文字と言葉が無かったら…
2012年8月31日(金)
まだ小さな子供たちと居ると、たくさん新しい発見をさせてくれます。
言葉をまだしゃべれない、文字を読めない子供たちの行動は、
空気をその子なりに読んで、行動していることが良く分かります。
ただ、子供たちは場面の雰囲気ではなく、相手のしぐさからさぐっている気がします。
でも、大人になると、文字や言葉を覚えて、
文字を通じてメールし、会話で意思疎通します。
相手の行動を探らなくても最低限の意思疎通は取れてしまいます。
でも、障害を持つと、文字が分からなくなったり、言葉がしゃべれなくなったりします。
その時、普段から探っている人、ジェスチャーを使っている人は、まだ通信手段が残っていますが、
そんなことをしていない人は、結構大変です。
これは、障害をもった方だけでなく、そういう方とコミュニケーションを取ろうとする方も同じです。
文字や言葉は大事ですが、人間が通じ合えるのはそれだけではありません。
こういう文字や言葉ではないコミュニケーションを非言語コミュニケーション(ノンバーバルコミュニケーション)と言います。
これは意識的に生活しているとある程度身につきます。
日本人はアメリカ人などに比べるとゼスチャーが少なく、
非言語的な表現をするのが苦手だったりします。
でも、非言語的な表現はコミュニケーションを円滑にします。
作業療法士や理学療法士、言語聴覚士を目指す皆さんは是非とも、
非言語コミュニケーションを磨いておいてください。
表現されていることを見抜く力も、表現する力もですよ。
後で絶対に役立ちます。
何につけても、
表現するのが下手でも、表現を見抜くのが下手でも、
結局、仕事下手になっちゃうよ。
身につける
2012年8月30日(木)
そろそろ学校が始まる頃だと思います。
夏休みモードから通常の習慣に戻すのに大変な時期でしょうか?
こんな事になっていませんか?
目覚ましをセットするも、朝、知らないうちに消して再び寝てしまい、
両親に起こされ、ぐずぐず言いながら起きるも大変な事態。
その時、時計を覗き込み、遅刻。
※無意識でも時刻は気にしているのだと思います。
事態の状況を脳は受け入れる事が出来ないままに、
とりあえず目が覚めた所で、『何で起こしてくれないの?』と両親に逆ギレ。
※自分の失態を両親にぶつけるなんて誠に申し訳ございません。
服を着替え、慌てて朝食も取らずに学校へ。
そのうちお腹が空いて授業は集中できず。
※お腹の虫が鳴るのを抑えるのに精一杯。
やっとお昼時。
昼食を済ませホッとした所、お昼からの授業開始。
この時刻になると、昨夜の夜更かしが次第に効いてきて、睡魔との闘いに参戦。
戦いに勝利するも、午前と同じく授業には集中できず本日終了。
自宅に帰ってから宿題を済まそうと掛かるも、夏休みモードが抜けず集中して宿題が出来ない。
何とか宿題が終わり就寝しようにも、なかなか寝付かれない。
寝付かれないならば、『本でも読もうか?』と開けたら最後、
知らず知らず時が過ぎて、夜更かし。
次の日も同じことの繰り返しをしながら、1週間程度は苦しむ事になるのかと思います。
習慣とは怖いものですね。
社会人は学生と違い、夏休みがありません(お盆休みは除いて下さい)ので、
社会人としての日頃の習慣を身につける事は大変かと思いますが大事なことです。
良い習慣を身に付けていきましょう。
就活
2012年8月29日(水)
この時期、全国のリハビリ系の学校では就職説明会がいたる所で行われています。
昨日は数年前まで当院で勤務していたOTさんが教務をしている学校での説明会へ行かれていました。
説明会は近場もあれば沖縄のような遠いところも・・・
そのため、この時期リハビリのボスとショコタンは全国行脚で大忙しです。
その甲斐あって、当院へ就職見学を希望する学生さんも増え、今週も数名の学生さんが見学に来ています。
(当院では見学もしないで就職を決めようとする学生さん受験を認めていません。)
現在、就活中の皆さん。
働く場所を決める理由はいろいろあると思いますが、他力本願、受身では前には進めません。
チャレンジする気持ちも大切。
施設も良いところもあれば、まだまだのところもある。
完璧な施設はそうそうにありません(多分ない!)。
自分が働きたい場所は自分の目で確かめる・・・そして感じる。
就活、頑張ってくださいね。
その人らしさを大切に
2012年8月28日(火)
夏休みとか、冬休みとかには、
お盆やお正月があるので、
親戚縁者が集まることがよくある機会ではないでしょうか?
そして、そんな機会に、
家族でいろいろとお話されていますか?
私も若い世代ですし、対人関係は苦手な方なので、
村付き合いや一族のしがらみが特に苦手ですが、
親子兄弟など、近しい人がたまに集まるときには、
なるべくお互いの自分らしさを共有できれば・・・と思っています。
というのも、
リハビリという職業に就いてから、
目標を一緒に決めたり選んだりするたびに、
そして、退院されたあとの生活を伝え知るたびに、
その人らしい選択が大事だなぁと、身にしみて感じるからです。
何より食が大事な人もいますし、
見た目や体裁が大事な人もいます。
動き回ることが生活スタイルの人もいるけれども、
インドアで殆ど活動しない生活スタイルの人もいます。
たとえば、
自分一人で出来るような方法で排泄をしようとする人もいますし、
引きずってもらってでも家のトイレで排泄しようとする人もいます。
そんな価値観の違いは人それぞれいろいろとあるのです。
それは、
どんなに機能回復をしたとしても、
その人らしい生活、その人が納得できる生活につながっていない人もいますし、
たとえ、障がいが残ってしまったとしても、
その人らしい生活を送っておられる方も多くおられます。
しかしながら、
われわれ病院スタッフが、その人らしさを感じようとしても、
入院中には、入院されている患者さんとして見せる顔があります。
それは、普段の自分ではない顔かも知れません。
このため、われわれ病院のスタッフでは、
その人らしさを感じられないケースも少なくないのです。
また、病気で入院という大変な時期に、冷静に自分らしくできるとも限りません。
そういったとき、周囲からの情報や支援がとても重要になります。
素質や環境も、努力できる量も、楽しめるかどうかも、センスも・・・、十人十色。
誰もが有名大学やオリンピック・甲子園を目指している訳でもなく、
やれる時間やタイミングも無限ではなく、
どこかで「自分らしい〇〇」を見つけて、自分に合わせて調節しています。
そして、
いつか、何かをなさなければならないときがやってきます。
何を優先して、何を諦め、どこまで努力で解決するのか、
そんな調節は、その人らしい生活が送れるかどうかを大きく変えてしまいます。
普段から、
価値観や人生観などの「その人らしさ」、
たとえば、好みとか、頑張るきっかけとか、絶対外せないこだわりなどを、
夫婦親子はもちろん、
近しい人と語りあっておくことも大事なことではないでしょうか?
無題
2012年8月27日(月)
先日、嫁さんと車に乗っていたら、ラジオから竹内まりやの「けんかをやめて」が流れてきました。音楽はぼんやり聴いているクチなので、歌詞なんざまったく頭に入らないのですが、その日はたまたま真っ白の状況で聞いてみたら、「なんだこの女は!」「ふてぇ女だ!」「とんでもにゃあ女だ!」という感じになりました。いつも歌詞までしっかり聞いているという嫁さんには「そうね」と軽く流されましたが(今更何を言ってると言ったところですね)。
河合奈保子の曲としてそこそこヒットしていたと思うのですが、当時聞いていた人たちはどんな気持ちだったんでしょうか。「その気持ちわかるわぁ」でしょうか(まぁこれは男性じゃなくて女性でしょうけど)。実際はともかく心情的には二股、三股肯定派の方々が多かったという事なんですかね。
男女交際と言うか、二股三股はともかく、人との交わりは少ないよりも多い方が良いとは思います。いろいろな人と交わり、さまざまな意見、考えを聞き、自分自身の成長に役立てる。その時大事なのはさまざまな意見も玉石混交見分けるだけのものを持っているかということでしょう。
私にしても誰にしても、ともすれば人の視野は狭くなり勝ちなので(その方が楽ですから)、多くの意見を聞いたうえで自分自身の考えを持つというのはなかなかに大変な事のようです。
うちのリハビリテーション部スタッフも140人を越えると、玉石というより立場が違えばこれほど見方が違うのかというほど、意見の相違を見ることが多くて、最近は「藪の中」と強く感じている自分がいます。
患者さんやご家族でも利用(入院や通院)している病院で、「専門家の意見に従って」「専門家に身を任せて」治療されていると思うのですが、場合によってはその専門家に疑問を持つこともあるかと思います。多くの方は疑問を持ってもそのまま専門家に従っていくのでしょうけど、病院を変える方も今では少なくないようです。ですが今まで築いてきた病院との関係やもし専門家の意見が間違っていなかった場合を考えると、疑問を持ったから即病院変更はあまりお勧めできません。
かかりつけ医はそのままに「セカンド・オピニオン」制度の利用が妥当でしょう。制度の利用を嫌がる「専門家」もいますが、ほとんどの方は快く賛成してくれる筈です。
二股話からセカンドオピニオンまで話が変遷したブログでした。
次回私のブログは9/3です。
生活リハビリ
2012年8月26日(日)
当院は回復期リハビリテーション病棟を中心とした病院です。
(何回も書いてくどいですね。ごめんなさい。)
そのため、病棟での生活も出来る限り日常に近い状態で過ごして頂くように取り組んでいます。
例えば、
朝起きたらパジャマから普段着に着替える。
そして、寝る前にはパジャマに着替えて頂く。
寝食(寝る場所と食事をする場所)は極力別にする。
洗面も出来る限り、洗面所で行ってもらう。
日中の排泄は出来る限りトイレまで行ってもらう・・・etc etc
( もちろん全て患者様の状態に合わせて、見守りやお手伝いが必要な場合はお手伝いさせて頂きます。)
なので、
回復期リハの病棟は朝から賑やかですし、
治療が最優先となる急性期病院から入院してこられた患者様にとっては、
これまでやってもらってたことがやってもらえない。
自分でしなきゃいけない・・・と、
この入院生活に慣れるまでは少し大変です。
やり方が変わったり、自助具が必要になったり・・・
入院する前と方法は違っても、これからも必要です。
これも大切な生活リハビリになります。
トイレもお風呂も模倣での訓練も大切ですが、実際とはやっぱり違います。
(例えば、お湯を張ったお風呂は湿度や浮力、滑りやすいなど・・・お湯の張ってないお風呂とでは全く別物です。)
誰でもそうですが、リハビリの訓練で『できる』からといって、日常の生活の中で毎日『している』わけではありません。
頑張れば出来るとか、リハビリのセラピストが側にいれば出来る・・・訓練中にはできているけど、日々の病棟生活の中では出来ない・・・
そんなこともたくさんあります。
『している』ことを『できる』ことに近づける。
このために生活リハビリがとっても大切になってきます。
『入院生活全てがリハビリ』・・・ですね。
鏡
2012年8月25日(土)
最近、鏡を見るとため息がでます。
シミは増えるわ、ヒゲに白いものを発見するわ、体形が重力に遵う様になって参りました。
そのためか、鏡を見る時間も回数も年々減ってきております。
ふと、気付いたのですが・・・。
鏡とコミュニケーションの関係について
若い頃は何かと外見にこだわり、
少し髪が乱れたと思ったら『鏡』、友達の目線が気になったら『鏡』、TVを見ながら『鏡』
些細な事で鏡を見る回数も時間も多かった様に思います。
鏡を見る=自分自身に興味 の行動ではないかと思うのです。
そのため、鏡を見ながらでの親や友達との会話は、
『あ、うん』『あ、そう』『へ~』『そうなんだ』と適当な返事をしていた様な心当たりがあります。
これでは会話に中身がない状態。
ですので本当はコミュニケーションは取れてはいなかったと思うのです。
鏡は自分への興味。ならばコミュニケーションは他人への興味でしょうか。
このときの私は親や友達のアドバイスを聞いているとは言っても話への興味は少なく、
本当は自分で決めた事をただ実践していたと思うのです。
他人への興味がないコミュニケーション。
ですので、親や友達にアドバイスをされても反抗するのも、その一部ではないでしょうか?
鏡を見る事が少なくなった昨今、
他人からのアドバイスを求める事も受け入れる事も多く、
幾分コミュニケーションを取る事も出来るようにはなったのかも知れません。
鏡を見る事は決して悪い事ではありません。
按排良い所でお願いします。
夢と現実のバランス
2012年8月24日(金)
子供の頃からバイクや車が大好きな子供でして、
5歳の頃には、どのおもちゃ売り場にあるミニカーも、全て持っていました。
学生になり、免許をとった時には、
あれが欲しい、これが欲しいと、欲しい車がいっぱいで、試乗三昧。
運転技術がないと運転ができないものに「将来乗るぞ!!」と
バイトをいっぱいしてみたり、走りこんで練習したりで、頑張っていました。
就職して期間もたち、生活が落ち着いた頃、
好きな車を買って、ちょっとずつステップアップしようと思ったのですが、
ほとんどがATのみで、エコ志向で、ずんぐり大きくて、
ミニバンかコンパクトカーの形をしているなど、似たり寄ったり・・・・、
走る・運ぶ・装備・安全性・快適性・耐久性など、
車の基本要素で、明らかな癖のある車なんてほとんどなくなってしまいました。
(電気か、ハイブリッドか・・・ぐらい)
もう、周りに売られている車の中に、私が夢見たものはほとんどありません。
いつも、
親や周囲からは、大人になって、稼ぐようになったら、好きにしたらいい・・・
と言われていたものの、
できるようになったときには、普通には手に入らなくなってしまいました。
そして、コツコツ努力していても、
能力・お金・環境、そしてタイミングの全てがそろわないと夢がかなわないのが現実で、
ただの憧れになってしまいました。
何事も、頑張ればなんとかできるのではなく、
目標を達成するための条件や、やんごとなき事がいっぱいあり、
その条件が全てそろうのか、どれくらいそろわないのかによって、
どの程度、達成できるかどうかが変わります。
そして、
夢だけを追い求めれば、生活や環境が破綻してしまいます。
現実的な対応に徹すると、意欲や想い、そして個性が失われます。
どちらもバランス良く・・・できたらいいんですけどね。
なかなか難しい。
母親によく言われたことと、師匠から指導としてよく言われたことが、
「無いもんは無い!言っても無駄!だから、それの上で何とかするんや」
でしたが、
今はそのバランスが大事だと言うことなんだと理解しています。
それにしても、
私が夢見る人生最後と決めたバイクは・・・たぶん届かぬ夢・・・
そして、夢見る目標の車は・・・まだ少し現実的か・・・
それでも厳しいんでしょうね(;_;)
感覚
2012年8月23日(木)
帰省して参りました。
帰省する前から地元の友達に電話連絡。
皆時間を都合して集合。
ちょっとした同窓会で楽しく過ごさせて頂きました。
みんな、気だけは若いものの、ヒゲに白髪が目立っていました。
あれやこれや話している内に、
久しぶりに鮎釣りしないか、と話になり次の日
竿を持って朝早くから喜んで出かけました。
※鮎釣りは15年ぶりです。
友釣りをしたのですが、何せ鮎の感覚を忘れてしまい、
鼻管ならびに仕掛けを作る事もできず大変でした。
※最後は友達に頼みました。あしからず。
いざ、釣り開始。
引きの感覚は判らないわ、鮎の縄張りにオトリを持って行くこともできないわ、手際が悪く釣れないわ、友達との差は広がるばかり。
焦るわ、オトリの鮎は弱っていくわ、コケで滑るわ、散々でした。
こんなにブランクがあるなんて・・・。
かなりナーバスになりました。
始める前は、それなりに自身はあったのです。
昔はかなり釣っていましたから。
休憩と理由を付けて放棄。
そのうち友達も休憩と理由を付けて戻ってくるや、
『昔はあの辺りでよく釣ったな』 川の特徴
『鮎の引きや当りは他の魚と違いこの様なあたりだな』鮎の性質
『友釣りの醍醐味はやはりここだな』友釣りの仕方
身振り手振りで教えてくれました。
※私のために、ありがたい話です。
とにかく試行錯誤しながら、竿から鮎が引く感覚や、その鮎のいる場所の感覚、友釣りの感覚を何となく思い出してきました。
全ての感覚は戻りませんでした(腕がおちたという事で)が、
もし1人で釣りをしていたならば、この感覚は戻らなかったのではないかと思います。
自ら感覚を戻す努力はしなければなりませんが、時には導いて頂く事も大切であると感じました。
優しい家
2012年8月22日(水)
今日は2週間ぶりの部ログ担当です。
自分の実家(福岡県)、主人の実家(天橋立の近く)をはしごして帰省して来ました。
福岡の実家では父母とゆっくり飲みながら語らい、のんびりと過ごさせてもらいました。
ホント田舎はいいですね。
ところで、九州は暑いところと思っている方も多いかと思いますが
京都に比べると幾分マシな暑さでした。
(家の機密性にもよりますが、夜は窓を開けるだけで十分寝ることが出来ました。)
やはり、盆地の京都は湿度が高く暑いようです。
今回、主人と私の両方の田舎に帰って気になったことを書きたいと思います。
主人の義母、私の両親共に70歳過ぎ。
義母にあっては医療保険制度の中では後期高齢者と言われる年齢です。
母屋と隠居と言う形で義兄夫婦と同居し、全て自立して生活しています。
少し前までは「少しは休んでください。」と言っても、じっとすることなく働き者の元気な義母でした。
今回帰省すると、そんな義母が足を引きずりながら歩いています。
話を聞くと、数日前に転倒し右膝を打撲。翌日に家の中でコンセントに引っかかり、再度転倒し左胸を打撲・・・
直後に整形外科を受診し骨折もなく、幸い大きなケガに至らずに済んでいますが、これから先いつ手術しなければならないような大きなケガをしてしまうか分かりません。
義母が住む隠居と言われる家は、いたる所に段差がある昔ながらの家で不安がいっぱいです。
60センチ以上ある玄関の上がりかまちや部屋と部屋の境にある敷居や段差・・・
田舎の家屋なので、急な階段や台所以外の部屋は四方が障子やふすまで手すりなどを取り付けるための壁もほとんどありません。
風情ある家屋ですが高齢者には少し優しくない家・・・
帰省から戻る頃には痛みも軽減し、いつもの元気な義母に戻ってきていましたが、
これから先、義母がこの家で安全に生活するために出来ることを考えなければ・・・と思いました。
今のところ、介護保険の申請はしていませんが、そろそろ申請を考えてもいい時期かなと思います。
もしものときのための準備・・・やりすぎる必要はありませんが高齢者だけでなく家族みんなに優しい家にしておく必要があります。
『転ばぬ先の杖』
準備できていますか。