読むと考える
2015年1月31日(土)
今週はちょっと九州へ行っていました(そうです、未だに出張行ってます)。
到着した日の大分なんかは4月並の陽気だったそうで、あまりの暑さにか別府湾では魚が素っ裸で泳いでいました。
先日ある大学へお邪魔した時のことです。
応接室へ通されて、お待ちしている間に部屋に飾ってある色紙を見つけました。
「少し読んで、沢山考える」
と学長の言葉が記してありました。
たった4つの単語で、私は学長の言葉にはまってしまいました。
なるほどなと思う反面、この言葉を人がどうとらえるのかちょっと考えました。
最近の人は活字離れが進んでいると言います。人によっては雑誌、漫画の類いさえ読まないという人も多いと聞きます。
仕事関係や雑誌、漫画の類いに限らず、毎日なにがしか広範な分野の読書をしている人もいるでしょう。
それぞれの人が自分の読書量をどうとらえるのか、興味深いところです。
おそらくほとんど読書しない人は、もともと読書が好きでない、興味が無いこともあって字義通り受け止め、今まで通りでいいんだ、もっと頭を働かせればいいと考えるでしょう(学長先生、とてもいい言葉なんですけど、まずこの人たちのことを考えて欲しかった)。
かなり沢山読書している人は、この程度でいいと思うのか、量を減らすのか、逆に増やすのか。
考えるというのは、よりよい結論を導く為の過程です。よりよい結論を導く為には、考える礎となる知識(情報、データ)が必要です。
となれば学長先生の言葉は「沢山読んで、より沢山考えよう」ととらえるのが適切なようです。
単に学術書を読んだり、人に教えを乞うたりしても、知識量や技能がちょっぴり向上するだけです。得たものを基礎にして考え、よりよい結論を得なければ「知っている」「出来る」だけで終わりです。
でも最近は「考える」ということが困難な人が多いようですが。
次回私のブログは2/6です。