?

2012年12月08日(土)

たとえば、よく使われる例が、
椅子に座っている方に、

 

部屋から移動しようと思って、
「歩いて下さい」といっても歩けないのに、
「あそこへ行きましょう」というと歩いて移動できたりします。

 

歩く練習中に、
「足を上げて下さい」といっても足が上がらないのに、
「これをまたいで下さい」というと足が上がったりします。

 

言葉や環境が作るマジック(専門用語では有りません。私がそう呼んでいるだけです。)です。
何気ないことですが、この要素を使う訓練は結構あります。
だって、この方々はふざけているのではなく、
本当にできなかったり、できたりが変わるのです。

 

同じ人なのに、違う人が関わると、できることが変わることがあります。
それは、
その人が優しいとか、怖そうとか、雰囲気が良いとか、仲が良いだけが理由ではありません。
その人に合ったコツを掴んだかどうかも要素にあがります。
そのためには、観察とか、その人を知ることが大事になるのです。

 

別に行動だけではありません。
肘を曲げ伸ばしするだけの運動訓練にもこのマジックは使われます。
1.肘の曲がる所に注意を向けて運動する
2.肘を動かす筋肉に注意を向けて運動する
3.肘ではなく手に持つ物に注意を向けて運動する
4.手を動かす範囲に注意を向けて運動する
5.会話に注意を向けて運動する

 

どれも人によってはマジックになります。
誰にでも同じことがマジックにはなりません。
他にもマジックはあります。

 

頭や体は、いろいろな影響を感じて、受けて、何気に動いています。
障害を受けると、影響が出すぎたり、感じなかったり、何気に動けなくなっています。
でも、どこかに時折つながる抜け道があったりします。

 

今日も誰かマジックにかかっているかもしれません。
最初はスタッフがいるときだけかかるマジックだったけれど、
いつの間にか、当たり前に自分でできるようになることを、
マジックを不思議と感じなくなることを目指しています。

へんなこと

遠藤

寂しいのかな?

2012年9月09日(日)

子供を見ていると、分かる事があります。
あえて、おこられる事をする。
わざと注意を引きならがダメって言われる事をする。

 

行動分析っていう考え方があるんですが、そのなかでもそういう状況に対して、
おこるって関わりをすることで、
その人に報酬を与えている様な状況が起きている。
要は、おこられる事をする事で、
自分におこるって形で関わってもらえているっていうご褒美が与えられたって、
感覚になってしまう。

 

おこらず無視をする事も一つの手ですが、
他のかかわりをちゃんと持つ事が大事だと思います。

 

そういう意味で、一緒に遊びたいのに一緒に遊んであげていない事が、
悪さを見ている前でわざとする原因でもあるんだろうなって思います。

 

患者さんも同じです。
悪さをする方はすべてが、悪い事をしたいのではなくて、
悪い事をしないとなかなかかまって貰えない寂しさもあるんだと思います。

 

家の中でも、さびしくて、悪口言ったり、嫌がる事をしたり、
本当はもっと心地よい関係を作りたいのに、悪循環を作る方も多いと思います。
とくに、体や頭に病気を持つとどうしてもマイナスな方向に言動が向かいます。
そういう時はその部分では無い所で、気持ちをつなげたり開放したりしないといけないのでしょうね。
その為に、デイサービスを利用したり、お出かけや気分転換をするのが良いのだと思います。

そして、
介護をしていると介護が必要な時に声をかけて関わっているので、
逆に他のときには、わざわざ声をかけなかったりします。
でも、それでは本当の意味でコミュニケーションが取れていないのでしょう。
介護しているときしか会話が無ければ友達や家族としては物足りないでしょう。

必要だから声をかけたりするのではなく、
必要なくてもなんとなく声をかけたりするのが大事なんでしょうね。

 

会話って大事だと思います。

でも、私も苦手なんですよね…。

そんなこと

遠藤

リハビリスタッフも悩みます

2012年8月21日(火)

リハビリスタッフも家族と一緒で、いつも悩んでいる事が有ります。

 

包丁やナイフを使わすか、使わさないか?

子育てでも経験した方は多いでしょう。

持たせるべきか、まだ早いか?

 

横についていても怪我をします。

でも、横についていないともっとたくさん怪我をするし、

大きな怪我をするかもしれません。

それに、怪我をした時に対応が遅れます。

 

だから、

親は横についています。

 

介護されているご家族の皆さんも同じ気持ちになる事が有るのではないでしょうか?

 

リハビリスタッフも一緒です。

リハビリでは日常危なくて、できない事を訓練でしたりする事が多いです。

訓練で怪我をしない保証は有りませんが、スタッフがついている事である程度防ぐ事ができます。

そして、怪我をした時にすぐ助けを呼んだりできます。

だから、怪我しそうな事までリハビリでする事ができます。

難しい事をしないで、難しい事ができるようにはなりません。

転けるはずのない事だけをして、転けにくい能力は身につきません。

刃物を使わず、刃物が使えるようにもなりません。

何も喉に通さずに、食べれるようにもなりません。

 

怪我をするから何もしない生活よりも、

怪我を抑えつつ頑張って勝ち取るワンランク上の生活を目指しています。

 

もちろん無駄に怪我をさせたくないので、絶対できない事をする訳では有りません。

難しい事をする時も可能な限り安全に配慮します。

ただただ、安全のためだけに、手に入る生活をあきらめたくないだけです。

いつも患者さんには限界に挑戦させてあげたいと思っています。

 

でも、一方の気持ちでは、

やっぱり絶対に怪我をさせたくないんです。

患者さんといる時は、いつもいつも、ハラハラドキドキです。

 

ご家族の介護をする時も、ハラハラドキドキする事があると思います。

今日のための安全、明日のためのハラハラドキドキです。

でも、絶対に無理な事は安全のためにやめておきましょう。

ハラハラドキドキを実行するためには下準備が大事です。

悩んだ時は相談しましょう。

 

今日もあちらこちらで、

ハラハラドキドキしているスタッフがいっぱいいます。

こんなこと

遠藤

手を鍛えることと解決すること

2012年8月14日(火)

手技を身につけるために、普段から手を鍛えることを彼が書いていました。

 技は感覚が大事だと思います。

誰かが言ったとおりに、教科書に書いてある通りに動かしても

適切で微妙な調整を随時できないと到達しません。

 

介助も同じです。

 
たとえば、同じ移乗の介助でも、相手が裸だったりしても、
ちゃんと持てる人と、持てなくなる人が居ます。

 

これは、普通は持てなくなります。
だから、入浴介助がとても難しいのです。

 

で、持てる人に教えてもらおうと思っても、教えてもらえません。
なぜなら、教え方が分からないからです。

 

持てる人は、気づいたら持てるようになっているんです。
何が違うかといえば、彼が言ったようなことなんです。
じっさい、なぜ介助のときに手が張り付いて持てているのか?言葉で表現は難しいのです。

 

でも、持てないからといってあきらめる必要はありません。
この世には福祉用具や自助具といったお助け道具を考えたり、作ったりする人や会社があります。
お風呂で介助するにも、リフトや介助ベルトもあります。

 

そして、
ご家庭では用意できない道具や人手を使った介助で入浴させてくれるデイサービスやデイケア、
訪問入浴などのサービスがあります。

 

介助ができるようになることも大事ですが、どうやって解決するかが生活上の介護ではとても大事です。
そして、いろんな解決方法があります。
あなたの家庭生活に合った解決方法を探してください。

 

私たち作業療法士も、お助け道具を考えたり作ったりする職種の一つです。
確か昔、訪問リハビリの求人広告で「スプーン一本から住宅改修まで」ってボスが書いていましたね。

こんなこと

遠藤

歩く介助どうしてますか?

2012年7月25日(水)

介助方法にはそれぞれ理由があります

 

歩く時に両手を前から持って、引いてあげる方法は、よく見かけます。

これは介助者が先に立って歩き、進行方向に介助者がいる。介助者が見える、介助者を持っているという誘導しやすく、安心感が生まれる方法です。

例えば、子供や目がよく見えない方、行き先に不安が強い方には、比較的よく使われています。

ただ、この方法は介助者は既に両手で相手の両手を持っているため、相手がこける時に、支える事はできません。ですから、転けやすい方の介助にはあまりお勧めできません。

 

そして、

歩行練習中にリハビリスタッフは、患者さんの横や後ろから位置を変えたりしながら介助する事が多くなります。

これは、介助だけでなく、運動の操作もしている事が多く、同じ患者さんであってもする内容に合わせて立ち位置や、手で触れている位置が変わります。

 

歩く人を介助する時は、

介助の目的が誘導なら手を引いてあげる方法でも良いのですが、

目的が転けないようにとか、転けると危ないからだと、横からサポートするのが一般的ですね。

両足にあまり力が入らない人をなんとか歩かしてあげようという目的だったら、後ろから支えるのが良いかもしれません。

ほかにも、杖や歩行器など道具も検討するでしょう。

同じ歩く介助でも、その人の状態によって、その介助目的を達成しやすい方法を考えてすると互いに楽になります。

これは、歩く介助だけでなく、どんな介助にもいえる事です。

そのお手伝いも

リハビリスタッフはもちろんですが、それ以外の回復期リハビリテーション病棟やデイケア、デイサービスなどの看護・介護スタッフの仕事でもあります。

 

介助方法を担当の方にぜひご相談ください。

気づいていない何か良い方法が有るかもしれません。

もしその時思いつかなくても、一緒に考えてくれますよ。

 

自分一人で悩むより、そばにあるたくさんの知恵を使いましょう。

あんなこと

遠藤

いろんな顔持ってますか?

2012年6月20日(水)

 

人には、いくつかの顔があります。

 

仕事で顧客と居る時、職場の同僚と居る時、

友達と居る時、家族といる時、見ず知らずの他人と居る時、
それぞれ違います。
そして、それぞれ違う自分を出せる瞬間があるんです。
逆に、それぞれに、違うことを我慢しています。
我慢し続けることはあまりいい結果を産みません。
家庭で介護する上で、真面目な方ほど自分がしてあげないとって、
一日すべてが、家事と介護で時間が埋まってしまいます。
これでは、家族と居る自分以外は出せなくなってしまいます。
それでしんどくなって、家族や自分にあたってしまいまい、
上手く続けて行くことができなくなります。
 
 
そして、もう一人家族と居る自分しか出せなくなった人が居ます。
それは介護が必要になったその人ですね。
 
 
介護する方の負担軽減の為にって、介護サービスを勧められると思いますが、
それは、同時に介護が必要な方の負担軽減でもあるんです。
 
 
デイケア(通所リハビリ)に勤務していた頃にも、
デイケア中は、柔らかな明るい人が、
帰りの送迎バスから降りると家の長として、キリリっとした表情になる人や、
家では、片付けひとつできないのに、デイケアでは世話好きだったりする人が居ました。
 
 
家族に見せる顔と、他人に見せる顔は違います。
そうやって、気持ちにメリハリつけたり、緩急つけているんですね。
 
 
介護する時、家にこもったきりにならないようにしましょう。
それは、あなたも、介護が必要なその人も。
 
 
 
それぞれに知らない顔は必要ですね。
 

こんなこと

遠藤

たったこれだけ…だけど

2012年6月16日(土)

皆さんは、普段の日常で動作を意識したことありますか?
こう聞かれたら、どうですか?

 

「いつもどうやって寝返ってますか?
 頭からねじっていますか?
 足からですか?
 それとも腰からですか?
 いつもと同じように寝返ってください。」

 

こう聞かれると、真面目な方は、
あれ?どうやっていたかしら?
頭から?足から?腰から?…。
困ってしまいます。

 

それぐらい意識していない動作はいっぱいあります。
そして、必ず同じ動作方法ではないだけに、いつもが分からなくなります。
本当はいつも同じようで違う動作なんです。
その時々にあわせて体を使うことができる人は、その日の調子や、場面に合わせて動作を変えています。
いつも同じ動作ではしませんし、それをあまり意識しません。

 

しかし、体が不自由になると、成功する動作方法は限られて、
タイミングや力のかけ方も意識していつも同じようにする必要が出てきます。
そして、それらをやっとできるようになった人は特に大変です。

 

ほんとに少し、環境が変わると出来なくなったりします。
介護するとき注意することの一つは、環境を変えたら注意することです。

 

今まで出来ていたはずの人が失敗するかもしれません。
私たちからしたら「たったこれだけ」のこと(色違い、硬さの違い、高さの違い…等々)でも、
ご本人の動きのタイミングや力がずれるきっかけになったりします。

 

私たちと違って、場面に合わせて体の動きを変えているのではなく、
いつもと同じように体を動かしているのですから。
いつもと違う環境に合わせる事はとっても難しいのです。

 

たったこれだけ…だけど…いつもと違うのは違うんです。

 

でも、たったこれだけと思うのはご本人も一緒ですから、失敗すると思っていません。
だから、外出して「もう、できるから」って言って、自分でして失敗するのは仕方ないんです。
そういう時は、失敗しても大丈夫なように見守ってあげてください。

 

さあ、あなたはいつもどうやって寝返っていますか?

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