

2018年3月15日(木)
先週すっ飛ばしてしまいました。
すみません。
オリンピックも終わり、今はパラリンピック真っ最中。
村岡桃佳選手すごいですね。ひとりでメダル4個ですよ。
前にも書いたかもしれませんが、あるコラムで近代五輪の提唱者クーベルタン男爵の言葉が誤って伝えられていると書いてありました。
巷間「健全な肉体には健全な精神が宿る」と伝えられていますが、本当は
「健全な肉体には健全な精神を宿らしむるべき」だそうです。
誤まった伝えられ方だと「不健全な肉体には不健全な精神が宿る」とも捉えられかねませんから、どっかでちゃんと修正すべきかも。
昨日亡くなった不健全な肉体の持ち主スティーブン・ホーキング博士は「体が病んでいるのに心まで病む余裕はない」。
著書でアイザック・ニュートンの業績をたたえるよりもその人間性をこき下ろした彼らしいと言えば彼らしいコメントです。
トップアスリートであっても、人間性は別物だし、最高の知性を持っても人間性や肉体は別物という当たり前と言えば当たり前の話です。
が、私のような凡人だと体調が良ければ気持ちも軽くなるし、気持ちが良ければ体も軽やかです。
要するに凡人だと知性、人間性、肉体は一蓮托生になるが、非凡な人間はそれぞれを切り離して鍛える事が可能ってことでしょうか。
次回私のブログは来週アップする予定ですが、できるかなぁ。
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2018年2月22日(木)
すみません。先週ブログすっとばしました。
別にそんなに忙しかったわけではなく、腰を落ち着けて書く間がなかっただけです(それを人は忙しいと言う)。
巷の話題としては今はやはりオリンピックが一番のようですが(フィギュアとかスピードスケートとかついつい声をあげて応援してしまいました)、私としては気になるのが高齢者の車の運転です。一時的にオリンピックの報道がメインですけど、相変わらず高齢者の車の運転による事故の報道が絶えません。
一般の人たちもそれほど馬鹿ではないので、最近になって高齢者の自動車事故が増えているなんて思っている人はいないとは思います。
ただ単に報道が増えただけであって事故は昔からそれなりの割合であったはずです。
それはともかく先月の事になりますけど、病院の近くの自動車教習所で京都府の公安委員会の方々と障害者の方の車の運転に関する適性検査についての意見交換会に出席しました。
そこでわかったのは公安委員会としては運転に不適切な障害者や高齢者が仮にいたとしてもそれを探し出して(あるいは情報提供などを呼びかけて)、適性検査を受けさせるようなことはしない。あくまでも免許保持者が自主的に受けないと駄目ということと、適性検査を受けてこのままでは運転免許が交付できないとなっても「不可」と言うことではくなく「保留」という判断がほとんどだということ。極端な話、両手、両足がなくとも「不可」ではなくて「保留」なんだそうです。
何故「保留」なのかというと「可」ではない理由があるから。
「可」ではない理由と言うか問題点を改善できれば「可」とします。と言うスタンスだそうです。
そういうやり取りを聞きながら私が思ったのは「免許」ってなんでしょうということです(意見交換会にもかかわらず私は只の木偶の坊でした。色々考えてたんで)。
私は常々新人のスタッフには「理学療法士」、「作業療法士」や「言語聴覚士」と言う免許はそれが出来ると言う「保証書」ではない「やりたかったらやれば」と言うだけのもので、決して「出来る」と言う保証書ではないからと言っています。
ですが公安委員会の方々とのやり取りを聞きながら思ったのはやはり「免許証」はそれがどんな免許であれ、「出来る」と言う「保証書」ではないかということです。
何故実態としては「保証書」になっていないのか。運転免許を交付された(保証された)にもかかわらず、結果的に適性とは言えない理由や無謀な運転ゆえに事故を起こすのか。
何故学校も卒業して国家試験にパスして免許を交付されたにもかかわらず、セラピスト本人や学校の教員はこのままではセラピストと言う仕事が「出来ない」というのか。何故更なる卒後教育が必要だと言うのか。「出来る」という「保証書」とは言えないのではないか。
皆さんお手元にある某かの家電の取り扱い説明書と保証書をご覧ください。
多分取説とは違う使い方で壊れた場合は例え無償補償期間内であっても有償となる云々との記載があるはずです。
あくまでも取説通りに取り扱ったうえで支障があった場合、無償での修理乃至交換に応じるなどとなっているはずです。
つまり車の免許であれ、セラピストの免許であれ、或いはその他もろもろの資格や免許は学校で習った通りにやれば保証するってことです。
日本社会は性善説に基づいているので、車の免許にしても本人が習った通りに(交通法規に沿って)運転すると言っている以上は(実際そうかどうかは別にして)無碍に与えなかったり、取り上げたりは出来ないわけです。
セラピストも同様です。学校で習った通りにやるのであればと言う条件付きで免許は「出来る」という「保証書」となるわけです。
習った通りとは何も教科書に書いてある病気や治療法のノウハウに限った話ではありません。医療人としての考え方や倫理観、技術者としての取り組み方など教員と実習指導者(ま、残念な教育者もいることは否定できませんが)が語ってきたすべてであると思います(おそらく殆どの教員が言うであろう「臨機応変」「自分で考えろ」「患者の立場で」は特に強調しておきたい)。
先に新卒間もないセラピストも学校の教員もこのままでは「出来ない」と言っている。卒後教育が絶対必要だとしていると書きましたが、言い方を変えると教えたとおり、習った通りにはできないと言っているわけです。
学校の先生も「教えたとおりにやったら出来る」ぐらいの意気込みで臨んでほしいものです。
次回私のブログは来週のどこかで。
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(さらに…)


2018年2月06日(火)
出典は差し控えますが、こんな☟話。
泣ける話じゃないけど、5,6年前のことです。
会社から帰る途中の電車に、車椅子の男の子が1人で乗ってきた。
車内は割りと混んでいたので、「ちゃんと降りられるかな?」とは思ったけど、
そのまま読書を続けてました。
電車が終着駅に着きました。
ホームと電車の間に、結構大きな段差があったので、危ないなと思ったけど、
嫌がられるかも知れないので、手伝うことはせず、車椅子の後ろに立つだけにした。
周りでは、中年のサラリーマンとOLが数人とメール打ってる茶髪のにーちゃんが居ましたが、
全員興味なさそうに、そっぽを向いています。
ちょっと苦労していましたが、車椅子の男の子がホームに降りようとした時、
車椅子が大きく傾きました。
すぐに手が出せるように、あらかじめ後ろに居た私は、支えようとして車椅子に飛びつきました。
その時、
周りに居た人全員が、一斉に車椅子に飛びつきました。
男の子もびっくりしていたけど、私は中年のおじさんと頭をぶつけるし、
OLさんはブランド物のバッグ踏まれてるし、
茶髪のにーちゃんは携帯落っことしてるし…
知らん顔してて、皆同じこと考えてたんだと思う。
男の子がホームに降りた後、みんなちょっと照れくさそうにして、無言で改札口に向かいました。
改札口を出た後、なんだか急に誰かに優しくしたくなって、
両親に電話を掛けてみました。
「別に用事ないんだけど暇だったからさ。元気?・・・」って。
人情は死なず。
次回私のブログは2/13頃です。
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2018年1月22日(月)
リハビリって皆さんのイメージは
だいたい、平行棒での歩行練習、体を触って痛みを和らげてくれる。
そんな感じなんでしょうか?
先日、中学生がチャレンジ体験で来てくれました。
そんな彼らのリハビリのイメージは、ドラマでみる歩行練習みたいです。
僕が専門学校に通っているときに、ドラマに作業療法士が初めて登場して学校内で話題になりました。
今、ドラマに出てくるリハビリと言えば、理学療法士ですが、
言語聴覚士はドラマにも映画にもありましたね。
でも、作業療法士はなかなか見ないですね。
そんな知名度がいまひとつな作業療法士ですが、
生活のリハビリと言えば、
作業療法士がいろんな方面から関わることができる。
そんな職種でもあるんです。
今回チャレンジ体験に来た中学生も
体験に来て初めて作業療法士を知ってもらうことが出来ました。
実際に見たりしないと知る機会の少ないことがいっぱいあります。
作業療法士の私には、
その一つに作業療法士が入っているのが、ちょっと残念です。
でも、知ってもらって、気に入ってもらえると、
それはそれでうれしいですね。


2017年11月30日(木)
明日は師走ですね。
昨年はセラピスト(理学療法士、作業療法士、言語聴覚士)は士なんで師走でも走らないなんて書いてました。
昨日副院長がぶらっと訓練室を訪れて、何故セラピストだけ「士」なのかと聞かれました。
その時ふと思ったんですが、やっぱり「師」は走って「士」は走らないからなのかなぁと思い至りました。
医師や看護師は職務上患者さんの生きるの死ぬののギリギリのところで仕事することも当たり前のようにありますが、同じ医療職でもセラピストの出番って「助かった」の後ですから。
「危ない状態」をとりあえず脱した後からですからね。そういうことでまず火急の時というのがなかなかないので走ることがない。
セラピストは走らないから「士」でいいやと決めたとか(んなわけないか)。
次回ブログは12/5あたりかなぁ。
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2017年11月20日(月)
どんどん寒くなってきましたね。
京都ですし、大原は観光地でもあります。
京都大原記念病院の玄関近くから見える景色もこんな感じになっています。
通勤途中に見える八瀬のあたりの景色もかなりきれいです。
観光地なので、
観光シーズンは特に土曜日、日曜日、祝日は道路も渋滞しやすくなります。
大原へ来られるときは、時間のゆとりも取っておかれる方が良いようです。
寒いので、天気が良くても外へ出歩きが減ってしまいますね。
でも、外へ出ないとみられない景色がありますね。


2017年11月02日(木)
先々週になりますか、珍しくリハビリテーションケア合同研究大会なるものに行ってきました。
正直勉強のためと言うより、開催地が生まれ故郷と言うのが大きかったんですけど。
うちの看護師が座長をやってるというだけで、あるセッションに腰を落ち着けたんですけど、その中で看護師や介護職は勤務時どんな場面で怒りを感じるかと言う研究テーマがありました。
多忙の折にナースコールが鳴るとどうしても怒りを感じてしまうと言うものでした(鳴らす患者さんにではなく、誰も対応しようとせず自分にお鉢が廻ってくることに)。
質疑応答でどなたかが患者さんが鳴らさないように先手を打って看護するのが云々とも仰っていましたが、私の意見はもっと別物です。
皆さん「ナースコールが鳴る(鳴っている)」と表現していましたが、私には「患者さんが呼んでいる」です。あれはスピーカーが電子音を鳴らしているんじゃなくて、患者さんが助けを求めて呼んでいるんです。
私は看護師でも介護士でもないので、本当のところ彼らの仕事の大変さを理解しているのかと聞かれれば、見ている範囲でしか答える事が出来ません。
ですから患者の立場から物申します(入院歴5回、自慢にゃなりませんが)。
看護師や介護士がどれほど忙しくて機嫌が悪かろうが、仏頂面だろうが、どれほど嫌味言われようが、ブータレてようが、彼らが顔を見せるだけで患者はほっとするんです。時には家族が顔見せるよりも安心させることができるんです。
顔見せるだけでそれだけの芸当が出来るのはあとは医者くらいなものです。
セラピストには逆立ちしたってそんなマネはできません(残念!!)。
次回私のブログは11/7頃の予定です。
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2017年10月18日(水)
さくらの葉は赤くなり、落ち葉も増えています。
秋らしい景色になってきました。
まだまだ「もみじ」の色づいたものが少ないです。
そんな「おおはら雅の郷」の秋がこちら↓

そんな「博寿苑」の秋がこちら↓

気温も低くなってきました。
晴れていて、お日様が当たるところはポカポカしても、
風が当たると冷たく寒く感じたりもします。
風邪などひかないように、衣服もその時々に合わせて重ね着したりしてくださいね。
もう少しすると、
もみじが紅色に染まって綺麗な紅葉がみられるんじゃないかな?
その分、気温も下がるので、上着もしっかり準備しましょうね。


2017年10月12日(木)

博寿苑の外周路ではこの花が咲いて香りを漂わせています。
金木犀は江戸時代に中国から来て、雄株しか日本になく、日本では実ができないそうです。
香りが強いのが特徴ですから、香り付けに中国のお酒やお茶にも使われ、日本でもトイレの芳香剤の匂いとしても活躍してたものですって。
小さい花なのに、香りをしっかりと漂わせます。
なかなかオールマイティになんでも得意な人はいないかもしれませんが、
誰でも得意なことはあると思います。
そんな得意なことを引き出して活用すれば、その人だからできることって
きっとあります。
できないことだけでなく、できることにも目を向けて、
生活を良くすることも大事なリハビリですね。
できることも、できないことも、全部ひっくるめて自分です。
そんな自分が「どうやって生活するか?」って
考えるお手伝いもリハビリですね。


2017年9月21日(木)
先日声をかけると一緒に行くと言うので親子3人で「関ヶ原」を観てきました。
大河ドラマで時々背景を説明してきてはいたのですが、頭に入っていなかったようで、嫁さんも息子も「よくわからなかった」が一番の感想でしたorz
嫁さんはともかく私が息子と同じ年くらいにはわざわざ映画館まで足を運んで時代劇を見ようなんてありえませんでしたから(せいぜい大河ドラマを時々)、わからないながらも興味を持っているんだなとは思いますが。
映画が始まる前に気が付いたのですが、最近は視覚障害者のための解説音声サービスがある映画なんかもあるようです。テレビのドラマなんかでも副音声でやっているあれです。映画の場合は専用のラジオを使って音声を受信するらしいですが。
それはいいとしても実は私も映画わからないところが結構あったんですよね。私の能力が落ちたということもあるんでしょうけど、結構セリフが聞き取りにくかったんです。自宅でDVDで映画を見るときは邦画であってもその機能がある時は必ず字幕を出してみるようにしていますから、あらためて字幕の便利さと言うものを実感しています。
これは聞き取り辛くなくても、耳と目の両方からなので、セリフがすごく頭に入りやすいです。
ってことを考えると、映画館で解説の音声サービスよりもたとえ邦画であっても字幕が入る方が需要がはるかにあると思えるんですが。
DVD化にあたり字幕を入れる邦画も多いですから、手間は変わらないんだし劇場公開時から入れたってかまわないでしょうに。
最近はウェアラブルPCでメガネのモニターにいろいろと情報が映し出されるなんて奴も開発されてきましたが、そのうち会話している相手の言葉を即座にテキスト化してモニターに映し出すようになったら、それだけで誤解やトラブルが減りそうな気もします(勿論誤変換と言う問題があるので、相手の言葉を変換するのではなくて、自分の言葉を学習させたAIにテキスト変換させて相手に送るという方法が無難かな)。
次回私のブログは来週はお休みをいただいて(すみません、出張で出ずっぱりなんです)、10/5を予定しています。
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