京都大原記念病院グループリハビリスタッフのあんなことこんなこと

そんなこと

橋本

悟り?

2014年5月12日(月)

実は昨日、嘉門達夫さんのライブに親子ともども出かけました。ずいぶんと笑わせてもらいました。以前ブログに書いた原口あきまささんの一日一笑からすると一か月分くらい大笑いしたような気がします。

 

私の両親が40を越えた頃からだと思うのですが、夫婦ともに映画はコメディ(ほぼ寅さん一本)、テレビでも自然系のドキュメンタリーか、お笑い番組ばかりしか見ないようになっていました。

 

両親ともに昔からそうだったのでないことは知っています。ほかにもいろいろと面白いものがあるのにと思い、なぜお笑いばかりなのか聞いたところ父の返事は「疲れるから」でした。そんな父でも大河ドラマは別格だったようです。

 

当時はそういうものかとよくわからないまま納得していたのですが、自分自身40を越えた頃から悲劇や苦労話と言った「重い話」というのはテレビでも映画でも見なくなりました。

映像だけでなく活字でもよほど興味を持つとか必要性を感じてとかでない限り、「重い話」は受け付けなくなりつつあります。

 

きっと現実の日常でドラマチックでないにしろ、「重い話」がたくさんあるからでしょう。

 

ある程度年齢を重ねると「重い話」を受け付けないというのは文字通りとしても、更に年を経ると「重い話」を重いと感じなくなるようです。最近は患者さんと接する機会もあまりないのですが、以前感じたことは、人間も90歳を越えると世俗のごたごたに感情が揺れ動くことがなくなるようです。

 

それは決して関心がなくなるとか、認知症ゆえのものではなくて、我が身の三欲と五感以外のことからは超然としていられるようです。、驚くようなことも気に病むほどのことも、解決できないこともほぼないと考えているように見えます。

 

例えば私たちにしてみれば身内の愛憎取り混ぜたどろどろした諍いは、それだけで頭痛の種ですが、これが一世紀を生きた人間になると「そうか、大変やな」と言いつつも「まあまあ、みんな仲良うしたらええがな」の一言で片付け、表情には何の翳りもなく、泰然としています。

 

人間100年も生きれば図らずとも悟りの境地かもしれません。

 

次回私のブログは5/18です。

 

 

 

 

 

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