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桜
2018年3月27日(火)
「南禅寺」付近ではこんな感じに、今が見ごろですね。


大原の「おおはら雅の郷」や「博寿苑」では、まだつぼみでした。


でも、こんなのが咲いています。

春ですね。
今日は、理学療法士と作業療法士の国家試験合格発表日です。
明日は、言語聴覚士の発表日です。
試験の発表で皆にサクラサクことを期待しています。
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オッさん
2018年3月21日(水)
昨日は仕事で外出していました。
当然仕事用の携帯電話を持って出かけます。
滅多にありませんが、電話がかかってくることもあります。
珍しく携帯電話が鳴ったのですが、そこで自覚しました。
私はスマホが上手く使えない。スマホが使えないと言うか、スマホにかかってきた電話に出られないことがしばしばあります。
状況的に出られないんじゃなくて、なぜか慌ててしまって呼び出しなってるのについつい切っちゃうんです。
考えてみれば昨年ガラケーからスマホに切り替えて何度もそれをやらかしています。
これスマホに限ってです。
院内で業務用PHSは普通にとって会話することが出来ますから。
が着信時に画面に並んでると、ついつい
をタップしちゃうんです。
いつだったか落ち着いて取ろうとして
をやっぱりタップしちゃいました。
わたしは常々「人間誰しも失敗はある。でも同じ理由で同じ失敗を繰り返すのは馬鹿と一緒」と言っていますが、わたし自身も「馬鹿」としか言いようがないです。
電話に出れないって、なんか「オッさん」だなぁと思ってしまいました。
明日は新人が60名入職し、再来週には新病院がオープンするので来週ブログが更新できるかどうか分かりませんが、努力します。
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こころとからだ
2018年3月15日(木)
先週すっ飛ばしてしまいました。
すみません。
オリンピックも終わり、今はパラリンピック真っ最中。
村岡桃佳選手すごいですね。ひとりでメダル4個ですよ。
前にも書いたかもしれませんが、あるコラムで近代五輪の提唱者クーベルタン男爵の言葉が誤って伝えられていると書いてありました。
巷間「健全な肉体には健全な精神が宿る」と伝えられていますが、本当は
「健全な肉体には健全な精神を宿らしむるべき」だそうです。
誤まった伝えられ方だと「不健全な肉体には不健全な精神が宿る」とも捉えられかねませんから、どっかでちゃんと修正すべきかも。
昨日亡くなった不健全な肉体の持ち主スティーブン・ホーキング博士は「体が病んでいるのに心まで病む余裕はない」。
著書でアイザック・ニュートンの業績をたたえるよりもその人間性をこき下ろした彼らしいと言えば彼らしいコメントです。
トップアスリートであっても、人間性は別物だし、最高の知性を持っても人間性や肉体は別物という当たり前と言えば当たり前の話です。
が、私のような凡人だと体調が良ければ気持ちも軽くなるし、気持ちが良ければ体も軽やかです。
要するに凡人だと知性、人間性、肉体は一蓮托生になるが、非凡な人間はそれぞれを切り離して鍛える事が可能ってことでしょうか。
次回私のブログは来週アップする予定ですが、できるかなぁ。
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大原にも咲きました
2018年3月13日(火)
今朝、
「おおはら雅の郷」の玄関前で、梅の木が花を咲かせはじめていました。

赤い梅の花を見ると、春が始まった。冬を超えたって気がしますね。
これから徐々にいろんな花が顔を出してくれるはずです。
桜が咲くと、春だっ!て気がするのですが、
まだですね。
でも、本当に散歩しやすい気候の日が増えてきましたね。
散歩ちょっとしてみますか、梅の花を見に行きますか?
行動範囲を広げると、自然と体も頭も使っていると思います。
街中はもう梅がたくさん咲いています。
僕も行きたくなってきました。
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もう、年度の変わり目が近づいてきましたね
2018年3月12日(月)
さて、
気付くと3月半ばです。
卒業、入学、就職 そんな言葉が飛び交う時期です。
新生活応援フェアのような言葉が載ったちらしもよく見ます。
そして、今年は私たち介護や医療の職場では報酬改定の年です。
厚生労働省のホームページにもそんな会議の資料などが出ていたりしますが、
詳細はまだ不明な部分もあります。
4月1日から制度変更されるところがあります。
何が変更されても、
自分たちができることをしていくだけですが、
制度上で出来ることややらなければならないルールが変わることがあります。
介護が必要になった方、介護が必要になりそうな方、
そんな方々にも介護サービスの中でリハビリをすることで元気になってもらう。
そして、介護を今より必要がない生活を送ってもらう。そんなことも望まれています。
なので、
今の生活を変えるため、頑張るために、ある介護サービスを受ける。
介護を増やさないために、ある介護サービスを受ける。
そんな方々も増えてくるのでしょうか。
でも、
これからを楽しく生活するために、少しの間ある介護サービスを受ける。
っていうのも考え方次第ではあるでしょう。
そして、ある介護サービスの一つが介護老人保健施設なんですよね。
博寿苑、おおはら雅の郷 どちらも介護老人保健施設です。
これからも、頑張らないと ですね。
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電話
2018年3月03日(土)
高齢者の利用者が多いところから、地元警察署からの注意喚起メールが回送されてきます。
大抵の場合、所謂「オレオレ詐欺」に関する事例が近辺で発生したと注意喚起する内容です。
「オレオレ詐欺」もいろんなパターンが派生してきているようですが、それとは別に最近は「還付金詐欺」というのもあるようです。いずれも「振り込め詐欺」に属し、どちらかと言うと情報弱者の「高齢者」を対象にしているようです。高齢者を対象にしながら年々手口は巧妙になってきているようで、気を付けている人でもコロッと騙されることもあるようで、その手口に変な感心をすることもあります。
勿論ああいう詐欺や詐欺まがいのことをする連中は高齢者だけに的を絞っているわけではなく、若い人も狙っているようです。
当院では外線でリハスタッフあての電話は電話番号と名前をお伺いして折り返しかけ直させると言う方法を取っていますが(病院内をうろついているためと診療業務中のため直ぐに電話に出ることは難しいので)、特にいかがわしげな、怪しい電話についてはとりあえず私が対応することにしています(対応と言っても名前と電話番号を聞くだけですが)。
多分皆さんはいかがわしいとか怪しげな電話とはどういうものかと思われるでしょうが、犯罪者連中もどこかでこのブログを見てる可能性も捨てきれませんので、あえて書きません。しかしながら普通に社会生活を送っている人なら簡単にわかるはずです。
一昨日もかかってきたいかがわしいと言うか、怪しいと言うか突っ込みどころ満載のやり取りを紹介します。「受」は電話受付嬢、「部」は私、「馬」は電話の主です。
受:「ハラ様と言う方から部さんあてにお電話です」
部:「ハラなんて知らんなぁ」
受:「どこの方かは答えて頂けませんでした。ちょっといかがわしいですが、おつなぎしますか?」
部:「つないで…もしもし」
馬:「もしもし…部さんですか?」
部:「はい、そうです」
馬:「あの、お近くにいる先生…O先生をお願いします」
部:「はぁ?失礼ですがどちら様ですか?」
馬:「マスダです」
部:「どちらのマスダさんですか?」
馬:「ブツッ…ツーツーツー」
※因みに「O先生」は実在する整形外科の医師です。
これだけの事なのですが、よからぬことを企んでの電話だとは思うのですが、実際じゃあ何を企んでいたのかまったくわかりません。
何をやるつもりだったのかは全くわかりませんが、相手を不審がらせる事には見事成功しています。良いことにせよ、悪いことにせよ、相手に不審に思われれば何事も成らなくなるのは自明です。電話の主はそう言うことがわからないようです。
問題はこの程度の智恵の持ち主でも場合によっては高齢者を騙せるかも知れないと言う事です。
次回私のブログは来週のどこかで
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うれしいことがありました。
2018年2月27日(火)
今日は、久しぶりに会いに来てくださったご家族がいはりました。
お父さんとお母さんが来られてました。
当時、私は病院勤務だったのですが、
その時担当していた患者さんの中でも若かったDさん。
お父さんも練習の時に横で掛け声かけたり、
結構賑やかに練習していた事を覚えています。
ご家族が熱心に来られ、いつも明るく前向きに話をされていたので、
ご本人も明るく頑張れたのだと思います。
そんなことを思い出しつつ、覚えて頂いていたことに感動です。
ずいぶん前のことで、記録ももう振り返ったりはできませんが、
記憶には残っています。
ただ、記憶は断片てきなので、もう覚えていないこともいっぱいあります。
でも、1つ思い出すと、徐々に想い出が連なって出てきます。
私も思い出せてうれしかったです。
ありがとうございました。
でも、
Dさんを一緒に担当していた理学療法士が誰だったか思い出せません。
誰だったのかな?
あっ、ちなみに私は作業療法士です。
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食器洗いが…難しい
2018年2月26日(月)
先日、食器洗いをしようと思い立って、洗剤を手に取ったのですが、
ふと、ついさっき右手首に湿布を貼ったばかりのことに気づきました。
なので、右手をあまりぬらさずにしようと思い、
いつもは右手にスポンジを持つところを、左手でスポンジを持って洗おうとしました。
しかし、これがなかなか難しく、上手く洗えません。
別に、右手も左手も握力もそれほど変わらず、麻痺も無いのですが、
いつもと反対の手で食器を持って、いつもと反対の手でスポンジを持って
さあ洗おうとしても、
うまく持ってられず固定もしにくく、洗う力も入っていないように思います。
しかもつい、右手と左手が反対の動きをするようなことになるのを抑えながらという感じになっています。
コップやお皿を2つ3つ洗ったら、
後は結局、いつも通りに持って洗うことにしました。
あらためて、
動作というのは、力の強さや動く範囲、感覚が大丈夫だからうまくできるわけではなく、
一連の流れに動くための学習課程の大事さを思い知りました。
そして、一旦身に付いた方法と違う方法で行うことの難しさも実感しました。
だからこそ、リハビリで動作練習するときは、
動作そのものの練習もしますが、動作の一部分だけを練習したり、その一部の動きばかりを練習をしたり、動作をイメージする練習をしたり、大きな動きや大胆な動きで動きを誇張して練習をしたり、物や目印などを使って練習したり、
いろんな練習の仕方を工夫して動作を身に付けてもらえるようにリハビリしますね。
以前と同じようにしたらできなくなった動作を
今できる方法でできるようになるために。
そんなリハビリのことも思い返しました。
皆さんも、一度スポンジを反対に持って食器を洗ってみますか?
何気ない動作のはずだったのに、
こんなに難しかったかな?って思いますよ…きっと。
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巷の話題 免許ってなんでせう。
2018年2月22日(木)
すみません。先週ブログすっとばしました。
別にそんなに忙しかったわけではなく、腰を落ち着けて書く間がなかっただけです(それを人は忙しいと言う)。
巷の話題としては今はやはりオリンピックが一番のようですが(フィギュアとかスピードスケートとかついつい声をあげて応援してしまいました)、私としては気になるのが高齢者の車の運転です。一時的にオリンピックの報道がメインですけど、相変わらず高齢者の車の運転による事故の報道が絶えません。
一般の人たちもそれほど馬鹿ではないので、最近になって高齢者の自動車事故が増えているなんて思っている人はいないとは思います。
ただ単に報道が増えただけであって事故は昔からそれなりの割合であったはずです。
それはともかく先月の事になりますけど、病院の近くの自動車教習所で京都府の公安委員会の方々と障害者の方の車の運転に関する適性検査についての意見交換会に出席しました。
そこでわかったのは公安委員会としては運転に不適切な障害者や高齢者が仮にいたとしてもそれを探し出して(あるいは情報提供などを呼びかけて)、適性検査を受けさせるようなことはしない。あくまでも免許保持者が自主的に受けないと駄目ということと、適性検査を受けてこのままでは運転免許が交付できないとなっても「不可」と言うことではくなく「保留」という判断がほとんどだということ。極端な話、両手、両足がなくとも「不可」ではなくて「保留」なんだそうです。
何故「保留」なのかというと「可」ではない理由があるから。
「可」ではない理由と言うか問題点を改善できれば「可」とします。と言うスタンスだそうです。
そういうやり取りを聞きながら私が思ったのは「免許」ってなんでしょうということです(意見交換会にもかかわらず私は只の木偶の坊でした。色々考えてたんで)。
私は常々新人のスタッフには「理学療法士」、「作業療法士」や「言語聴覚士」と言う免許はそれが出来ると言う「保証書」ではない「やりたかったらやれば」と言うだけのもので、決して「出来る」と言う保証書ではないからと言っています。
ですが公安委員会の方々とのやり取りを聞きながら思ったのはやはり「免許証」はそれがどんな免許であれ、「出来る」と言う「保証書」ではないかということです。
何故実態としては「保証書」になっていないのか。運転免許を交付された(保証された)にもかかわらず、結果的に適性とは言えない理由や無謀な運転ゆえに事故を起こすのか。
何故学校も卒業して国家試験にパスして免許を交付されたにもかかわらず、セラピスト本人や学校の教員はこのままではセラピストと言う仕事が「出来ない」というのか。何故更なる卒後教育が必要だと言うのか。「出来る」という「保証書」とは言えないのではないか。
皆さんお手元にある某かの家電の取り扱い説明書と保証書をご覧ください。
多分取説とは違う使い方で壊れた場合は例え無償補償期間内であっても有償となる云々との記載があるはずです。
あくまでも取説通りに取り扱ったうえで支障があった場合、無償での修理乃至交換に応じるなどとなっているはずです。
つまり車の免許であれ、セラピストの免許であれ、或いはその他もろもろの資格や免許は学校で習った通りにやれば保証するってことです。
日本社会は性善説に基づいているので、車の免許にしても本人が習った通りに(交通法規に沿って)運転すると言っている以上は(実際そうかどうかは別にして)無碍に与えなかったり、取り上げたりは出来ないわけです。
セラピストも同様です。学校で習った通りにやるのであればと言う条件付きで免許は「出来る」という「保証書」となるわけです。
習った通りとは何も教科書に書いてある病気や治療法のノウハウに限った話ではありません。医療人としての考え方や倫理観、技術者としての取り組み方など教員と実習指導者(ま、残念な教育者もいることは否定できませんが)が語ってきたすべてであると思います(おそらく殆どの教員が言うであろう「臨機応変」「自分で考えろ」「患者の立場で」は特に強調しておきたい)。
先に新卒間もないセラピストも学校の教員もこのままでは「出来ない」と言っている。卒後教育が絶対必要だとしていると書きましたが、言い方を変えると教えたとおり、習った通りにはできないと言っているわけです。
学校の先生も「教えたとおりにやったら出来る」ぐらいの意気込みで臨んでほしいものです。
次回私のブログは来週のどこかで。
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