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畑?
2019年7月29日(月)
おおはら雅の郷に大きな畑はありませんが、
小さな畑?があります。
先日、茄子が収穫され、お料理に一品として出たそうです。
今朝、トマトが赤くなりました。
他にも少しずつですがいろいろ育てられています。
野菜を育てるってことを、
仕事でしていた人も、
趣味でしていた人も、
今までしていなかった人も、
一緒に世話をしている人も、
断固世話をしない人も、
みんな野菜を前に笑顔になったり、真剣な顔になったり、
食べごろになると特に表情が豊かになって、自然と会話も生まれます。
だって、野菜はみんな食べたことがあるものばかり、
みんながそれぞれイメージできる物事がありますからね。

たとえ大きくなくても、畑が身近にあるっていいですね。
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イメージと違います
2019年7月24日(水)
「おおはら雅の郷」のゲートをくぐると、膝丈の花が咲いています。
よく見る形の花が咲いています。
私の中では、身長より高く、腕より太い幹があって、
上の方から空へ向かって花が咲いているイメージなのですが…
こんな低い所に…
でも、花の大きさは同じですね。
大きくなろうって気持ちの現れでしょうか?
うちのスタッフ達も向上心を持って、リハビリって仕事に取り組んでほしいです。
私だって、今よりも良い仕事ができるようになりたいですしね。
花に負けてられませんもんね。
皆さん、こんな百日紅(さるすべり)見たことありますか?
絶対に、これは百日紅ですよね。

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まえとあと
2019年7月10日(水)
ご無沙汰でした。さきほどブログのプラットホームを見ていたらここ2か月だけでも書きかけの原稿が5~6本もあるのに気が付きました。
毎回書こうとして、仕事の都合で中断して今に至る…みたいな感じでしょうか。
ブログと言うのは書き手にとってのトレンドというか、書かなければならないものじゃなくてその時に書きたいことなんで、ちょっとでも時間がたつと書く気が無くなると言う感じです。
この「まえとあと」は一昨年、昨年、今年3月にも書きかけたものですけど、ようやく書き終えそうです。
先日仕事で奥出雲の亀嵩に立ち寄りました(勿論2019年の6月です)。
亀嵩といえば松本清張原作の映画「砂の器」の舞台です。
普通小説が映像化されると、賛否両論巻き起こりがちですが、原作者の松本清張をして「こんな話だったのか!!(オイオイ…)と感嘆ならしめた脚色です。
後に数回のテレビでドラマ化の際にはほとんどが橋本忍、山田洋次がものした脚本がベースとなっています。
随分前ですが、その山田洋次監督が新聞のインタビュー記事で橋本忍の脚色手法について語っていました。
例えば登場人物がドアを開けて部屋に入ってくるところから場面が始まるとしたら、ドアに入るその前は登場人物が何をしていたかを書き込まねばならないと指導を受けたそうです。
原作ではほんのわずかな描写しかない容疑者と容疑者の父の半生を感動だけではなく誰もが納得の脚色に出来たのは、原作にはない容疑者の人生に思いを寄せたからでしょう。
リハビリも似たような事があります。
最近のセラピストは今の患者さんの状態しか見ていないのが多すぎます。
患者さんがこの病院に来るまでどんな生活していたのか、どのようにして病気(怪我)したのかまるで関心がない。まぁ口ではそんなことはないちゃんと考えているとかなんとか言いますが…
患者さんが自宅で転んで足を骨折して、入院したとします。リハビリやって体が回復して、以前と同じように体が動くようになればそれで終わりと考えるセラピストは多いです。
「今しか見ていない」とはその患者さんがどうして転んだのか把握していないセラピストが非常に多いからです。
どれほど体が元通りになろうが、転倒の原因を把握し、その原因を除去しない限りはまた転倒するかも知れないし、患者さんがそれに不安を感じないはずがないのに、そういう事に気付きもしない。
例えば脳卒中で入院した患者さんのリハビリのゴールを家族の希望で「歩行」にしたとセラピストが言ったとします。私は入院前の患者の生活状況を尋ねますが、把握していないとセラピストは言う。確認して来いと追い返して、持ってきた答えが「10年間寝たきりでした」
どれほど腕のいいセラピストでも10年間寝たきりの人を半年かそこらで歩かせるように出来るのは不可能です(10年かかっても無理です)。
例えば一人暮らしの老人が自宅で脳出血を起こして救急病院から我が病院へ転院してきたとします。
担当のセラピストが言うわけです。この方(患者さん)は麻痺もほぼ回復し、身の回りのことも十分できるようになった。これまでどおり自宅で生活できます、と。
こういう場合私の質問は一つだけです。「この患者さんはどうやって病院に行ったのかな?」
またこの返事がどいつもこいつも通り一遍なのは笑うしかないのですが「救急車で」。
この話のどこがおかしいのか、わかるならあなたは立派な普通の人です。うちにいる何人かの(多寡はわかりませんが少ないことを祈るのみ、想像以上に多いと思いますが)セラピストより立派な医療人になれるでしょう。
上記3つのたとえ話はどれも実際にあったことです。
どのエピソードも「今しか見ていない」以外にもいろいろと問題があるのですが、とりあえず病院に来る前というか、来歴、現病歴は大事って話です。
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じわじわ
2019年6月18日(火)
「おおはら雅の郷」で、昨日夕方に撮った写真です。
ここの並びの紫陽花はだいぶん色づいてきました。
でも、別の並びにある紫陽花はぜんぜん色がついていません。
じわじわと色づく紫陽花が増えてきています。
まだ京都は梅雨に入っていませんが、梅雨が近づいているって気がしてきます。
梅雨が来る前に、お散歩できるだけしておきたいですね。
傘をさして観る紫陽花もきれいですが、
傘をさしての散歩はなかなか行かないですからね。
紫陽花を見ていると、
「長くつを履いて、レインコートを着た子供が、
傘をさして紫陽花の前を楽しそうに歩く。
その紫陽花にカタツムリがいる。」
そんな絵が思い浮かびます。
皆さんは思い浮かびませんか?
こんなことを想起するのも、
脳のトレーニングですよね。
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雨が似合う?
2019年6月14日(金)
今日、
朝はまだ雨が降っていませんでした。
大原ホームの玄関側には
外に花壇があります。
花壇のお花がいろいろ咲いていました。
菖蒲だけは花壇ではないですが、ホームの玄関近くに
たくさん咲いています。
これからの季節、紫陽花がきれいですが、
まだ紫陽花は色づき始めです。
先にこれらの花がきれいに咲いていました。
今日は雨が降っていますが、
晴れたら散歩したいですね。
お花がきれいに咲いていると、
一緒に歩くご利用者さんも
とっても笑顔になられます。
花がきれいってだけで、心から元気になりますからね。
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わたしの、わたしのカレは~~~~♬
2019年6月11日(火)
左利き~~~
と謳ったのは浅丘めぐみ(古すぎるか)。
最近気が付いたんですけど、私の周りには結構左利きが多いなと。
いつだったか、多職種の寄り集まる会議で出席者の半数近くが左利きだったこともあります。
私の子供時分と働き出して以降思い浮かべてみても左利きの人は少なかったように思います。当時左利きはおかしいという考えがあり矯正するのが当たり前の時代だったんでしょう。
ですから私の周囲に左利きが少なかったわけではなく、矯正された左利きと言う人が今と同じだけの割合でいたんでしょう。
ですがまぁ世の中右利きが多いので多数決の法則じゃないんでしょうけど、私が若い頃は多を良しとし、寡を悪しとして、左利きを右利きに矯正する時代だったのかな。
おそらく今では矯正することもなくなったので、私には左利きが増えたように感じてるんでしょうね。
実際のところ左利きの人は人口の8~15%の間を推移しているらしく、間を取って12%としてもかなりの出現率にもかかわらず、ほとんどが右利き向けになったこの社会は左利きの人にバリアフリーとは言い難いなと。
左利きは病気でも障害でもないだけに、社会のほとんどが右利き向けと言うのはいかがなもんでしょう。
私自身は右利きで左利きに対して偏見も何もないのですが(まぁどちらかと言えば無関心)、12%という言わばマイノリティのマジョリティとも言える左利きになかなか対応できない社会ならば、障害者に対応したバリアフリーの社会なんかできっこないよなぁという気がします。
因みに私の息子は右利きですが趣味でドラムをたたいています。左腕も右腕同様使いこなせるようにと、左手で箸を使い食事をしています(まぁそれでちゃんと太鼓が叩けるかどうか知りませんが)。
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難読漢字
2019年6月11日(火)
さて、
躑躅は満開でしたが、ちょっと散り始めています。
次は、
菖蒲が咲き始めています。
そして、
向日葵が控えています。
どの花も読みにくい漢字ですね。
脳トレで、
難読漢字なんかも出題してクイズにしたりします。
花の名前は答えが分かった時にイメージもしやすく、
イメージも綺麗で脳トレには良いと思っています。
実際の花も咲いているところでクイズを出したら、なお良しですね。
頭の中で、漢字と、言葉と、視覚と、花に近づいて触れたら触覚や嗅覚まで
いろんな感覚とそれにまつわる記憶も言葉とつながって、
いい刺激になるんじゃないかと思います。
お散歩しながらクイズを出し合うのも
脳トレに良いかもしれませんね。
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使いやすい
2019年6月03日(月)
道具は使ってなんぼです。
でも、使わなければ幸いの道具もあります。
使う事態は起きて欲しくない事態ってことがあります。
そんな時の道具は、普段使っていないからこそ使いやすさが重要ですよね。
最近はいろんな施設で見かけるようになったAED(Automated External Defibrillator:自動体外式除細動)も、
緊急時にたまたまそばに居た人が使えるように、色使いや記号なども大きく表示され、注意事項や手順が分かりやすい様になっていますし、音声案内もついていたりします。
普段は使わない人が非常時に何とか使えるようにと工夫が凝らされています。
福祉用具はどうでしょう?
使う人が限定されるものについては、その人さえわかれば良いという事もあります。
身に着けるものや、常に持ち歩くものはデザイン重視で逆に目立たないようにという事が配慮されていたりするかもしれません。
そして、
昔、
車いすの肘置きが跳ね上げるタイプで、そのロック機構が担当していた利用者様に使いやすいメーカーとそうでもないメーカーがあって、
ここだけこんなのに付け替えられないか尋ねたら、
各メーカー特許を持っていて同じものを作れないって言われました。
いろんなメーカーが作っているので、各メーカーで特許も持っていますので、
便利だって知っていても、同じ仕組みがつかえないという理由があったりします。
だから、いろんな福祉用具を施設でそろえると、同じ用途で使い方の違うものが増えていきます。
ご利用者さんはそれしか使わないなら違いにも気づかれず、
だから困るとかもないのですが、
スタッフの方が使い方を覚えて対応するのが大変になってきます。
でも、
この道具とあの道具では適応できる利用者が違ったりするので、
やっぱりあれもこれも揃えたくもなるのです。
道具は使い方を間違えるといい効果を生みません。
使い方がわかりやすく作ってあれば、すぐにその場で使い方が分かります。
そうなったらいろんなものがあっても困ることが少なくなります。
最近は、車いすのレバーなどにも何のレバーか分かるように文字や、記号などのシールが貼っているものが多いですね。
これがあるだけで助かります。
なんか、とりとめもない文章になってしまいました。
すみません。
施設の備品を検討中だったので、ついこんなこと書いちゃいました。
でも、分かりやすい道具がありがたいです。
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8050問題
2019年5月31日(金)
3週間ほどのご無沙汰でした。
受難の時期かというくらい事故や事件に巻き込まれる子供が多かったような印象があります。
先日の川崎での連続殺傷事件の後、「8050問題」という言葉を初めて聞きました。初めて聞いたけど、聞いただけでどういう事かピンときました。何故ピンと来たのか説明すると「暴言・暴論その3」になりそうですし、「本当」にやばい文章になりそうなのであまり踏み込んで書けません。
収入のなくなった80代の親と仕事がない(引きこもりの)50代の子供の問題ということらしいですけど、これは8050問題ではなく7040いや6030、いやいや5020いやいやいや4010か3000(要するに将来親になるべき夫婦)にまで遡って「問題の萌芽」がある気がします。
社会問題としてとらえる前に、誰にでも起こりうる問題として、自分の事としてとらえないとまずいことのように思えます。
自分の子供は引きこもっていないから大丈夫などと考えているとエラいことになりそうな気がします。
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暴言・暴論(その2)
2019年5月10日(金)
あなたは手取り月々12万円。その給料ではなかなか外食と言うのも難しく、できてもせいぜい月に一度安い居酒屋とかファミレスに行くくらい。
そんなあなたにも年に一度のボーナス支給日。たまたまあなたの誕生日と重なったので、この1年間のせめてもの自分へのご褒美に高級レストランでフルコース〇万円のディナーを食べることにした。
↑このことにとやかく言う人はいないはずです。人によってはいやそれでも自分はいつも通りの事として特別なことはしないと言う人もいれば、いやいや贅沢するにしたっていつものファミレスでハンバーグセットじゃなくてステーキセットにするぐらいという人もいるでしょう。
それが人による価値観の違いでしょう。どの考え方が正しいとか間違ってるとかではなく、価値観によって選択は変わるわけで、価値観の数だけ選択肢はあるはずです。
いずれにせよどの選択肢(料理)を選ぶのかは、食事をする人の価値観に左右されるわけです。
ここで高級レストランで食事となった場合、いくつかの問題が浮上します。
普段行きつけのファミレスや居酒屋と違い、メニューを見ただけでは何が何やらさっぱりわからない料理の名前が並んでいる事。あまりにも高級店を選んだばかりにメニューに値段さえ書いてない事。
あてずっぽうに選んでもどれもおいしいのだろうけど、多少の好き嫌いもあるあなたは魚料理は避けて肉料理にしたいと考えているし、予算超過は避けたい。
そこであなたは専門家(ウェイターorウェイトレス)の意見を聞くことにする。とりあえずメニューのいくつかを指さしてどんな料理か、値段はいくらか等。専門家もあなたがあまり料理に詳しくないのを察して、逆に色々と聞いてくる。肉と魚だったらどちらが好みか。こんな店に慣れてないとしたら何か客にとって特別な日か何かか。それらを聞いたうえでウェイターはあなたにあったお勧めの料理もいくつか紹介して来る。
結局あなたは
予定通りフルコースディナーにした。
予算超過だったが、滅多に出回る事のない鶏肉を使った料理にした。
予算よりだいぶ低いがウェイターの説明でどうしても気になったピラフにした。
いずれにせよ自分で選んだ料理ということには(味ではなく)、納得と満足を得たあなたは、
来年こそはフルコースディナーを味わってみよう。
来年はもっと奮発して鶏肉料理を食べてみよう。
この値段だったら半年後にもう一度ピラフを食べてみよう。
どれも価格相当じゃなかった、次はなし。
となるやもしれない。
といずれにしてもあなたの価値観が決めるわけです。
少し前に福生市の病院で腎臓疾患の患者さんが透析治療をせずに死亡したことがニュースになっていました。
識者と言われる方々(医療関係者含む)が、医師はもっと患者・家族と向き合って話し合うべきだったとか、医師はもっと患者に寄り添わなければと言う意見が多かったように思います。一方でごく少数でしたが医師が説明した上で患者が納得したんだから(informed consent:説明の上での同意)、何の問題もない。人が死んだからと言って騒ぎすぎ。といった意見もありました。
こっから暴言ですが、私は医療側と患者側が話し合う必要はないと思っています。寄り添う必要もない。
そも医療側が話し合いと称しているモノは患者やその家族にとっても「話し合い」なんでしょうか。
「話し合い」と言うからには意見のやり取りがあると思われるのですが、医師の「こうしたらどうでしょう」というソフトな問いかけにさえ、異を唱える事をためらう患者や家族がまだまだどれほどいる事か。
ましてや「あんたの場合はこの治療法が一番や。これにするで。ええな?」そう医師に言われて、思わず頷いてしまわないと言える患者・家族がどれほどいる事か。
時折新聞の社会面に載る医療関係のトラブルは「そういったリスクは聞いていない」や「他に治療法があるとは聞いていなかった」なんて医療側の説明不足の感は否めないと思います。
それは話し合いと言いながら、患者と家族に医療側の価値観を押し付けようとした結果じゃないのかなと。
だからそんな「話し合い」なら必要ないですし、必要なのは(専門家でもない)患者と・家族が自分たちの価値観で適切に判断が出来るように必要な情報を提供することじゃないかと。言うなればウェイターが客にメニューを説明するように。
「あーあんたの場合はねぇ、手術と2種類の違う薬による治し方があるんやけどねぇ。手術はねぇ成功すれば完全に治るけど、いろいろリスクあってねぇ、死亡率もはんぱないねん。5割は死んじゃうなぁ。薬はなぁ、保険外の奴やと50%は症状が軽くなるけど、完全に治らないし2年で薬が効かなくなるで、そうなったら手術しか手がない、金もかかるしな。もう一つの薬は保険内やけど25%くらいしか症状は改善せぇへんし、飲み続けたってすこおしずつ悪なるから、5年が寿命や。勿論なんもせぇへんかったらあと2年。さぁどれにする?」
ここでの言葉は汚いですし、省略もしていますが、話し合いではなくこういったinformed choice(説明の上での選択)が最も重要なんじゃないかなと思います。
患者はそれぞれの治療のメリット、デメリットを聞いたうえで、自分の価値観で治療法を選択する。
手術までして長生きしたくないのに、そればかり勧められるとか、こちらの懐具合も考えずに高い薬を投薬するって言われたとか、そういう選択にまつわるしこりは無いわけです。
このinformed choiceと言う言葉調べてみたら実際に医療で使われている言葉でした。歯科医師の世界で…orz
歯科は保険外診療も頻繁なので、informed choiceと言う概念もそれなりに一般的なんでしょう。
それ以外の医療分野では話し合おうとか、寄り添おうとか、informed consentとか言ってるうちはトラブルが絶えない気がします。
もっともそうなれば病院や医師にお任せとも言ってられないわけですから、患者や家族も医師の説明が理解できるほどの理解力と判断力が求められるわけです(まぁわかりやすいように説明できるかどうかも医療側には求められますが)。
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