介護と介助
2016年7月07日(木)
七夕です。息子が小学校高学年になって以降、この手のイベントとはほぼ無縁ですが。
落語の小話
「お前の吊ってくれた棚だけどな。あれ、落ちたぞ」
「落ちた? そんなはずはねえんだが」
「いや、落ちたよ。ゆんべ。ストーンと」
「ストーンって……お前、何か乗せやしなかったか?」
何故この小話かと言うと、先日テスラの自動運転の車が初めての死亡事故を起こしたとニュースになっていました(web pdf)。
テスラ社のコメントとして「運転⼿は常に警戒が求められる」とありました。
「お前の勧めてくれた自動運転の車な。あれ事故ったぞ」
「事故った?そんなはずはねえんだが」
「いや、事故ったよ。ドカーンと」
「ドカーンって……お前、本当に自動運転にしてたのか?」
まぁ小話としてはちょっとおかしなところもありますが、こういうことじゃないのかなと思います。
メーカーとしては、生身だけの運転より自動運転のサポートがあった方が事故率が下がると言いたいんでしょう。
常に警戒しているのは同じだが、自動運転のサポートがあった方が楽なはずと言うのもあるのかもしれません。
記事の最後には
>通常運転時、半自動運転時にかかわらず
>「きちんとハンドルを握り、前後左右を確認して、前方の車に近づいたら減速する」
>という、ドライバーにとってあたりまえのことだけです。
だったら自動運転なんか「言うな」「創るな」「載せるな」と思うのは私だけでしょうか。
なんだかせっかくの水着が濡れるから、水には入らないと言ってるようなもんだとも思える馬鹿馬鹿しさです。
私からすれば常に警戒が必要なら同じだけしんどいのではないかと思います。
当リハビリテーション部のリハの目的の第二は「介護負担の軽減」です。
残念ながらそれをよく理解していないスタッフもいます。
介護負担軽減=介助量軽減
と誤解しているようです。
例えばトイレ動作全介助の患者さんをリハビリ頑張って、見守りは必要だけどトイレ動作自立にまで向上させたとします。
間違いなく介助量軽減にはなると思いますが介護負担の軽減になるかと言うとどうでしょう。
トイレ動作を見守るだけで手伝わなくていいと言うのは、介助量(運動量)の削減です。肉体にかかる物理的な負担は確かに減りました。
でも、手伝おうが見守るだけだろうが、被介護者がトイレ動作を完全に自立できない限り、介護者がトイレ動作のために被介護者のそばに拘束されているのは同じです。30分や1時間、どうかすれば2~3時間は家を留守にすることも可能かもしれません。でも朝から夕方まで出かけることはできません。たとえ見守るだけでも家にいなければならないと言うのは、介護する側にとってはかなりの負担です。在宅中は家事をすればいいなどと言う考えもありましょうが、掃除をしていようが、調理中であろうが、入浴していようが、昼寝をしていようが、一たび排泄となればすべてを中断して立ち会わなくてはなりません。
介助量は減っても、介護負担は減っていないと言うことです。
介護負担の軽減とは出来るだけ介護者が介助のために拘束される時間を減らすことだと私は考えます。
次回私のブログは7/14です。
本日、ちゃんこ鍋交流会(^_^)v
2016年6月25日(土)
本日、力士の方が複数名で当院に来院されちゃんこ鍋交流会が開催されました。
このイベントにリハビリも便乗して特別企画「手打ちうどん訓練」を企画しました。
これからも色々とアクティビティー訓練を企画していきます。乞ご期待!!
嫌いですけど
2016年6月02日(木)
今日もまた日帰りですけど外回りです。
ですからこれは予定投稿になります。
時事ネタで行くと、都知事さん残念なことになってしまいました。
彼の知事の発言がいろんなメディアや世間話で論評されていますが、とても嫌いな人なんですけどあるコメンテーターの一言が私としては一番しっくりきました。
「都民を捨てて、保身を図った」
うんうん、だよね。本当にいろいろ言われてますけど、私としてはそういうことなんだなと納得しました(言ってる人は嫌いなんですけどね)。
保身が駄目と言うわけじゃないんですけど、政治家が捨身じゃなくて保身第一で務まるかって話です。
次回私のブログは6/9なんですけど、この日がまた京都で学会がある日で、勉強嫌いの私が珍しくも参加する予定だったりして…
腰の据わったブログは再来週あたりになりそうです。
暑くなってきました
2016年5月26日(木)
本日は北陸へ出張です。
先日のニュースでは今年はかなりの暑さになるとか。
毎年暑い夏に思うことですが、毎日どれほど暑くても夕方に夕立の一つでも来てくれれば、快適なんですけどね。
最近は夕立と言うか、人死にが出るほどの集中豪雨で洒落になりません。
日本は亜熱帯と言うか、気候が以前に比べて随分と「激しく」なったように感じます。
季節の変わり目の寒暖の差も以前より極端な感じです。
以前のような「穏やかな」気候は帰ってこないのでしょうか。
年のせいか適応するのも一苦労です。
次回私のブログは6/2です。
変わらないなぁ
2016年3月24日(木)
諦めたら駄目なんですけどね、変わらないなぁと感じる時がままあります。
私が30前後の時です。
新聞に大阪で中学生の女の子が衰弱死したと記事にありました。
20数年前と言っても世紀末の豊かな時代です。当時虐待やDVと言った言葉も一般的ではなかった時代に中学生が衰弱死ですから、思わず注意を惹かれました。
読んでみればその中学生の子は障害者の父親と介護が必要な祖父との3人暮らし。
日夜父親と祖父の世話に明け暮れて、衰弱死したと言うことでした。
福祉事務所のコメントは「数か月前と同様、中学生の衰弱が著しいので数日中にも中学生を入院させる手はずを整えていたところ(要するに一度入院している)」
中学生が通っていた学校のコメントは「頻繁に担任が家庭訪問して登校するように促していた」
齢30にして公務員や役所がどういうものか初めて実感した時だったと思います。
当時私にとってはとても衝撃的な出来事だったので、新人教育の題材に選びました。
21、2の世間知らずのセラピストたちにどうすべきだったか聞きました。
「根本問題が解決できていないのに、登校しろと言って登校できるわけがない」
「そもそも中学生がそうなる前に、父親や祖父を施設に入所させるのが先ではないのか」
という至極真っ当な意見が出ました。
そう出来なかった理由とは何でしょうか。少なくとも当事者の言い訳からは、そう出来なかった理由があるとは到底思えません(ちゃんと思考できる人はあんな突っ込みどころ満載の言い訳なんてしません)。
先に紹介した中学生2人の自殺の話とはそれぞれ場所も時代も人も役所も異なるわけですが、共通するのは…。
あれは他所の事、自分のところの事じゃないと誰もが考えてる限り、何も変わらないんじゃないかと思えます。
次回私のブログは3/31です。
ここのところ
2016年2月25日(木)
毎週土曜日が何かしら仕事が入ったり、私用が入ったりで朝寝が出来ていません。
私の場合朝寝と言っても、遅くても7時半には起きだすので、本格的朝寝をしている人には早起きかもしれませんが。
先月末土曜日嫁さんが引っ越し当時からお世話になっていたご近所の奥さんのご主人が亡くなられたと聞き、告別式に行ってまいりました。
昨年GW明けに顔を合わせて以来、見かけないなぁと思っていたら、7月以来大阪の病院で闘病中だったそうです。
奥さんの顔も見かけないなと思っていたら、こちらも千葉の病院で療養中でした。
何故千葉と大阪?と思ったら、千葉は息子さんの在所、大阪は娘さんの在所でした。
先週奥さんもようやく退院し帰宅されました。
仕事帰りに奥さんの家の明かりがついているのを見ながら、80を過ぎての突然の一人暮らしは寂しいだろうなと感じています。
娘さんも同じ関西ではありますが、いざとなると2時間以上はかかるので、持病もあるので不安なことと推測します。
実は月曜日父が長年住んだ町を出て、80キロを移動して妹のいる町へ引っ越しました。
頭も呆けてないし、まだまだ元気ですが昨年腰を痛めてから、何かと不自由しているようだったので、渋る父を説得して引っ越しさせました。
慣れない町で何をこれからやらせるかと言う課題はありますが、これでちょっと安心です。
次回私のブログは3/3ひな祭りです。
少子高齢化
2016年2月18日(木)
余りにもつまらないタイトルですね。
今週は予告した通りこの記事について。
一昨日、老人ホームで介護職員が老人を投げ殺したと逮捕されたこともあって、介護と殺人について書くつもりではありません。
加害者と被害者のバックグラウンドにちょっと興味を惹かれました。
要するに養子と養親の間なのですが、養親と言っても実の祖父母です。
後日の報道がほとんどなかったので、詳細はわからないまま、愛読の週刊誌でも後追いがなかったのですが、要するに実の母が息子を実の祖父母のもとへ養子に出して面倒を見させていた、と言うことでしょうか。
それぞれ家族にそれぞれの事情があるわけですから、それが良いとも悪いとも簡単には言えません。
ただつい最近も身近なところで、実家の祖父母が体調悪いので仕事をやめて田舎に帰り、祖父母の田畑を耕す云々と言う話を耳にしました。それはいいとしてもその祖父母の実の子供たる両親は何しているのかと聞けば、母は同居で父親は地方へ出稼ぎとか。
この話にもどのような事情があるかもわかりませんから、一概に良し悪しを言えるものでもありません。
現役世代の親御さんに問いたいのですが、将来自分の息子、娘にぶら下がりたいですか?子供の将来を自分の都合で変えさせたいですか?
長男だから、跡取りだからと実家に縛り付けるのが当然ですか(物凄い反論や炎上も覚悟ですが、ここは別の機会に私の考えを)?
少なくとも自分のことはともかく、子供の将来を潰したいと考える人はいないものと思います。
色々な事情があって、わが子に縋らなければならないこともあると承知しています。
大事なことは子供に頼らないですむようにどれだけ考えて努力しているのか。
以前に教育とは親の庇護を必要としなくても一人で生きていけることとしました。
遅くとも大学卒業後は援助がなくとも生活できなければならないし、親の援助を期待しないと同時に親への援助もしないが理想かなと思います。
先にも書きましたが、それは理想であって様々なな理由で出来ないことがあることも当然でしょう。
ですが「当然」のように子に縋ろうとするのは違うと思います。
赤穂の話でも自分の息子に我が親の面倒を見させるのではなく、まず自分が親の面倒を見るべきではなかったか。安易に息子を養子に出して給料のほとんどを養親の生活と介護の費用にあてさせるのが平気だった(のはずはないと願っています)のでしょうか。勿論自分自身が病弱で無理など事情があったかもしれません(かといってわが子を養子でと言う解決法以外にあったとは思うのですが)。
あるいは祖父母の田畑を代わりにと言う話も、まずは出稼ぎの父親(息子)がどうかするべきで、とりあえず仕事を辞めさせずとも息子同様孫にも仕送りをお願いすると言うことでもよかったはずです。
一足飛びに仕事辞めて祖父母の面倒見て田畑見ろと言うのは、何か我が子を所有物にみているようで釈然としません。
少子高齢化は社会の担い手(働き手)が減ると言うだけではなく、当然のように我が子に頼れない時代でもあるわけです。
現役親世代は今から備えておかないと子供の将来が暗いものになりかねません。
次回私のブログは2/25です。
お~そうかぁ~「考える人」
2016年2月13日(土)
著名なフランスの彫刻家ロダン(1840~1917年)の彫刻「考える人」は皆さんご存知ですよね。洋式トイレで「考える人」と同じような前傾姿勢をとると、排便しやすくなるという記事がありましたね。直腸が真っすぐになり、肛門から便が出やすくなるんですよね。
ヤバいのは
2016年1月28日(木)
一応アイドルグループの独立騒動は沈静化したようですが、雑誌でどなたかのコメントに「アメリカのショービジネスではありえない事態」とありました。
そもそもアメリカでは芸能事務所に属するということがなく、俳優であれ、コメディアンであれ、歌手であれそれぞれが自分で自分をプロデュースしてキャリアアップを図っていくのが普通なんだそうです。その為それぞれが個人でマネージャーやエージェント(仕事を取ってくる)を雇っているそうです。これは駆け出しのタレントでも普通の事だそうです(成功報酬なので可能)。
それを聞いていて、映画監督の園子温さんのコメントを思い出しました。
「日本の役者はちょっとヤバいかもしれない」
なんでもハリウッドでオーディションをすると、全員監督の過去の作品を観てから来るそうですが、日本では誰も勉強してこないとか。
園さん、役者だけですか?
オーディションと言えば、役者さんの就活ですよね。
セラピストの場合、9割超の学生は就職希望の施設の資料もホームページも目を通していないようです。
「最近の若い奴は…」と言う向きもあるかもしれませんが、そうじゃないんです。
私の知る範囲ですが、30代40代の社会人経験ある学生でさえ、資料に全く目を通していない人の方が多いです。
気になるのは一般大学の学生の就活ではそのような傾向はあまり見られないと、伝え聞いていることです。
資格さえ持って選ばなければあぶれることもなく、「失敗した!」と思って1年も満たないうちに辞めたとしても、次があるような状況じゃ、一般学生と同様に就活に取り組めと言っても難しいのはわかりますが。
ある程度生活が保障されているというか、仕事が保障されているとそうなりがちなんでしょう。
能力次第のタレントさんでも事務所に属して給与制なら意気込みが違ってきます。
ただどうかすると3年次から就活が始まる一般大学生に比較して、就活をあまりしなくていい分卒業ギリギリまで勉強している点はいいですね(最終学年の2月に国家試験があるという理由なだけですが)。
次回私のブログは2/4です。
年末年始に
2016年1月07日(木)
3日連荘でブログを書いたので、勢いが落ちています。
ネタはあるんですけど。
①伊坂幸太郎原作短編映画「ポテチ」
②牛タンの話
③某国立大学医学部神経内科学教授の話
この3つで一つの話をまとめるつもりでしたが、あまりの大作になりそうなので(ブログらしからぬ)、断念しそうです。
①はそれだけの話では何が何やらわからないでしょうし、
②はリンクを張りますので読んでみてください。これがマジなのか、釣りなのかよくわかりませんが、本筋とは関係ありませんが、知らないことは恥ずかしいということを実感しました(この場合若いは言い訳になりません。それを言い訳にするならもっと謙虚であるべきでしょう)。
で①、②を思いっきり端折って、③ですが
2年ほど前に某国立大学の神経内科学の教授が当院を訪問されました。院長から仰せつかり、リハ訓練室を私がご案内しました。
先生はパーキンソン氏病がご専門と聞いていました。
先生「最近思うんですけど、パーキンソン氏病患者はとても疲れやすい印象を受けますが」
私 「え?先生、数は少ないし、今はどうか知りませんが、文献には易疲労性(要するに疲れ易い)と書いてありましたが」
先生「え?そうなの?」
問題はその先生が知らなかったということではありません。
それどころかどのような病気であれ「易疲労性」に気が付くというのは、診察室で患者を診ているだけではなかなか気が付かないことです。医師自身が患者の1人1人の1日の生活と言う視点で熱心に診ようとしないとわからないことだと思います。
私が理学療法士になった頃でさえ、パーキンソン病の特性に「易疲労性」と書いてある文献は少なかったように思います。最近は勉強不足なのでどういう記載があるのは不明ですが、少なくとも国立大学の教授でさえ知らないわけですから、ほとんど書かれていないと推測されます。
問題は私がお相手したような先生が本を書かれるならまだしも、熱心に患者を診ていないと思われるような人が本を書いているということです。だから「易疲労性」というリハビリテーションにはとても重要な情報が抜け落ちているような気がします。
そもそも私のような勉強嫌いで怠け者の人間がどうこう言える話ではありませんが、勉強熱心なのはともかく、ろくに患者を診ていないような人間が本を書くと、大事な情報がどんどん抜け落ちると思うのは私だけでしょうか。
次回私のブログは1/14です。