そんなところ
2018年11月28日(水)
「コミュニケーションが得意」
「挨拶している」
「フィードバックしている」
自分で威勢よく言う人ほどちゃんとできているかあやしいと思ってます。
どれも同じようなことですが、
「得意」「している」って言う人のなかには、
自分の言いたいことを言えてるっていうのが基準になっている人がいるように思います。
そこには、
相手に聞こえている。
相手に正しく伝わっている。
相手がどう思っている。
相手が言いたいことが言えている。
っていうのが入っていない人がいるのです。
もちろんそんな人には相手と話し合えているはずもないのに、
「話し合って決めました」とか、「ちゃんと伝えています」って自信まんまんに言ったりします。
そして、その話を信じて相手のところにいくと、いろいろ食い違いがある。っていうのをよく経験しました。
そして、そこでちゃんと会話するとわかってもらえることがいくつもありました。
自分自身でも、
自分が話したことが相手に間違ってとらえられたり、
相手の話を勘違いしたりしますので、
仕事中はそんなことが起きないように気をつけようと思っています。
これから〇〇療法士になろうと思っている皆さんには、
テクニックや知識だけでなく、そんなところも大事だと、
心に留めておいて欲しいです。
今日はカンファレンスがあります。
私も、ちゃんと伝えられるように頑張ってきますね。
ちが~~~~~~~~~~う!!
2018年11月20日(火)
羽生結弦選手やりましたね、V。
右足首を負傷したにもかかわらず、高得点をマークして優勝した羽生選手は本当に凄い!!
違う、違う!! そんなことが言いたかったんじゃないです。
羽生選手表彰式の時は両手に松葉杖をついていましたが、その後のインタビューでは片松葉杖で登場していました。問題はどちらの側に杖をついていたかですが、残念なことに右側でした。
以前にもブログで指摘しましたが、足を負傷して1本だけ杖を使うとしたら怪我をした側と反対側に杖をつくのが正しいです。
羽生選手ほどのアスリートが負傷ともなると海外であってもそれなりの医者が付くでしょうに、杖のアドバイスもできないとはちょっと心配です。
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なんだかなぁ
2018年11月16日(金)
病院では週刊誌を読みながら昼食と言うのが私の習慣です(行儀が悪いですが)。
週に2誌は読んで時事ネタを仕込んでいます。
昨日買った週刊誌には皆さんもすでにご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、現職国会議員が結婚詐欺で訴えられたとか言う話が載ってました。
(記事によれば)彼が(国会議員が)信じてくれと言ったので、信じたら騙されたと言う話なんですが、そも妻子ある男が妻子を裏切ろうとしているところに「信じてくれ」と言ったところで信用できるわけないじゃんかと思うわけです。
こういう話を聞いているとあまり使いたくない言葉ですが「騙される方も悪い」と言いたくもなります。
「私を信用して」という言葉を吐く人間ほど信用できないってのが私の考えです。
20代のまだまだピヨピヨの頃の話ですが、私とは違って実績も社会的地位もあるセラピストの人から「信用してくれ」と言われて信用したら、1年もたたないうちに「アホが見るブタのケツ」(すみません、品がなくて)と言う経験をしました。
その時私は悟ったつもりです。「信用して」と言葉にしなければならないのは、結局のところ信用に値する実績がないからだ。実績がなければ信用することもされることもない(当たり前と言えば当たり前ですが、身を持って経験しなければわからないのが凡人の悲しさ)。
先に「騙される方も悪い」と書きましたが、騙されたと言っている女性も、はなからその国会議員が信用できるだけのモノを持ってないとわかっていたはずです。
多分彼女は信用できるから信用したのではなく、信用したいから信用したんじゃないかと思います。
皆さんはどう思いますか?
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紅葉
2018年11月12日(月)
休みの日に外出すると、人がいっぱい歩いています。
着物を着ている方もちらほら見かけます。
紅葉の季節ですから、人が多いのも当然ですね。
右は「おおはら雅の郷」で今朝とった写真です。
紅葉が赤くなる季節です。
寒くなってくる季節でもあります。
一日の気温も朝、昼、晩と気温差があります。
外出時は、家を出るとき、目的地で過ごす時間、家に帰ってくるときで
長袖を一枚増やす、薄着になる、防寒着を羽織る
って装いも変えないと体にこたえます。
体調を崩さないように気温に合わせて服装も調整しましょう。
紅葉狩りには、帰りの冷え込みも考えて
準備してお出かけしてください。
不思議に思う事
2018年11月07日(水)
1日の終わりにあたっての日課として、テレビのニュースを見つつ、ネットでもニュースとメールのチェックをしています。
先日も寝る前にパソコンに向かっていたら、何の記事だか何だかは忘れちゃいましたが「自分探しの旅」という単語が目に入りました。
この言葉を使うというか、そう称する人の事はどれほどの人であろうと、私の中では評価が微妙になります。
今ここに「自分」がある(いる)のに「自分」を探すってことは、要するに「自分を見失っている」ということですよね。
私としては「自分を見失う」→「取り乱す」or「錯乱する」ということですし、外面でそうではなくとも内面的にそうなんだと思いますから、(内面的であっても)「取り乱す」or「錯乱する」→「醜態をさらす」→「恥ずかしい」となります。
非常に単純で短絡的一方的な見方なんでしょうけど、私としては恥ずかしい言葉を使える、言えるってのはとても不思議な事に思えます。
皆さんはどうお考えになりますか?
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声をかけられます
2018年11月05日(月)
子どもを連れてお出かけしていると
たまに声をかけられます。
自分一人で子どもを連れていると、
だいたいご年配の男性に声をかけられます。
妻もいるときは、年配の女性が多くなるように思います。
そして女性は子どもにも連れている妻にも話しかけて、
男性は主に私に話しかけてくるように思います。
そして、ご自身の孫の話がちらっと出てきます。
男女で話しかけやすさも違うんでしょうね。
リハスタッフにも、
利用者や多職種の方にとって話しかけやすい人もいれば、
話しかけにくいと思われている人もいますよね。
聞き出すこと、情報を収集することは自分が尋ねたり調べたりすることだけではなく、
自然と自分に伝わるっていうものも多いと思います。
誰にとっても話しやすい人になるというのは難しくっても、
誰にとっても話しにくい人にならないようにしたいものです。
道で声をかけられるぐらいなので、そこまで話しかけにくくないんじゃないかとは
自分で思っています。
話しは戻りますが、
子連れの時に声をかけてくる人って、いい笑顔をしています。
これは子ども達が自然と引き出す笑顔ですかね。
私も利用者の笑顔をいつもいつも引き出したいです。