お~そうかぁ~「考える人」
2016年2月13日(土)
著名なフランスの彫刻家ロダン(1840~1917年)の彫刻「考える人」は皆さんご存知ですよね。洋式トイレで「考える人」と同じような前傾姿勢をとると、排便しやすくなるという記事がありましたね。直腸が真っすぐになり、肛門から便が出やすくなるんですよね。
集中
2016年2月12日(金)
気が付けば2月半ばに近付いております。
年々月日が過ぎるのはびっくりするぐらいホント早いです。
※やはり年齢のせいでしょうか?
毎日、無事1日を過ごさせて頂いております。
※年を取ると何かしらの病気への恐れを感じる事がありまして。いったん病気になりますと、なかなか治りが悪い。
無事に過ごしているのは良いのですが、
本当は2015年度のまとめと2016年の取り組みを早々に作成しなければならないとは思っております。しかし、なかなかまとまりがつきません。
と、言うより集中力が落ちたなと感じます。
昨日、利用者の方とこの様なお話をしておりました。
新聞を読んでいると、この記事を読み終わってから次の記事を今までは読んでいたのですが、ここ最近、記事が長いと別の記事に気が移るのか目が行ってしまいます。そして、その長い記事は途中で読むのを止めてしまいます。
確かに…と思う瞬間でした。
情けないとは思いますが、これも仕方がないと感じてはいます。
単に記憶を保つ事ができないので、長い文章では読んだその前から忘れてしまいます。
あ~年は取りたくありません。
しかし、診療報酬改定の読み込みには集中・集中。。。
馬脚を現す
2016年2月11日(木)
今年の1/14に書いたブログの原稿でお蔵に入れたままの物があります。
枕に国会議員の育休休暇についてどうのこうの書いてる分です。
かの議員は一般社会において男性の育休取得率が低いので、あえて批判を覚悟で自分が取得することで育休取得を推進するとかなんとか言ってましたが、国会議員たる立法の府の人間がやるべきことは、自分が率先して休むことじゃなくて、育休取得のための法整備をすることではないですか。
要は自分のやりたいことを義務は果たさずに権利だけ主張してやっているだけ。
話の本筋は「義務」と「権利」だったのですが、過激かなと原稿を寝かせていたら、育休議員さんは不倫やって馬脚をあらわしましたね。
権利ばかり主張して義務を果たさない輩はやっぱりそれなりなんでしょうか。
とそこまで書いて最近気になっていることが一つ。
うちのIT担当者に聞けばすぐにわかる話ではあるんですが、ここのブログのアクセス件数を私もそれなりに気になっていて、毎回投稿時にアクセスカウンタをチェックして記録しているんです。
一時期一日のアクセス件数が一桁と言う時期もあり、「あっちゃぁ、あかんわ」などと考えていたのですが、また伸びてきています。
なんでだろう。いまここのブログには7人の書き手がいるんですが、どれが読んでる人のツボにはまったんでしょうかね。
それとも複数の書き手のなんでしょうか。
いや、そんなことよりも。
自分のブログを読み返してみると、随分と偉そうな事書いてます。
読む人が増えていってるのに、偉そうなこと言ってる奴が、ある日痴漢でつかまったりとか、横領でクビになったりとか、クスリやってたりとか、不倫やってたりとか、下着盗んでつかまったり(いましたねそんな大臣)とかした日には、目も当てられませんよね。
いやいやいやそんなことしないでしょ、と言う人もいますが、「人間、魔がさす」ということはあります。私だって何時どのようなことで魔がさして、破廉恥なことをやらかして、後ろ指さされないとも限りません(それくらい私は弱い人間です)。
そうなったら、みっともないことこの上なし。
私は議員さんほどたいそうな地位もありませんけど、やらかした暁には恥ずかしくて今の職場に勤め続けるなんて無理です。
イクメン議員さんもパンツ大臣もみっともないと言う感性があれば議員なんかやっちゃいないでしょうね。
読む人も増えてきたし、あんまり偉そうなこと書くのやめとこうっと(そっちかよ、破廉恥しないように気をつけろよと突っ込むところ)。
次回私のブログは2/18です。
話題はもしかしたらこれで。別リンク<赤穂夫婦殺人>19歳「給料全額渡して小遣いは月1万円」 (毎日新聞) – Yahoo!ニュース
大原の地
2016年2月10日(水)
当院の立地する大原は歴史の舞台にも度々登場しますが、
聖徳太子が父・用明天皇の菩提を弔うために創建された
寂光院はその中でも特に有名でしょう。
その名を広く世に知らしめたのは、平清盛の娘である
建礼門院徳子の隠棲の地としてです。建礼門院徳子は源平争乱の時代、平家一門が壇ノ浦の戦いに
敗れ、建礼門院は息子である安徳天皇を抱きかかえて海に入水し、
安徳天皇は亡くなりますが、建礼門院は源氏方に助けられ、
ひとり京に戻され出家し、安徳天皇と平家一門の菩提を弔うために、
隠棲の場所となる寂光院に入ったとのことです。
ここ大原の地は、歴史的にも観光的にもとても興味深い
地でありますが、職場として通っているのでなかなか
散策しようという機会もないまま10数年が経過してしまいました。
身近すぎて魅力を見過ごしてきた感があります。
せっかくなので暖かくなってきたら家族で散策して
みようかと思う今日この頃です。
傾聴
2016年2月09日(火)
もともとカウセリングにおけるコミュニケーション技能の1つです。
傾聴の目的は相手を理解することにあります。
それにより、話し手が自分自身に対する理解を深め、建設的な行動がとれるようになるようサポートすること。
傾聴で大切なのは次の3つとされる。
・言葉以外の行動に注意を向け、理解する(姿勢、しぐさ、表情、声の調子など)。
・言葉によるメッセージに最後まで耳を傾け、理解する。
・言葉の背後にある感情も受け止め、共感を示す。
コトバンクより抜粋
職務上、面談や面接をすることが多くなってきているのですが、年を重ねるにつれて、相手の反応や話を制して、一方的に想いや考えを話していることが増えているように思います。
いや?、年を重ねる前からそうだったかも・・・・^^;
昨日も何人かとゆっくり話をする機会があったんですが、あまり相手の話を聞けず、偉そうに話してしまったなと・・・・とりあえず反省です。
そんなこんなで、余裕をもって相手の表情や反応をみて話が聞ける、傾聴スキルを修得したいと思う業務後でした。
そういえば、スタッフもよく患者さんとのやりとりで傾聴という言葉を使っているところを耳にしますが、既に習得済ならなかなかの嫉妬です(笑)
あっ
2016年2月09日(火)
昨日、部ログを昼過ぎにでもUPするつもりで、朝に途中まで書きかけていたのですが、
午前中に保育園から、娘が発熱しておりお迎えをお願いされ、
急いで準備して帰宅し、すっかり部ログをUPし忘れました。
パパさんママさん職員が結構いますので、私を含め突然の退社もよくあります。
それでも、周囲のスタッフがそれを快くフォローしてくれるので、
安心して働けます。
…ただ、部ログは穴開けちゃいました…
次回はちゃんと書けるかな?
笑顔が怖い!?
2016年2月07日(日)
少し前に病棟の廊下で患者様から声をかけられました。
患者様:「いつも笑顔やなぁ。」
私:「ありがとうございます。」
患者様:「なんか良いことあんのか?」
私:「いいえ、特別良い事なんてありませんよ。」
患者様:「良いこともないのにその笑顔か。怖いなぁ(笑)」
私:「えっ・・・」
作り笑顔をしているつもりはありません。
病院内歩いてて出会った人に挨拶する時は笑顔でいたいなぁって思ってのことですが、
人によってはそんな笑顔が怖いんだと驚いたと同時にショックの瞬間でした。
人それぞれ受け取り方があるので仕方ありません。
もしかしたら、虫の居所が悪い時に挨拶して気に障ったのかもしれません・・・
とは言え、極端ですが無表情やぶすっとした顔で挨拶されるのは
私自身が嫌なのでこれからも笑顔で挨拶していきたいと思ってます。
なんせ、笑顔は最大の武器ですからね。
そろそろ
2016年2月05日(金)
節分も終わり、昨日は立春。
暦では冬は終わりを告げています。
しかし、リハビリの国家試験を受けられる方は、そろそろ受験番号が届いてくる頃かと思います。
※確か2月の中旬には届いた記憶があります。
受験票を頂き、気持ちを引き締め2月28日国家試験に臨んでください。
受験生はこれが終わらないと冬は開けませんね。
3月29日 春を咲かせて下さいます様に。
今日は立春
2016年2月04日(木)
暖冬とは言いながら、それなりに寒いです。
今朝も車のフロントグラスに水滴がついてるなと、ワイパーかけたら瞬間で凍りました(過冷却です)。
私が「教育」を意識したのは実習生を病院に受け入れるようになってよりも後のことで、求人の関係で養成校の先生方とよく話すようになってからのことです。
(大学、専門学校に限らず)学校で何をどこまで教えるべきなんだろう、社会で教えるべきは何だろう、そも「教育」とはなんぞや。
などと言うことを出張の行き帰りの電車の中でおやつの合間にぼんやり考えていました。
私の結論は「教育とは、親が死んでなお一人で生きていけるようにすること」です。
つまりは「自立」と言うことですが、逆説的ですが人間は社会的生き物ですから、一人では生きていけません。
ですから「教育とは、親の庇護を必要としなくても生きていけるようにすること」でもいいのかもしれません。
親の庇護がなくとも子が一人で生きていけるというのは、親としても何よりの安心ではないでしょうか。
先述の記事も「親子関係の変化」の一言で片づけられるものなら問題ありません。
親子関係の変化の陰に相当数の「親離れ、子離れ」出来ていない親子がかなりいる気がするのは私だけですか。
いずれにしろそういう私自身の考えから発展させて、当院のリハビリテーションの目的の第一には患者さんの自立としています。
家族の庇護がなくとも障害を持った患者さんが一人で生きていけるというのは、身内の誰にとっても「安心」なことではないでしょうか。
とは言いながらも、障害者の場合その程度によっては多くの人の助けがなくては一人では生きていけません。
ありとあらゆる在宅サービスが必要となるかも知れません。
それさえ可能なら「安心」か?、「大丈夫」なのか?
おそらく多くの人がそれでも「安心」でも「大丈夫」でもないと感じているはずです。
何故か、それだけでは緊急事態に対処できないからです。
では最低限の緊急事態への対処とはなんでしょうか。
「助けを求める」これです。
助けが求められない状態なら、緊急事態になっても出来るだけ最短で誰かが気付く状況を作っておくこと。
更に
それに対応できる状況を作っておくこと。
どれほど人の手助けを加えて、極力不自由ない生活をすることが出来たにしろ、緊急の事態に対処できなければ万事往来とは言えません。
逆に不自由ある生活でも、緊急事態に対処できていれば安心なのです。
これから独り立ちする子供も何事もなければ何の心配もない生活が送れるでしょう。ですが何事も思うようにいかないのが人生です。それに対応できるかどうかが教育の肝でしょう。
障害者の自宅復帰もあらかじめ予想される問題に対応するのは誰にもできることで、在宅生活の突発事態(まぁ大体の場合一人でいる時の急病ですね)にどう対応するのか考えておくのが、リハビリテーションの肝じゃないかな(日常の生活が送れるだけじゃ「大丈夫」とは言えませんよね)。
えぇ~~~~っと、今回文章まとまってますか?
なんか業務の合間ゝゝに書いたので。
次回私のブログは2/11です。
紅炉上一点の雪
2016年2月02日(火)
辞書を開くと、「火の上に一点の雪を置くとすぐにとけるように、私欲・迷いなどがとけること。」と書かれています。
禅語の一つで、「死」に対する答えともされています。
死や正念相続の様子、雑念を物理的現象でうまく例えた言葉だと思います。
心に残る好きな言葉の一つです。
川中島の合戦で有名な武田信玄と上杉謙信の一騎打ちにこんなエピソードがあります。
謙信が武田の本陣に切り込み、信玄に「如何なるか是れ剣刃上の事」(一刀両断されたら、お前はどうするのだ)と刃を振り出し、信玄は鉄扇で払い「紅炉上一点雪」(振り下ろす刃の下でも、生もなく死もない。すなわち、生への一かけらの執着もなく、死への微塵の恐怖もない、死ぬもよし、生きるもよし)と返した という逸話です。
また、龍造寺隆信が沖田畷の戦いで討たれる際、死を受け入れた気持ちを表した辞世の句とも言われています。
素敵。
先週、「多忙」と書き込みました^^;
今週も焦りと余裕のなさが前面に出ているのが自分でも分かります(-_-;)
「紅炉上一点の雪」のようにすべてを迷いなく受け止め、いまそこにある状況をサラリと越えることができればかっこいいのになぁと思わずにはいられません。
が、まだまだ悟りを開くには未熟なようです(笑)
今週もおおいにあがこうと思います。