自立(その2)
2022年11月01日(火)
十代の頃、一人暮らししたくて仕方ありませんでした。
理由は簡単で「親が五月蠅いし鬱陶しいから」
親が五月蠅くて鬱陶しいのは子のためとは理解していましたが、だからと言って子がすべてを許容できるはずもなく、我慢できなければ出て行くしかないのが世の習いと思っていました。
現代は親が五月蠅くもなく、鬱陶しくもないから、学校を卒業して働く事になっても実家から通うことに何の抵抗もないんでしょう。
「友達親子」というフレーズを耳にするようになって久しいですが、「友達親子」の間には五月蠅いことも鬱陶しいこともないだろうなと思います。
「友達」関係だから「躾」などと言うものは存在しないし、子に「自立」をさせるのは親の務めであって、「友達」は応援することはあっても、「務め」ではないから、本人がその気にならなければそのまま。
仕事から帰れば、上げ膳据え膳、風呂も沸いてて、掃除も行き届いている、その上親も五月蠅くないとなれば、居心地良いし、楽なんでしょう。
ここまで書いてみると「友達親子」と言うのがかなり歪なものではないかと思います。
友達親子とは子に親が対等な立場で接することとありましたが、親の庇護下にある以上対等であるわけがない。
友達は行いに意見はしても、社会のルールを強要したりはしません。学費を出したりしませんし、一方的に衣食住を提供したりはしません。何故なら友達はそんな責任は負いませんし、それを担うのは親子関係にある親だけです。
親が子供に責任を負う以上、対等な関係はありません。子供が大人なら話は別ですが、その代わり一方的な責任と言うものもありません。
対等でないのにさも対等であるかのように振舞うのは歪ではないでしょうか。
話が逸れました。
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