京都大原記念病院グループリハビリスタッフのあんなことこんなこと

へんなこと

橋本

お盆に寄せて

2016年8月10日(水)

予定投稿日より1日早いですが、予告通り早めの投稿です。

 

そろそろお盆ですが、テレビではオリンピックと高校野球が熱いようです。

 

今年の2/18のブログにこう書きました

覚えておいででしょうか。

私の考えにも賛否両論あるとは思いますが、先日こんな記事を読みました(WEB PDF)。

 

全てとは言いませんが、就職を地元でとか、長男なんだからとかで何かと地元に縛ろうとしているのはこういうこともあるのかなと感じてしまいます。

 

人それぞれなのは認めますが、「長男だから」と言う理由で仕事を辞めて郷里に帰ると言うスタッフは何故「長男だから」そうする必要があるのか、よくわかっていないようです。「親にそう望まれているから」とかやっぱり「長男だから」と言う理由にもなっていない理由で、そう言いさえすれば誰もが納得するのが当たり前みたいな感じです。

 

私自身はここで紹介したような「介護を担わせるため」と言う理由は少数派だと思います。

「家」「長男」「先祖供養」「跡継ぎ」などのキーワードで我が子を自分のもとに縛ろうとする行為が悪いとは思いませんが、何故そうしようとするのか理解しないまま、考えないまま「そういうものだから」従わせようとする、従おうとするのは言葉は悪いですが「馬鹿だな」と感じます。

 

かくいう私も長男ですが、実家に帰るつもりも家を継ぐつもりも(継ぐような家でもないですが)ありませんし、「長男だから」という呪縛が何故あるのかも理解していませんでした。理解はしていませんでしたが、そうしないことへの良くわからない不安と言うものはありました。みんながそうしているのにしない不安ではなく、なんだかよくわからない不安。

 

結婚直後たまたまですが祖母の十三回忌と母の三十三回忌(間違いじゃないですよ、私の実母は20代で死にました)の法要を同じ日にしました。その時住職さんとの世間話で最近百五十回忌や二百回忌を執り行ったとお聞きしました。

 

150年前や200年前に亡くなった顔も人柄も全く知らない先祖を偲ぶ…

「家を継ぐ」や「長男だから」と躍起になることの本質と言うか、躍起になる人の本音が、私自身のなんだかよくわからない不安が、わかったような気がしました。

 

きっとそれらの本質というか本音と言うのは

 

「私を忘れないでください」

 

じゃないでしょうか。先祖を忘れず大事にすることで、自分もまた忘れられず、大事にされるようにすること。

それをシステム化したのが「家を継ぐ」や「長男だから」と言うことでしょう。

ただ本来の目的が何かを考えず、システムの維持を目的としているのではそれこそ「先祖」も浮かばれますまい。

 

言い換えるとシステムを継承しなくとも、本来の目的を見失わない行いをすれば問題ないわけです。

そう考えると私のなんだかわからない不安もわかりました。忘れ去られる不安だったわけですが、システムに頼るのではなく、忘れられないようにすればいいだけの話と思い至りました。

 

「歴史に名を残す」などと大層なことを考えずとも、何かしらの事績(実績ではおこがましい)を残せば、名は残らずとも「誰かが」生きた証にはなるでしょう。

そもそも百年も二百年後も名前を残すには、私のような凡人ではとても「悪い事」をしないと無理そうですし、凡人だけに「悪い事」も出来なさそうです。

 

私もあなたもそれなりに生きてればなにがしかの生きていた「痕跡」は残せるはずです(このブログだってそうです)。見も知らぬ子孫の「好意」に頼って奉られるよりはましだと思えるのは私だけでしょうか。

 

次回私のブログは8/18です。


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