京都大原記念病院グループリハビリスタッフのあんなことこんなこと

こんなこと

土井

楽しい仕事

2012年12月16日(日)

先日、TVを見ていて、

就職活動でいい会社を選ぶ見極め方・・・というのをやっていました。

(そういえば、2014年度採用分の就職活動が解禁になりましたね)

その中に「勤めている人が楽しそう・・・」という項目がありました。

理由は、経営者や上司や先輩が、良い環境を作っているから、ともあるようですが・・・

でも、この意味って難しいように思いませんか?

自分にとって、楽しい仕事を探しても、全てを満たすものはないでしょう。

外から楽しそうな仕事に見えても、楽しいことばかりではないでしょう。

楽しそうに仕事してるからって、楽しい仕事とは限らないでしょう。

いくら人が楽しそうでも、自分が楽しいとは限らないでしょう。

そもそも、全員が楽しいと感じることなんてないでしょう。

会社も、その仕事を楽しいと全く感じないような人は採用したくないでしょう。

 

仕事は楽しいものではなく、楽しむもの。

仕事を楽しめる人は、仕事を楽しむすべを知っている。

(当然、向き・不向きはありますが・・・)

敵すら出てこない、思い通りになる、すぐに答えがわかる、答えが見れる・・・

そんなテレビゲームや推理小説やクイズやパズルは、楽しい?夢中になれる?

そんなことと同じことではないでしょうか?

 

以前、地元の大きな進学塾で教えていたことがあるのですが、

それほど努力せずに下位クラスで低迷していたのに、

一度ちょっとした優秀賞をとったことをきっかけに上位クラスに駆け上がっていく姿

逆に、努力も実力もきっかけもあったにも関わらず、

クラスが上がったり下がったりを繰り返すなど実力を十分に発揮できない姿

のどちらかをよく見かけました。

その姿をよく見てみると、ちょっとした傾向があったと感じました。

「勉強というか、状況というか、結果とういうか、そういうものを楽しんでいる」

そういう状況にある姿には勢いがあり、個性や能力が光っている。

逆に、楽しめない人には、それほどの勢いも余裕も感じられない。

 

環境や思い、努力やチャンスなど、人それぞれ、いろいろあるけれども、

どんなことでも、「自分が楽しめるかどうかが大事」だと思います。

そして、私たちの仕事はいろいろあるけれど、楽しい仕事だと思っています。

当グループに勤めるなら、一緒に楽しみながらやっていきましょう。

どんなこと

土井

これさえやれば・・・

2012年11月08日(木)

結構前になりますが、私が就職した頃、

「リハビリの先生になおしてもらう」と表現される方がほとんどでした。

しかしながら、リハビリテーションの効果を左右することとして、

「患者さんが質・量あわせてどれだけトレーニングしたか?」

ということが核心的な要素となります。

つまり、

「なおしてもらうもの」のではなく、「やって身につけるもの」なのです。

なので、

「運動や歌、勉強などと同じように、自分で積極的にやらないと上達しないですよ」

「でも、そこは上手いことできまへんか?」

「私たちが動くだけで上達するなら、みんな甲子園や東大・京大にいけるようになっちゃう」

「ほんまやな~(笑)」

なんて、すこしでも理解してリハビリしていただけるよう会話していました。

 

昨今、一般的にリハビリテーションが知られるようになり、

「リハビリテーションはがんばってしないといけない」という意識が広がり、

現役世代を中心に、積極的な方が増えてきています。

また、インターネットやテレビ、書籍など、情報があふれる時代でもあり、

「私はこの方法だけやって、ここが治ったらそれでいいから、それだけやってくれ」

「私はこれをやってもらいに来たんだから、これをずーっとやって欲しい」

というご依頼を頂くことも増えてきました。

 

これだけやっていたら・・・って、

たしかに、世の中には○○汁や○○エキス・・・など、それを謳った商品も溢れていますね。

でも、

一般的には、集中的・専門的リハビリテーションを必要とする人では、

「一つだけ悪くてそこだけ治せば解決する」という人は、かなり稀なケースです。

ちょっとした捻挫で足を1週間引きずると、

治ってもその引きずり癖が残ることもあるぐらいですし、まずいないかもしれません。

 

このリハビリさえやれば・・・・は、

「素振りさえやっていれば、レギュラーになれる」とか、

「シュート練習さえすれば、ハットトリックができる」とか、

「時間とお金を費やせば、一流になれる」とか、

そんなことと同じような、そんな感じです。

また、病気や怪我をするということは、

「割に上手かった野球やサッカーなどが下手になり、苦手と思うようになった」

という感じで理解していただいても間違いではありません。

 

苦手だけれども、上手くなりたいし、上手くならないといけない・・・

そのためには、好きなことも、嫌いなことも、やっていこう・・・

そんなイメージで、リハビリテーションに取り組んでいただければと思います。

そんなこと

土井

どっちもどっち

2012年10月13日(土)

最近気になっているやり取りがあります。

①「(客観的に知りえる状況にあったとしても)知らなかったので、こんな結果になりました」

②「知っていたけれども、大丈夫だと思ったんだけれども、こんな結果になりました」

③「知っていたけれども、片目つぶっていたら、こんな結果になりました」

④「知っていたし、ちゃんとしていたはずだけれども、こんな結果になりました」

そんなときに、「○○だから、次はちゃんとやってね」という状況がよくありますが、

状況的には、①④はそれほど悪い印象ではなく、③はコラッという感じですね。

それでも、お話をした後、どれくらい気をつけられるのかには結構差があるように感じます。

 

というのも、

①では、悪気がなく、「次は気をつけます」ってなることが多いのですが、

そんな傾向の人では、毎度毎度同じようなことが起こっているようです。

②では、悪気が無かったが、多少責任は感じて反省しているんだけれども、

そんな判断が正確になるかというと、対して変わらない状況が起こっているようです。

③では、一番悪気があるように感じますが、

その人の気質は変わらないものの、それなりに改善はあるようです。

④でも、①と同じように悪気はないので、「次はさらに徹底します」ということになるのですが、

そんなに変化していないようです。

 

そもそも、

①知ろうともしないこと、問題に気づかないこと

②情報が不十分なことも含め、誤った判断をしたこと

③解決しようとしなかったこと、さほど問題に感じていなかったこと

④やっているつもりだけれども、やりもらしたこと

でしかなく、結果が同じであれば、同じ程度の問題点として扱うべきでしょう。

 

知らなかったとか、未熟だったとか、やったつもり・・・とか、

「仕方が無かったこと」のような気がする理由かもしれませんが、

ちゃんと原因と解決方法を見つけないと、同じことを繰り返してしまうのでしょうね。

へんなこと

土井

やってみて気づくこと

2012年8月19日(日)

約1年ほど前、出かけた先で妻と2人で食事を食べたときのこと。

どうしても、お肉腹であった私は、ステーキコースを食べました。

何年もナイフフォークで食べるような食事をしていなかったので、

「久しぶりやね」といいながら、

前菜やスープを食べはじめたまでは良かったのですが・・・

 

お肉とライスを食べはじめると、

どうも左手のフォークで口に運ぶ動作がやりにくい。

「なんか食べにくくない、このフォーク」と聞くと

「そう?」

「よく見ると、おしゃれな形やし、この微妙なカーブのせいかな?」

「手に馴染まないのかもね」

なんて話していました。

食べ進めると、

フォークの背にライスをのせるまでは良いのですが、

ライスを口に運ぼうとすると、落としてしまう。

かなり意識しないと、口に運べないのは・・・久しぶりやからか!?

 

と思っているうちに、

次第に左手に入る力が強くなってきて、手に違和感が出てきた

これって・・・・

ここでようやく、なんで食べにくいのかに合点が行きました。

数年前の脳梗塞(とっても軽い部類ですが)の影響だと。

病気の後、しばらくの間、何をするにも感じていた違和感でした。

発症後、

職業柄、どういう風にしたらうまく使えるようになるかを細かく考えて、

工夫やトレーニングをしていたので、

利き手ではない左手でも、さほど困らないくらいには問題をつぶしたつもりでしたが、

ナイフとフォークで食べる食事が、特別な手の動かし方だなんて、考えても無かったのです。

それに、ナイフとフォークで食べるのに必要な動作の中には、

「その手の使い方をさせないようにリハビリする」と教えられた動きがありました。

 

どんなことでも、実際やってみないとわからない・・・は正直な感想です。

トレーニングしてからリベンジしましたが、ちゃんと快適に食べられました。

快適に食べられると、よりいっそう美味しくいただけるのは不思議ですね。

 

しかし、箸を使う動作も難しいけど、ナイフとフォークやるな・・・

こんなこと

橋本

家に帰る その2(あるいは、だいじなこと その3)

2012年6月07日(木)

今回私のブログは通算40回です。月平均6回の書き込みはネタ探しに大変かと思っていましたが、大変なのはネタではなくどう表現するかというところでした。書きたいこと言いたいことは明確なのですが、誤解のないように説明にこだわれば冗長になるし、簡略に過ぎると何が言いたいのかわからなくなるし…。今までに途中まで書いてうまくまとめられずにお蔵入りさせている話題がいくつもあります。私の中では書きたいことははっきりしているのですが、まとめられないというのは「時期ではない」という事かと今は仕舞っています。そういう話題もいずれ日の目を見ることもあるでしょう。

 

前回は家に帰るのが難しい患者さんについて書いてみました。

今回は患者さんの障害の程度も軽く、ご家族の受け入れも良く、在宅生活の準備さえ整えばすんなり帰れそうな(帰れた)場合について書いてみます。

 

時々スタッフからの症例報告で「試験外泊の結果、ご家族が(介護を)頑張って何とか在宅復帰いけそうです」と聞くことがたまにあります。患者さんの帰宅には前向きでも、介護に不安を感じていたご家族も、退院前の外泊でやっていけることがわかったと。

スタッフだけでなく患者さん本人もご家族も、数ヶ月の試行錯誤の末の自宅退院目前ですから、試験外泊がうまくいったと思うのも無理からぬところです。

ご家族が介護を「頑張って」というところに私は不安を感じます。介護というのは専業主婦の家事と一緒で休みがありません。介護の程度にもよりますが場合によっては1日24時間、1週7日間、1ヶ月30日、1年365日介護を続けなければなりません。たった一晩「頑張った」からその後の在宅生活を送れると考えるのは早計でしょう。 (さらに…)

こんなこと

土井

ひとそれぞれ

2012年5月31日(木)

「ひとそれぞれ」・・・・当たり前のことです。

たとえば、

体質っていろいろありますよね。

冷え性の人、疲れやすい人、酒に弱い人、おなかの弱い人・・・・

ほかにも、

プラスもマイナスも影響でやすい人、なんだかんだで影響でない人・・・

ひとそれぞれ。

そんなことも、

そもそも遺伝的側面もあれば、日々の生活習慣によっても違いがあるし、

性格や気質だって関係しているものです。

なので、

今の自分の体質を良くしたい・・・と願っても、

食事から入る方が良い人や運動を考える方が良い人もいるでしょうし、

サプリメント程度で良い人だって、一言でサプリメントと言ってもいっぱいあるし、

ストレス発散する楽しみが必要なこともあるし、

・・・合うものの種類は、さまざまではないでしょうか?

なので、

「効果があると聞いたもの」「人のおすすめ」が

「私にあったもの」である保証は何も無いのです。

 

体質ですらそんな調子ですから、

病気や怪我によってリハビリを必要とするような状態の場合には、

どの方法が「私にあったリハビリ」かは、さらにシビアな違いがあります。

 

しかしながら、昨今のいわゆるリハビリの期限の問題も含め、

全てのリハビリの選択肢を試すほどの期間的余裕はありません。

このため、医師およびリハビリスタッフによって、

その人の病気や怪我の状態に加え、発症からの期間、個人の特性、環境などを考慮し、

実現可能な目標にむけて、その方法は選ばれています。

 

例えば、最近新聞で見たリハビリをやりたい・・・といっても、

(病気や怪我がその方法とマッチしていることは大前提ですが)

個人の気質として、

文系?理系?体育会系?芸術系?

がむしゃらな人?後ろ向きな人?他力本願な人?冷静な人?

運動が好き?理屈が好き?

理解から入る?形から入る?まずやってみる?

教えてもらうのが好き?教わるのか嫌い?

なんていうことがあると思いますが、

それによって、合う合わないということすらあります。

また、

どのリハビリ法にも

より大きな効果を出せるストライクゾーン(病気/時期/個人特性)がありますし、

「これさえやっていれば全てがうまくいく」という方法は存在しないため

今いちばん優先すべきことがその方法であるかどうかということも重要です。

 

当院でも、「○○をやりたい」とか「○○ってやって頂くことできますか?」という

お問い合わせをいただくことが多くありますが、

○○がその人のリハビリとして適正かどうかについては、

医師の診断によるところとなります。

また、

世の中に様々なリハビリ法があり、効果や対象も様々ですので、

当院の方針として、

偏ったリハビリ法に特化し、主たるリハビリとして提供するということは行っておらず、

ケースによって必要なものを検討しながら、

「今後の生活を立てるために必要なリハビリ」を提供しております。

 

「なんとしても自宅での生活を実現したい」

という方のお力になることが出来ればと日々リハビリに取り組んでおります。

へんなこと

橋本

恩師の言葉 その1

2012年5月30日(水)

速報!!

本日グループ老人保健施設「雅の郷」にて「京都地検の女」ロケがあります。見学は無理ですけど、後日放送日が決まればまたお知らせします。

 

今からちょうど30年前、理学療法の学生になったばかりの頃、確かリハビリテーションの総論か概論の講義だったと思うのですが、M先生がこう言いました。

「巷の病院ではリハビリテーションをやって歩けるようになったけど、立ち上がれない患者が沢山いる」

教室は笑いに包まれたのですが、学生といえども成り立てで、考え方は一般の人たちとなんら変わらない私たちにはその異常さは理解できました。何故歩けるのに立てないのか?(似たような話で、立ち上がれるし歩けるけど、寝返りができないという笑い話もあります。笑い話といっても実話ですが)

最近は学業?が進むにつれ、それをおかしいと思うセラピストは減っていくようで、卒業時にはかなりのセラピストが歩けても立ち上がれないことに何にも感じなくなるようです。

 

小難しい理屈を捏ね回して、歩けても立てない理由を説明するセラピストもいますが、そういうケースのほとんどの場合患者さんが「立てない」のではなく、セラピストが患者さんを「立たせられない」のだと私は理解しています。

それも基本的な知識がもともとない事と、その基本的な知識の必要性を認識していないからです。 (さらに…)

そんなこと

橋本

だいじなこと(その2)

2012年5月11日(金)

医師の仕事にとって一番大事なことは「診断」と若かりし頃聞きました。治療法と言うのは日進月歩の医療においてもある程度画一化されているものだから、診断(病名確定)さえすれば、匙加減は必要にしてもマニュアルに沿って治療していけばいいのだそうです。

ですが「診断」を誤ると当然せっかくの治療法も効果があるどころか、害になる可能性さえあるのですから、何より「診断」が大事と言うのも頷ける話です。

 

さて理学療法士、作業療法士や言語聴覚士等のセラピストの場合はどうか。

医師の言うところの「診断」に見合うセラピストの言葉は「評価」と言います。「診断」は病名の確定ですが、「評価」は身体状況(身体障害)の把握にとどまりません。何故なら医師は病名を確定し病気を治すなり、命を助けるのが目的ですが、セラピストの場合は障害を治すのが第一の目的ではなく、家庭復帰や職場復帰などの社会復帰が一番の目的です。

ですから、「評価」は患者さん(利用者)の身体状況だけでなく、これまでの生活状況や家族状況、就業状況等(簡単に書いていますが、結構沢山確認する必要があるんです)の社会的背景までも把握する必要があります。

その上で身体機能、能力や社会的能力における問題点を抽出し、解決策(プログラム:医師で言えば治療法となるんでしょうか)と目的(大雑把に言えば家に帰るとか、職場復帰するとか)を策定するまでが「評価」です。

そして「評価」を元に「訓練」(医師言うところの治療)をしていくのが、私たちの仕事です。 (さらに…)

へんなこと

土井

なおる

2012年4月24日(火)

日々、患者・利用者さんと接する仕事をさせていただく中で、

「なおる」という言葉を使っておられる場面に多く出会います。

 

この「なおる」ですが、体をなおす意味では、「治る」と書きます

私の手元にある辞書で「治」という漢字単体の意味を引くと、

「乱れたものに手を加え、秩序をもたらすこと」ということが原義だそうで、

政治や治水など暴れる何かを押さえ込むような意味合いに使われます。

なので、本来の病を治すという言葉は、

乱れた心身に、医療や休養という手を加え、秩序ある状態にするということになります。

(ということは、勝手に体調がなおったとき、治ったと書いてはいけないのかもしれませんね)

一方、

同音異義語で、「直る」とも書けます。

同様に調べると、この「直」という漢字は、「まっすぐ」ということが原義だそうで、

転じて、まっすぐなこと、曲がったものをまっすぐにする、間違ったものを正しくする

という意味をもつそうです。

つまり、「治」「直」どちらにしても、「なおる」とは元通りになるという意味ではないようです。

そして、医療で使う「なおる」も、原義に近い意味で使うことが多くあります。

しかしながら、

一般に日常会話で使われる「なおる」は、元通りになるという意味のほうが多いように思いますし、

「治」「直」の両方ともに共通する意味「手を加える」が含まれないことも少なくありません。

 

「医療の常識は一般の非常識」とも揶揄されますが、こんな言葉の意味ですら、ズレがあるものです。

患者・利用者とその御家族と医療従事者の間でお話されるときには、お互いに、

「伝えられた言葉の意味をしっかりと理解する」、とても大切にしていきたいなぁと思います。

どんなこと

土井

ちょっとで大丈夫?

2012年4月15日(日)

以前のエントリ[川平法]で、

患者さんが自ら活動的だったというお話をさせていただきました。

近年話題の促通反復療法(川平法)ですが、

一つ一つの動きを100回やっていることも特徴のひとつだと思います。

自主訓練でも同じようなことだそうで、

立つ練習をするぐらいの人には、毎日100回200回と立ち座りの自主トレをされています。

もちろん、立つ練習をされるぐらいですから、一日100回200回立つなんて相当キツイ。

でも、慣れてくる頃にはしっかりと立てるようになる。

リハビリ以外の時間の使い方ひとつでも、大きく影響することを再認識しました。

さて、

前回のエントリで「リハビリはきばらないことが大事」とお話させていただきましたが、

どんどん動かして、運動量を多くすることも回復への近道です。

(※注 医師から動かないように指示されているなど、状態の悪い場合を除きます)

一見、相反することのようですが、

1回1回を大事にしながら、今の自分の課題に合わせて運動量を確保することはできます。

テレビCMの度に20回やったり、朝昼夜ご飯前後に50回ずつやったり・・・、

持久力が付いてくれば、朝夕で100回、その頃には出来るようになる。

そもそも、どんな事でもそうですが、

普段生活している中で運動していないとはいっても、まいにち結構動いているもの。

料理するのに40分、洗濯干すのに20分、スーパーでカートを押して30分、

結構立っている時間も長いし、あちらこちら行ったりきたりで立ち座りも何十回・・・。

ご飯食べるのに20分、歯磨きで5分、化粧に10分、その間ずーっと手は動いている。

 

大事なのは、

○○できるようになったら○○するのではなく、○○に取り組んだから○○ができるようになるということ。

(○○には勉強や野球・・・なんでも共通ではないでしょうか?)

 

症状や後遺症などいろいろあって、病気や怪我のあとには運動量が少なくなりがちです。

きばらず、気負わず、どんどん動いていきましょう。

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