「道を選ぶ」あるいは「1年の計」
2015年1月07日(水)
私の好きな映画の一つに
「セント オブ ウーマン scent of a woman 夢の香り」
があります。昨年あるスタッフの結婚披露宴でスピーチをしたのですが、その時のアル・パシーノ(私の世代はパチーノじゃないんです)のセリフの一節を拝借しました(勿論そのまま言ったわけじゃないですけど)。つい最近も週刊現代のコラムでそのセリフが紹介されていました。
「私はいつも正しい道がわかっていた」
この後に続けてパシーノ扮する盲目の退役軍人が言います。
「でもその道を選ばなかった。その道が困難だったからだ」
ということは、残念なほど賢くない人間でも、どれほど選択肢があろうが、正しい道は自ずと誰にでもわかるということになりますか。
要するに「しんどそうなのが、正解」ってことですから。
22年も前の作品ですが、映画館では見れずにビデオで見て以来、ずっと心がけてきた(つもり)ことですが、
「人間、易きに流れる」
と言うように、心がけるばかりでは駄目で、実際にどれだけ正しい道を選べたのか、というと心がけても心がけなくても結果に変わりなし、と言われても仕方ないくらいかもしれません。
かてて加えて、年齢的なものが正しかろうが正しくなかろうが、困難なこと、面倒くさいことを避けたがります(もともとそういう性分ではありますが)。
実は私の1年の計は、毎年今年どれだけしんどいこと(正しい選択)ができるか、なんですが。
振り返ってみるに年をとればとるほど、怠惰になっているような…
「今年こそ」と願うばかり初春かな(字余り)
次回私のブログは1/13です。