2018年6月02日(土)
日大アメフト部の問題の根は深そうでなかなか万事解決とは行かないでしょうけど、とりあえず騒ぎは収束には向かっている印象を受けます。
今回の日大アメフト部の問題で考えたこと事が3つほどあります。
ひとつめは監督とコーチ色々と叩かれていますし、巷間言われている事が事実なら致し方ないと思います。
タックルした学生の謝罪会見の態度と「大人」の会見の態度にこそ「乖離」がありすぎて笑えるほどでした。
監督とコーチの態度を笑う事は簡単ですが、いざ我が身に降りかかった時、あのような態度をとらない自信は私にはありません。タックルした学生のように立派な態度を取れる自信もまたありません。
人間誰しも苦境に立たされれば逃げたくなるのが人情です。その人情を傍へ押しやり、理性と誠実さで対応できるかどうかなんて実際その身にならなければ私にはどうとも言えません。
先日この問題を受けてネットで過去の情けない記者会見の数々を見る機会がありましたが、記者会見やるぐらいですからそのほとんどが社会的地位だけでなく、良識や理性も兼ね備えているはずの人たちが「やらかした」会見の数々を見ていると自信を持って「俺はそんなことしないぞ」と言える人はなかなかに居ないのではないでしょうか。
ですが保身に走れば身を滅ぼすと思えば、あまりみっともないマネはせずに済むかなとあらぬ期待をしている自分もいます(そんな事態になるのは願い下げですが)。
ふたつめ
タックルした学生の記者会見での態度は立派なものでした。
「顔を見せない謝罪はない」という彼の言葉に多くの人が共感を得たのではないかと思います。
ですがこれでこれからの謝罪のハードルは上がったかなという気がします。顔見せ、名前公開は当然という雰囲気。
二十歳ソコソコの学生があまりにも立派な謝罪をやったばっかりに、後から謝罪する「大人」は厳しいことになりました。
もっとも記者会見で「やらかした大人」たちを見ていると、恥よりも何よりも責任逃れが出来れば良いという考えの方達ばかりのようなので、せっかくの彼の立派な態度も、今後も恥や名誉より責任逃れが一番の大人にはなんの手本にもならないかもしれません。
みっつめ
日大アメフト部の父母会の方がマスコミの取材を受けていました。何故彼らが出てきたのかというと「大学は学生を守ってくれないのか」という思いで出てきたそうです。
確かにこの場合大学は学生を護るどころか責任逃れに終始していました。
ただ、「大学は学生を守ってくれないのか」という言葉は、誤解されやすいし、人によって都合よく誤用されやすい言葉だなと感じます。
「大学は学生を守ってくれないのか」
日大アメフト選手が行なった行為だけをみれば、大学は学生を守ってくれないでしょう。
悪質な反則で相手選手に怪我をさせたわけですから。
ですが、今回の場合、大学の職員でもある監督やコーチの指示でやったとなると話は別です。勿論指示であったとしてもやっちゃいけないことはやっちゃいけないんですが、誤ってはいても大学の指示で行なった行為ですから、大学はこの学生を守らなければならない(ご存知の通り、監督もコーチも大学も守る気なんかさらさら無いようですが)。
組織ぐるみで間違った指示の元に組織の人間が間違った行為を犯した場合は組織としても守ってやらなければ、今後どれほど正しい指示であったとしても誰も指示には従わなくなります。
指示があったかなかったかはその行為を行った者を組織として守れるか守れないかの瀬戸際です。
仮に指示がなかったとしたら、守れるわけがない。守る必要もない。守ったら社会的に組織が潰されます。
皆さんはどういう風に今回の件を考えましたか?
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2018年5月21日(月)
先日、休みの日に新しい地下足袋を買ってきました。
何度かこの部ログに書いていますが、
https://kyotoohara-diary.jp/staffblog/sonna/7249.html
https://kyotoohara-diary.jp/staffblog/sonna/8533.html
https://kyotoohara-diary.jp/staffblog/sonna/10326.html
私は普通の靴では足に合わないようで、足が痛くなるので、
地下足袋をはいています。
まあ、地下足袋といっても本格的な仕事用に売っているものではなく、
地下足袋を普段ばき用に売っているお店があるので、そこの地下足袋をはいています。
そのお店で初めて買ったのは10年以上前ですが、やっと足に合うものに出会いました。
それ以来、ずっとそのお店で買っています。
でも、最初は小さなお店だったのに、今や店舗が増えて、大きなお店になっているようです。
柄物の地下足袋や和装の服や雑貨など扱っているのですが、外国人観光客の姿も店内で見かけます。
私はもっぱら地下足袋ばかり買っています。
地下足袋は、3足手元に置いているのですが、
一つは普段ばき、
一つは雨でぬれた時の替えとして少し古くなったもの、
そして、もう一つは紐靴タイプのものです。
子供の運動会の時やハイキングなどは、脱げたりしないように紐靴タイプをはいています。
最初は地下足袋を普段ばきにするのに抵抗がありましたが、
はいてみると、いい感じです。
時に人の目が気になることもありましたが、今は電車でお出かけするときも地下足袋です。
自分が思うほどに、他人の履物を気にしている人は少ないように思います。
それでもたまに目に留まるようです。
稀に声をかけられますが、悪く言われたのは自分の親にぐらいです。
だいたい、面白がられる感じですので、
関西人としてはOK!ってことで通しています。
今回はまたちょっと派手目なガラにしてしまいました(^_^)
なんでもかんでも
気にしすぎずに、自分らしく生活できたらいいですね。
2018年5月03日(木)
ゴールデンウィークはいかがお過ごしでしょう
今朝の通勤中も走っている車は少なくて、休日だなぁって思いました。
もちろん今週もずーっと仕事している方もいるでしょうが、
私は、今日は仕事ですが、明日からは連休をいただきました。
小学校も保育園もお休みですから、家族そろって過ごす休日です。
せっかくの連休なので…
遠出しようか?ゆっくりしようか?
それとも生活リズムを崩さないようにいつも通りの生活に近づけるのか?
一人で過ごすのか?友達と過ごすのか?家族と過ごすのか?
みんな違うと思います。
正しい過ごし方はないですが、心地よい過ごし方したいですね。
でも、せっかくなので…って考えることが、楽しい頭の体操になりそうです。
今日もいい一日でありますように。
2018年4月30日(月)
桜は終わったと思っていましたが、
北海道は今なんですね。
さすが南北に長い日本です。気候の差がそんなにあるんですね。
さて、皆さん体調崩していませんか?
気温が昼は暑くなったり、夜は寒くなったり、気温の差がありますね。
我が家では、お熱出したり、嘔吐したりする子が出ました。
誰でも体調崩す時があると思います。
リハビリをしようにも、体調が悪くては、安静にしましょうってことで出来ませんよね。
何をするにも体調を崩さないってことは大事です。
崩さず、元気に過ごすために
今日の気温や天気も気にしてはいかがでしょう。
朝に天気予報を見て、今日はこんな天気だ、こんなことを気を付けようって。
そして、昼になったら、本当にこんな天気になった、じゃあ夜もこんな天気になるのかなって。
そして、夕方になったら、思ったよりこんな天気だったなって。
一日の中で、朝に聞いた情報を夜までに何度か思い出すっていう「頭のリハビリ」もかねて、
いかがでしょう。
あ・し・た天気になーあーれ。
2018年4月02日(月)
京都でも街中は満開を過ぎたようですが、
大原ではただ今、桜が満開です。
そして、今日は当グループの辞令交付式がありました。
たくさんの新人さんが入職しました。
新人さんは、配属先が決まって、
これからどんなことになるかドキドキしていることと思います。
でも、新人さんを待ち受ける先輩たちも実はドキドキしています。
人と人のかかわりは、間に制度やルールがあっても、いつでも初対面はドキドキです。
それは、引っ越し先の近所づきあい、学校に入学したとき、はじめてのクラブ活動…いろいろ今までもあったと思いますが、一緒ですね。
でも、仕事が始まったら、
スタッフ以外にも利用者さんや患者さんとも、ご家族とも、
これから初めましてになることばかりです。
自分もドキドキしていますが、相手もドキドキしているのです。
なので、これから毎日がドキドキしているのは当たり前です。
頑張ってくださいよ。
きっと何年たってもドキドキできる職場ですよ。
2018年3月16日(金)
大原にも土筆が出ていました。
昨日、利用者さんと施設の周りを歩いていて見つけました。
春ですね。
散歩日和には、春探しも良いですね。
2018年3月15日(木)
先週すっ飛ばしてしまいました。
すみません。
オリンピックも終わり、今はパラリンピック真っ最中。
村岡桃佳選手すごいですね。ひとりでメダル4個ですよ。
前にも書いたかもしれませんが、あるコラムで近代五輪の提唱者クーベルタン男爵の言葉が誤って伝えられていると書いてありました。
巷間「健全な肉体には健全な精神が宿る」と伝えられていますが、本当は
「健全な肉体には健全な精神を宿らしむるべき」だそうです。
誤まった伝えられ方だと「不健全な肉体には不健全な精神が宿る」とも捉えられかねませんから、どっかでちゃんと修正すべきかも。
昨日亡くなった不健全な肉体の持ち主スティーブン・ホーキング博士は「体が病んでいるのに心まで病む余裕はない」。
著書でアイザック・ニュートンの業績をたたえるよりもその人間性をこき下ろした彼らしいと言えば彼らしいコメントです。
トップアスリートであっても、人間性は別物だし、最高の知性を持っても人間性や肉体は別物という当たり前と言えば当たり前の話です。
が、私のような凡人だと体調が良ければ気持ちも軽くなるし、気持ちが良ければ体も軽やかです。
要するに凡人だと知性、人間性、肉体は一蓮托生になるが、非凡な人間はそれぞれを切り離して鍛える事が可能ってことでしょうか。
次回私のブログは来週アップする予定ですが、できるかなぁ。
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2018年2月22日(木)
すみません。先週ブログすっとばしました。
別にそんなに忙しかったわけではなく、腰を落ち着けて書く間がなかっただけです(それを人は忙しいと言う)。
巷の話題としては今はやはりオリンピックが一番のようですが(フィギュアとかスピードスケートとかついつい声をあげて応援してしまいました)、私としては気になるのが高齢者の車の運転です。一時的にオリンピックの報道がメインですけど、相変わらず高齢者の車の運転による事故の報道が絶えません。
一般の人たちもそれほど馬鹿ではないので、最近になって高齢者の自動車事故が増えているなんて思っている人はいないとは思います。
ただ単に報道が増えただけであって事故は昔からそれなりの割合であったはずです。
それはともかく先月の事になりますけど、病院の近くの自動車教習所で京都府の公安委員会の方々と障害者の方の車の運転に関する適性検査についての意見交換会に出席しました。
そこでわかったのは公安委員会としては運転に不適切な障害者や高齢者が仮にいたとしてもそれを探し出して(あるいは情報提供などを呼びかけて)、適性検査を受けさせるようなことはしない。あくまでも免許保持者が自主的に受けないと駄目ということと、適性検査を受けてこのままでは運転免許が交付できないとなっても「不可」と言うことではくなく「保留」という判断がほとんどだということ。極端な話、両手、両足がなくとも「不可」ではなくて「保留」なんだそうです。
何故「保留」なのかというと「可」ではない理由があるから。
「可」ではない理由と言うか問題点を改善できれば「可」とします。と言うスタンスだそうです。
そういうやり取りを聞きながら私が思ったのは「免許」ってなんでしょうということです(意見交換会にもかかわらず私は只の木偶の坊でした。色々考えてたんで)。
私は常々新人のスタッフには「理学療法士」、「作業療法士」や「言語聴覚士」と言う免許はそれが出来ると言う「保証書」ではない「やりたかったらやれば」と言うだけのもので、決して「出来る」と言う保証書ではないからと言っています。
ですが公安委員会の方々とのやり取りを聞きながら思ったのはやはり「免許証」はそれがどんな免許であれ、「出来る」と言う「保証書」ではないかということです。
何故実態としては「保証書」になっていないのか。運転免許を交付された(保証された)にもかかわらず、結果的に適性とは言えない理由や無謀な運転ゆえに事故を起こすのか。
何故学校も卒業して国家試験にパスして免許を交付されたにもかかわらず、セラピスト本人や学校の教員はこのままではセラピストと言う仕事が「出来ない」というのか。何故更なる卒後教育が必要だと言うのか。「出来る」という「保証書」とは言えないのではないか。
皆さんお手元にある某かの家電の取り扱い説明書と保証書をご覧ください。
多分取説とは違う使い方で壊れた場合は例え無償補償期間内であっても有償となる云々との記載があるはずです。
あくまでも取説通りに取り扱ったうえで支障があった場合、無償での修理乃至交換に応じるなどとなっているはずです。
つまり車の免許であれ、セラピストの免許であれ、或いはその他もろもろの資格や免許は学校で習った通りにやれば保証するってことです。
日本社会は性善説に基づいているので、車の免許にしても本人が習った通りに(交通法規に沿って)運転すると言っている以上は(実際そうかどうかは別にして)無碍に与えなかったり、取り上げたりは出来ないわけです。
セラピストも同様です。学校で習った通りにやるのであればと言う条件付きで免許は「出来る」という「保証書」となるわけです。
習った通りとは何も教科書に書いてある病気や治療法のノウハウに限った話ではありません。医療人としての考え方や倫理観、技術者としての取り組み方など教員と実習指導者(ま、残念な教育者もいることは否定できませんが)が語ってきたすべてであると思います(おそらく殆どの教員が言うであろう「臨機応変」「自分で考えろ」「患者の立場で」は特に強調しておきたい)。
先に新卒間もないセラピストも学校の教員もこのままでは「出来ない」と言っている。卒後教育が絶対必要だとしていると書きましたが、言い方を変えると教えたとおり、習った通りにはできないと言っているわけです。
学校の先生も「教えたとおりにやったら出来る」ぐらいの意気込みで臨んでほしいものです。
次回私のブログは来週のどこかで。
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(さらに…)
2018年2月06日(火)
出典は差し控えますが、こんな☟話。
泣ける話じゃないけど、5,6年前のことです。
会社から帰る途中の電車に、車椅子の男の子が1人で乗ってきた。
車内は割りと混んでいたので、「ちゃんと降りられるかな?」とは思ったけど、
そのまま読書を続けてました。
電車が終着駅に着きました。
ホームと電車の間に、結構大きな段差があったので、危ないなと思ったけど、
嫌がられるかも知れないので、手伝うことはせず、車椅子の後ろに立つだけにした。
周りでは、中年のサラリーマンとOLが数人とメール打ってる茶髪のにーちゃんが居ましたが、
全員興味なさそうに、そっぽを向いています。
ちょっと苦労していましたが、車椅子の男の子がホームに降りようとした時、
車椅子が大きく傾きました。
すぐに手が出せるように、あらかじめ後ろに居た私は、支えようとして車椅子に飛びつきました。
その時、
周りに居た人全員が、一斉に車椅子に飛びつきました。
男の子もびっくりしていたけど、私は中年のおじさんと頭をぶつけるし、
OLさんはブランド物のバッグ踏まれてるし、
茶髪のにーちゃんは携帯落っことしてるし…
知らん顔してて、皆同じこと考えてたんだと思う。
男の子がホームに降りた後、みんなちょっと照れくさそうにして、無言で改札口に向かいました。
改札口を出た後、なんだか急に誰かに優しくしたくなって、
両親に電話を掛けてみました。
「別に用事ないんだけど暇だったからさ。元気?・・・」って。
人情は死なず。
次回私のブログは2/13頃です。
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2018年1月22日(月)
リハビリって皆さんのイメージは
だいたい、平行棒での歩行練習、体を触って痛みを和らげてくれる。
そんな感じなんでしょうか?
先日、中学生がチャレンジ体験で来てくれました。
そんな彼らのリハビリのイメージは、ドラマでみる歩行練習みたいです。
僕が専門学校に通っているときに、ドラマに作業療法士が初めて登場して学校内で話題になりました。
今、ドラマに出てくるリハビリと言えば、理学療法士ですが、
言語聴覚士はドラマにも映画にもありましたね。
でも、作業療法士はなかなか見ないですね。
そんな知名度がいまひとつな作業療法士ですが、
生活のリハビリと言えば、
作業療法士がいろんな方面から関わることができる。
そんな職種でもあるんです。
今回チャレンジ体験に来た中学生も
体験に来て初めて作業療法士を知ってもらうことが出来ました。
実際に見たりしないと知る機会の少ないことがいっぱいあります。
作業療法士の私には、
その一つに作業療法士が入っているのが、ちょっと残念です。
でも、知ってもらって、気に入ってもらえると、
それはそれでうれしいですね。
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