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紫陽花はこれからです
2023年6月05日(月)
紫陽花の季節になってまいりました。
大原の紫陽花はまだまだこれから咲き始めです
ほとんどはまだ緑色で小さなブツブツの塊ですが、
少し開いて色づいたものが出てきましたので写真撮ってみました。

本物はまだまだこれからですが、
ご利用者さんと作ったカラフルな紫陽花が満開です。

写真だと小さく見えますが、実際には一つ一つの花がお花紙で作ったお花ですので
本物の紫陽花と同じぐらいの大きさです。
カタツムリはかなり本物よりも大きいですが。
創作活動も季節を感じてもらうことができます。
作ってくださったご利用者もそうでないご利用者も
見て喜んでおられました。
目の見えないご利用者も触れて楽しんでおられました。
身体を動かすだけじゃありません。
見て、触れて、感じて、元気になる。
それもリハビリです。
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夏、雨、といえば
2023年6月02日(金)
昨日の朝、
まだこれからの紫陽花の葉っぱの上に
みつけました

雨蛙
次は、カタツムリを探さないとですね。
こういうのを探しながら散歩するのも「脳トレ」ですね。
ただ「歩く」だけでなく、
何かを見つける「脳トレ」もしませんか?
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新ダイバーシティ
2023年6月01日(木)
更に往年の映画タイトル風です。
「多様性を受け入れよう」という価値観は結局のところ「多様性を受け入れない」という価値観を受け入れるのか、受け入れないのかという議論に行きつくらしいです。
障害者や性的少数者を受け入れるか、受け入れないかは「価値観」とみられて倫理的問題みたいに思われていますが、生物学的にも必要なことだそうです。
6500万年前に地球にどすんとでかいでかい隕石が落ちました。それがきっかけで地球にのさばっていた恐竜は滅んで、代わりに哺乳類が蔓延りだし、今では人間が我が物顔です」。
これは「弱肉強食」ではなく「適者生存」だそうです。「弱肉強食」であれば生物連鎖の頂点には常にTレックスのような肉食恐竜が鎮座していたんでしょうが、強い者が生き延びるのではなく、環境に適応した者が生き延びるわけです。
どう環境が変化するかもわからず、どの種のどういう特性が適応するかもわからないわけですから、生物あるいは人間という種を単体で見ても多様性を確保しないと環境に適応できない種は絶滅するわけです。
そういう観点からすると「多様性を受け入れない」という価値観を受け入れるのか、受け入れないのかという議論は環境(社会)が将来どう変容するかもわからず、したがって何が生き残れるかも不確かな状況なので、「受け入れたほうがいい」という結論になると思います。
それもその後の環境変化を考えると生き残れる種が一つだけというのは、結局廃れるわけですから、生物としても人間としても兎にも角にも沢山の種(価値観)があったほうがいいわけです。
地球上の生物として、その中の人類として文字通りの生き残りがかかっているとするなら、もはや受け入れるとか受け入れないとかの議論は的外れみたいに感じます。考えるべきはどう受け入れるかでしょう。
受け入れるべきとはいっても、アメリカの元大統領の言動で二分されてしまった社会を見ていると、不要な軋轢を避けるためにも偏在というか、偏りは致し方ないのかなと思います(例えばトランプ支持派とブラックパンサーの2グループが同じ場所にいたらバイオレンスな展開しか予測できません)。
ある程度似た者同士集団を作って、摩擦を生まない程度の接触を保つのが無難な感じがします。
地域、仕事、学校、趣味、嗜好、年齢、家族等々いろんな枠組みの集団が離合集散繰り返しながら、混乱や軋轢を避けて居心地の良い場所やグループを探しているんでしょうね。
自分とは(見てくれが、考え方が)違う存在を排斥するというのは、「良い」とは言えない価値観ではありますが(今の社会では)、そういう価値観を持つ人たちを「赦せない」というのもそもそも不寛容だし矛盾していると思います。
「そんな人たちもいるよね。面倒やし関わらんとこう」くらいの寛い(ひろ・い)心が必要みたいです。
私も気に入らない人に対しては「いるのは仕方ないが、視界に入るな」くらいは思っているのですが、これは「狭い心」でしょうか、この程度なら「寛大な心」と言ってもいいのでしょうか。
まぁ思ってはいても表に出さないだけのマナー(というか社会性)ぐらいは身につけた方がいいようです。
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続ダイバーシティ
2023年5月12日(金)
今回の表題は往年の映画タイトル風にしてみました。
最近ペースが遅くなっています。
書きかけのものが3つもあるんでネタがないわけじゃありませんが、文章でどう書けばいいのか思案中という感じで、なかなか皆さんのお目に触れる機会が減っています。
皆さんはゴールデンウィーク中はいかがお過ごしでしたでしょうか。
私は遠出するでもなくいつもの日曜日を連日過ごしたという感じです。
私の場合休みの日は出勤日より起床が早くて、大体5時から6時の間に起きて1~2時間ウォーキング。朝食後にさらに1~2時間ウォーキングか、電車に乗って京都までいき京都の街並みをウォーキング。2万歩以上歩いて夕方までに帰宅。あとはゆっくりという感じです。
いつもと違うのはGW中ということで、これに嫁さんがついてくるというのが違うと言えば違うところで。
以前は車で出かけることが多かったのですが、歩くようになって休みの日は車を運転しなくなり、歩きの距離が無理なところは電車かバスを利用するようになりました。
私が住む雄琴のおごと温泉駅は特急は勿論のこと急行も快速も止まらない駅ですが乗降する客がそれなりに多いのか、バリアフリーで車椅子でもプラットホームまでは辿り着けるようになっています。
おごと温泉駅でさえそうなんですから京都駅なんて言わずもがなですが、いずれにしろ車椅子でも「プラットホームまで」なんです。
プラットホームから電車に乗り込むのは渡り板が必要ですし、その渡り板は駅員に言わないとだめですし、対応してもらうには事前の連絡(予約)が必要だそうです。
聞くところによると、欧米ではその場で気軽に駅員が対応してくれるところが多いとか。
私の知人ですがボランティアで障害者の方たちの海外旅行に同伴した時の話。
スイスの景観がいい山並みを見るためにケーブルカーに乗ろうとしたところ車椅子の方が漕ぐのに手間取ってしまってちょっとばかり長い列ができたそうです(障害者、健常者別なく同じように並ぶ)。
駅員さんも、日本人以外の観光客の方々も日常的なことなのか皆さん黙ってのんびり待っておられたようなんですが、健常者の日本人観光客から「障害者がこんなところまで来るな」とはっきり言われたそうです。
介助にあたっていた知人は怒るより、呆れるより何より同じ日本人として猛烈に恥ずかしかったと言っていました。
もう何年も前ですが出張で江戸へ行ったとき、結構な時間が空いたので昼間新宿界隈をぶらぶら歩いたことがあります。その時何人もの電動車椅子の人とすれ違いました。京都では四条通や、新京極、河原町通りを休日歩いていても滅多にないことです(車椅子を押してくれる介助者がいるような人はままありますが電動車椅子で単独行というのは滅多にないです)。京都より江戸のほうが人口が多いというのは勿論あるんでしょうが、やはりより都会のほうがバリアフリーが進んでいるのかもと思った次第です。
当たり前のことですがダイバーシティ(Diversity)というのはsexual minorityに限った話ではありません。障害者も同様です。
大事なのは障害者が外に出ていきやすい環境(ハードウェア)よりも受け入れる社会の気持ちの有りようだとは思いますが、社会のそこかしこに障害者がいる状況にでもならないとなかなか理解も深まらないと思います。
受け入れる気持ちを待つより、外に出やすい環境を作るのが先と、公共交通機関の鉄道の利用しやすさを考えるほうがいいのかもしれません。
痴漢防止に女性専用車両があるし、高齢者障害者向けの優先座席もあります。車椅子用の優先スペースもあります。でも同じ様に車椅子の人が単独でも乗り入れできる車両や昇降口が何故ないんでしょうか。
本当はバスなんかもそう考えるべきなんでしょうが、電車と違って複数車両を連ねるわけじゃないから、専用車両にしろ、専用乗降口にしろ現実的じゃないですね。
このGW中電車に乗ってて思ったことでした。
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移りかわり
2023年4月22日(土)
さて、暑かったり寒かったり
半袖で十分だったり、上着が必要だったり
気温が上がったり下がったりしますね。
桜は散って、チューリップも花が落ち始め、
藤の花があちらこちらで咲いていますね。
家の近所でもツツジが咲き始めました。
って、ことで藤の花をご利用者さんと作りました。
これから、数を増やしていく予定ですが、
初めて作った藤の花、ご利用者さんも喜んでくださりました。
増えるのを楽しみにしながら、作った方の居室に
それぞれまずは一つずつ飾りました。
おおはら雅の郷では…写真を見てください、

モミジの青い葉っぱがみずみずしい感じです。
お花は、今は芝桜が鮮やかです。
季節が移りかわっていくのを感じます。
次はどんな花が見ごろを迎え、どんなきれいな景色がみられるか。
4月の異動で新しい配属先になったスタッフたちも、業務にも慣れていろいろ頑張ってくれています。
これからもっと、いろいろなことをしてくれるに違いないと期待させてくれます。
新しいスタッフに何年生まれか尋ねたら…すでに自分が成人した後で生まれています。
自分の気持ちは年もそんなに変わらないつもりですが、もう親子ほど離れている…って思い知らされます。
年の功で頑張らないと…
今年度はまだ始まったばかりですが、いい動き出しだと感じます。
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どなたと散歩に行こうかな
2023年4月11日(火)
昨日は我が子の入学式でした。
桜は散ってしまいましたね。
花が散って、青々とした元気な葉っぱがいっぱいの木になっています。
でも、今度は
タンポポ、チューリップ、芝桜などいろんな花が咲いています。
暖かくなり、お散歩にはいいシーズンになってきました。
天気のいい日は、外を歩きたいですね。
最近、また脚の調子が今一つですので、杖をついたりもしますが、
杖をついていたって、散歩は気持ちいいです。
車いすでも歩行器でも、シルバーカーでも杖でも、そんなことは些細なことです。
だって、どうやって散歩するかが解決すれば気持ちいいですからね。
そのどうやってを解決するのは、自分の努力もあるし、他人の協力、環境づくり、道具の工夫
この中の「自分の努力」をするのがリハビリと思われがちですが、
どれもリハビリの手段です。
生活をよりよくするためにできることがリハビリです。
自分の努力だけでは無理なことも、どうにかできるようになる方法がないか、
リハビリスタッフに声をかけて一緒に考えてもらってください。
きっとリハビリスタッフは喜んで一緒に悩んでくれると思います。
だって、リハスタッフはただ治す補助ではなく、元気に生活できるようになってもらうための仕事ですからね。
今日も誰かと散歩に行けないかなと
楽しんでくれる利用者様の顔を思い浮かべています
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躊躇う理由
2023年3月30日(木)
もう何年も前から現場の管理者から指示が入らない、話を聞いていないという若いスタッフの問題を聞いていました。その数も一人や二人ではありません。
私も何だろうなと疑問に感じつつ日々過ごしていたわけですが、わかったことの一つは小学校で話を聞かないように教育されている事実でした(詳細後日)。
ただそれだけで全部の説明がつかない。
話を聞いていないと言うが全員が聞いていないのか?
数年前に新人向けに講義した時に、講義の内容についてレポートの提出を指示したことがあります。
提出されたレポートを読んだところ、大多数は私が何喋ったか、きっちり書いてありました。理解しやすいように「例えば」と話したことも事細かに書いてきた者も少なからずいました。
意外なことに「聞いていない」と思われる者はほとんどいなかったんです。
ですが要旨を書いた者は半数もいませんでした。
要旨とは話を語る側、書く側にとって最も相手に伝えたい事柄ですし、語られる側、読む側にとっては当たり前ですが最も重要なポイントです。
要旨が書いてないということは、聞いてはいたけど理解はしていない可能性が高いということです。
それだけだとお前の話し方、書き方が悪いんだろうと言われても仕方ないので、数年前から採用試験にRST(Reeding Skill Test、基礎的読解力テスト)を導入しました。
大学、専門学校の学生に失礼かなとも思いましたが中学生レベルの問題を6問用意しました。
直近の受験者で全問正解者は2人/42人。
中学生レベルのRSTとはどんなものかと思われるでしょうが、例えば
「平成30年の犯罪動向を報告している令和元年の犯罪白書によると、刑法犯罪全体の約8割を占める窃盗は、前年に比べて大幅に減少したのに対して、両親などによる児童虐待の認知件数は過去最高を記録していた。児童虐待の増加には、核家族化、共働き両親、シングルマザーが増えたことによる影響が少なくないと言われている。」
を例文として、問題は
「平成30年に最も多かった刑法犯罪は何?」
これの誤答率は15人/42人。実に35%の者が間違っています。
6問全問正解者は2/42ですから、誤答率は95%以上です。
要するに高校以上の高等教育を受けた者のうち義務教育レベルの読書きがきちんと出来る者はほとんどいない、ということです。
この状況がある程度新卒セラピストに偏っているのか、同世代一般的な状況なのかはわかりません(推測は容易に出来ますが、物議をかもすので割愛)。
若い世代だけでなく、最近社会全般にリテラシー能力(知識、理解能力の意)の低下が感じられます。
そんな中でこちらが正しく情報を伝えようとしても、正しく伝わるか非常に心もとない。
という状況を踏まえると、前回ブログのような微妙な話題を取り上げるのは、「炎上」の危険を孕んだ「ヤバい」行いと言えます。
前々回のブログから前回のブログまでこれほど時日が空いたのは、そういう理由でできるだけわかりやすく誤解のないような文章を考えていたらこうなりました。
勿論リスクを考えれば、こういう問題には触れない(ブログに書かない)という選択肢もありですが、それだと何の解決にもなりません。
私のブログで解決とはなりませんが、問題提起は出来たかなと思っています。
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今度は桜で
2023年3月28日(火)
大原の桜も見ごろになりました。
今日の「おおはら雅の郷」は桜がとってもきれいでした。
梅の時に散歩にお誘いするのに写真を撮ってチラシを作った話をしましたが、
今回は桜です。
また今日作りました。
桜以外にもいろいろ花が咲きましたので、
とってもにぎやかなチラシになりました。
もちろん、
これを使ったことで、普段長い距離を歩くのを遠慮される方も
楽しみながら、歩いてくださりました。
心も体もリハビリできたはずです。
桜はとっても綺麗でしたよ。
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今年はどうかな
2023年3月24日(金)
暖かくなってきました
京都市内も桜がどんどん咲いています。
ただ、
大原は京都市内とはいえ、ちょっと遅めです。
やっと、施設の桜は枝先にちょこっと咲いた程度です。
しかし、今日の間にも咲いている花が増えています。
これからどんどん咲きそうです。
今週は施設の桜も見ごたえある姿を見せるのではないかと思っています。
咲いたらリハビリチャンスです、
ついついおっくうになって部屋にこもりがちな方も、
散歩に機嫌よく頑張って歩いてくれるかもしれません。
桜の写真を撮って、見せて、お誘いしないとですね。
桜は、卒業式、入学式、花見、様々な思い出話に通じるので、歩いて散歩するだけでなく
桜を見ることで思い出せることや、それにまつわる記憶を呼び出せますからね。
身心にいい刺激になる、見逃せないチャンスですね。
ああ、待ち遠しいですね。
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ダイバーシティ
2023年3月14日(火)
巷間よく目にしたり耳にしたりしますが、どういう意味だろうと調べてみたら「多様性」だそうです。わかった瞬間「日本語で言えよ」と思った私は古いんでしょうか。
「偏見をなくし多様性を受け入れましょう」の意で「ダイバーシティ」という言葉が使われているらしいです。
ヒポクラテスは「自由人と奴隷の別なく」、ナイチンゲールは「敵、味方の別なく」と医の偉人は患者には均しく接せよと言うことによって、皆平等と言いたかったのでしょう。
先達に倣い、医療人はまずそうあるべきということでしょうか。
偉人を引き合いに出しましたが、凡人の悲しさ、私自身はいろいろと偏見の持ち主だろうなと考えています。
「だろうな」とは自覚していないからこその「偏見」だと思うからです。
でも自覚すればOK(偏見解消)ではなく、自覚しなければ偏見の解消に至る思考も生まれないと考えています。
30数年前厚生省主催の研修会に参加した時、講師の一人である臨床心理士は「同性愛は治りません」と言い放ちました。
「治らない」という以上、LGBTなどに代表されるsexualminorityの人たちは「病気」と考えられていたわけです。今となっては大問題ですが当時はそう考えていた人は少なくなかったと思います。
先日はLGBT関連の発言で首相秘書官の首が飛びました。なんでも隣人にLGBTの人がいると思うだけで気持ち悪いと言ったとか。
誤解を恐れず言うなら「私」もそうでした。
ただsexualminorityといっても、以前は性的指向と性自認の二つの大きな視点があるとも知らず、LGBTのBやTのことなど何も知らず、LやGについての知識が少々あるだけでした(だから偏見があるともいえる)。
とにかくsexualminorityは病気じゃない、異常でもない、多様性の表れと言われるようになってきたので、数年前になりますがこのままではまずいぞと自分自身の考えの見直しを試みました。
私自身の場合、sexualminorityすべてを知っているわけではありませんでしたが、あらためて考えてみると気持ち悪いと感じているのは「G」だけと気付きました。他はなんともないというか関心がないというか。
何故かなと考えていくと答えは簡単で男に言い寄られると嫌だから。
そこまで考えていくと「誰でもそうじゃん」と。
この「誰でもそうじゃん」は男に言い寄られたらではなくて「誰でも意に沿わない相手に言い寄られたら」ということです。
相手が男だろうが女だろうが好きでもない相手に言い寄られたら気持ち悪いとまではいかなくとも、困惑するでしょう。その上グイグイ来られたら誰でも困惑より嫌悪や恐怖になるはずです。
そうでない限りは誰がどんな好みだろうが、誰が好きだろうが一向にお構いなしだと気付きました(私の場合はですが)。私が木村文乃のファンであっても誰にもとやかく言われないように。
ここでの私の偏見は男の同性愛者は無条件に私に言い寄ってくるかもしれないという思いこみというか、決めつけでした。冷静に考えればそんなはずはありません。相手にだって選ぶ権利はあります。
よし、これで私の偏見の一つは解消された、とはなりませんでした。
sexualminorityのうちある人たちだけどうしても「病気」としか思えなく、結局そこを「病気」としか思えないなら偏見が解消されたとは言えないからです。
「彼ら」を病気としか考えられず、病気でないならsexualminority全体がやっぱり「異常」ということになると、私自身の偏見が解消されないと呻吟したのですが、何の糸口もつかめない。
sexualminorityに偏見がないと公言する何人かに「彼ら」の話題を振ってみたことがあるのですが、全員異口同音に「あんな病気の連中は!」と怒気交じりの反応が返ってきました。「偏見がない」と言い切る人がここまで言うからには偏見ではなくて本当に病気なのかもと一瞬思いましたが、理由はわからないけどそんなわけはない。
私の言う「彼ら」とは小児性愛者、所謂ロリコンです。
病院のブログで何書いてんだと思われるでしょうが、もう少しお付き合いください。
「彼ら」もsexualminorityには違いありません。にもかかわらず何故「病気」としか思えないのか。
今から思えば随分と簡単なことなんですが「偏見」に凝り固まると簡単なことさえ分からなくなります。
いつ迄も「病気」「病気でない」と堂々巡りで行き詰まっているので何気にネットに何かないかなとサーフィンしていたら、ある人が「彼ら」のことを「彼らも気の毒だ」と書いてる記事に行き当たりました。
通常性的志向におけるsexualminorityはminorityと言えども必ず同じ志向の相手が少ないながらもどこかにいてその欲求を満たすことが可能です。ですが「彼ら」にはそれができない。同じ志向の「仲間」はいても「相手」はいません。それどころか「相手」の写真一枚持つことさえ違法です。「気の毒」とはそういうことです。
あぁなるほど。
私をはじめ「彼ら」を「病気」とみなしていた人は必ず子供にいたずらすると決めつけていたからです。勿論大多数の人は苦しみながらも法に則った生活を送っているでしょう。触法者は一部にしか過ぎないはずです。
それに子供にいたずらするのは「病気」ではなく「犯罪」です。
それだけのことが「偏見」を持っているとわからなくなるわけです。
文章でさらっと書きましたが、自分自身に偏見があると思ってから、ここに至るまでに5年ほどかかっています。
「人間皆平等やし」「おぉそうか」で済む話ではなくて、単純に物事を知るのではなく、理解しなければならないのに「偏見」が邪魔するので時間がかかりました。
とりあえず私の中のたくさんある偏見の一つはこれで解消できたでしょうか。
医の先達の遺訓に少しは添えたでしょうか。
凡人ゆえに言い切れないところが残念です。
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