世間と社会
2015年6月03日(水)
今日から近畿地方は梅雨入りです。
5月に入って長らく好天が続いていたので、久方の雨にほっとしている自分がいます。
鴻上尚史さんという作家兼演出家の方のインタビュー記事と言うのを昼休みに食事しながら読みました。
鴻上さんは日本と海外での文化の違いを中心に話されているわけですが、皆さん知ってました?
●父親が幼い娘と一緒に入浴するのは日本のみ(欧米どころかアジアでも皆無。アメリカ駐在の会社員の娘が学校でそれを言ったら即警察に逮捕されたという話を私も聞いたことがあります)。
●麺をすするのも日本のみ。
ま、余談ですが。
その鴻上さんがとても印象的なことを言っておられました。
『日本には「社会」の他に「世間」がある』
『「世間」とは学校や会社、近所など、自分と接点のある人たちの集団』
『世間の中の人にはとても親切なのに、外にいる人には冷たく、関心を持たない』
『欧米には世間がなくて社会しかない。だから知らない人にも気軽に話しかけるし、困っている人を見れば手を貸す』
私は鴻上さんと違い「社会」と「世間」をニュアンス的にも完全に同義ととらえているので、違和感がありますが、言わんとするところはよくわかります。
私だったら「世間」ではなくて「ムラ」とするところです(鴻上さんもそう考えたのかもしれませんが、ストレートすぎると避けたか)。
鴻上さんによるとかつては欧米にも「世間」というか「ムラ」はあったらしいですが、キリスト教と言う一神教の普及が消滅させたとか(その辺はよくわかりませんが)。
巷間「ムラ」や「ムラ社会」と言えば、否定的な印象の言葉ですが、個人や家族から「ムラ」をすっ飛ばして「社会」というのも落ち着かない。
「社会」からみてその構成員たる一人一人の「個人」に気を配る余裕などないわけですから、「ムラ」というのは個人を孤立させないためには都合がいい面もある。
鴻上さんの話で京都大原記念病院グループ リハビリテーション部170余名のムラ人の一員としてそんなことを感じました。
次回私のブログは6/8です。