京都大原記念病院グループリハビリスタッフのあんなことこんなこと

あんなこと

橋本

就活または質問力について

2017年6月29日(木)

こんな記事がありました(就活で重要なことは?学生と選考者側では評価するポイントがまったく違っていた!)。

 

表にまとめると

学生の視点はおいといて、採用者側の視点を見ると「質問力」というのがあります。

 

この「質問力」、リハの学生に限って言えばほぼゼロです。

毎年いろんな学校の説明会に参加しますが、積極的に質問する学生と言うのは10人に1人いればいい方で、「何か聞きたいことは」と聞いたが最後、だんまりの学生がほぼ全員です。

 

記事にある通り、ある程度の知識がなければ質問はできないわけですが、まぁうちがどれほどの病院か知りませんが、九州で「京都の大原記念病院です」と言ったところで、「どこそれ」と言われるのが関の山だと思いますから、学生に予備知識があるわけないとも言えます。

だからこそ学校の先生方にお願いして事前に資料を配布して貰って説明会に臨むわけです。

 

それでブースに学生が来なければ、「仕方ない」とあきらめるところです。がどういうわけか学生が最低でも2人か3人かはブースに来るんですよね。

で、「資料読んだ?」と聞いて、「読んだ」「読んでない」と返事するならいい方で、「そんなの貰ってません」とかすっとぼける学生までいる始末です(んなわけねぇだろ、他の学生は手に持ってるじゃんか)。

読んでる、読んでないにかかわらず、十中八九質問は出てこないので、とりあえず一通りの説明をした後で、あらためて質問はないか聞きます。

その場合でも、質問する学生はほぼいない、ただニコニコ笑って腰かけてるだけ(この時点で結構イラついていることもある)。

 

そこで

 

「君たちは」居並ぶブースの方を指し示して「施設の連中が、自分のところの都合が悪い話をすると思うかな?」

学生首を振る。

「だよなぁ。言うわけないよなぁ。まぁ聞かれたらどこでも答えるとは思うけど」

学生、頷く。

「じゃあ、君たちはその施設側の一方的な美味しい話だけを聞いて、就職先を選ぶのかなぁ?」

学生再び首を振る。

「だよなぁ、そんな馬鹿な話はないよなぁ。じゃあ、君たちは施設側の都合が悪い話をどこでどうやって聞くの?」

固まる学生。

 

一般大学の就活生では考えられないようなレベルの就活状況です。

そもそも一般企業はわざわざ求人資料を学校の学生にいきわたるように送り届けてはくれません。すべて学生自身が取り寄せます。勿論取り寄せるだけでなく読み込むことは当然で、それだけでなくホームページなどにも目を通す。企業説明会で資料を読んでなかったりHPを見てないことがばれれば、追い返されるか冷ややかな対応が待っているだけ。

 

一般社会では売り手市場、セラピストはギリ売り手市場ながら(理学療法士は買い手市場ですが)、数年前から陰りが見え始めている。

 

売り手市場なのに積極的に情報収集して就活する一般学生と、片や採用に陰りが見えて買い手市場になりつつあるのに丸で受身のリハビリ学生。

質問力云々以前に大きな違いがあるように思えます。

皆さんはどう思われますか?

 

次回私のブログは7/6です。

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そんなこと

遠藤

雷記念日

2017年6月26日(月)

今日は「雷記念日」だそうです。

由来は、Wikipediaによりますと、

“延長8年6月26日(旧暦)、平安京の清涼殿に落雷があり、大納言・藤原清貫が亡くなった(清涼殿落雷事件)。この落雷は菅原道真の祟りだとされ、道真は名誉を回復し、また雷の神天神と同一視されるようになった。”

と、あります。

 

その延長8年は、西暦でいうと930年らしいです。

ちなみに、菅原道真は845~903年を生きたそうですので、無くなって27年後でしょうか。

30年近くたっても菅原道真の祟りと言われるほどその時代に大きな影響があったのですね。

 

天神様=菅原道真=学問の神様 って子供のころから教えられ、認識していましたが、深く考えたり調べたりしたことはなかったです。

こんな云われがあったのですね。

 

時々、利用者さんと一緒に歩行練習していると、歩くことがこんなに難しいとは思わなかったとおっしゃられる方がいます。

でも、思い起こしてみてください。

普段歩いている動物は人間だけってことを思うと、歩くってことは特殊で、難しいことなんですよね。

赤ちゃんが歩けるようになるまでに、たくさんこけて、しりもちついて、たくさん失敗して、歩けるようになって、そのうちちょっとずつ、ジャンプしたり、走ったり、ケンケンしたり、出来るようになるには何年かかったでしょう。

立って歩く。

それを体が麻痺したり、硬くなったり、筋肉が弱くなったり、痛みを抱えてしている方がいっぱいいます。

そう思うと、皆さんすごいですね。

 

何気に知っていること、出来ること、ふと振り返ると、なんかすごい事だったりします。

 

利用者さんと外周路を歩き、アジサイを見てきました。

そんなときの会話からでした。


あんなこと

橋本

あっちがわ

2017年6月22日(木)

もう30年も前、学生時分に見た映画に「コクーン」というのがあります。

端折りまくって説明すると、老人ホームに住まう老人たちが異星人と知り合い、紆余曲折あって最後には異星人たちとともに永遠に生きられると言う彼らの星へ旅立っていくと言うお話です。

 

映画を見る前でしたが当時新聞で映画評を読んでみると、映画のエンディングに賛否両論あったようです。映画の最後は異星人の星へと旅立って行った老人たちの残された家族(子や孫)が彼ら老人の葬式を上げるシーンで終わっていました。

残された家族にとって生きていると言われても、誰も知らない土地(星)に行かれては今生の別れにもなるし彼の星とあの世の違いもわかるべくもなく、、「死んだも同然」と言うことでしょうか。

 

片や宇宙へ旅立った老人たちも家族や住み慣れた土地(地球)を離れ、異星で永遠に生きると言うのは、地球で死ぬことと何か違いがあるのでしょうか。

まぁ死後の世界があるとするなら、「違いはない」と言うことになるんでしょう。

 

3月に見た映画「パッセンジャー」は地球時間で120年かけて植民地惑星へ向かう宇宙船内が舞台となります。乗客の一人に女性作家がいます。彼女は120年かけて植民地惑星へ行き、1年をそこで過ごし、また120年かけて地球へ帰るつもりです。

その為家族や多くの友人や知人を残してきたわけですが、彼らにとって彼女は「死んだも同然」なんです。勿論生物学的には彼女は生きていて、240年後には地球に帰ってくるわけですが、当然家族も友人や知人の誰一人として生きているわけもなく、彼女にとっても旅立ちと同時に今生の別れとなり、彼らは彼女にとって「死んだも同然」です。

勿論連絡を取る方法はありますが、光や電波の速度でさえ数十年かかる距離です。非現実的です。

 

事を分明にするために、言い方は悪いですが私は何度も「死んだも同然」と書きました。

生きていながら何故「死んだも同然」なのか。

 

それは望むと望まざるとに関わらず、普通の社会生活から切り離されたからだと思います。

何も宇宙旅行を引き合いに出さずとも。現実でも社会生活からの切り離しは行われています。

 

ご存知だと思いますがリハビリテーションの仕事は、患者さんの退院後の生活がいかに円滑に行われるかに腐心することでもあります。

 

患者さんは十中八九長年慣れ親しんできた自宅へ帰りたいと言われますが、障害の程度や自宅の状態、独り暮らしか家族と同居なのかで、退院後の生活は大きく左右されます。

 

客観的に見れば正しいと思える判断でも、患者さんやご家族の希望に添えない提案をしなければならないこともあります。最終的には患者さんとご家族の判断に任せるとは言いながら、患者さんもご家族も私たちの意見に重きを置いていただいている方々が多いことも承知しています。

 

京都大原記念病院は回復期リハビリテーション病棟主体の病院ですから、患者さんに家に帰って貰ってナンボなところはあります。ですが患者さん自身がどれほど家に帰りたいといっても、ご家族が家に帰したいといっても残念ながら「施設」という選択肢を提案せざるを得ない場合もあります。

 

私たちとしてもよりベストと思われる選択肢を提案するわけですが、如何なる理由があるにせよ、自宅ではなく施設へという選択は今までの社会生活からの切り離しの意味合いを大きく感じてしまいます。

 

勿論施設に入ったからと言って「今までの社会生活からの切り離し」=「死んだも同然」ではありません。そうなりがちなのはやはり本人と周囲の対応次第ではないかと感じます。

 

本人と周囲の対応次第と言うのはまた次の機会(出来れば次回)に。

 

次回私のブログは6/29です。

 

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そんなこと

遠藤

もう

2017年6月19日(月)

晴れの日が続いています。

気温も上がりました。

気づいたら、夏至はもう明後日です。

 

子供たちも小学校ではプールが始まりました。

日本には四季があり、春夏秋冬それぞれにその時期ならではの事がありますよね。

 

夏は、プールや海水浴、花火もありますね。

花火大会の大きな花火も良いですが、みんなで一緒にする手持ち花火も楽しいですね。

我が家も週末に手持ち花火のセットを子供と買いに行きましたので、近々家の前でする予定です。

小さい子供がいるからする花火ですが、やっぱり子供が楽しんでいる様子を見ると、こちらも楽しくなってきます。

 

誰かを楽しませるって事で、自分が楽しくなる。

それは、自分がリハビリの仕事についた理由でもあったと思い出しました。

前もどこかで書きましたが、「リハビリ」=「意味ある遊び」っていうのが私のテーマです。

リハビリを楽しみましょう。

あんなこと

橋本

賛否両論あるんでしょうけど

2017年6月15日(木)

私は「患者さん」です。「患者様」とは言わないし、書きません。

 

日本語として正しいのか、間違っているのかも知りませんが「患者様」にはすごく違和感があって使いません(多分私が偏屈なだけです)。

先ほどホームページを見たら私が「患者様」と言っているように見えましたが、記事自体は私が書いたものであっても「患者様」とは誰かが勝手に換語したものです。

 

なんて言うんでしょうか、正しかろうが、間違ってようが私自身が「患者様」なんて言葉を使っていると思われたくないんです。

 

以上橋本の主張でした(短いですが、今週はちょっと色々と資料の作成で、それ以外であんまりパソコン触りたくない気分なんです)

 

次回私のブログは6/22の予定です。

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こんなこと

遠藤

梅雨なのに

2017年6月12日(月)

晴れてますね。

晴れが続くと、梅雨ってこと忘れちゃいますね。

でも、晴れたおかげで屋外に出て歩くことができます。

 

昼間に歩いていると、また、季節を感じる花を見ることができますね。

少しずつ、花が咲いたり、色が変わったり、変化が見られる時期ですよ。

もちろん、大原でも見られます(写真)。







 

夜は夜で、晴れた日は少し肌寒いですが、昨夜は(大原ではないですが、自宅から)星もよく見えました。

月も丸くきれいに見えました。

 

昼も夜も、部屋から少し外に目を移すと、ちょっと季節を感じられますよ。

 

こんなこと

橋本

携帯変えました

2017年6月08日(木)

先日2本のSF映画と転機について書くと言っていたと思いますが、今現在書いてる最中です。誤解が生じないよう慎重に言葉を選んで書いていますが、日の目を見ることが出来るかどうか…

 

先日7年間使っていた携帯を買い替えました。メールもあまり使わないし、web閲覧もiPadを使うし、スマホを買う必要はないかなとは思ったんですが、「使いたい」と思えるガラケーもないし、スマホにしてみましたが、やっぱり嫁さんが使っている程使いませんね。結構老眼も進んでいるので、通話は別として、それ以外はiPadの方が使い勝手がいいです。

 

ですが先日通話してたところ、すごく聞きやすいんですよね。通話機能でも以前のガラケーとさほど変わらないだろうと思っていたのですが、とても聞きやすい。別にスマホだからということではなく、ただの技術革新でガラケーだろうがスマホだろうが通話機能がアップしたんでしょうけど、それだけでも買い替えて良かったなと思ったものです。

 

嫁さんは私がスマホに変えたことで一緒にLINEが使えると思ったらしいですが、私にとってはメールのやり取りの方が使い勝手がいい。便利なのかもしれませんが、また新たにアプリの使い方を覚えるのが億劫で。

 

アプリも技術革新でいろんな便利なものが出ていますが、私のように面倒臭がりや高齢の方は使いこなすのも日々難しくなってきていますが、通話機能みたいな基本的な性能の向上は助かることこの上なしです。

 

これが年を取るって言うことなのかな。

 

次回私のブログは6/15です。

 

こんなこと

遠藤

散策路

2017年6月05日(月)

今日もいい天気でした。

いい天気の日は、歩行練習がてら散策路にご利用者さんと歩きに行くこともあります。

 

ご利用者さんと一緒に歩く時は、「あれが咲いてる」「ここにつぼみがある」とか話しながら歩くことが多いです。

今日は、先週はまだつぼみだった花が咲いていました。

 

 

 

「菖蒲」

ちなみに、「あやめ」も「しょうぶ」も漢字で書くと「菖蒲」なんですね。

 

 

 

散策路は、春は土筆から始まって、桜。日差しがだんだん強くなってくると、躑躅。

など、たくさんの種類の花に加えて畑もあるので、野菜もいろいろ時期ごとに作っているので、

なにがしかの花や実が見られます。

 

大原の景色は、いつもご利用者さんたちがほめてくださいます。

 

山もある。畑もある。花も咲いて、蝶や蜻蛉も飛んでいる。

季節を感じられるいいところでしょ。

 

そんなこと

橋本

本を読まなきゃ

2017年6月01日(木)

一昨日ようやくメインの求人用資料が刷り上がりましたが、学校別の補足資料を只今作成中です。

 

スタッフでその学校の卒業生から母校の先生と後輩に向けたメッセージなんかを書いてもらった分を、私がワープロに書き起こしてます。

これを60余人分を書き起こしたんですけど、なんというか日本語おかしな奴が結構いるんですよね。

 

読み返せば気が付いたんだろうなってレベルではなくて、日本語力が低いんだろうなってレベルなんです。

 

例えば

「緊張半分、不安半分、楽しみ半分」1.5じゃん

「機能障害が大好きで」障害が好きって何?

 

「てにおは」がおかしいのや、誤字脱字、微妙にひらがなが多かったり。

普段本を読むどころか、文章さえろくに目を通していない感じです。

 

当たり前の話なんですけど、語彙や文章表現がうまくないと、意思の伝達能力(コミュニケーション能力)に支障をきたすのは当然です。

コミュニケーション能力の低下した人間が多い社会の行きつく先は、トラブル増加です。

 

先日「メッセージ」というSF映画を見ましたが、共通言語を持たない、異文化間でのコミュニケーションはお互い悪意が全くなくても一触即発の危険さえあることを思い知らされました。

 

最近老眼が進んで読みづらいのもあって読書量が減っていますが(以前は月10冊近くは読んでましたけど)、PCやタブレットを触る時間より読書量を増やそうかなと思う今日この頃です。

 

次回私のブログは6/8です。

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