京都大原記念病院グループリハビリスタッフのあんなことこんなこと

こんなこと

橋本

お迎え来ないかな

2012年9月10日(月)

いきなり過激なタイトルになってしまったかも…。

 

もう随分前、京都大原記念病院がリハビリ専門病院になる前ですが、高齢者の方の社会的入院が非常に多い病院でした。社会的入院とは元気であってもそうでなくとも、とにかく入院して治療する必要がないにもかかわらず、退院後の行き場がないがために入院する事です。

 

事情は様々です。子供夫婦と同居していたが、元々折り合いが悪くてどちらかが再度の同居を渋る。一人暮らしだったが、障害が残ってしまってもう一人暮らしは無理だが身寄りもない。しっかり体は回復したが認知症が発症してしまって、家族との同居も独居も無理になった。もともと一人暮らしだったが、入院中にアパートを引き払ってしまって、帰る場所がなくなった(入院費用と賃貸の家賃と払える人はそういないですよね)。お金がない等などとにかく色々な理由で帰れないと言うか退院できない方が沢山いらっしゃいました。

 

そういう方たちと接していると、「早くお迎え来ないかな」と口にする方が結構いらっしゃる事に気がつきます。当初は帰るべき家がないがために、家があっても帰れないための愚痴かと考えていましたが、退院できる方たちの中にも、とにかく一人暮らしでも、家族と同居の方でも数は少ないながらそう言う方がいることに気がつきました。

 

「何故だろう」

 

疑問には思ったのですが、当時はわかりませんでした。後年併設の介護老人保健施設(老健)の利用者を眺めている時に、自分なりの答えを見つけました。介護スタッフの仕事を手伝っている利用者さんが何人もいたのですが(そもそも手伝えるレベルで入所している事自体おかしな話ですが)、一生懸命立ち働いているその姿に了解しました。

「あぁ、役割なんだな」

 

多分、誰でも誰かに必要とされていると実感できるから、生き甲斐を感じられるんでしょう。たとい高齢者で我が身が不自由でも、役割が実感できればそれでいいのでしょう。

ご家族の中には高齢者にそんな仕事はもうさせられないと、役割を一つ一つ取り上げている事に気がつかない方もいらっしゃるようです。

「お父さん(母さん)、そんなことは私たちがやりますから、ゆっくりしていてください」

そんな風に家族の役割(居場所)を無くしているのかも。仮にやることがなくとも体が不自由で何が出来なくとも父や母、祖父や祖母の役割を果たす事はできます。寝たきりでも孫の話し相手は出来ます。

 

「早くお迎えが来ないかな」

そんなつぶやきはお世話する方とされる方といった、家族お互いの中で役割を見出せずに一方的な関係の中から聞こえてきそうです。

 

普通の仕事の中でも同じことは言えそうです。仕事があると言う事はそれだけで役割があるとも言えそうですが、本当のところそれだけで満足なわけがなく、誰しも「only one」でありたいのだと思います。

「自分にしか出来ない仕事」そう感じられたら、いいんでしょうね。

「誰にでも出来る仕事」には魅力もやる気も感じられないでしょうけど、「誰にでも出来る仕事」を「自分にしか出来ない仕事」に、「自分にしか出来ない仕事」を「誰にでも出来る仕事」に変えるのはどちらにしてもやる人の能力あってのことでしょう。

 

次回私のブログは9/18です。


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