京都大原記念病院グループリハビリスタッフのあんなことこんなこと

へんなこと

橋本

自画自賛

2017年2月09日(木)

医療系の国家試験の日程が今月から3月の頭まで目白押しです。

私が受験したころは理学療法士や作業療法士の試験日程なんて1日だけでしたが、今は2日もあるんですねぇ。

 

あんなもん1日で済ませてほしいなんて考えてるのは私だけでしょうか。

 

世の中にはこの試験と言うものを受験者の自己採点に任せるべきとひそかに主張し、活動している者がいるのではないかと、私は疑っています。

 

試験の主催者側は採点は公平だと主張しているが疑わしい。百歩譲って主催者側が公平なら、受験者側だって公平だ。自己採点で何の問題もなかろう、などと表だって言いはしませんが、そう考えている人がある一定の割合でいるように思えます。

 

私がなぜそう思うかですが、簡単な話です。

 

自己評価を主張して、不満を言う人がいるからです。

「私はこれだけできているのに評価が低い(できてるかも知んないけど、できてないところもあるよね)」

「私はこれだけ頑張ったのに(他はもっと頑張ったんだよね)」

「あの人はあの程度しかできないのに、私より評価が高い(でもあの人はあれもこれもできるんだけどね)」

 

自己評価を主張する人って「人は見たいものだけを見て、聞きたいことだけを聞いて、言いたいことだけを言う」の典型と言ってもいいぐらい。

 

試験を自己採点しても何の公平性も担保出来ないように、自己評価も何の公平性も担保出来ません。

でも彼らは公平ではない、こんな評価は偏っていると言い、公平に自分たちの評価をするように要求します。

言い換えると自分の思い通りの高い評価でない限り、彼らは公平ではないと主張し続けるでしょう。

 

斯様に彼らはは「公平性」を主張しますがこれは嘘です。

 

何故なら自分の評価が低いと主張する人がいる一方で、同じように自分の評価が高いと不満を言う人はほとんどいないからです(過去通算で数百人の部下を持ったことがありますが、一人だけいました)。

「公平性」が目的なら自分の評価が低いと彼らが主張するだけ、同じように評価が高すぎると不満を言う人間が同数いてもいいはずですが、いません。と言うことは別に彼らは公平性を求めてるんじゃなくて、自分の評価がとにかく何でもいいので高ければいい自分の取り分さえ多ければいいってだけの話です。

 

ぶっちゃけどこの職場であっても、働く一人一人をちゃんと公平に評価できているかと言うと、それは「ない!!」と言えます(偉そうに言うべきでないとは承知しています)。

人や組織がやることなので、いつも適切とは言えません。

ですが並の人や組織なら公平であるようなバイアスがかかるはずですから長い目で見れば問題ないでしょう。

並以下の人や組織であれば勿論「不公平まかり通る」って話なんでしょうけど、そういう場合人にしても組織にしても長続きしないのも事実ですからこれも問題ないでしょう(民間に限ればの話ですが…。お役所になると話は別な気がします。最近騒がせている天下り問題なんかその一例)。

 

自己評価(採点)を主張する人たちに共通するのは、その自己評価が高いと言うことです。自分はこれだけできてる、これだけ頑張っているということです。

一方で自己評価を主張しない人はどんなことを考えているんでしょうか。

 

多分、「自分はこれが出来ていない」「自分はここが足りない」「自分はここが駄目」かな。

これをもう一歩進めれば、足りないところ、欠けているところ、十分でないところを何とかしようと努力する。

「自分は出来ているんだ」と言う人より更に伸びしろがありそうですし、有望な気がします。

 

まぁまぁそんなこんなで試験は受験者の自己採点に任せるべきと主張するちょっとおかしな人がいると推測するわけですが(自画自賛の人に対するほとんど嫌味と言うか皮肉ですけど)、皆さんはどう思いますか。

 

次回私のブログは2/16の予定です。

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