このツケは誰が?
2013年4月11日(木)
大原の郷でも桜が見頃ですが、今日ホンのちょっとだけ目を山の上の方に転じたら、うっすらと雪が…。
ここに来て30年近くなりますが、4月中旬に入ってこの寒さは珍しいかな。
一昨日養成校の先生と話しました。よくある話ですが、その学校でも今年国家試験に落ちた学生の親が怒鳴り込んできたそうです。
教え方が悪いってことなんでしょうけど。
私見ですが、国家試験に通る通らないは、学校の教育の仕方とあまり関係ないように思います。本人がどれだけ集中してやったかどうかだけでしょう。
3月になって、当院では国家試験終了後も就職希望の学生が何人か採用試験を受験しました。国家試験後ですから、結果はまだ不明としても自己採点上は大丈夫という学生が応募してくるわけです。そんな(国家試験は)大丈夫だろうという学生の中には、アルファベットが書けない(本来QOLと書くべきところをどう読んでもθOLとしか読めない字を書いていました)、日常使う専門用語が書けない、意味が理解できないという者がいました。
筆記試験の後、面接時に国家試験の自己採点の結果を聞くと、余裕で合格圏内でした(言うまでもないことですが、その彼にはお引取り願いました)。
つまりはどれだけ基礎学力が低かろうが、国家試験問題レベルの知識を溜め込めば合格できるわけです。
覚えれば良いだけの話ですから、学校の教え方なんか関係ないわけです。
長い事採用に関わっていますと、どう考えても医療人どころか社会人としていかがなものかという学生に出くわします。当院で採用しないとしても、そんな学生でもわずかばかり後には国家試験に合格して晴れてセラピストになるという事を思うと、気分が暗くなったりします。
そのことをある学校の先生に言ったところ、「そうは言っても国が認めたんだから(国家試験に合格したんだから)しょうがない」というご意見でした。所謂、国家試験=最後の篩(ふるい)ってことでしょう。
これは勘違いと言うか、考え違いです。国の考え方は基本的に「国民を信頼する」です。ですから国家試験を受験するまでに、社会人、医療人としての基本的、倫理的教育は出来ていると信頼する。だから国としては必要な知識が最低限あるかどうかだけ見るために国家試験をやろう、です。そこには国と民(民間、学校、国民等など)との間に暗黙の了解(信頼)があるわけです。※1
常識的に考えても知識の有無を問う筆記試験で医療人としての適正がわかるわけないんです。
そう考えると、大事な篩は国家試験ではなく、学校の教育ということになりますから、「国が認めたんだから」は責任転嫁以外の何物でもないでしょう。
国家試験に落ちた学生の親が学校に怒鳴り込んできた最初の話に戻りますが、学校としては何か拙かったのでしょうか。
そもそも学校に入学を希望する、入学を許可するという事にも暗黙の了解があるはずです。
(金払うし、勉強するから)入学させてくれ、(金もらえるし、勉強するなら)いいよってわけです。※2
前にも書きましたように学校の教え方と国家試験の合格率関係がないというのが、私の意見ですので、教え方がどうあれ普通に勉強すれば資格を取れるわけですから、勉強しなかった学生が悪いってわけです。
国家試験に落ちた学生の親が学校に怒鳴り込んできたら、学校としては勉強もろくにしないのに入学許可して(期待もたせて)御免なさいと謝るか、勉強するって言ってたくせにやらなかったのが悪いと怒るかどっちかですね。
本当は大事な篩がもう一つあります。雇う側のわれわれ医療機関がそういう不適切な人材を雇わないか、責任もって教育すればいいわけです。
以前のブログに書きましたが医療機関は教育機関ではないし、「先生」もいないわけですから、教育のしようがないわけです。先輩や上司のアドバイスを糧と出来なければ、淘汰されるのみです。そうでなければそのつけは結局誰が払うのか。患者さんとそのご家族なわけです。
なんか今回は長々と書いちゃいました。次回私のブログは4/17です。
※1 細川内閣(1993-1994)以降、規制緩和として、許認可事業の多くが届出制で認可される流れになったように思います。それまでは届出書の内容に間違いがないか実地調査を持って審査されていたものが、基本的に届出書に間違いがない(虚偽がない)前提で、書類提出のみで認可が下りるようになりました。そのかわり認可後に行政の調査が定期的にあったり、一旦認可が取り消されたら、再申請での認可が事実上不可になったりと届出以降が厳しくなりました。
※2 入学の時はそうですが、これが就職になると
(ちゃんと働くから)就職させてくれ給料おくれ、(ちゃんと働くなら)いいよ給料払うよってことになりますが、今や就活する学生の多くは「勉強できるところ」を就職先として探しています。話の流れから言っても臍が茶を沸かすような話ですが、事実そうなのです。
今までは金を払って勉強してきた。これからは金を貰って働くべきところを、金を払え勉強させろなんて厚かましさにもほどがあります。一部学校の先生までもが卒後も引き続き教育していただかないとなんて言ってますから。
私は就職後も勉強できるところで働きたいという学生に聞くんです。
「君たちは先生方にやっていただいた3~4年間の学校の授業、半分でも覚えているか?」
全員が首を振ります。せいぜい1/10でしょう。授業さえろくに覚えていないのに、勉強したいとは「笑止」。
教えてもらう、お金をもらう。彼らのほとんどが就職後も「してもらう」ことが基本の学生気質なわけです。
一人前になるには、勉強より何よりその学生気質を捨て去る事が第一です。