京都大原記念病院グループリハビリスタッフのあんなことこんなこと

あんなこと

橋本

この時期になると思うこと

2016年9月29日(木)

なかなか書く機会がなかったネタですが、書こう書こうと思っている間に想像通りの展開が見えてきて(見える前に書けたら自慢できたのにちょっと残念)笑えた話です。

1か月ほど前千葉県印西市でこんな事件(webpdf)がありました。

数日後の市の釈明がこれです(web)。

 

まぁ何故中止になったか「原因を調査中」の時から(中止にした理由を説明できないとはお粗末すぎる)壮絶な責任のなすりつけあいを想像していました。

 

さらに市の説明の「花火の準備がはかどらず」には違和感がありました。

 

昨日、今日の起業したばかりの花火業者なら(勿論行政はそんなところに委託しませんよね)ともかく、それなりの業者が作業時間の見積もりを誤って開始時間より大幅に遅れてしまうと言うのは考え難い。

 

とするなら花火大会開催に不慣れな(過去はとれてもかく近年印西市では開催さいない)行政が業者の言うことには耳を傾けずに(対処せずに)丸投げでやらせようとしたと考えたわけですが、わかりやすくまとめてあるところがありました。

 

行政は嘘をついてまで全力で業者の一方的な責任にしたいようで(行政だけに責任があるとは私も思ってませんが、嘘こいた時点で分が悪いですよね)。

 

さてこの時期各養成校での就職説明会も佳境です。今日も私だけではなく何人かが西日本のあちこちの説明会に参加しています。

一昨年でしたか、私ではなく副部長が参加したある学校の就職説明会でのことです。開始予定は13:30。すでに参加施設関係者はそれぞれ設置されたブースのテーブルにつき、いつでも始められるように準備はされていました。

 

でも始まらない。

 

そのまま時が流れる事20分あまり。遅れたことのお詫びもなく、説明もなく、突然学生が会場に入場し説明会が始まったそうです。

後でブースに来た学生に遅れた理由を聞いたところ、学生が全員そろっていなかったから、だそう。

説明会に遅れる学生も学生ですが、学生が揃うのを待つだけで、待っている施設側の者に何の説明も謝罪もなしでいた先生も先生です。

 

先の印西市の話にしても、この学校の話にしても「お客さんが不在」って感じがするんですけど、皆さんはどう思いますか?

 

そんなこと

遠藤

体験

2016年9月26日(月)

昨日は、町内の防災訓練に行ってきました。

家の近くの公園に集合してから小学校に向かいます。

 

今回は妻が出勤でしたので、私と子供3人で参加です。

小学校では、最初に煙の中を移動する体験をしました。去年もしたのですが、

相変わらず、娘は怖がって煙の充満するテントに入れません。

息子はちょっと楽しそうにビニール袋をかぶって前の人の後ろをしゃがみながらついていきます。

そして、もう一つ実際に体験したのは消火器訓練です。

これも娘は怖がってしません。

息子は一番にやってもらいました。なかなか上手にしていたので、見かねた消防団の方が手取り足取り教えてくださいました。

とりあえず、なんでも体験して、こんなことがあるって知っておくことは大事だと思います。

 

いざという時に、あたふたするのはみんな一緒ですが、

その時目の前にあるものが、その時に使えるってことを知っているのと、知らないのでは、そのあとできることが違うと思うからです。

 

リハビリでも、ちょっといつもはしていない違う動きを練習したりします。

普段はしないけれど、何処かにでかけたらする動作とかには入ってくる能力だったりするんです。

全然していなかったら、いざというときどうすれば良いかわからなくなって動けなくなる。

そんなことをちょっと回避できたらという思いも含まれています。

へんなこと

橋本

麻疹騒ぎで思い出したこと

2016年9月21日(水)

予約投稿が出来ないので、予定より1日早くブログ登板です。

 

 

関西空港で始まった麻疹騒ぎ、どうなるんでしょうか。

40代後半であればご存知の方も多いと思いますが、アニメで「トムとジェリー」と言うのがあって「うそをついたら」というエピソードを見れば、当時麻疹がどう捉われていたか、よくわかると思います(著作権切れのため動画も検索すればネット上にアップされていると思います)。

 

こんな記事が出ていました。

発疹はハッシンかホッシンか。

 

医学用語では他にも読み方が二通りあると言うのはよくあることだと聞いたのは、学生時代です。

 

「頭蓋骨」なんと読みますか?普通は「ズガイコツ」と読むのでしょうが、解剖学講義で教わったのは「トウガイコツ」でした。

 

では「頭部外傷」は?

「トウブガイショウ」と読むのでしょうけど、解剖学講義で教わったのは「ズブガイショウ」でした。

 

何故、一般の読み方と変えるのか。専門用語であろうと読み方は統一させた方が面倒はないはずです。

医者でもある解剖学の先生は「明治期の医者の変なエリート意識の表れ」と言ってました。

 

皆さんは何故だと思います?

 

次回私のブログは9/29です。

そんなこと

遠藤

月?

2016年9月20日(火)

先日、仕事から帰ると、近所の子供達が家の前で集まっていました。
見ると、息子の望遠鏡で月を見ようとしていたようです。

ただ、家の前は街灯もあって、うまく合わせられずにいたようです。

 

クレーターを見えるようにしてあげたのですが、小さい子が一人だけ「月が見えない」といいます。
ちゃんと照準は合っていました。

 

ふと、クレーターが見えやすいように月の一部しか入っていませんでしたから、ちょっと倍率を下げて、月全体を見えるようにしました。
すると、その子が「月が見えた」って言いました。

 

物を認識するには、その人が認識できる要素に合わせないと他の人にはわかっても、その人にわかってもらえるかは別物です。

リハビリをうまく進めるには大事なことですが、

身近にそんなことを実感できました。

そんなこと

橋本

対等

2016年9月15日(木)

目指せ、全国大会!! ⇒ 地方予選落ち

目指せ、入賞!! ⇒ 全国大会予選落ち

目指せ、ベスト4 ⇒ 1回戦負け

目指せ、優勝!! ⇒ やっとこさ入賞

 

これを「棒ほど願って針ほど叶う」と言いますが、解釈は二通りですね。

願いを大きく持ってもなかなか叶わない、ととるのか

なかなか叶わないので、大きく願いを持たなければならない、と取るのか。

 

私は後者だと思います。

 

さて出場選手たちはどう思っているのかは知りませんが、リオのパラリンピック佳境ですね。

 

先日義足での女子走り幅跳びを観戦していたんですけど、初めて知りましたが、踏切は義足側の足でやるんですね。

その方が生身の足より跳躍力があるからでしょうか、国際陸連によると義足は助走には不利、踏切時には有利とも不利とも言えないと言うことでした。

素人考えですが、だったら踏切の足を健側にすれば(切断していない方)いいじゃん、とか考えたわけなんですけど、駄目なんですかね。

少なくともそうすれば、助走に関しては不利なわけですから、通常オリンピックへの参加も可能になるんじゃないでしょうか。

 

パラリンピックのparaはParaplegia(脊髄損傷等による下半身麻痺者)とOlympicの造語からとされているとある記事で読みましたが、実際のところはパラリンピック創設者の考え方から、paraにはギリシャ語で並んで立つと言う意があるそうで、この場合「対等」と捉えるのがより自然だそうです。

 

多分、健常者と障害者は「対等」と言っている間は「対等」じゃないんでしょうね。当たり前の事ならあえて言う必要無い訳で。

 

次回私のブログは9/22ですけど、予約投稿が未だできないので、前後になる予定です。

(さらに…)

こんなこと

遠藤

自信

2016年9月12日(月)

久しぶりに家族で海釣り公園に行ってきました。
息子と私の2人が釣竿持ってサビキで釣りました。
娘たちと妻は応援団です。
前回来た時は魚を針から外すのは全部親の仕事でしたが、
今回は息子も自分で外すことができました。

 

そんな息子が「あっちで釣ってきていい?」と自分で場所を変えて釣ろうとするようになりました。
自立していく姿が頼もしく見えました。

 

ちょっとしたことですが、自分で出来ることが増えると自分で考えるようになります。
自分で出来るようになった「自信」が次の行動を導くんだと思います。

 

生活の質を高めようと思うと、ただ動作ができるだけではだめなんです。その人の気持ちが変わって、自分で取り組むようになっている必要があります。そして、自分でいろいろするようになるから、いろんな楽しみを生活に作ることができるようになります。

 

そして、その気持ちを高める一つが、自分への自信だったりします。
それが、動作でできるようになってくることで高まる方は結構いらっしゃいます。それ以外にもちょっとした言葉で考え方が方向転換して高まる方も入らっしゃいます。

 

気持ちが行動を作り、行動が楽しみを作る。
そんな気持ちを自信が作る。
そんな自信を作れるリハビリがしたいですね。

あんなこと

橋本

偕老同穴

2016年9月08日(木)

と言う言葉を知ったのは、今を遡ること35年前18の頃だったと思います。

小学館が出版している「写楽(と書いてシャラクと読む)」と言う写真雑誌に「偕老同穴(かいろうどうけつ」と言う記事が載っていたんです。

確か海外のリゾートホテルだったと思いますが、そこで火災に遭遇した日本人老夫婦が死を覚悟して、煙渦巻くホテルの一室で二人で笑顔で撮った記念写真が記事として掲載されていました(勿論二人は助かりました。念のため)。

もうその雑誌はとっくに手元にはありませんが、今もって記憶に残っていると言うのは私にとってはかなりのインパクトだったんでしょう。

 

今なぜそんな話かと言うとこんな記事を見つけました。

100歳と97歳。77年間連れ添った事よりも前に、夫婦でそれだけ長生きできたことの方に最初驚きがありました。

とりあえず長生きできなきゃ、長く連れ添うことは叶わないわけで。

 

たまたま長生きしたから、長く連れ添うことが出来たのか。

長く連れ添いたかったから、長生き出来たのか。

 

長生きできたとしても「中身が大事」と考えさせられる記事でした。

 

次回私のブログは9/15です。

どんなこと

遠藤

なぜ?

2016年9月05日(月)

たとえば動作ってそれが、車椅子からベッドに乗り移る動作一つ見ても、
一つ、筋力
一つ、可動性
一つ、感覚
一つ、認識
一つ、意思
一つ、判断
などなど、そういったいろんなことが組み合わさって成り立ちます。
だから、筋トレするだけでは上手になれなかったり、認識力を高めてもできるようにならなかったり、そもそも意欲がなければしないってこともあります。

 

なので、同じ動作で困っていても取り組むリハビリは人それぞれです。

そして、苦手なところを良くする為のリハビリもありますし、苦手は苦手としてそれを補う方法を身につけるリハビリもあります。

 

だから、一見してその動作についてのリハビリをしているって分かるリハビリの方法から、まったくそうは見えない方法まであり、中にはその動作の代わりになる動作を練習していたりもします。

 

リハビリスタッフと目的や目標について話していたのに、なぜこんなことをするんだって思うかもしれません。そんな時はリハスタッフとなぜ?ってことを話してみてください。きっと、目的が違うのではなく、あなたの特性に合わせたやり方を選択しているはずですよ。

 

なんでも疑問に思ったら話してみてくださいね。

へんなこと

竹内

しっくりの豆知識

2016年9月03日(土)

皆さん「しゃっくり」の役割なんか知ってましたが、普通なら調べようとも思いませんよね。
正確には不明だそうです。
生物学上だと思いますが、生物が水中から陸上に上がり、えら呼吸から肺呼吸に切り替わる過程で、
肺に水が入らないよう気管を塞ぐ仕組みの名残という説があるそうです。

 また、しゃっくりの際には「ひっく」という音が出ます。「ひっ」は声帯が急に閉じようとする時の声帯の振動音、「く」は声帯が閉じて息が止まった時の音だということだそうです。

ちょっとした豆知識になりそうです。さらに「しゃっくり」を止める方法はご存知ですか?

●人さし指を両耳に強く入れて30秒ほど押す
●舌を30秒ほど引っ張る方法
●誰かに驚かしてもらうというよく知られる方法
●立った状態で、うつむいたまま コップの水を逆さまから飲む方法

などですね。
決して必ずしっくりが止まるとは言い切れないです。けどかなりの確率で止まりますよ。

飲み込み状態の悪い脳卒中後遺症の方などはマネをしないでくださいね。

詳しくはhttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160901-00010001-yomidr-sctch

へんなこと

橋本

時代が違うんですか?

2016年9月01日(木)

最近ようやくバスでも電車でもほぼ迷いなく腰かけるようになりました。

新幹線でも在来線でも指定席であれば何のためらいもありませんが、50過ぎるまでは座席に座ることにちょっとしたためらいがありました。

今でも数駅の区間なら席が空いていても立っていることが多いです。

 

昔話をしても仕方のない話ですが、私の世代では子供の頃に公共の交通機関やベンチなんかに腰掛けることにうるさく言われた覚えがある人が多いのではないでしょうか。

祖母は孫の私には随分甘かったなと言う印象ですが、電車でもバスでも私が黙って座席に座ろうものなら叩かれました。要するに大人の許可がなければ席には座れませんし、席が込み合っているような状況では絶対に許可は出ませんでした。仮に許可が出て腰かけていても、立っている大人がいれば立たされました。

電車やバスでは子供は立っていて当たり前だったわけです。

 

それを普通としてきたわけなので、50になるまでためらいなく腰かけると言うことが出来なくなっていたようです。その分席を譲るのには何のためらいもないようです。

 

出張では在来線の電車に乗る機会も多いのですが、どれほど席が混んでようが、目の前の席が空いたなら我が子を腰かけさせようとする親が多いように思います。

時代が違う、時代が変わったと言えばそれまでですが、時代が変わっても高齢者や障害者、妊婦や乳児を連れた女性に席を譲るべきということに変わりはありません。

周りも見ずにためらいもなく腰掛けるような子供が、ある日席を譲れるような大人になれるとは私には思えません。

 

次回私のブログは9/8です。


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