表具
2016年12月22日(木)
先日、表具の講習会をOTスタッフ向けにしました。
表具と言っても、巻物、掛軸、屏風、襖、衝立、額、画帖などいろいろあるわけですが、私が教えられるのは例えば書道の作品のしわを伸ばして、新たな和紙を裏面に貼って(裏打ち)、巻物、掛軸、屏風、襖、衝立、額、画帖などの一歩手前までにする初っ端の部分だけで、額だけならベニヤと角材、千代紙と和紙テープを使って仕上げたこともあります。
要するに実際できるのは裏打ちだけなんですが、これが結構大変で、半紙1枚分くらいの作品なら何とか一人ででもできますが、これが紙のサイズ全紙(70×136.cm)とか、二☓八(ニハチ 60.6×242.4cm)とかの大作になると、最低でも2人は必要で、紙のサイズより一回り大きな化粧板が2枚は必要になります。
高校の授業で何気にやってみたらうまくいって、以来時折人から頼まれてやるようになりましたが、理学療法士になりたての頃はこんなことまで仕事に役立つとは考えてもいませんでした。
最近は印刻を再開しようかなと考えているこの頃です(趣味の写真に押印するオサレな奴が欲しいんです)。
次回私のブログは12/29です。
年越し準備
2016年12月15日(木)
この写真は、出勤途中で見た雪山の上の満月です。題して「払暁の月」とでもしませうか。
構図的にはつまんない写真ですが、朝、満月、雪山と3拍子はなかなかないだろうなと車を留めてパシャッとやってみました。
さて2016年(平成28年)も余すところ2週間ちょっとです。
皆さんは年越しの準備はいかがでせうか。
今朝出勤したら、机の上に450枚余りの年賀状がおいてあるの発見して、めまいがしました。
既に宛名書きも通信面も印刷済みですが、一言コメントを書き加えてたんですけど、ようやく200枚ほど出来ました。
大した作業でもないのにかなり疲れています(15:00)。
残りは明日することにします。
次回私のブログは12/22です。
風が吹けば
2016年12月12日(月)
12月12日⇒1(いい)2(じ)・1(いち)2(じ)⇒良い字一字
ということで漢字の日だそうです。
この漢字の日は、清水寺で今年の漢字が発表される日でもあります。
今年は何の字が書かれるのでしょうか?
「なる程」って思う年もあれば、「そうなの?」っていう年もありますが、
さて、今年は何でしょう。
この字が決まったから私の何かが変わるわけではないですが、決まるとなると気になりますね。
それに、漢字を見たら、その漢字を見たことで話題ができて、誰かと話す会話のネタになったりもします。
漢字を見たら、振り返って何か思い出すこともあるかもしれません。
意味がないようで、意味があるそんなこともあります。
帰ったらテレビつけてみましょう。
14時に発表されているはずです。
風が吹けば桶屋が儲かるかもね。
アンケート
2016年12月08日(木)
私は作家スティーブン・キングのファンですが、好きな小説の一つに「デッドゾーン」と言うのがあります。
サイコメトリー能力(まぁ千里眼ですね)を持った主人公が最後に世界を核戦争へ導こうとする大統領候補(キャラがね、誰かに似てるような気がするんですよね)を暗殺しようとする話なんですが、この話の中には何の解説もされていませんが、データに基づいた(解明はされていない)事実がいくつかあります。
①長期昏睡から覚醒した患者の中に幼少期に頭を強く打った経験のある者がかなりの割合でいる。
②銃を乱射して多数の死傷者を出した犯人は幼少期に頭を強く打った経験のある者がかなりの割合でいる。
③銃を乱射して多数の死傷者を出した犯人はかなりの割合で脳腫瘍がある。
小説にはありませんでしたが、後年科学雑誌で以上3つの事実があると言うことを知ったので、出典も細かい数字も覚えてなくて申し訳ないのですが、そもそもあの話はそういうことだったのかと納得した記憶があります。
前記3項の話を考えると全く笑えなくなりますが。
最近毎年のごとく銃の乱射事件が起きるアメリカでも犯人で美大生がいたと言う話は聞きません。
いずれにしても数字的にはそうだとしても、本当にそうかどうかはサンプル数が少ないと思います(長期昏睡からの覚醒患者にしても、乱射魔にしてもそうそういられたら困りますが)。
幼少期に頭を強く打つことなんてよくあることなんじゃないかなと思うんですが(私も階段から転げ落ちたことが記憶にあるだけで3回ほどあります)、一般大学生と美大生でのアンケート結果と言うことは、統計学的にも優位に差が出ていたんでしょうから、さらにサンプルを取っていくと科学的には理由はわからないけど「本当」と言うことになるんでしょうか。
私としては話自体も面白いのですが、アンケートの内容も気になるところです。
アンケートと言うのはある集団の中で共通項は何か、或いは非共通項は何かを探る手法の一つですが、質問項目によっては何もわからないし、ある程度見当をつけた質問にしても検討をどうつけるのかが重要です。
今回のアンケートには幼少期に強く頭を打ったかどうか。質問したわけなんでしょうけど、何故それを聞こうとしたのか、一般大学生と美大生と言う集団でそれを行ったと言うことは一部の心理学者の間では、なんとなく「美大生の中には頭を強く打っている学生が多いような気がする」と感じている人がいたはずですし、どうしてそう感じたのか、どういうエピソードがあったのかって物凄く気になりませんか?
明日はリハビリテーション部の忘年会です。
次回私のブログは12/15です。
ビールが認知症予防に有効!!
2016年12月02日(金)
ビールやノンアルコール飲料に含まれるホップ由来の苦み成分が認知症予防に有効だそうです。
コーヒーも健康に良いと様々なニュースで紹介されています。
私の嗜好品で唯一不健康なのは、タバコです。
タバコも健康に良かったら良いのになー。
使わなきゃ意味がない。
2016年12月01日(木)
写真は今日出勤途中で琵琶湖の水面にお天道様が写っていたので、車を止めて何気に撮ってみました。
撮ってみたらあんまりきれいじゃないですね。写真の腕もなかなか上達しませんorz。
さて師走です。
私は理学療法士ですし、リハビリテーション部のスタッフはあと作業療法士と、言語聴覚士ですから、走りません。
病院内でも医師や看護師、臨床検査技師や、放射線技師、薬剤師と言う人は走ります。
まぁ冗談はさておいて。
うちの息子中二です。好きな食べ物もいろいろあるようですが、日常の中で見ていると柿の種と茶漬けが好きらしいです。
今年新潟へ出張に行った折、空港の土産物店で「柿の種入り茶漬け」が目に入ったので息子のためにととりあえず一瓶買って帰りました。
息子は特に喜ぶでもなく(まぁ中二ですからね)、こちらもあとで感想でも聞けばいいやと思っていました。
その茶漬け食卓の上に置いてあったのですが、観察するに1回食べた後は、中身が減る様子もなかったので「あ、不味かったかな」と思いはしたんですが、一応念のために息子にどうだったか聞いてみました。
私が聞くと息子の顔が瞬時に曇ったので、答える前に「不味かったか?」とはっきり聞くと「美味しかった」との答え。じゃあこの塩対応はなんだと思えば、
美味しい→沢山食べたい→なくなる→悲しい→食べるの控えよう→食べたいのに食べられない→悲しい
だそうです。まぁなんと言うか「不幸のループ」と言っていいのかどうか。
嫁さんが食べなきゃ湿気って食べれなくなるよと言い、私もまた買ってくるからと言ったので、それからは「思い切って」食べてたようです。
馬鹿みたいな話ですけど、どれほど惜しいと言っても、食べなきゃ無駄になるわけで、こういう貧乏性なところはどっちに似たんですかね。
「まだ半分」か「もう半分」で言えば、息子は「もう半分」です。
時期が時期だけに、最近は学生の施設見学が増えてきています。同時に採用試験もぼちぼち行われるようになりました(うちは随時です)。
そんな学生に必ず聞くのが「何故うちなのか」。
彼らは一様に「先輩が沢山いるから」「色々な意見が聞けると思うから」「教育システムが充実しているから」と答えるわけです。
もう3~4年も前からですが、そういう風に聞いても「おぉそうか」とはとても思えず、「何にもわかってないよなぁ」というのが正直な感想です。
どれほど立派な先輩、上司、教育担当者がいようが、使わなければ意味がない。
使うというのは語弊があるのかもしれませんが、最も適切な言葉のように感じます。
使うと言うのは報連相をすると言うことです。報告・連絡・相談をすることによって、自分がやるべき正しい方法を先輩や上司から引き出す、それが正しい先輩上司の使い方です。
そもそも色々な意見が聞けるからと言いつつ、積極的に質問してくる奴なんて稀少です。
彼らにとって上司や先輩なんて、息子にとっての食べないお茶漬けみたいなもんです。眺めるだけでは駄目で」食べなきゃ意味がないように、報連相しなきゃ成長なんて覚束ない。学校とは違って教室で黙って座って口あけてたら先生が知識を披歴してくれるわけではないんです。
学校であれば学費さえ払えば、黙っててもいろいろと教えて貰えるんでしょうが、そもそも給料貰っておきながら教えて貰おうなんてぇのは厚かましいってもんです。
まぁ「即戦力」を謳いながら、「卒後教育をしっかりして貰わないと」なんて教員が言い出しすような学校だって結構あるわけですから、あまりと言うか当たり前の事さえ期待しちゃいけないのかもしれませんね。
ほんのちょっと前までは自分では何にも調べないで、「教えて、教えて」ばかりが目立っていたのですが、今じゃそれさえなくなってきてますからねぇ。
次回私のブログは12/8です。
いい女だな
2016年11月25日(金)
すみません。本当は昨日更新する予定でしたが、今日になっちゃいました。昨日の午後までは憶えてたんですけどね、なんやかやしていたら、きれいさっぱりブログのことは忘れていました。
かの国では、問題発言を繰り返す人が次期大統領になるとわかって、彼の影響を受けたかのような差別案件が頻発しているようです。
あっちはともかく。日本でも差別はないかと言えば、ないとは言い難く。ただ最近でこそヘイトスピーチなるものもありますが、どちらかと言えば陰にこもった感じの差別と言う印象です。
ここにネットで読んだ「あからさまな差別」(♯1、♯2)を紹介しますが、ここまであからさまだとかえって清々しく…などと書けば物議を醸すのは必定ですね。
高校生の頃、何度も繰り返し読んだ本の一つに高橋三千綱氏の「シスコで語ろう」があります。ベトナム戦争盛んなころ、サンフランシスコの大学へ遊学した際のエッセイなんですけど、彼はそこで一つの章を丸々費やしてアメリカの人種差別の様子を書き綴っています。彼は章の最後にサンフランシスコの街角でアイスクリームを食べている女性を見ながら、「皿洗いのおっさん」と交わした会話を紹介して、自分自身の思いもかけない差別意識の存在を吐露しています。
高橋 「中国人かな」
おっさん「いい女だな」
良くないと思いつつもこんな感じで自分自身の隠された差別意識が露わになることが私にもありそうです。
どうせ「おっさん」なら「いい女だな」と言える「おっさん」になりたいものです。
また時間がある時に病気と差別について書いてみたいと思います。
次回私のブログは12/1です。
主体は?
2016年11月17日(木)
ちょうど17年ほど前ですか、この時期にシンポジウムに駆り出されたことがあります。
当時も、今でも思い返すにシンポジストとしては大したこと全然喋れんかったなぁと言うのが正直な感想です。
そのシンポジウムの最後の質疑応答で、やたら喧嘩腰なおばさんが(どこの誰ともよくわかってるんですが)、「大原記念病院は患者を洗いざらい盗っていく云々(因みにここに書いてる通りに言われました)」
一瞬あっけにとられて、あまりの不穏な物言いに座長がすぐさま割って入って、反論する機会もなくシンポジウムは終わっちゃいました。
内の病院に限らず、いろんな場面で「(お客さんを、患者さんを)盗った、盗られた」と言う話を耳にしますが、これほど人を馬鹿にした言葉もないものです。「盗った」「盗られた」と言う言葉にはお客さんや患者さんの意志はまるでないものが如く、モノ扱いしている言葉だからです。
言うまでもないことですが、お客さんや患者さんは人間です。それぞれ一人一人に意志があり考えがあります。商品やサービスを変えると言うのはもともとの商品やサービスに不満があったり、より優れた商品やサービスに鞍替えしただけで、「盗った」のでもなければ「盗られた」のでもありません。
あえて言うなら
「逃げた」「逃げられた」でしょう。
「盗った」「盗られた」にはお客さんの意志はありませんが、「逃げた」「逃げられた」にはお客さんの意志があります。
最近2~3年目のスタッフと話していると、迷っているとよく聞きます。
何を迷うのかと言うと、患者さんの落ち着き先を「施設」にすべきなのか「自宅」にすべきなのか、どちらが妥当なのか、患者さんに問題は数あれど、一体どこから取り組むべきなのかとか。
インフォームド・コンセントと言う言葉があります。「説明した上での同意」というのが訳らしいのですが、医療関係者の中には勘違いしている人もいて、治療方針を決めて家族や患者さんに説明して同意を貰えばいいと考えているような話も聞きます。
本当は治療方針を決めるのは患者さんや家族と言うことを理解している人は意外と少ないんじゃないかなと思います。
医療の素人に方針なんか決められんじゃないかと言う方もいるでしょうけど、だからこそ病院には医師をはじめとして医療の専門家がいるのです。
医療者側は治療のオプション(選択肢)を提示して、それぞれのメリット、デメリットを示して、最終的に患者さんと家族でどの治療方針で行くのかを判断して貰う、というのが適切なインフォームド・コンセントと言えるでしょう。
意訳するなら「説明の上での選択」がいいような気がします。
時々目にする新聞や週刊誌での医療過誤の記事には患者さんや家族の側が「そんなデメリットは聞いてなかった」とか「そんな選択肢があるとは聞いてなかった」とか言うのが結構あるようです。そもそも説明がなかったってのも聞きますね、論外ですが。
多分誰かが
「あんたの治療方法はこれで行く。ええな」
そんな感じで言ってるんじゃないでしょうかね。
ちゃんとオプションとメリットデメリットを示せば、あとは患者さんや家族が選んでくれるんです。何も迷うことはないはずです(ちゃんと説明できるかどうか、理解していただけるかどうかが本来の肝です)。
次回私のブログは11/24です。
葛藤
2016年11月14日(月)
先日、第4子が我が家に生まれました。
子供達も妹が増えることでそれぞれ葛藤があるようです。
1番目のお兄ちゃんは、ただ「かわいい」って言ってます。
2番目のお姉ちゃんは「かわいい」と言いながらも、そう言わないとって、お姉ちゃんとして頑張ろうっていう気持ちが見えます。ちょっと気負って、時にくじけて情緒不安定になっています。
3番目の初めてお姉ちゃんになる娘は「・・・」見なかったことにしようとしているようで、まだ受け入れていません。いままでテレビなどで赤ちゃんが映ると「赤ちゃん」「かわいい」と言っていたのに...。
3番目の子の反応は、1番目のお兄ちゃんが、2番目のお姉ちゃんが産まれた時に近い反応です。その当時のお兄ちゃんも数日は産まれた妹を完全に無視していました。
それぞれ、役割を感じたり、期待を感じたり、自分のポジションを奪われたと感じたり、いろいろ感じて、
気持ちが昂ったり、落ち込んだり、混乱したりしているようです。
でも、ふと思ったのは私も含めスタッフたちも異動があるのですが、
その時感じることも、新人が入ってきて感じることも、
ここに通じる物があるなって思いました。
いろいろ感じて、時間と共に成長したり、人間関係を築いていくんですね。
いくつになっても、子供でも大人でも、
人間としての感情や行動、思考の基本は同じですよね。
本文とは関係ないですが、
「おおはら雅の郷」で今朝撮りました。
秋ですね。
最近の話題
2016年11月10日(木)
今朝出勤途中で道端でカメラを構えているオッチャンを見かけました。
視線の先を追ってみると山頂に雪が
私の記憶で行くとそれまでの初冠雪は11/23が最速だったので約2週間早まったことになりますね。
最近の話題はどれも面白いと思うのですが、私の場合過激になりそうな危惧があるので、表現に注意しつつ書いてみようと思います。
1最近見た映画
2出張中に出会った人
3欅坂46のナチ風制服の話
4昨日結果が出たアメリカ大統領選
2と3ははどちらも1の話題にちょっと関係あるんですが、映画のネタバレになりそうだから最後にするとして。
先月北九州に出張の時、夜の時間がとれたので高校の恩師に連絡を取って10数年ぶりにお会いしました。
久闊を叙してほろ酔い気分でホテルに戻り、エレベーターに乗ろうとしたところで思わず足が止まりました。年のころは80前後と思われるおじいさんが、エレベーターの真ん中で向かって左を向いて猫背気味に立っていました。
こちら向きに立っていたなら、ギョッとすることもなかったですが、横向いているってのがちょっと(これが向うに向いていたらもっと怖い)。
でエレベーターを降りる気配もないので、そのまま乗って私の部屋がある階まで行きました。
さて部屋に戻ったところで、お茶を買ってくるのを忘れていたと、もう一度自動販売機がある階まで行こうとエレベーターに乗ろうとしたところ、同じおじいさんが同じ姿勢でまだ乗ってましてん。
多分これは認知症だな、認知症に違いない、どこをどう間違ったか、ホテルに紛れ込んでしまったんだ。と決めつけてフロント階まで降りて(そのおじいさんは勿論おりませんでした)ホテルの人に知らせたのですが、戻った時にはエレベーターはもぬけの殻(フロントの前を通らないと外には出られない)。とにかく私は疲れていたので、あとはホテルの人に任せてさっさと寝ました(あとから思えば、手を引いてフロントまで行くべきだったのですが、サルの後知恵)。
あのおじいさんはどこに行ったのか。
小学生の頃、アウシュビッツ収容所ガス室と犠牲者のカラー写真が新聞の一面トップにフルカラー掲載されているのを見たことがあります(子ども心にもこんなもん新聞に載せていいのかと思ったことを覚えています)。
高校生の頃にはジャーナリストが実在のナチの犯罪人を追うと言うフレデリック・フォーサイスの「オデッサ・ファイル」を読んで戦争中にナチスのSS(親衛隊)と呼ばれる連中が収容所(アウシュビッツではなくリガでしたが)で具体的に何をしていたのか知ることが出来ました。(あの当時若かったので死に対する感受性が鈍かったので読めましたが、今は難しいかも)
時は下って20年前ほど今度は一介のアメリカの高校生がナチの戦犯と関わりを持ってしまうと言うスティーブン・キングの「ゴールデン・ボーイ」を読みました。
その小説の一節にこんなことが書いてありました。どの記事を読んでもあの当時ナチスが収容所でやっていたことは良くない、悪いことだとは書いてあるが、本当にそうなのか。そういう記事が書いてる雑誌の一方には広告で誰でもが手に入れられるように、ナチスのSSやSDの制服やその他関連商品が普通に通信販売で売られている。本当に悪い事なのか?
今回の件は担当者全員、歴史認識が甘かったと言うしかないと思いますが、サイモン・ウィーゼンタールセンターは咬みつきやすいところに咬みついたんだなと思えてなりません。
ナチス風制服を着ただけで悪いってんなら、SS制服そのものを売って商売にしている連中はもっと悪いはずなんですが、どこの国のどこの業者も御咎めなしのようです。皆さんはどう思います?
試に「SS制服」で検索かければ、たくさん売られていることがわかるはずですし、日本に限ったことではない話です。
さて大統領選です。読み違えた、逆転、隠れトランプがと予想に反した原因を色々と書かれていますが、それら要因を見極め、1年も前にトランプ当選と予想していた人もいる(キャスターの木村太郎さんらしいです)限り、「甘かった」と玄人も素人も言い訳せずに認めるしかないんでしょうね。
結果に不満の人もたくさんいるでしょうが、それが今のアメリカのシステムですし、民主主義のルールです。どうしても嫌ならシステムを変えるか、4年後に改選するしかないでしょう。
ここから映画の「手紙は憶えている」の話です。
ネタバレありですから、見たいと思っている人は飛ばしましょう。
次回私のブログは11/17です。