京都大原記念病院グループリハビリスタッフのあんなことこんなこと

へんなこと

橋本

久闊を叙す

2017年10月11日(水)

相変わらず出張が多い日々です(以前に比べると減ったはずですが)。

 

先日九州のある大学の就職説明会に参加しました。始まるまで階段教室の椅子に腰かけてたんですけど、不意に私の横に何も言わずに突っ立っているおっさんがいる(すみません、私もおっさんです)。

 

なんやこのおっさんとよくよく顔を見たら、一緒に学校卒業して、一緒に同じ病院に就職して、同じアパートで隣り合わせに4年間生活してた奴でした。

彼の結婚式以来の再会になるわけですが、年を取ったと言えども面影はしっかり残ってはいましたが(と言うかそのまんま年取っただけ)、何せ20数年ぶりと言うのは「誰?」と思い出すのに数秒を要しました。

 

短い間でしたが、色々と積もる話もありました。

彼に会えたのは良かったんですが、彼が遠い九州へ越した時期と言うのは、まだまだネットもなく電話で連絡を取る事さえ、結構な料金がかかり容易ではなかった時代です。郵便と言う手段はありましたが20代の兄ちゃんがそれほど筆まめであるわけもなく。

そういう時代は距離が遠いというだけで疎遠になりやすかったんだなぁと思います。

 

見方を変えるとこの時代に疎遠になるというのは、物理的な距離ではありえなく、当事者の間での「何か」が原因でしか疎遠になることはあんまないんじゃないかな~~~ということでしょうか。

 

彼と再会した日はもう一人1年ぶりに会えた同期の奴もいて、せっかくだから3人で写真を撮って、メールアドレスも交換して、これからは密に連絡できるなと期待したわけですが。

50過ぎのおっさん同士がそうそうメールでもLINEでもまめにやるわけはなく(私はLINE自体やりませんが)、「何か」があるわけでもないのに疎遠なままですなぁ。

 

次回私のブログは10/17頃かな。

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へんなこと

橋本

とりあえず「仲間」という話題

2017年7月27日(木)

政治ネタはこういうブログではご法度なんでしょうけど、時事ネタとして旗幟を明確にせず事実を書くだけなら何の問題もないでしょうから、一つだけ。

 

誰かの二重国籍問題がニュースでも取り上げられてますが、「国籍はプライバシーではない」という記事を見つけました。その理由は日本に帰化した場合、官報に記載されるからとありました。

試に「帰化 官報」で検索すると容易に官報が公表されているWEBまでたどりついて、その一つを覗いてみると、帰化申請に対し法務大臣が許可した人物の氏名、住所まで記載してありました。

 

なるほど確かに国籍は保護すべき個人情報ではないようです。

気を付けなければならないのは「国籍」と「人種」は別物だということ。「国籍」にプライバシーはなくとも「人種」にプライバシーがあるのは周知のとおりです。

話はずれますが国籍問題で差別云々言っている人は、よくわかっていない人か、話をすり替えた人ってことになるんでしょうか。

 

でもなんで帰化した人を官報で公表する必要があるんでしょうか。

非常に単純な発想ですが、「新しい仲間が出来たで、仲良うやってや」

そもそもはこんな考えだったんじゃないかなと思います。

 

最近はこの仲間意識というのが若いスタッフを見ていても希薄な気がします。もしかすると仲間意識が云々よりも、他人に関心がないというか。

3年目のスタッフで新人の面倒を見ているコーチなんかと話していても、未だに自分が面倒見るべき新人がどこの学校を出たかも知らないし、どうしてこの病院に就職したかも知らないし、カレやカノジョがいるかどうかも知らない。要するに個人的にコミュニケーションさえ満足に取れていない。コミュニケーションがとれていないというのは言い換えると感心がないということなんでしょうけど。

 

私は新人に何かを教えようとするな、とにかく新人がどんな人間か把握することを優先しろ、毎日新人が何をやっているか把握するのを優先しろと言ったはずなんですけどね。

 

そんな具合で部長の私の言ってることなんざ、ハナから無視されまくりですからね、ここでの部長(ぶちょお)なんて軽いもんです。

 

次回私のブログは8/3です。

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へんなこと

橋本

枕が変わると

2017年5月25日(木)

一昨日、昨日と山陰地方へ出張でした。

 

若い時は何ともなかったんですが、40代後半あたりから、枕が違うと熟睡できなくなりました。

自宅では5分も立たずに眠ってしまう私ですが、場所が違うとなかなかに寝付けません。

 

寝付けないのは科学的に理由があるかららしいです。もしかすると若い時も熟睡出来てなかったのかもと思いますが、一晩、二晩ちゃんと眠れなくても平気と言うのが若さですから。

 

どういう理由であれ、通常と違う環境は「規則正しい生活」とは違いますから、一度狂ったパターンを正常に戻すのは年取ればとるほどしんどいですね。

webの記事では二日目からは大丈夫とありますが、一度狂った「日常」はなかなか元に戻りにくいです。

今日、明日早めに就眠することにします。

 

ぼちぼち出張シーズンなんですが、まだ全部の資料が完成していないので、只今絶賛突貫作業中です。

ちょっと追いまくられているので、今日はこの辺で。

 

 

次回私のブログは6/1です。

 

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へんなこと

橋本

そんなに変わりますかねぇ

2017年3月16日(木)

すみません。3/19投稿のはずが、出張中で予約投稿が上手くいかず、今日になっちゃいました。

 

こんな記事を見つけました(web  pdf)。

 

エぇ~~~~~~!! そうなんですかね。14歳と77歳では別人なんでしょうか。

偉い先生方の研究なんですから、間違いがあるとも思えませんが、気になるとすればサンプル数の少なさでしょうか(もうちょっと欲しかった)。

 

10年、20年でのスパンでは性格に一貫性があっても、60年(正確には63年)を超えると14歳の頃の性格の名残がほとんどなくて、別人に近いと言う結論なわけですが、そうかなぁというのが正直な感想です。

 

私は14歳から数えて今年で40年ですが、勉強嫌いの怠け者と言う点では変わってないと思います。

 

これがあと20年余りで私が勤勉な人間に変容するとでも?

ない、ない、ない、ない!!

 

それとも今の自分こそが過去の自分だと思い込んでいるだけでしょうか。

今でこそ怠け者だが実は昔は勤勉だったとか…ない、ない、ない、ない、!!

だったらもっといい成績とれてたはず。

 

60年を経た性格調査なんて多分初めてのことでしょうし、今後検証のための研究もなかなか進まないと思えるので(被験者どころか研究者自身が存命かもわからないし)、結論、定説になるにはまだまだでしょうけど、気になるところです。

 

人間ではありませんがこんな記事もありました。(web pdf)

 

次回私のブログは3/23です。

どんなこと

竹内

祝!!初受賞!!

2017年2月14日(火)

京都府作業療法士会 事例検討会が毎年開催されています。
今年も平成29年3月12日(日)に開催予定で、当院より複数事例登録予定です。
そして昨年発表したスタッフが、優秀賞を受賞することが決まりました。
このようなこの事例検討会での学術賞が始まったのは数年前からでしたが、
当院スタッフが初受賞しました。

当院の新人研修システムはまだまだ開発途上の段階ですが、
良い流れを継続して成長していきたいですね。

へんなこと

橋本

自画自賛

2017年2月09日(木)

医療系の国家試験の日程が今月から3月の頭まで目白押しです。

私が受験したころは理学療法士や作業療法士の試験日程なんて1日だけでしたが、今は2日もあるんですねぇ。

 

あんなもん1日で済ませてほしいなんて考えてるのは私だけでしょうか。

 

世の中にはこの試験と言うものを受験者の自己採点に任せるべきとひそかに主張し、活動している者がいるのではないかと、私は疑っています。

 

試験の主催者側は採点は公平だと主張しているが疑わしい。百歩譲って主催者側が公平なら、受験者側だって公平だ。自己採点で何の問題もなかろう、などと表だって言いはしませんが、そう考えている人がある一定の割合でいるように思えます。

 

私がなぜそう思うかですが、簡単な話です。

 

自己評価を主張して、不満を言う人がいるからです。

「私はこれだけできているのに評価が低い(できてるかも知んないけど、できてないところもあるよね)」

「私はこれだけ頑張ったのに(他はもっと頑張ったんだよね)」

「あの人はあの程度しかできないのに、私より評価が高い(でもあの人はあれもこれもできるんだけどね)」

 

自己評価を主張する人って「人は見たいものだけを見て、聞きたいことだけを聞いて、言いたいことだけを言う」の典型と言ってもいいぐらい。

 

試験を自己採点しても何の公平性も担保出来ないように、自己評価も何の公平性も担保出来ません。

でも彼らは公平ではない、こんな評価は偏っていると言い、公平に自分たちの評価をするように要求します。

言い換えると自分の思い通りの高い評価でない限り、彼らは公平ではないと主張し続けるでしょう。

 

斯様に彼らはは「公平性」を主張しますがこれは嘘です。

 

何故なら自分の評価が低いと主張する人がいる一方で、同じように自分の評価が高いと不満を言う人はほとんどいないからです(過去通算で数百人の部下を持ったことがありますが、一人だけいました)。

「公平性」が目的なら自分の評価が低いと彼らが主張するだけ、同じように評価が高すぎると不満を言う人間が同数いてもいいはずですが、いません。と言うことは別に彼らは公平性を求めてるんじゃなくて、自分の評価がとにかく何でもいいので高ければいい自分の取り分さえ多ければいいってだけの話です。

 

ぶっちゃけどこの職場であっても、働く一人一人をちゃんと公平に評価できているかと言うと、それは「ない!!」と言えます(偉そうに言うべきでないとは承知しています)。

人や組織がやることなので、いつも適切とは言えません。

ですが並の人や組織なら公平であるようなバイアスがかかるはずですから長い目で見れば問題ないでしょう。

並以下の人や組織であれば勿論「不公平まかり通る」って話なんでしょうけど、そういう場合人にしても組織にしても長続きしないのも事実ですからこれも問題ないでしょう(民間に限ればの話ですが…。お役所になると話は別な気がします。最近騒がせている天下り問題なんかその一例)。

 

自己評価(採点)を主張する人たちに共通するのは、その自己評価が高いと言うことです。自分はこれだけできてる、これだけ頑張っているということです。

一方で自己評価を主張しない人はどんなことを考えているんでしょうか。

 

多分、「自分はこれが出来ていない」「自分はここが足りない」「自分はここが駄目」かな。

これをもう一歩進めれば、足りないところ、欠けているところ、十分でないところを何とかしようと努力する。

「自分は出来ているんだ」と言う人より更に伸びしろがありそうですし、有望な気がします。

 

まぁまぁそんなこんなで試験は受験者の自己採点に任せるべきと主張するちょっとおかしな人がいると推測するわけですが(自画自賛の人に対するほとんど嫌味と言うか皮肉ですけど)、皆さんはどう思いますか。

 

次回私のブログは2/16の予定です。

へんなこと

橋本

結構降りましたね

2017年1月26日(木)

先週から寒い日が続いていますね。

寒いだけならまだしも、雪が降り積もったり、路面が凍結したりで、ユルユル運転する日が多いです。

 

どれほど雪が降り積もっていようとノーマルタイヤで行けるはずと考える残念な人が必ずいるお蔭で、早起きが続いていて睡眠不足でもあります。

 

「予測」というのは高度な知能を持った動物のなせる業と聞いたことがあったように思いますが、実はマウスでもそれが出来るとか何かで読んだ気がします。

じゃあ雪が降り積もる中でノーマルタイヤで出かける人は…。

 

本当は昨日、今日と鳥取島根へ出張の予定だったので年初の山陰の様子でもちょっと紹介できればと思ってたんですけど、この大雪でご破算になりました(内心ちょっとほっとしている)。

 

次回私のブログは2/2です。

へんなこと

橋本

皆さんもう一度ご再考を

2017年1月12日(木)

先週末、新年早々にも関わらずある学校の先生から電話をいただきました。

 

今年卒業予定の学生さんが見学の際にことのほかうちの病院を気に入ったらしく、採用試験を受けたいと言う意向まで聞いていたのですが、年末に家族が反対していると雲行きが怪しくなり、先生から聞くところによると年明けどうやら親戚一同から反対されて、年末より憔悴した感じでとてもじゃないが「応募」まで行きつきそうもないと言うお話でした。

 

随分と先生には謝られましたが、元より先生には責任がない事。学生さんにも責任がない事。言ってみれば縁(えにし)がなかったと言うだけかもしれません。

 

ただ、学生さんとしてはうちの病院を大変気に入りぜひとも就職したいとほとんど熱望にも近い勢いだったらしいのですが、それを憔悴させるほどの身内の反対ってどうなんだろうと考えました。ご両親はそれほど言うなら、しばらくでもとは言っていたらしいのですが。

 

私も息子が「歌手になりたい」「映画スターになりたい」などと言い出したら「馬鹿こくでねぇ」で絶対反対でしょうが、セラピストになる、こんな病院で働きたい程度の事で子どもが塞ぎ込むくらい反対する理由なんて思い当たらないと言うか、その程度の事好きにさせたいと考えるけどなぁ。

 

私の父は商売人でしたが、「雇ってもらえるだけ有難いと思え、好きにしろ」でした。

 

過去にもブログでこんなことを書きました(♯01♯02

 

皆さんは自分の都合でお子さんの将来決めさせたいですか?好きにさせたくないですか?

 

驚くのはそんな電話があった午後。その学校から別の先生が直接謝罪にお見えになられたこと。陸路でなら5時間はかかるところからですよ。先に書きましたように先生方に責任はないと思ってるところにそこまでされて恐縮しました。

気になるのは先生方がそこまで気を使っていることを学生さん本人や、身内は知っているのかなぁと言うこと。多分知らないだろうし、知ったとしても「関係ない」なんだろうなぁ。

 

雇われて「働く」っていうのは、自分自身の考えで好きにできる部分と言うのは実はものすごく少なくて、本当に好きに選べるのは働く会社と言うか、事業所くらい(それさえ雇ってもらえたらの話)。たとえ望んだ職種だとしても望んだとおりの仕事ができるかどうかはわからないものです(望まなかった場所だとしても望んだ仕事ができる可能性もありますが)。

 

次回私のブログは1/19です。

へんなこと

竹内

 書道de表具 OT室に登場!!

2017年1月06日(金)

OT訓練にて、書道は馴染みのあるアクトです。

しかしその書道を、一味違う、大人な雰囲気で、そして「雅」な印象を与える完成度の作品に仕上がりました。

実は、書いたのは全て患者さんです。

この木枠を木材から採寸、切断、金槌で釘を打ちつけ、和紙を木枠に張り付けしたのも

全てOT訓練として患者さんが実施しました。

昔大工さんだった方は、能力以上の立位姿勢でのこぎり操作をしたり、機能訓練では絶対に見ることのできない実用性の高い訓練ですね。

それが作業療法の魅力です。

表具2す。

表具

へんなこと

橋本

表具

2016年12月22日(木)

先日、表具の講習会をOTスタッフ向けにしました。

 

表具と言っても、巻物、掛軸、屏風、襖、衝立、額、画帖などいろいろあるわけですが、私が教えられるのは例えば書道の作品のしわを伸ばして、新たな和紙を裏面に貼って(裏打ち)、巻物、掛軸、屏風、襖、衝立、額、画帖などの一歩手前までにする初っ端の部分だけで、額だけならベニヤと角材、千代紙と和紙テープを使って仕上げたこともあります。

 

要するに実際できるのは裏打ちだけなんですが、これが結構大変で、半紙1枚分くらいの作品なら何とか一人ででもできますが、これが紙のサイズ全紙(70×136.cm)とか、二☓八(ニハチ 60.6×242.4cm)とかの大作になると、最低でも2人は必要で、紙のサイズより一回り大きな化粧板が2枚は必要になります。

 

高校の授業で何気にやってみたらうまくいって、以来時折人から頼まれてやるようになりましたが、理学療法士になりたての頃はこんなことまで仕事に役立つとは考えてもいませんでした。

 

最近は印刻を再開しようかなと考えているこの頃です(趣味の写真に押印するオサレな奴が欲しいんです)。

 

次回私のブログは12/29です。

(さらに…)


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