病は気からですかね。
2016年4月02日(土)
離婚や死別によって配偶者を失った人は、脳卒中の発症リスクが、男女ともに、26%高まるみたいですね。
パートナーを失うことによる寂しさから飲酒量などが増えて、食生活が乱れたりするんでしょうね。
病は気からですね。
けど、男性は弱いと思うけど、女性もリスクが高まるのは意外ですね。
女性は、旦那が死んで、清々する方が多い印象なんだけどなー。
少しうれしい記事ですね。
すんまそん
2016年3月31日(木)
年度末の節目にうっかりブログ落としてしまいました。
昼ごろまでは書かなきゃって思ってたんですけど、昼過ぎに血圧が上がるようなことがあって(最近心的状況がもろに身体症状に出るようになりました)、調子悪くなって失念してました。
最近テレビで「自由な発言ができなくなった」と嘆いた人がいるとかいないとか、事実の裏付けもなし、偏向ありありの言いたい放題と言論の自由を同一に論じられてもなぁと感じます。
ここでのブログもできるだけ偏らないよう、事実に基づくよう気を付けます。
次週4/7は出来れば落とさずに行きたいと思っています<m(__)m>
ここ最近
2016年3月11日(金)
本日は京都リハビリテーション研究所で、平成27年度の成果発表日。
そして2日後。
3月13日(日)は、京都大原記念病院研究大会の日。
平成27年度の総括としての行事事が。。。
そうそう、巷でも卒業式シーズン。。。
特に最近、手帳のスケジュールは真っ黒で、良いのか悪いのか。。。
兎に角、少しずつ暖かい季節になりましたね。
それだけは救いかな?
つくづく思います。健康が一番です。
2016年3月05日(土)
人間病気になると患者さんの気持ちがわかりますね。
実は今週の木曜日に持病がなかなか治らずに、約5年が経過して、医者に勧められるままに日帰り手術を受けました。手術自体は約1時間未満で終わる簡単なものなんですが、手術後からジワジワと痛みや腫れなどが増して、3日目には不快感満点となり苦しくなってきます。
そして今、ちょうどそのピークで苦しんで自宅療養しています。
次回のブログには快調となった気分でブログを記載できることを期待して本日は終わります。
あー痛い-。
バイバイ!!
3月
2016年3月04日(金)
とうとう3月に入りました。
少し前までは、正月だの節分だのと話してかと思うと、今年も2か月(年間の1/6が)過ぎてしまいました。
月日の経つのが早すぎます。
それは何故か?
宿題が溜まって溜まって処理できずにいます。あれもこれもしなければならず、やる事メモがどんどん膨れ上がっております。
まあ頭の容量が少なく、要領も悪いんですがね。
そうは言っても一歩一歩進むしかございませんので、ここは春の陽気に身を任せて進んでいきます。
逸る気持ちを抑え、まずは気持ちを切り替えて行こうかな。
※そうなると、やはり整理整頓かな。
内なる声
2016年3月03日(木)
さてwebでこんな記事を見つけました(本を読むときに頭の中で「声」が聞こえる人と聞こえない人がいることが判明)。
本を読むときだけでなく、普通の思考でも聞こえてます。
勿論この場合、あくまでも文章を忠実に音声変換した声であり、思考を忠実に音声変換した声ですから、幻覚や錯覚とは違うものです。
元から聞こえない人もいると言うことですが、一生懸命に想像するところ、私の場合聞こえなくなったら、文章を理解することが困難になるのではないかと推測します。
会話においては内なる声は聞こえないので、文章でも思考でも音声変換してでないと、読むことも考えることも出来ないと言うことでしょうか。
にしても聞こえない人もいますし、聞こえていても煩わしく感じる人もいるわけですから、脳の機能として当然のことなのか、単なる精神的な問題なのか、はっきりはしていないようです。
原因は何にせよ、この問題は発達障害や学習障害、高次脳機能障害(失語症なんか)などとの関係が大なり小なりあるような気がします(気がするだけです。本当がどうかは…誰か研究して!)。
日常的に聞こえようが聞こえまいが何の問題もありませんが、例えば脳卒中発症後に、聞こえてなかった人に失語症の発症リスクが高いとか、聞こえなくなると同時に失語症リスクが高まるとか。
皆さんは聞こえますか?
次回私のブログは3/10です。
怠け者は必要な人たちなんです。
2016年2月20日(土)
働き蟻の2割は、怠け者の蟻という事を知ってましたかぁ?その2割の怠け者を取り除くと、再び2割の怠け者が出現するのだそうです。もしくは怠け者が存在しないとその集団は早い段階で消滅するのだそうです。怠け者は必要悪だそうです。成果主義で効率ばかりを求めると、人は疲弊して組織は崩壊するのが早いのと同じことでしょうね。
馬脚を現す
2016年2月11日(木)
今年の1/14に書いたブログの原稿でお蔵に入れたままの物があります。
枕に国会議員の育休休暇についてどうのこうの書いてる分です。
かの議員は一般社会において男性の育休取得率が低いので、あえて批判を覚悟で自分が取得することで育休取得を推進するとかなんとか言ってましたが、国会議員たる立法の府の人間がやるべきことは、自分が率先して休むことじゃなくて、育休取得のための法整備をすることではないですか。
要は自分のやりたいことを義務は果たさずに権利だけ主張してやっているだけ。
話の本筋は「義務」と「権利」だったのですが、過激かなと原稿を寝かせていたら、育休議員さんは不倫やって馬脚をあらわしましたね。
権利ばかり主張して義務を果たさない輩はやっぱりそれなりなんでしょうか。
とそこまで書いて最近気になっていることが一つ。
うちのIT担当者に聞けばすぐにわかる話ではあるんですが、ここのブログのアクセス件数を私もそれなりに気になっていて、毎回投稿時にアクセスカウンタをチェックして記録しているんです。
一時期一日のアクセス件数が一桁と言う時期もあり、「あっちゃぁ、あかんわ」などと考えていたのですが、また伸びてきています。
なんでだろう。いまここのブログには7人の書き手がいるんですが、どれが読んでる人のツボにはまったんでしょうかね。
それとも複数の書き手のなんでしょうか。
いや、そんなことよりも。
自分のブログを読み返してみると、随分と偉そうな事書いてます。
読む人が増えていってるのに、偉そうなこと言ってる奴が、ある日痴漢でつかまったりとか、横領でクビになったりとか、クスリやってたりとか、不倫やってたりとか、下着盗んでつかまったり(いましたねそんな大臣)とかした日には、目も当てられませんよね。
いやいやいやそんなことしないでしょ、と言う人もいますが、「人間、魔がさす」ということはあります。私だって何時どのようなことで魔がさして、破廉恥なことをやらかして、後ろ指さされないとも限りません(それくらい私は弱い人間です)。
そうなったら、みっともないことこの上なし。
私は議員さんほどたいそうな地位もありませんけど、やらかした暁には恥ずかしくて今の職場に勤め続けるなんて無理です。
イクメン議員さんもパンツ大臣もみっともないと言う感性があれば議員なんかやっちゃいないでしょうね。
読む人も増えてきたし、あんまり偉そうなこと書くのやめとこうっと(そっちかよ、破廉恥しないように気をつけろよと突っ込むところ)。
次回私のブログは2/18です。
話題はもしかしたらこれで。別リンク<赤穂夫婦殺人>19歳「給料全額渡して小遣いは月1万円」 (毎日新聞) – Yahoo!ニュース
今日は立春
2016年2月04日(木)
暖冬とは言いながら、それなりに寒いです。
今朝も車のフロントグラスに水滴がついてるなと、ワイパーかけたら瞬間で凍りました(過冷却です)。
私が「教育」を意識したのは実習生を病院に受け入れるようになってよりも後のことで、求人の関係で養成校の先生方とよく話すようになってからのことです。
(大学、専門学校に限らず)学校で何をどこまで教えるべきなんだろう、社会で教えるべきは何だろう、そも「教育」とはなんぞや。
などと言うことを出張の行き帰りの電車の中でおやつの合間にぼんやり考えていました。
私の結論は「教育とは、親が死んでなお一人で生きていけるようにすること」です。
つまりは「自立」と言うことですが、逆説的ですが人間は社会的生き物ですから、一人では生きていけません。
ですから「教育とは、親の庇護を必要としなくても生きていけるようにすること」でもいいのかもしれません。
親の庇護がなくとも子が一人で生きていけるというのは、親としても何よりの安心ではないでしょうか。
先述の記事も「親子関係の変化」の一言で片づけられるものなら問題ありません。
親子関係の変化の陰に相当数の「親離れ、子離れ」出来ていない親子がかなりいる気がするのは私だけですか。
いずれにしろそういう私自身の考えから発展させて、当院のリハビリテーションの目的の第一には患者さんの自立としています。
家族の庇護がなくとも障害を持った患者さんが一人で生きていけるというのは、身内の誰にとっても「安心」なことではないでしょうか。
とは言いながらも、障害者の場合その程度によっては多くの人の助けがなくては一人では生きていけません。
ありとあらゆる在宅サービスが必要となるかも知れません。
それさえ可能なら「安心」か?、「大丈夫」なのか?
おそらく多くの人がそれでも「安心」でも「大丈夫」でもないと感じているはずです。
何故か、それだけでは緊急事態に対処できないからです。
では最低限の緊急事態への対処とはなんでしょうか。
「助けを求める」これです。
助けが求められない状態なら、緊急事態になっても出来るだけ最短で誰かが気付く状況を作っておくこと。
更に
それに対応できる状況を作っておくこと。
どれほど人の手助けを加えて、極力不自由ない生活をすることが出来たにしろ、緊急の事態に対処できなければ万事往来とは言えません。
逆に不自由ある生活でも、緊急事態に対処できていれば安心なのです。
これから独り立ちする子供も何事もなければ何の心配もない生活が送れるでしょう。ですが何事も思うようにいかないのが人生です。それに対応できるかどうかが教育の肝でしょう。
障害者の自宅復帰もあらかじめ予想される問題に対応するのは誰にもできることで、在宅生活の突発事態(まぁ大体の場合一人でいる時の急病ですね)にどう対応するのか考えておくのが、リハビリテーションの肝じゃないかな(日常の生活が送れるだけじゃ「大丈夫」とは言えませんよね)。
えぇ~~~~っと、今回文章まとまってますか?
なんか業務の合間ゝゝに書いたので。
次回私のブログは2/11です。
明日からヨーグルトを食べようかな?
2016年1月23日(土)
先進医療というのか?自然治癒力と言うのか? 難病である潰瘍性大腸炎の治療に、他人(健康な人)の便を生理的食塩水と混ぜて、自分の腸内に注入するという新しい治療法があるんですね。そして今回、ネットニュースに「腸内細菌が少ない母親から生まれた子どもに発達障害が現れる可能性がある?」という記事が載っていました。人間の体は本当に無駄なところが無く、色々と関連性があるんですね。
明日からプレーンヨーグルトを毎日食べようかな。そして生まれ変わるんじゃー(^_^)v