なんだかなぁ
2018年11月16日(金)
病院では週刊誌を読みながら昼食と言うのが私の習慣です(行儀が悪いですが)。
週に2誌は読んで時事ネタを仕込んでいます。
昨日買った週刊誌には皆さんもすでにご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、現職国会議員が結婚詐欺で訴えられたとか言う話が載ってました。
(記事によれば)彼が(国会議員が)信じてくれと言ったので、信じたら騙されたと言う話なんですが、そも妻子ある男が妻子を裏切ろうとしているところに「信じてくれ」と言ったところで信用できるわけないじゃんかと思うわけです。
こういう話を聞いているとあまり使いたくない言葉ですが「騙される方も悪い」と言いたくもなります。
「私を信用して」という言葉を吐く人間ほど信用できないってのが私の考えです。
20代のまだまだピヨピヨの頃の話ですが、私とは違って実績も社会的地位もあるセラピストの人から「信用してくれ」と言われて信用したら、1年もたたないうちに「アホが見るブタのケツ」(すみません、品がなくて)と言う経験をしました。
その時私は悟ったつもりです。「信用して」と言葉にしなければならないのは、結局のところ信用に値する実績がないからだ。実績がなければ信用することもされることもない(当たり前と言えば当たり前ですが、身を持って経験しなければわからないのが凡人の悲しさ)。
先に「騙される方も悪い」と書きましたが、騙されたと言っている女性も、はなからその国会議員が信用できるだけのモノを持ってないとわかっていたはずです。
多分彼女は信用できるから信用したのではなく、信用したいから信用したんじゃないかと思います。
皆さんはどう思いますか?
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