習うと学ぶ
2015年7月23日(木)
先週末鹿児島から引き揚げてきたと思ったら、あちらではかなりの豪雨だったようですね。
今日は2週連続の出張の事務処理もようやく片付いたところです。
人出が足りないんで、とりあえず求人活動やってみようか、と思い立ったのは30手前でした。
当時も売り手市場でしたが、今よりはるかに採用が困難でした。当時年間の学卒者数が理学、作業、言語合わせて1200人前後だったのではないかと思います(現在はその10倍以上)。
求活(求人活動)なんてやったことなくて、「求活はこうやるんじゃァ」とアドバイスくれる人もなく。徒手空拳、試行錯誤でした。
求活やりだして20数年。いただいた名刺をデータ化しだしたのが、この15年ほど(気付くのが遅すぎますね、馬鹿でした)。各養成校を回った後にお相手いただいた方々にお礼状を出し始めたのがここ6年ほど(さらに遅すぎますね、馬鹿丸出しです)。そのほかにもいろいろと取り組んだことありますけど、だいたい「もっと早くに考えつけよ、馬鹿」みたいな話で恥ずかしい限りです。
おそらくデータ化にしても、お礼状にしても営業に関わる者なら、常識の範囲内だと思いますし、新人営業マンが先輩営業マンから最初に仕込まれることの一つみたいな話ではないかと思います(というか、多分ルーティンですよね)。
かたや教えて貰うこともなかった私の場合、『そうした方がええんじゃなかろうか』と思った時には随分と月日がたっていました。
教える者がいなければ、覚るのに時日を要するってわけですが、私のようないい加減な人間の場合、誰かに教えて貰っていたら多分いい加減にやっていたか、そもそもやらなかったかと思います。
じゃあ今なぜ、いい加減な奴がいい加減にやらないのかと言うと、自分の体験に基づいてやるべきことを学んだからであって、人に教えて貰ったことではないからです。
人に「必要だよ」と言われたことと、自分で「必要だ」と感じたことの差です。
人に「教えて貰うこと」と、自分で「体験から学ぶこと」の差です。
(習うと学ぶの差かも)
実効性を考えると後者になりますけどね。
時間と言う効率を考えると、前者がはるかに効率がいい。自分で覚るのには人にもよりますけど数年かかる場合だってあり得るわけで、こうこうしてこうしたらええやんて言うだけならわずかな時間ですから。
そういうことを考えると教育なんて「言ったことが教えたこと」ではないし、「聞いたことが教えて貰ったこと」でもない。
当院のある看護師が言っていましたが「出来たことが教えたこと」
「教える」と言うほど「教えられる」スタッフはうちにはいないなぁ。今どき「教えられる」ほどプロの教育者なんて「教職」と言われる人たちの中でも半分以下でしょう。
ですが、うちには「学びたい」スタッフに「教えられる」奴はいないけど、一緒に「悩む」ことが出来る奴は沢山いるかなぁ。
でもやっぱり「経験」にまさる「教育者」はいません。
次回私のブログは7/28です。