あいづっこ宣言 その② 「什の掟」
2015年12月15日(火)
前回の続きです。
しばらくは「あいづっこ宣言」で引っ張りますので悪しからず。。。。。
今回は「あいづっこ宣言」の簡単な歴史についてです♪
最近では2年前に放映されたNHK大河ドラマ「八重の桜」で注目されていました。基は「什の掟」と言います。
(會津藩校 日新館―会津藩・白虎隊の学び舎より引用)
一、年長者(としうえのひと)の言うことに背いてはなりませぬ
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
一、嘘言(うそ)を言うことはなりませぬ
一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
一、弱い者をいじめてはなりませぬ
一、戸外で物を食べてはなりませぬ
一、戸外で婦人(おんな)と言葉を交へてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです
徳川三代将軍・徳川家光の異母兄弟 会津藩(現・福島県会津若松市)の藩祖・保科正之が定めた家訓が始まりと言われています。
会津藩の武士の男の子は、十歳になると日新館という藩の学校に入学するきまりになっています。
六歳から九歳までの子供は、入学前からしっかりとした生徒になるために自分たちの町に十人前後の子供だけの集まりをつくり、毎日、子供たちの家で反省会を行います。その集まりを「什(じゅう)」と呼びます。
反省会では、会津藩の武士の子供はこのようにしなければならないという心構えを教わります。お互いに約束を決め、そしてその約束は絶対に破らないように努力していました。その約束が「什の掟(じゅうのおきて)」です。
読んでみると、今の時代に合わない内容もありますが・・・、数百年もずっと受け継がれ、会津若松市の青少年の心を育てる市民行動指針「あいづっこ宣言」(平成14年策定)として、少し形を変えながらも今日まで読まれ続ける言葉の力は本当に凄いと思います。
どうでもいいですが、自分がはじめて耳にしたのは小学校4年生の頃で、「白虎隊」という年末に放映された長編時代劇を見たときでした。
当時、意味はあまり分かっていませんでしたが・・・・。
次回に続く。