患者さんの達人になる
2013年4月28日(日)
ようやく今年の求人用パンフレットが完成しました。
毎年ほぼ一人で作っていたものですが、今年はショコタンがやってくれたので、私の負担がかなり減りました。
女性が編集に加わったと言う事で、だいぶんイメチェンとダイエットしています。今年2013年版と昨年2012年版の表紙を並べてみます。いかがですか皆さんはどちらがお好みですか?
右側2012年版の表紙は2003年からさほどデザインが変わっていません。ただ「患者さんの達人になる」というキャッチは2009年からで、それ以前のキャッチコピーは「ヤケドするほど熱い人」でした。コピーの後ろにある文字は日々スタッフが口にする言葉を1日の流れで書き出してみたつもりです。最初この表紙を完成させるだけで丸々2日かかりました。
左側2013年版の写真は私が撮影して、裏表紙に使っていたものです。個人情報保護の観点から病院での写真撮影はなかなか難しくなってきています。いちいち患者さんの了解を取るのも大変で、病院の日々の風景を撮影するにも、患者さんが写りこむ場合ほとんどがバックショットになってしまいます。ですが表情を見せず背中だけ写すことで、見る人に想像の余地を残した写真と自画自賛しています(ただ一眼レフを購入して半年ほどでしたので、あぁすりゃよかった、こうすりゃよかったが盛り沢山の写真です)。
さてここからは過激です。
「患者さんの達人になる」と言うコピー(今ではパンフレットのタイトルになっちゃいましたが)も私が考えました。
「達人」からは何がしかの技能や知識に関するものが想像されがちです。勿論リハビリテーション医療でも達人と呼ぶにふさわしい病気の知識や治療手技の専門家がいます。私たちセラピストも日々研鑽に励んでいるところではありますが、それ以前になすべき事があります。
それは患者さん自身を知ると言う事です。それがなければせっかくの技量や知識も活用の術がありません。
患者さん自身とは患者さんの体や病気の情報だけでなく、(今の)患者さんを取り巻く環境やこれまでの事などその他、ここに一々書いていられないほど多くの事です。勿論状況は患者さん個人によって違いますから、知っておかなければならないことも変わってきます。
例えば階段の上り下りが出来ないからと訓練をしたとします。
ですがその患者さんの自宅が平屋(最近「平屋」を知らない奴がいます)だったら?、その訓練を無駄とは言わないまでも、限られた入院期間の中で優先順位が高いものでしょうか。
例えばご家族からの要望が患者さんご本人が歩けるようにだったとします。セラピストが寝たきりの患者さんをなんとかベッドに起き上がれるように努力するところから、始まる場合も少なくありません。なかなか回復は捗々しくなく、入院後3ヶ月を経過しても起き上がりさえままならない状態の中、そもそも二度目の脳卒中で、今回入院以前に5年以上寝たきりだった事実が発覚とかいうばかばかしい話。しかも家族が家に引き取るつもりもまったくないことが明白になるというおまけつき。
例えばようやく身の回りのことがすべて出来るようになり、もうすぐ一人暮らしの家へ帰ることも決まった時。
私「この人は脳卒中だったかな?」
誰か「はい」
私「家で倒れたのかな?」
誰か「はい」
私「どうやって病院に行ったのかな?」
誰か「救急車で」
こ のとんちんかんでスットコドッコイな「誰か」を即座にクビに出来ないのは、残念な事です。この会話のおかしさが理解できないセラピストは患者さんやご家族 のおかれた状況をまったく理解できないといっても良いでしょう。因みにいくらセラピストと言えども経験未熟では無理な話かと、医療と無関係の嫁にこの会話 を聞かせたら大笑いでした。
とてもお恥ずかしい話ですが、当院のリハビリテーションの歴史とは、そういう問題を一つ一つ潰してきた歴史です(2013.4.5.「思いもよらない事は」、2012.6.14.「都市伝説」)
いずれにしても患者さんにまつわる多くのことを知らなければ、適切な目標やプログラムはありえないと言う事です。
皆さんや皆さんのご家族を担当するセラピストは色々とものを尋ねてきますか?
住んでいる家のことや、趣味の事や、どんな家族関係だとか、これまでどんな病気にかかったとか、近所付き合いはどうだとか、今と何の関係もなさそうな話でも家に帰るためには、会社に戻るためには、とても重要になりうる話です。
それらの事を何も聞いてこないセラピストがいるとしたら、どれほど技量優秀、知識豊富でも、それらを適切に使う能力がないセラピストと言う事でしょう。ご用心、ご用心。
次回私のブログは5/1です。