福沢諭吉が泣いている
2019年10月21日(月)
なんかもうね、笑えました。
皆さんご存知かと思いますが、慶応大学アメリカンフットボール部不祥事のため活動自粛だそうです(web pdf)。
記事によると教育的観点から不祥事の内容は非公表だとか。
慶応大学のお歴々や皆さんにもお聞きしたいのですが、不祥事の内容を教えずに何をどう学生に教育するのでしょうか?
いずれにしろそういう配慮は、ネットでの情報拡散で(不祥事の内容も、加害者、被害者の名前も晒されちゃってます)灰燼に帰す、となってます。
医療系の学校の先生方とは仕事柄勿論、それ以外の学校の先生方とも話す機会はありますが、教育機関だからとか教育的見地からとか言ってちょっとずれたことを言う人をときどき見かけます。
どういった内容か色々と差支えがあって出せない話ばかりですが、一つだけ。
10年ほど前ですがある大学の先生とお話ししていた時に、たまたまその学校で起きた不祥事の話になりました。
その学校ではつい最近盗難が2件ほどあったとか。
私「警察に届けたんですか?」
先「いいえ、そんなことしません」
私「何故です?」
先「うちは教育機関ですから(キリッ)」
私「はぁ」
その時は何か釈然としないながらも、教育とはそんなもんかなぁと思いつつ帰りましたが、風呂入ってる時になぜ納得できなかったのかわかりました。確かに教育では知識だけでなく、不適切な行動を断罪する前に物事の善悪、良し悪しを教えるべきだと言うのはわかります。
ですがね、大学ですよ。ということは最低でも学生は18を過ぎているわけですから、物事の善悪なんて遅くとも小中学校の義務教育レベルで理解しなきゃいかん話でしょう。それも難しい話ではなく「人の物を盗ってはいけない」というだけの話です。それが18過ぎてもわからないなら断罪すべきです。
いやいやそれでも教育機関だからと主張する人もいるでしょうけど。
例えば
大学であれば通常学生は18から22の間在籍している人がほとんどでしょうが、ほとんどであって、全部ではないわけで、30代、40代、50代(タレントの萩原欽一さんは70代で学生でしたね)の学生だっているわけです。
「教育機関」や、「教育的見地」という言葉を振り回す人は、仮に学内での窃盗の下手人がそういった人達であっても、まずは教育ということなんですかね。
またまた18歳と50歳では違うなんて言う人もいるんでしょうが、何も難しいことではないんです。先にも書いたように15歳までの義務教育レベルの話なんです。それが18でわからなければ、教育よりやったことの責任を取らせない限り、事の善悪や行動のの可否を正しく判断する人間にはならないんじゃないでしょうか。
皆さんはどう思われますか?
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