じわじわ
2019年6月18日(火)
「おおはら雅の郷」で、昨日夕方に撮った写真です。
ここの並びの紫陽花はだいぶん色づいてきました。
でも、別の並びにある紫陽花はぜんぜん色がついていません。
じわじわと色づく紫陽花が増えてきています。
まだ京都は梅雨に入っていませんが、梅雨が近づいているって気がしてきます。
梅雨が来る前に、お散歩できるだけしておきたいですね。
傘をさして観る紫陽花もきれいですが、
傘をさしての散歩はなかなか行かないですからね。
紫陽花を見ていると、
「長くつを履いて、レインコートを着た子供が、
傘をさして紫陽花の前を楽しそうに歩く。
その紫陽花にカタツムリがいる。」
そんな絵が思い浮かびます。
皆さんは思い浮かびませんか?
こんなことを想起するのも、
脳のトレーニングですよね。
雨が似合う?
2019年6月14日(金)
今日、
朝はまだ雨が降っていませんでした。
大原ホームの玄関側には
外に花壇があります。
花壇のお花がいろいろ咲いていました。
菖蒲だけは花壇ではないですが、ホームの玄関近くに
たくさん咲いています。
これからの季節、紫陽花がきれいですが、
まだ紫陽花は色づき始めです。
先にこれらの花がきれいに咲いていました。
今日は雨が降っていますが、
晴れたら散歩したいですね。
お花がきれいに咲いていると、
一緒に歩くご利用者さんも
とっても笑顔になられます。
花がきれいってだけで、心から元気になりますからね。
わたしの、わたしのカレは~~~~♬
2019年6月11日(火)
左利き~~~
と謳ったのは浅丘めぐみ(古すぎるか)。
最近気が付いたんですけど、私の周りには結構左利きが多いなと。
いつだったか、多職種の寄り集まる会議で出席者の半数近くが左利きだったこともあります。
私の子供時分と働き出して以降思い浮かべてみても左利きの人は少なかったように思います。当時左利きはおかしいという考えがあり矯正するのが当たり前の時代だったんでしょう。
ですから私の周囲に左利きが少なかったわけではなく、矯正された左利きと言う人が今と同じだけの割合でいたんでしょう。
ですがまぁ世の中右利きが多いので多数決の法則じゃないんでしょうけど、私が若い頃は多を良しとし、寡を悪しとして、左利きを右利きに矯正する時代だったのかな。
おそらく今では矯正することもなくなったので、私には左利きが増えたように感じてるんでしょうね。
実際のところ左利きの人は人口の8~15%の間を推移しているらしく、間を取って12%としてもかなりの出現率にもかかわらず、ほとんどが右利き向けになったこの社会は左利きの人にバリアフリーとは言い難いなと。
左利きは病気でも障害でもないだけに、社会のほとんどが右利き向けと言うのはいかがなもんでしょう。
私自身は右利きで左利きに対して偏見も何もないのですが(まぁどちらかと言えば無関心)、12%という言わばマイノリティのマジョリティとも言える左利きになかなか対応できない社会ならば、障害者に対応したバリアフリーの社会なんかできっこないよなぁという気がします。
因みに私の息子は右利きですが趣味でドラムをたたいています。左腕も右腕同様使いこなせるようにと、左手で箸を使い食事をしています(まぁそれでちゃんと太鼓が叩けるかどうか知りませんが)。
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難読漢字
2019年6月11日(火)
さて、
躑躅は満開でしたが、ちょっと散り始めています。
次は、
菖蒲が咲き始めています。
そして、
向日葵が控えています。
どの花も読みにくい漢字ですね。
脳トレで、
難読漢字なんかも出題してクイズにしたりします。
花の名前は答えが分かった時にイメージもしやすく、
イメージも綺麗で脳トレには良いと思っています。
実際の花も咲いているところでクイズを出したら、なお良しですね。
頭の中で、漢字と、言葉と、視覚と、花に近づいて触れたら触覚や嗅覚まで
いろんな感覚とそれにまつわる記憶も言葉とつながって、
いい刺激になるんじゃないかと思います。
お散歩しながらクイズを出し合うのも
脳トレに良いかもしれませんね。
使いやすい
2019年6月03日(月)
道具は使ってなんぼです。
でも、使わなければ幸いの道具もあります。
使う事態は起きて欲しくない事態ってことがあります。
そんな時の道具は、普段使っていないからこそ使いやすさが重要ですよね。
最近はいろんな施設で見かけるようになったAED(Automated External Defibrillator:自動体外式除細動)も、
緊急時にたまたまそばに居た人が使えるように、色使いや記号なども大きく表示され、注意事項や手順が分かりやすい様になっていますし、音声案内もついていたりします。
普段は使わない人が非常時に何とか使えるようにと工夫が凝らされています。
福祉用具はどうでしょう?
使う人が限定されるものについては、その人さえわかれば良いという事もあります。
身に着けるものや、常に持ち歩くものはデザイン重視で逆に目立たないようにという事が配慮されていたりするかもしれません。
そして、
昔、
車いすの肘置きが跳ね上げるタイプで、そのロック機構が担当していた利用者様に使いやすいメーカーとそうでもないメーカーがあって、
ここだけこんなのに付け替えられないか尋ねたら、
各メーカー特許を持っていて同じものを作れないって言われました。
いろんなメーカーが作っているので、各メーカーで特許も持っていますので、
便利だって知っていても、同じ仕組みがつかえないという理由があったりします。
だから、いろんな福祉用具を施設でそろえると、同じ用途で使い方の違うものが増えていきます。
ご利用者さんはそれしか使わないなら違いにも気づかれず、
だから困るとかもないのですが、
スタッフの方が使い方を覚えて対応するのが大変になってきます。
でも、
この道具とあの道具では適応できる利用者が違ったりするので、
やっぱりあれもこれも揃えたくもなるのです。
道具は使い方を間違えるといい効果を生みません。
使い方がわかりやすく作ってあれば、すぐにその場で使い方が分かります。
そうなったらいろんなものがあっても困ることが少なくなります。
最近は、車いすのレバーなどにも何のレバーか分かるように文字や、記号などのシールが貼っているものが多いですね。
これがあるだけで助かります。
なんか、とりとめもない文章になってしまいました。
すみません。
施設の備品を検討中だったので、ついこんなこと書いちゃいました。
でも、分かりやすい道具がありがたいです。
8050問題
2019年5月31日(金)
3週間ほどのご無沙汰でした。
受難の時期かというくらい事故や事件に巻き込まれる子供が多かったような印象があります。
先日の川崎での連続殺傷事件の後、「8050問題」という言葉を初めて聞きました。初めて聞いたけど、聞いただけでどういう事かピンときました。何故ピンと来たのか説明すると「暴言・暴論その3」になりそうですし、「本当」にやばい文章になりそうなのであまり踏み込んで書けません。
収入のなくなった80代の親と仕事がない(引きこもりの)50代の子供の問題ということらしいですけど、これは8050問題ではなく7040いや6030、いやいや5020いやいやいや4010か3000(要するに将来親になるべき夫婦)にまで遡って「問題の萌芽」がある気がします。
社会問題としてとらえる前に、誰にでも起こりうる問題として、自分の事としてとらえないとまずいことのように思えます。
自分の子供は引きこもっていないから大丈夫などと考えているとエラいことになりそうな気がします。
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暴言・暴論(その2)
2019年5月10日(金)
あなたは手取り月々12万円。その給料ではなかなか外食と言うのも難しく、できてもせいぜい月に一度安い居酒屋とかファミレスに行くくらい。
そんなあなたにも年に一度のボーナス支給日。たまたまあなたの誕生日と重なったので、この1年間のせめてもの自分へのご褒美に高級レストランでフルコース〇万円のディナーを食べることにした。
↑このことにとやかく言う人はいないはずです。人によってはいやそれでも自分はいつも通りの事として特別なことはしないと言う人もいれば、いやいや贅沢するにしたっていつものファミレスでハンバーグセットじゃなくてステーキセットにするぐらいという人もいるでしょう。
それが人による価値観の違いでしょう。どの考え方が正しいとか間違ってるとかではなく、価値観によって選択は変わるわけで、価値観の数だけ選択肢はあるはずです。
いずれにせよどの選択肢(料理)を選ぶのかは、食事をする人の価値観に左右されるわけです。
ここで高級レストランで食事となった場合、いくつかの問題が浮上します。
普段行きつけのファミレスや居酒屋と違い、メニューを見ただけでは何が何やらさっぱりわからない料理の名前が並んでいる事。あまりにも高級店を選んだばかりにメニューに値段さえ書いてない事。
あてずっぽうに選んでもどれもおいしいのだろうけど、多少の好き嫌いもあるあなたは魚料理は避けて肉料理にしたいと考えているし、予算超過は避けたい。
そこであなたは専門家(ウェイターorウェイトレス)の意見を聞くことにする。とりあえずメニューのいくつかを指さしてどんな料理か、値段はいくらか等。専門家もあなたがあまり料理に詳しくないのを察して、逆に色々と聞いてくる。肉と魚だったらどちらが好みか。こんな店に慣れてないとしたら何か客にとって特別な日か何かか。それらを聞いたうえでウェイターはあなたにあったお勧めの料理もいくつか紹介して来る。
結局あなたは
予定通りフルコースディナーにした。
予算超過だったが、滅多に出回る事のない鶏肉を使った料理にした。
予算よりだいぶ低いがウェイターの説明でどうしても気になったピラフにした。
いずれにせよ自分で選んだ料理ということには(味ではなく)、納得と満足を得たあなたは、
来年こそはフルコースディナーを味わってみよう。
来年はもっと奮発して鶏肉料理を食べてみよう。
この値段だったら半年後にもう一度ピラフを食べてみよう。
どれも価格相当じゃなかった、次はなし。
となるやもしれない。
といずれにしてもあなたの価値観が決めるわけです。
少し前に福生市の病院で腎臓疾患の患者さんが透析治療をせずに死亡したことがニュースになっていました。
識者と言われる方々(医療関係者含む)が、医師はもっと患者・家族と向き合って話し合うべきだったとか、医師はもっと患者に寄り添わなければと言う意見が多かったように思います。一方でごく少数でしたが医師が説明した上で患者が納得したんだから(informed consent:説明の上での同意)、何の問題もない。人が死んだからと言って騒ぎすぎ。といった意見もありました。
こっから暴言ですが、私は医療側と患者側が話し合う必要はないと思っています。寄り添う必要もない。
そも医療側が話し合いと称しているモノは患者やその家族にとっても「話し合い」なんでしょうか。
「話し合い」と言うからには意見のやり取りがあると思われるのですが、医師の「こうしたらどうでしょう」というソフトな問いかけにさえ、異を唱える事をためらう患者や家族がまだまだどれほどいる事か。
ましてや「あんたの場合はこの治療法が一番や。これにするで。ええな?」そう医師に言われて、思わず頷いてしまわないと言える患者・家族がどれほどいる事か。
時折新聞の社会面に載る医療関係のトラブルは「そういったリスクは聞いていない」や「他に治療法があるとは聞いていなかった」なんて医療側の説明不足の感は否めないと思います。
それは話し合いと言いながら、患者と家族に医療側の価値観を押し付けようとした結果じゃないのかなと。
だからそんな「話し合い」なら必要ないですし、必要なのは(専門家でもない)患者と・家族が自分たちの価値観で適切に判断が出来るように必要な情報を提供することじゃないかと。言うなればウェイターが客にメニューを説明するように。
「あーあんたの場合はねぇ、手術と2種類の違う薬による治し方があるんやけどねぇ。手術はねぇ成功すれば完全に治るけど、いろいろリスクあってねぇ、死亡率もはんぱないねん。5割は死んじゃうなぁ。薬はなぁ、保険外の奴やと50%は症状が軽くなるけど、完全に治らないし2年で薬が効かなくなるで、そうなったら手術しか手がない、金もかかるしな。もう一つの薬は保険内やけど25%くらいしか症状は改善せぇへんし、飲み続けたってすこおしずつ悪なるから、5年が寿命や。勿論なんもせぇへんかったらあと2年。さぁどれにする?」
ここでの言葉は汚いですし、省略もしていますが、話し合いではなくこういったinformed choice(説明の上での選択)が最も重要なんじゃないかなと思います。
患者はそれぞれの治療のメリット、デメリットを聞いたうえで、自分の価値観で治療法を選択する。
手術までして長生きしたくないのに、そればかり勧められるとか、こちらの懐具合も考えずに高い薬を投薬するって言われたとか、そういう選択にまつわるしこりは無いわけです。
このinformed choiceと言う言葉調べてみたら実際に医療で使われている言葉でした。歯科医師の世界で…orz
歯科は保険外診療も頻繁なので、informed choiceと言う概念もそれなりに一般的なんでしょう。
それ以外の医療分野では話し合おうとか、寄り添おうとか、informed consentとか言ってるうちはトラブルが絶えない気がします。
もっともそうなれば病院や医師にお任せとも言ってられないわけですから、患者や家族も医師の説明が理解できるほどの理解力と判断力が求められるわけです(まぁわかりやすいように説明できるかどうかも医療側には求められますが)。
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まだ、あった
2019年5月10日(金)
つい昨日、ネットで懐かしい車いすを見つけました。
10年以上前ですが、ある利用者さんが、どんな車椅子もずり落ちが見られて、座っていられなかったのです。
最後に試して、なんと、落ち着いて座っていることが出来て、本人様も楽になられた車椅子がありました。
ただ、その車いすは、車いすの要素はあったのですが、車いすとしては当時普通には販売されていませんでした。
検査用のストレッチャーと椅子の間ぐらいのものとして、点滴や検査中に、しんどい方に長く同じ姿勢を保っていただく安楽に過ごして頂く道具として販売されていました。
その後すぐ車いすとして販売もされるようになったのですが、フレームも車輪も頑丈なストレッチャーのようでした。
なので、介護する側からすると、移乗介助が対面介助は難しいですし、サイズも大きく、普通の大型車椅子よりもさらに重たい重量級の車いすだったので、不便な点もありました。
それでも、ご家族様はずり落ちがなくなったこと、ご本人様が穏やかに座っていられるようになられ、安心して一緒に外へ散歩にも行けるようになり喜んでおられました。
自分も重度な障害になったらこの車いすがいいなって思っていました。
しかし、その車いすはとっくに廃盤になって、売られていませんでした。そして、それに似たものも見かけませんでした。
ところが、
その車いすの後継機がアメリカの福祉機器展に出ていたとネットで紹介の記事をたまたま目にしました。
残念ながら日本での販売はしていないようですが、まだ作られていたんですね。
それも、前よりおしゃれになっていますね。ちょっとうれしくなりました。
相変わらず60万円程するようですが、これしか座れない人にはこれしかないですから。
日本では売られていなくても、メーカーは販売を続けていたんですね。
また、日本で販売されないかな?
日本の環境ではサイズが大きく重いので導入しにくいですが、座っていられるっていう生活の選択肢が増える人はいると思うのですが…。
日本にも色々物が増えましたが、海外に行けば、また違う環境で、違う要素のものが作られて使われているって再認識しました。
探せば知らないものがまだまだありますね。
ゴールデンウィーク
2019年5月03日(金)
ゴールデンウィーク真っ只中
初めて10連休とったよって方も、けっこういらっしゃるのでしょうかね。
このゴールデンウィーク、私は3連休がありますが、10連休はありませんね。
でも、飛び石で休みが入っています。
今回は無いですが、たしか10連休はとったことがあります。
結婚式~新婚旅行で続けて休みました。
新婚旅行で海外に行こうと思うとやっぱり日数が必要ですね。
皆さんはこの大型連休いかがお過ごしですか?
私は、3連休を使ってファミリーキャンプです。
日常の仕事を忘れて、存分に楽しみます。
連休なので、施設でもお子様と一緒にご面会に来られる方が多くなります。
いつもより子どもの声をよく耳にします。
小さなお子様が歩いていると、その周りの利用者様は一様に笑顔です。
小さなお子様は居るだけで、利用者の気持ちを動かすことが出来ます。
母性を刺激するんでしょうかね?
優しい笑顔を引き出してくれます。
私を見てしてくださる笑顔より、何倍も優しい笑顔ですからね。
心のリハビリ効果があるに違いありません。
今日は緩和ケアの話をスタッフと少ししていたので、こんな方向に話が展開したのかな。
リハビリは、元気になるためや、頑張るだけではなく、
穏やかに、心地よく過ごすためにもありますからね。
暴言・暴論(その1)
2019年4月25日(木)
ようやく一息つきました。
取り立てて忙しかったわけではないですけど、書き物が多かったので、しばらく書くのはもう沢山って感じでした。
文字数としては少ないんですけど、自分自身のこだわりからか公にする文書って言うのには(ブログもそうです)、結構気を使いますし単純に意が伝わればいいとは考えられなくて、その時納得できる語彙や言い回しが思いつかなければしばらく塩漬けにしたりもします。
まぁそんなことはおいといて。
今回のタイトルは「暴言・暴論(その1)」としました。今後(その2)があるかどうかは、今回の内容次第で私がpurgeされなければということでしょうかwww(まぁ所詮私がどれほど吠えようが無名のイチセラピストにすぎませんが)
ある治療手技(流石に具体的に書けない)があります。欧米で体系化された理論と手技である病気には非常に有効とのことでした。
でも実際見てみたら、それ普通に勉強していたらわかる訓練方法じゃんっていう…
体系化したのは素直に凄いなぁと思うけど(誰もやらなかったから)、目新しい理論や手技もなし(まぁ勉強嫌いの私の知る限りですが)。これにそれなりの費用と日数をかけて身につけるよか、学校で習った事を復習すればいいだけじゃん。ってかボロい金儲けやなぁーが私の感想。
それ以外にも近年職場にFaxやらDMで様々な研修会の案内が送られてきますが、タイトルだけ見れば最新の理論や技法に関するものより、大多数はそんなん学校で習ったやろという奴ばかり。
学生時分勉強しなかったツケ回しを今と言うのはわかるけど、学校で習った事さえ身につかなかった奴が、研修会に行ったからと見につくはずもなく、まずは自己学習、自己復習(結局人頼みの輩に出来るはずもなく)だろうにと思う今日この頃。
かたや今年お役所からのお達しでリハビリテーション(ここでは理学療法士と作業療法士)学生の1週間の学習時間を45時間(自宅学習も含む!!)までと制限され、これでは十分な教育が出来ないと臨床現場から声が出ても学校はお役所からのお達しだから、お役所は不足分は卒後教育でと臨床現場にしわ寄せ(つまるところワリを食うのは患者)。卒業後即戦力を謳う養成校は皆無に。
更にはお役所が出した数字によると、毎年国家試験を受ける最終学年の定員充足率が平均で7割前後しかないにもかかわらず、既に理学療法士、作業療法士は供給過多。要は少子高齢化の時代に学校作りすぎたということ。
私の最善とは言わないまでも次善の策としては、全国の養成校の3割以上を減らし、更には療法士の養成を大学のみとして、薬剤師の時のように養成期間を4年から6年に延長すれば対症療法ですがある程度は問題の解決が出来る(痛みは伴いますが)。でも現状の方法ではしわ寄せが患者に行くだけで、私のプランより解決にはならない。
それでもあえてこの状況で行こうと言うならお役所、セラピスト、養成校の間ではすべて承知のマ〇〇ポ〇〇と言われても仕方ないのかなぁ…と。
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