柄じゃない…あるいは縁(えにし)かな?その2
2012年5月18日(金)
さて本日は5/18はリハビリテーション部新人歓迎会の日です。既に採用から1ヶ月以上たっていての歓迎会とはちょっと遅いですかね。
部員だけで140余名。ゲストも含めると参加者150名を越える大宴会ですから、4月の歓迎会シーズンには場所が押さえられなかったそうです(既に2月から幹事は活動していたようですが…)。
さて今日は乾杯の音頭をとらにゃなりません。
乾杯の前にはちょっと挨拶もしなくちゃなりませんが、例年だと3/30のブログ「なるのは簡単?」のようなことを短くしゃべるんですが、もう飽きちゃったし、どうしようかなと思案中です。
気の利いたことの一つも喋らにゃならんのでしょうけど、そもそもそんな柄じゃありません。
私は毎日柄じゃないことを仕事として喋り、行動しているわけです。
私は京都大原記念病院グループでリハビリテーション部の管理者をしていますが、当初理学療法士になった頃の目論見とは大きくずれてきています。普通の会社員だったら違うんでしょうけど、技術職だったので役職者になると言う考えは欠片もありませんでした。在職27年目になりますが、九州出身の私としては2~3年で田舎に帰り、スタッフも10人までのこじんまりした病院に勤めるつもりでした。どちらかと言うと怠け者で、面倒くさがりで、勉強嫌いの私が管理職などというのは、学生時代を知る当時の教員や、同期からすれば「笑い話」のタネというか、臍で茶を沸かすような話です。
今では本来なるはずのない、なる積もりもない私が管理者になってしまったのも、一つの「縁(えにし)」かなと思っています。
たまたま
当時知名度の恐ろしく低い「理学療法士」という字面が目に入り、
たまたま
ネットもない時代に新設間もない養成校の存在を知り(当時学校、職業ともどれほど知名度が低かったかと言うと、学生証を提示しても学割されなかった経験が何度もあります)、
たまたま
セラピスト1人を雇うにも苦労するような人手不足の時代に
たまたま
実習に行った病院の指導者と教員に京都大原記念病院を勧められて、
たまたま
考えなしで就職した結果、グループの代表である理事長は超わがままで、朝令暮改どころか朝令朝改なんかいとも平然とやってのけて、無理難題吹っかけるのはよくあることなんだけど、物凄く現場の意見を大事にする人で仕事がやりやすかったのも事実で、
たまたま
先輩セラピストがたった3人しかいなくて、全員が6年の間にいなくなり、
たまたま
同期入職はたった5人で、自分を除くと全員が3年以内に全員辞めてしまって、
見渡してみれば、ほんの1~2歳だけ他のスタッフより老けてて、ほんの1~2年だけ他のスタッフより経験年数が多かった…
それだけの男にリハビリテーション部を任せるしかなかった。
これを「縁(えにし)」と言わず、なんと言いましょうか。私よりあとから就職した者の中で、私より優秀なスタッフは少なからずいました。今でもそうです。それでも私が責任者なのはちょっとだけ(たまたま)経験年数が多かったからでしょう。
少なくとも私の場合は才能や努力より「縁」の方が大きかったようです。
それはともかくスピーチどうしよう…