いい女だな
2016年11月25日(金)
すみません。本当は昨日更新する予定でしたが、今日になっちゃいました。昨日の午後までは憶えてたんですけどね、なんやかやしていたら、きれいさっぱりブログのことは忘れていました。
かの国では、問題発言を繰り返す人が次期大統領になるとわかって、彼の影響を受けたかのような差別案件が頻発しているようです。
あっちはともかく。日本でも差別はないかと言えば、ないとは言い難く。ただ最近でこそヘイトスピーチなるものもありますが、どちらかと言えば陰にこもった感じの差別と言う印象です。
ここにネットで読んだ「あからさまな差別」(♯1、♯2)を紹介しますが、ここまであからさまだとかえって清々しく…などと書けば物議を醸すのは必定ですね。
高校生の頃、何度も繰り返し読んだ本の一つに高橋三千綱氏の「シスコで語ろう」があります。ベトナム戦争盛んなころ、サンフランシスコの大学へ遊学した際のエッセイなんですけど、彼はそこで一つの章を丸々費やしてアメリカの人種差別の様子を書き綴っています。彼は章の最後にサンフランシスコの街角でアイスクリームを食べている女性を見ながら、「皿洗いのおっさん」と交わした会話を紹介して、自分自身の思いもかけない差別意識の存在を吐露しています。
高橋 「中国人かな」
おっさん「いい女だな」
良くないと思いつつもこんな感じで自分自身の隠された差別意識が露わになることが私にもありそうです。
どうせ「おっさん」なら「いい女だな」と言える「おっさん」になりたいものです。
また時間がある時に病気と差別について書いてみたいと思います。
次回私のブログは12/1です。
主体は?
2016年11月17日(木)
ちょうど17年ほど前ですか、この時期にシンポジウムに駆り出されたことがあります。
当時も、今でも思い返すにシンポジストとしては大したこと全然喋れんかったなぁと言うのが正直な感想です。
そのシンポジウムの最後の質疑応答で、やたら喧嘩腰なおばさんが(どこの誰ともよくわかってるんですが)、「大原記念病院は患者を洗いざらい盗っていく云々(因みにここに書いてる通りに言われました)」
一瞬あっけにとられて、あまりの不穏な物言いに座長がすぐさま割って入って、反論する機会もなくシンポジウムは終わっちゃいました。
内の病院に限らず、いろんな場面で「(お客さんを、患者さんを)盗った、盗られた」と言う話を耳にしますが、これほど人を馬鹿にした言葉もないものです。「盗った」「盗られた」と言う言葉にはお客さんや患者さんの意志はまるでないものが如く、モノ扱いしている言葉だからです。
言うまでもないことですが、お客さんや患者さんは人間です。それぞれ一人一人に意志があり考えがあります。商品やサービスを変えると言うのはもともとの商品やサービスに不満があったり、より優れた商品やサービスに鞍替えしただけで、「盗った」のでもなければ「盗られた」のでもありません。
あえて言うなら
「逃げた」「逃げられた」でしょう。
「盗った」「盗られた」にはお客さんの意志はありませんが、「逃げた」「逃げられた」にはお客さんの意志があります。
最近2~3年目のスタッフと話していると、迷っているとよく聞きます。
何を迷うのかと言うと、患者さんの落ち着き先を「施設」にすべきなのか「自宅」にすべきなのか、どちらが妥当なのか、患者さんに問題は数あれど、一体どこから取り組むべきなのかとか。
インフォームド・コンセントと言う言葉があります。「説明した上での同意」というのが訳らしいのですが、医療関係者の中には勘違いしている人もいて、治療方針を決めて家族や患者さんに説明して同意を貰えばいいと考えているような話も聞きます。
本当は治療方針を決めるのは患者さんや家族と言うことを理解している人は意外と少ないんじゃないかなと思います。
医療の素人に方針なんか決められんじゃないかと言う方もいるでしょうけど、だからこそ病院には医師をはじめとして医療の専門家がいるのです。
医療者側は治療のオプション(選択肢)を提示して、それぞれのメリット、デメリットを示して、最終的に患者さんと家族でどの治療方針で行くのかを判断して貰う、というのが適切なインフォームド・コンセントと言えるでしょう。
意訳するなら「説明の上での選択」がいいような気がします。
時々目にする新聞や週刊誌での医療過誤の記事には患者さんや家族の側が「そんなデメリットは聞いてなかった」とか「そんな選択肢があるとは聞いてなかった」とか言うのが結構あるようです。そもそも説明がなかったってのも聞きますね、論外ですが。
多分誰かが
「あんたの治療方法はこれで行く。ええな」
そんな感じで言ってるんじゃないでしょうかね。
ちゃんとオプションとメリットデメリットを示せば、あとは患者さんや家族が選んでくれるんです。何も迷うことはないはずです(ちゃんと説明できるかどうか、理解していただけるかどうかが本来の肝です)。
次回私のブログは11/24です。
葛藤
2016年11月14日(月)
先日、第4子が我が家に生まれました。
子供達も妹が増えることでそれぞれ葛藤があるようです。
1番目のお兄ちゃんは、ただ「かわいい」って言ってます。
2番目のお姉ちゃんは「かわいい」と言いながらも、そう言わないとって、お姉ちゃんとして頑張ろうっていう気持ちが見えます。ちょっと気負って、時にくじけて情緒不安定になっています。
3番目の初めてお姉ちゃんになる娘は「・・・」見なかったことにしようとしているようで、まだ受け入れていません。いままでテレビなどで赤ちゃんが映ると「赤ちゃん」「かわいい」と言っていたのに...。
3番目の子の反応は、1番目のお兄ちゃんが、2番目のお姉ちゃんが産まれた時に近い反応です。その当時のお兄ちゃんも数日は産まれた妹を完全に無視していました。
それぞれ、役割を感じたり、期待を感じたり、自分のポジションを奪われたと感じたり、いろいろ感じて、
気持ちが昂ったり、落ち込んだり、混乱したりしているようです。
でも、ふと思ったのは私も含めスタッフたちも異動があるのですが、
その時感じることも、新人が入ってきて感じることも、
ここに通じる物があるなって思いました。
いろいろ感じて、時間と共に成長したり、人間関係を築いていくんですね。
いくつになっても、子供でも大人でも、
人間としての感情や行動、思考の基本は同じですよね。
本文とは関係ないですが、
「おおはら雅の郷」で今朝撮りました。
秋ですね。
最近の話題
2016年11月10日(木)
今朝出勤途中で道端でカメラを構えているオッチャンを見かけました。
視線の先を追ってみると山頂に雪が
私の記憶で行くとそれまでの初冠雪は11/23が最速だったので約2週間早まったことになりますね。
最近の話題はどれも面白いと思うのですが、私の場合過激になりそうな危惧があるので、表現に注意しつつ書いてみようと思います。
1最近見た映画
2出張中に出会った人
3欅坂46のナチ風制服の話
4昨日結果が出たアメリカ大統領選
2と3ははどちらも1の話題にちょっと関係あるんですが、映画のネタバレになりそうだから最後にするとして。
先月北九州に出張の時、夜の時間がとれたので高校の恩師に連絡を取って10数年ぶりにお会いしました。
久闊を叙してほろ酔い気分でホテルに戻り、エレベーターに乗ろうとしたところで思わず足が止まりました。年のころは80前後と思われるおじいさんが、エレベーターの真ん中で向かって左を向いて猫背気味に立っていました。
こちら向きに立っていたなら、ギョッとすることもなかったですが、横向いているってのがちょっと(これが向うに向いていたらもっと怖い)。
でエレベーターを降りる気配もないので、そのまま乗って私の部屋がある階まで行きました。
さて部屋に戻ったところで、お茶を買ってくるのを忘れていたと、もう一度自動販売機がある階まで行こうとエレベーターに乗ろうとしたところ、同じおじいさんが同じ姿勢でまだ乗ってましてん。
多分これは認知症だな、認知症に違いない、どこをどう間違ったか、ホテルに紛れ込んでしまったんだ。と決めつけてフロント階まで降りて(そのおじいさんは勿論おりませんでした)ホテルの人に知らせたのですが、戻った時にはエレベーターはもぬけの殻(フロントの前を通らないと外には出られない)。とにかく私は疲れていたので、あとはホテルの人に任せてさっさと寝ました(あとから思えば、手を引いてフロントまで行くべきだったのですが、サルの後知恵)。
あのおじいさんはどこに行ったのか。
小学生の頃、アウシュビッツ収容所ガス室と犠牲者のカラー写真が新聞の一面トップにフルカラー掲載されているのを見たことがあります(子ども心にもこんなもん新聞に載せていいのかと思ったことを覚えています)。
高校生の頃にはジャーナリストが実在のナチの犯罪人を追うと言うフレデリック・フォーサイスの「オデッサ・ファイル」を読んで戦争中にナチスのSS(親衛隊)と呼ばれる連中が収容所(アウシュビッツではなくリガでしたが)で具体的に何をしていたのか知ることが出来ました。(あの当時若かったので死に対する感受性が鈍かったので読めましたが、今は難しいかも)
時は下って20年前ほど今度は一介のアメリカの高校生がナチの戦犯と関わりを持ってしまうと言うスティーブン・キングの「ゴールデン・ボーイ」を読みました。
その小説の一節にこんなことが書いてありました。どの記事を読んでもあの当時ナチスが収容所でやっていたことは良くない、悪いことだとは書いてあるが、本当にそうなのか。そういう記事が書いてる雑誌の一方には広告で誰でもが手に入れられるように、ナチスのSSやSDの制服やその他関連商品が普通に通信販売で売られている。本当に悪い事なのか?
今回の件は担当者全員、歴史認識が甘かったと言うしかないと思いますが、サイモン・ウィーゼンタールセンターは咬みつきやすいところに咬みついたんだなと思えてなりません。
ナチス風制服を着ただけで悪いってんなら、SS制服そのものを売って商売にしている連中はもっと悪いはずなんですが、どこの国のどこの業者も御咎めなしのようです。皆さんはどう思います?
試に「SS制服」で検索かければ、たくさん売られていることがわかるはずですし、日本に限ったことではない話です。
さて大統領選です。読み違えた、逆転、隠れトランプがと予想に反した原因を色々と書かれていますが、それら要因を見極め、1年も前にトランプ当選と予想していた人もいる(キャスターの木村太郎さんらしいです)限り、「甘かった」と玄人も素人も言い訳せずに認めるしかないんでしょうね。
結果に不満の人もたくさんいるでしょうが、それが今のアメリカのシステムですし、民主主義のルールです。どうしても嫌ならシステムを変えるか、4年後に改選するしかないでしょう。
ここから映画の「手紙は憶えている」の話です。
ネタバレありですから、見たいと思っている人は飛ばしましょう。
次回私のブログは11/17です。
知らない事いっぱい
2016年11月07日(月)
車を買い替えるって話しは以前しました。
その車を毎日乗っています。
キャンプにも一度使いました。たくさん荷物が乗りましたし、坂道も楽々と走りました。たくさんの人も乗れました。
心配だった乗り心地は、だいぶん慣れてきました。
最近急に寒くなってきたので、車屋さんにスタットレスタイヤを注文しました。
特に気にしていなかったので、いつも通りのお買いものと思っていたのですが、
この車は、4ナンバーのバンになるのですが、そうなると、最大積載量に見合ったバン用のタイヤが必要らしいのです。
タイヤも乗用車とは違うんですね。買った時についてきたタイヤもバン用のタイヤだったんですね。調べてみると確かにバン用の記号が書かれていました。
タイヤはサイズが合えばいいと思って、いつものスタットレスタイヤを買おうと思っていましたが、用途によって専用タイヤがあるんですね。
確かに、普通の車で1トンの荷物は運ばないですものね。
何気に使っていても、しらない事っていっぱいありますね。
独断と偏見
2016年11月02日(水)
中学生男子の2割が母親と入浴とは。
驚くと同時になんとなく納得でもあります。
最近はどこの養成校でも先生方が「今どきの学生は地元志向で」と言い訳なさいます。
「地元志向」とは要するに親元にいたいと言うこと。親元にいたいと言うことは、私たち世代のように親が煩わしくないということ。
誤解なきよう説明しますが、親が煩わしいからと言って、親が嫌いなわけではありません。親からしてみれば子供は幾つになっても子供でたとえ子供が50過ぎのおっさんでも一緒にいれば色々と口を出したくなるものらしく、それでもいくら親とは言え50過ぎて親の小言何ぞ煩わしいだけ。
それなりの年になったら親子と言えども離れて暮らすに限ると思うんですが。
親元がいいってのは、親が口煩くないんでしょうね。最近は親子と言えども友達感覚だとか(母親と男子中学生が一緒に風呂に入るなんてのは友達感覚と言うより…おぞましいorz)、友達感覚って言うのなら、行儀も常識も怪しいもんです。
大体今の若いもんは※ここから延々と愚痴とも不満ともつかぬ独り言が続くため検閲、割愛いたしました。(管理部)
と言うことです。
次回私のブログは11/10です。