不思議に思う事
2018年11月07日(水)
1日の終わりにあたっての日課として、テレビのニュースを見つつ、ネットでもニュースとメールのチェックをしています。
先日も寝る前にパソコンに向かっていたら、何の記事だか何だかは忘れちゃいましたが「自分探しの旅」という単語が目に入りました。
この言葉を使うというか、そう称する人の事はどれほどの人であろうと、私の中では評価が微妙になります。
今ここに「自分」がある(いる)のに「自分」を探すってことは、要するに「自分を見失っている」ということですよね。
私としては「自分を見失う」→「取り乱す」or「錯乱する」ということですし、外面でそうではなくとも内面的にそうなんだと思いますから、(内面的であっても)「取り乱す」or「錯乱する」→「醜態をさらす」→「恥ずかしい」となります。
非常に単純で短絡的一方的な見方なんでしょうけど、私としては恥ずかしい言葉を使える、言えるってのはとても不思議な事に思えます。
皆さんはどうお考えになりますか?
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声をかけられます
2018年11月05日(月)
子どもを連れてお出かけしていると
たまに声をかけられます。
自分一人で子どもを連れていると、
だいたいご年配の男性に声をかけられます。
妻もいるときは、年配の女性が多くなるように思います。
そして女性は子どもにも連れている妻にも話しかけて、
男性は主に私に話しかけてくるように思います。
そして、ご自身の孫の話がちらっと出てきます。
男女で話しかけやすさも違うんでしょうね。
リハスタッフにも、
利用者や多職種の方にとって話しかけやすい人もいれば、
話しかけにくいと思われている人もいますよね。
聞き出すこと、情報を収集することは自分が尋ねたり調べたりすることだけではなく、
自然と自分に伝わるっていうものも多いと思います。
誰にとっても話しやすい人になるというのは難しくっても、
誰にとっても話しにくい人にならないようにしたいものです。
道で声をかけられるぐらいなので、そこまで話しかけにくくないんじゃないかとは
自分で思っています。
話しは戻りますが、
子連れの時に声をかけてくる人って、いい笑顔をしています。
これは子ども達が自然と引き出す笑顔ですかね。
私も利用者の笑顔をいつもいつも引き出したいです。
誰だって変わります
2018年10月29日(月)
子どもをつれてお出かけしていると、
子ども達も家の中での様子と、外に出かけているときでは違いますね。
普段はそんなに下の子の面倒を見ない上の子も、
お出かけの時はいつも、下の子がちょっとぐずると、
おんぶしようか?だっこしようか?って、
お姉ちゃんぶったり、お兄ちゃんぶったりしています。
ほかにも、何やかんやでお兄ちゃんお姉ちゃんになっていることが多いです。
家にいると、力で下を押さえつけちゃう感じも否めませんが、
兄弟で力を合わせるってことはわかっているのかもしれません。
いつも喧嘩をしますが、その分いつも一緒に遊んだりしていますからね。
施設や病院でリハビリしていると、入所時や入院時のご様子と、ご自宅でのご様子がまるで違うことがよくあります。
施設の中ではとっても生活力ありそうな方が、家では何もしない、ベッドに寝たまま過ごす。逆に、施設では何もしないおとなしい方が、家では歩き回っていろいろごそごそとものを出したりしていたりします。
場所によって自分の役割について自覚や意識が変わって、行動も変わるんですよね。
それが自然です。
我が子達を見て実感しました。
55
2018年10月24日(水)
と言えば、私としては「コント55号」となるんですが、今時知ってる若い人どれだけいるんでしょうか。
坂上次郎さんは既に亡く、萩本欣一さんも現役大学生と意気軒昂ながら齢77と後期高齢者と考えると時代を感じてしまいます。
タイトルの「55」は先日誕生日を迎えた私の年です。
もう随分前から誕生日が待ち遠しいということはないのですが、この「55」だけは特別でした。
まぁ大した話しじゃないんですけど、これでおおよその映画館で¥1,100-で映画が観れるようになりました。50を過ぎてからは嫁さんと二人で行けば一人頭¥1,100-なんですけどね。
嫁さんが苦手な映画は1人で行くしかなくて、一人¥1,800-というのは月に2度3度と行きたい私としてはちょっと痛い出費になっていましたから、年食うことはあまりうれしくはないのですけど、料金が安くなることには素直に喜んでいます。
因みに「サザエさん」の磯野波平さんは齢54.の設定だそうです。
「55歳」で印象に残っているのは私が小学校6年時(昭和50年)の校長先生が確か55歳でした。夏休み明けの二学期の始業式で校長先生自身の戦争体験を聞かされた覚えがあります。戦争体験と言っても「空襲が」とかではなく「兵役」そのもののお話でした。
終戦のその日、先生は満州で最前線で撃ち合いをやっていたそうなんですが、終戦の報を聞いて、嬉しさのあまり大声で日本に帰れるぞと隣の戦友に声をかけたら、既に被弾して亡くなっていたそうです。
戦争で友達を亡くした悲しみと、生きて帰れた喜びを語る55歳と映画料金が安くなったと喜ぶ55歳…
我がことながら馬鹿丸出し。
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コスモス畑
2018年10月15日(月)
コスモス畑になりました。
大原の畑が、
台風にも負けず、コスモス畑になりました。
今日はちょっと天気が今一つでしたが、今朝とった写真を飾ってみました。
コスモス畑を歩くと雀が沢山飛び立っていきました。
雀の姿は隠れて見えませんが、
コスモス畑の地面ではたくさんの雀が種をついばんでいたんですね。
パット見ても見えなくっても、生き生きと活動している生き物がいっぱいいる。
そんな風景が大原ですね。
今日、この写真を飾ったら、「来月は何の花?」って利用者さんに尋ねられました。
さて、何の花でしょうかね。
花じゃなくて、紅葉かもしれませんね。
運動会が終わりました。
2018年10月11日(木)
我が家の運動会(小学校、保育園、町内)が先週末で全部終わりました。
筋肉痛も昨日で終わりました。
今日からいつも通りです。
町内の運動会は参加するほどに、自分の衰えを感じます。
今年は、おととしと同じ種目に出場したのに、
体のきつさが増しています。
なので、ケガだけはしないように気をつけたいと思います。
日常では、多少低下したと思ってはいましたが、
そこまでの衰えは感じていなかったのですが、
全力で動くことができる能力はかなり低下していました。
利用者さんの日常の能力が衰えないように、頑張る時間を作っているのもリハビリです。
そんなリハビリの裏返しですね。
自分は頑張る時間を作っていないから、能力が低下しているのですね。
そして、
日常が少し低下するってことは、
全力の能力は結構低下しているのですね。
リハビリって日常の+α程度だって思うこともあると思いますが、
それはそれでやっぱり大事なことだなって自分で実感です。
皆さんも
リハビリは「やっていない」のと、
「やっている」ではぜんぜん違いますよ。
ちょっと頑張って、
今の取り組み(リハビリ)を続けてくださいね。
秋、見つけましたか
2018年10月04日(木)
台風が毎週のように来ていますが、
秋も来ています。
大原ホームの玄関や、博寿苑横の畑にはコスモスが咲いています。
おおはら雅の郷では、葉っぱが赤くなったものが増えています。
天気が良い日に、ちょっと外歩きすると、気温以外にも季節の移り変わりを感じますね。
散歩は日常にできるリハビリです。
散歩をすれば、五感も使って、体も使って、心も動きます。
そのうえ、骨を強くするには欠かせない日光浴もできます。
季節の移り変わりを感じに外に出てみませんか?
最近は、気温が下がってきたので、
晩酌に冷たいビールより日本酒が増えつつある呑兵衛でした。
「恐怖の報酬」
2018年10月02日(火)
60年前のイブ・モンタン主演の映画は子供時代に都度々々テレビで見ていました。遠く500キロ離れた油田火災の消火の為にニトログリセリンが詰まったタンクローリー2台を男たちが運ぶと言う話です。
ご承知の方もいると思いますがニトログリセリンはわずかの量にわずかの衝撃でドカンとくることもある取り扱いが難しい液体の有機化合物です(狭心症発作時の薬として知ってる人の方が多いかな)。
それをタンク一杯に詰めた車を悪路の中500キロ向こうまで運ぶと言うんだから、手に汗握る展開の映画でした。
その不安定な爆発物の安定化の方法(ダイナマイトの製法)を発見したのがノーベルと聞いています。
私が子供時分に読んだ本によると、そもそもドラム缶から漏れたニトログリセリンが落ちていた珪藻土に染み込み、ちょっとの刺激でも爆発しないことを発見したことが莫大な資産を作るきっかけだったとか。
今年のノーベル医学生理学賞は嬉しいことに日本人の本庶先生でした。
ノーベルのダイナマイトの発見は偶然だったのかもしれませんが、本庶先生は何にでも疑問を持つことが研究・発見には大事とインタビューで答えていました。
確かに「何故?」ではなく「そんなもんだ」で済ませていては何事も進展しませんよね。ノーベルは運が良かっただけってこともないでしょうけど。
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伴天連の習慣よりも
2018年9月24日(月)
先日、イオンモールに行ってみたら、既にあちこちの店頭にはハロウィーン用の商品が並び始めていました。
クリスマスはなんとなく日本に定着しちゃった感がありますが、年のせいもあるのかあのハロウィーンというのは仮装してどうこうというのが馴染めないなぁと常々思っていたら、日本にもこんな習慣がありました。
名前からしてハロウィーンなんかよりずっとずっと風情があると思うのは私だけでしょうか。
いまでも一部の地域で残っている習慣だそうです。
今夜は中秋の名月。どこかで子どもが「お月見くださ~い」と言ってることでしょう。
病院の高齢の利用者さんの中でやったことないか、機会があれば聞いてみたいなと思っています。
ご無沙汰でした。
2018年9月21日(金)
別にそんなに忙しかったわけじゃないんですが、腰を落ち着けて文章が書けなかったと言うか(それを人は忙しいと言う)。
まだ9月ですけど、結構今年は関西でも自然災害が多かったですね。
地震、大雨、台風と結構忙しかったです。
台風の多い九州から越してきた私でさえ故郷でこんな経験ないわってくらい、すごい台風が京都に来ちゃいました。
この大原の地でも倒木が何十本とあり、病院での停電が1日近く続いたのも結構大変でした。
今年のように忘れないうちに次の災害が来たりすると、自ずと防災意識も高まるみたいでネットなんか覗いていると、未だに防災用品の品薄状態が続いているようです。
そんな状況の中でも進行するものは進行するので、学生の就活や病院の求人活動も地域によって滞りながらも全体としては進んでいくわけで。
ある地方のその養成校の説明会に行くのは今年で4回目なんでした。過去3回のうち、初回は各参加施設のブースの机の上にクレジットカードの申込書があり、「ご希望の方はあちらのブースで受け付けております」と案内を受けました。
一昨年は何の説明もなく、ブースを訪れた学生に名刺を渡すなと言われました。あまりの意外さと当然のように言われたので、理由を聞く事さえ出来ませんでした(てっきりトレンドかと思いました)。
昨年には名刺を渡すな云々に初めて説明があり、と言っても「事故があったから」の一言だけでした。
単純に考えるなら、施設側のリクルーターから受け取った名刺を学生が悪用した、と言うのが「事故」の内容だと思います。
仮にそのような「事故」があったとしても、だから名刺を渡すなではなく(施設側に何の落ち度もないので)、学生に受け取った名刺を悪用するなと徹底(?、教育?)した上で、やらかした学生には厳しい処分を課して、説明会は従来通りというのが普通だと思います。
それが出来ない学校ってどうなんだろうと思いつつの今年の説明会参加でしたが、今年は学生に名刺を渡すなという指示もなく、どこの養成校でも言われる注意事項として、個人情報保護の観点から、学生にしつこく個人情報を聞くなと言われただけでした。
ようやくこの学校もまともになってきたかと思ったのも束の間、説明会が始まって学生がブースを訪れた時に前よりひどくなっていることに気が付きました。
当院ではブースに学生が訪れたら、先に書いたように学生に名刺を渡して挨拶をするわけですが、同時に持参したノートに名前を記帳して貰うようにしています。その時も学生にノートを差し出して名前を書いてくれるようお願いしたのですが、「個人情報保護の問題から、名乗れないし書けません」とはっきり言われました。
これは決して世間知らずの学生が「個人情報保護」を勝手解釈して名乗らないということにしたのではありません。
何故なら彼らのスーツの左胸には本来名札があるべきところ「PT」「OT」と書いたシールが貼ってあるだけでしたから、学校側の指示あってのことでしょう。
なんかもういろいろ突っ込みどころがある話ですが、こんな学校と学生に期待しても仕方ないと、説明会は始まったばかりでしたが、席を立って帰ってもおかしくないと個人的には思いましたが、それは大人気がないと思いとどまった代わりに、アンケートにしっかり記名の上、名乗らないと言うの社会通例上ありえない、マナー違反ではないかと書きました。
その日から明日でまるまる2週間が経ちますが、学校側からは何の音沙汰もありません。
皆さんはどう思いますか?
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