ようやく
2017年10月26日(木)
今週末で今年度分の出張は終わりのようです(臨時がなければ)。
体力的にきつくなってきていたので、ブログも満足に書けない状態が続いていました。
来週からはぼちぼちちゃんとしたものが書けるようになるんじゃないかと思います。
ただね、今現在なんとなく腹痛がするんです。この痛みって何年か毎に起きる腎結石の痛みにそっくりなんですよねぇ。
普通にすんなり出て行ってくれればいいんですが、どうなるだろう…
次回私のブログは11/1頃の予定です。
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20171026
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希望
2017年10月20日(金)
遅くなりました。申し訳ありません。
日曜日には総選挙。
只今出張中ですが、先日出かける時にはまだ選挙公報が届いていませんでした。帰宅後ふわふわの頭で公報に目を通して翌日の投票に備えねばならないようです。
政党名や政党や候補者のキャッチコピーにもよく使われている言葉が「希望(きぼう)」。
その「希望」と言う言葉目にしたり聞くたびに思い出すのは「パンドラの箱」の逸話です。
ギリシャ語で「エルピス」をどう訳すかが問題と(予兆か希望か等)ネットの記事で読んだりもしましたが、これを「希望」と訳した先人の知恵とはどういったものでしょうか。
おそらくですが「希望」があるから迷いが生じる、余計な「希望」があるためにやらずもがなのことをやってしまうということなのだろうと思います。
神話では「あらゆる災いが詰まった箱」とありますが、要するに「希望」もまた「あらゆる災い」の一つだと言っているわけです。
ですから「日本に希望を」「希望が持てる国へ」みたいな如何にもなキャッチコピーは「日本に災いを」「災いが持てる国へ」と言ってるわけです。
同じように「☓☓☓の☓☓」は「災いの☓☓」となるわけです(時節柄問題ある表現のため伏字とさせていただきました)。
冗談はさておき、患者さんやご家族にとって「希望」は必要なものです。
それが実現可能かどうかはさておき「こうしたい」や「ああしたい」がなければ、モチベーションも上がりませんし、具体的な目的さえ立てづらい。
災いが持てる…おっと間違い。「希望が持てる京都大原記念病院」
う~~~~~ん。私だけでしょうか「希望」と言う言葉を使うとなんとなく、胡散臭いと感じるのは。
いやいやい胡散臭い人が多用する言葉だからか…
「希望」というのは分解すると「まれなのぞみ」ですからねぇ。私から見れば実現不可能感もハンパない。
「自立への足掛かり、京都大原記念病院」
どうです?
ちょっと自信なさげな感じですが、リハビリテーション病院として何を重視しているか、わかるようなキャッチだと思います。
今回は言葉遊びでした。
次回は10/28までには…
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20171017
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これからこれから
2017年10月18日(水)
さくらの葉は赤くなり、落ち葉も増えています。
秋らしい景色になってきました。
まだまだ「もみじ」の色づいたものが少ないです。
そんな「おおはら雅の郷」の秋がこちら↓
そんな「博寿苑」の秋がこちら↓
気温も低くなってきました。
晴れていて、お日様が当たるところはポカポカしても、
風が当たると冷たく寒く感じたりもします。
風邪などひかないように、衣服もその時々に合わせて重ね着したりしてくださいね。
もう少しすると、
もみじが紅色に染まって綺麗な紅葉がみられるんじゃないかな?
その分、気温も下がるので、上着もしっかり準備しましょうね。
金木犀
2017年10月12日(木)
博寿苑の外周路ではこの花が咲いて香りを漂わせています。
金木犀は江戸時代に中国から来て、雄株しか日本になく、日本では実ができないそうです。
香りが強いのが特徴ですから、香り付けに中国のお酒やお茶にも使われ、日本でもトイレの芳香剤の匂いとしても活躍してたものですって。
小さい花なのに、香りをしっかりと漂わせます。
なかなかオールマイティになんでも得意な人はいないかもしれませんが、
誰でも得意なことはあると思います。
そんな得意なことを引き出して活用すれば、その人だからできることって
きっとあります。
できないことだけでなく、できることにも目を向けて、
生活を良くすることも大事なリハビリですね。
できることも、できないことも、全部ひっくるめて自分です。
そんな自分が「どうやって生活するか?」って
考えるお手伝いもリハビリですね。
久闊を叙す
2017年10月11日(水)
相変わらず出張が多い日々です(以前に比べると減ったはずですが)。
先日九州のある大学の就職説明会に参加しました。始まるまで階段教室の椅子に腰かけてたんですけど、不意に私の横に何も言わずに突っ立っているおっさんがいる(すみません、私もおっさんです)。
なんやこのおっさんとよくよく顔を見たら、一緒に学校卒業して、一緒に同じ病院に就職して、同じアパートで隣り合わせに4年間生活してた奴でした。
彼の結婚式以来の再会になるわけですが、年を取ったと言えども面影はしっかり残ってはいましたが(と言うかそのまんま年取っただけ)、何せ20数年ぶりと言うのは「誰?」と思い出すのに数秒を要しました。
短い間でしたが、色々と積もる話もありました。
彼に会えたのは良かったんですが、彼が遠い九州へ越した時期と言うのは、まだまだネットもなく電話で連絡を取る事さえ、結構な料金がかかり容易ではなかった時代です。郵便と言う手段はありましたが20代の兄ちゃんがそれほど筆まめであるわけもなく。
そういう時代は距離が遠いというだけで疎遠になりやすかったんだなぁと思います。
見方を変えるとこの時代に疎遠になるというのは、物理的な距離ではありえなく、当事者の間での「何か」が原因でしか疎遠になることはあんまないんじゃないかな~~~ということでしょうか。
彼と再会した日はもう一人1年ぶりに会えた同期の奴もいて、せっかくだから3人で写真を撮って、メールアドレスも交換して、これからは密に連絡できるなと期待したわけですが。
50過ぎのおっさん同士がそうそうメールでもLINEでもまめにやるわけはなく(私はLINE自体やりませんが)、「何か」があるわけでもないのに疎遠なままですなぁ。
次回私のブログは10/17頃かな。
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だも!!
2017年10月05日(木)
二週間ぶりのご無沙汰でした。
さほど忙しくはなかったんですが、何かめまぐるしい生活でした。
先週は月曜から金曜までまるまる出ずっぱりで、へとへとで帰った来たと思ったら、中一日で披露宴に出席と自分の時間がまるでない週末でした。
出張に出かけている間に世間では衆議院が解散しちゃいました。
帰ってきてから、テレビでゆっくり選挙関連のニュースで失職した前議員さんたちの右往左往ぶりを見ていました。
なんとなくこの人たちは議員になることが目的なのか、自分の政治信条を実現させるのが目的なのか、どっちなんだろうと眺めていました。
とりあえず(政治家に)なれなければ意味がないと、信条を曲げてまで政党にすり寄っても、なれたはいいが信条を達成できる見込みもなければやっぱり意味がない。
そもそも自らの政治信条で当選できないということは、選挙民はそれを欲していないということとは「先生」は気が付かないらしい。
ぶれる人は信用できないよねぇ。
まぁ私も思慮が足りずに「ちゃい!!」なんて言って顰蹙を買うこともありますが、議員先生方も選挙のつどに右往左往じゃ困ります。
次回私のブログは10/10頃でしょうか。
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運動会
2017年9月25日(月)
今日はいい天気です。
ただいま運動会シーズンですね。
我が子も、
土曜日に小学校の運動会が終わり、今日は振替休日で学童の遠足に行きました。
そして、来週末土曜日は保育園の運動会です。
そして日曜日は町内の運動会です。
このシーズンはどこの週末もどこかで運動会ありますよね。
運動会とか小学校とか保育園の行事全般に言えることですが、先生たちって大変でしょうね。
でも、おかげで子供たちも頑張ったって顔になりますし、本気で紅組白組をそれぞれ応援していますし、そういう体験・経験ができるようです。
ありがとうございます。
でも、
自分が子供の時は先生が大変かどうかなんて考えてもいませんでしたが、大人になってわかることですね。
そんな先生がいい顔して子供たちを先導している姿を見ると先生ってすごいなって思います。
大変でも、大変と思わせないことも子供の教育や成長を促すうえで必要な要素なんでしょうね。
しんどくない仕事はないでしょうが、
しんどそうな人と一緒にいて楽しいこともないでしょうし、
しんどそうな人に仕事を快く頼めないですからね。
私もしんどく見えない仕事っぷりできてますかね?
今日も元気にリハビリしましょう!
文字情報
2017年9月21日(木)
先日声をかけると一緒に行くと言うので親子3人で「関ヶ原」を観てきました。
大河ドラマで時々背景を説明してきてはいたのですが、頭に入っていなかったようで、嫁さんも息子も「よくわからなかった」が一番の感想でしたorz
嫁さんはともかく私が息子と同じ年くらいにはわざわざ映画館まで足を運んで時代劇を見ようなんてありえませんでしたから(せいぜい大河ドラマを時々)、わからないながらも興味を持っているんだなとは思いますが。
映画が始まる前に気が付いたのですが、最近は視覚障害者のための解説音声サービスがある映画なんかもあるようです。テレビのドラマなんかでも副音声でやっているあれです。映画の場合は専用のラジオを使って音声を受信するらしいですが。
それはいいとしても実は私も映画わからないところが結構あったんですよね。私の能力が落ちたということもあるんでしょうけど、結構セリフが聞き取りにくかったんです。自宅でDVDで映画を見るときは邦画であってもその機能がある時は必ず字幕を出してみるようにしていますから、あらためて字幕の便利さと言うものを実感しています。
これは聞き取り辛くなくても、耳と目の両方からなので、セリフがすごく頭に入りやすいです。
ってことを考えると、映画館で解説の音声サービスよりもたとえ邦画であっても字幕が入る方が需要がはるかにあると思えるんですが。
DVD化にあたり字幕を入れる邦画も多いですから、手間は変わらないんだし劇場公開時から入れたってかまわないでしょうに。
最近はウェアラブルPCでメガネのモニターにいろいろと情報が映し出されるなんて奴も開発されてきましたが、そのうち会話している相手の言葉を即座にテキスト化してモニターに映し出すようになったら、それだけで誤解やトラブルが減りそうな気もします(勿論誤変換と言う問題があるので、相手の言葉を変換するのではなくて、自分の言葉を学習させたAIにテキスト変換させて相手に送るという方法が無難かな)。
次回私のブログは来週はお休みをいただいて(すみません、出張で出ずっぱりなんです)、10/5を予定しています。
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敬老の日
2017年9月18日(月)
今日は「敬老の日」ですね。
敬老の日は、「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」ことを趣旨としている。とあります。→Wikipedia
そして、敬老の日のもとになったのは、1947年9月15日にある村で行われた村主催の敬老会だそうです。
その敬老会の趣旨が、「長い間社会に貢献してきたお年寄りに敬意を表すとともに、その知識や人生経験を次の世代に伝授してもらう場を設ける」ということだったそうです。
そして、村独自の「としよりの日」という祝日にしたそうで、そのうえで、他市町村へも働きかけて、徐々に広まり、1963年に老人の日が制定され、1966年に敬老の日という祝日ができたそうです。
この村が1947年始めた敬老会ですが、
そこからの活動があり、1966年に「敬老の日」が国民の祝日に追加されたということなんですね。
1948年に定められた「子供の日」や「成人の日」よりもずいぶん後に定められた国民の祝日だったんですね。
国が最初に決めたのではなく、敬老会から広まって国民の祝日になったんですね。なんかとっても大事な日に思えてきました。
私も祖父母はもう他界していませんが、
「高齢者」「老人」「おとしより」「おじいさん」「おばあさん」呼び名はともかく、
まわりの方を敬愛(尊敬し親しみを持つ)する。
そんな気持ちをもつ一日にしましょうね。
昨日の台風が過ぎて、京都はいい天気になりました。
そんな気持ちにちょうどいい日ですね。
まずは
2017年9月14日(木)
なんだかなぁ、それは違うんじゃないのかなぁ。どうなんだろう。
と思うことがよくありますけど、今日の新聞記事のこれもそうです(web pdf)。
給食サービスを受けている生徒たちの意見は聞かずとも明瞭です。
わざわざアンケートをせずとも、食べ残しがすべてを物語っていると思います。
彼らはずばり給食が「不味いから」食べないのでしょう。
私が解せないというか納得できないのは、彼らに不味い給食を食わせた大人たちの意見がどこにもないことです。
大人たちの意見とは記事中にある
”校長は「生徒たちの声をよく聞いて、できる限りそれを反映させる必要がある」と指摘する。”
”弁当の持参をすべての生徒に広げる「選択制」の導入も検討していく。”
”教育長は「深刻な状況だ。やれることはなんでも試して食べ残しを減らし、『おいしくて楽しい給食』を目指したい」と力を込めた。”
とかそんな意見ではありません。
私が当事者ならとにかく皆の意見を聞いてみようではなく、とりあえずその不味いと言われる給食を食べてみます。
味に言及した大人たちがいないということは多分食べてもいないんでしょうね。
食べて上で本当に不味かったとなれば、あらためて生徒たちに聞いてみようなんて話はないでしょうし、不味くなかったとなれば、やっぱり聞いてみようにはなったと思いますが。
やれることは何でも試してと言いながら、とりあえず食ってみたという話はないんですからね、笑えます。
私の性格なんでしょうか、メディアで教育問題が表面化すると、大人側の対応の不味さばかりが目につきます。
次回私のブログは9/19~9/22のどこかで。
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