サクラサク
2013年4月10日(水)
桜も先週末の雨風で、せっかく花が咲いたのに、咲いていた桜は一気に散ってしまいましたね。
花の残った桜もありますが、かなり葉桜の景色になってしまいしたね。
あっという間の短い花盛りでした。
桜は咲くと妖艶この上ないですが、花盛りの期間は短いですね。
この春から、養成校に通い始めた学生さん、国試に合格した新人さんは、
今年桜が咲いた方々でもありますが、散っている暇はないですよ。
慣れないなんて、言ってられません。
慣れることを期待したって無駄です。
毎日新しいことにぶつかりますから、ずーっと慣れませんよ!
専門職なんてそんなものです。
今日も明日も、この先もがんばっていきましょう!
志を忘れずに、志がないって人は、これから志を形作ってください!
それが無いと、学業も仕事も頑張りきれないですよ。
人間、気持ちが大事です。
失敗しても成功しても、
身につくかどうか、乗り越えられるかどうかは、やっぱり気持ちが大事な要素だと思います。
同じ新入生であっても、同じ新入職員であっても、
同じことをしても、人によって身につく成果は違います。
同じことが起きても、人によってその後の展開は違います。
毎回は無理かも知れませんが、
せっかくなら、身につけましょう。せっかくなら、乗り越えましょう。
そしたら、その分、前に進めます。その分、前が開けます。
「人間万事塞翁が馬」
これも気の持ちようだと思います。
桜が咲いたあと、そこで気持ちが途絶えないでください。桜も花は散りますが、
あっという間に葉をたくさん出して、次の年にまた咲かせる準備を始めます。
ここからが大事なんですよ。
ちなみに、咲くのが遅めの大原では…今朝の「おおはら雅の郷」の桜はこんな感じです。
こちらは、前回アップしたのと同じ桜です。
こちらは、玄関の前にあるしだれです。
こちらは、エントランスホールからガラス越しに見える桜です。
全員集合
2013年4月09日(火)
今日は、年に1回限りのイベントである
リハビリテーション部のスタッフがほぼ全員出勤・全員集合する日です。
(年2回、リハビリテーション部全体での宴会があり、それを含めても3回限りです)
年1回?・・・と思われるかもしれません。
しかし、普通の病院では、そんなに難しいことではないことが、
回復期リハビリテーション病棟の365日稼働に伴うシフトや、
訪問リハ、老健等を運営している関係もあって、
業務時間内に全員集合することはとても難しい状況となっているのです。
さて、今年度の京都大原記念病院グループのリハビリテーションスタッフですが、
今朝、リハビリ室に集まった状況を見ると、人・人・人・・・で、部屋もかなり狭い。
(ちなみに年2回の宴会では、京都有数の大広間をおかりして開催されます)
普段は、訪問リハや老健のスタッフに出会うことは少ないし、
病院勤務のうち1/3は休んでいる状況ですので、
そんなに多いと感じないのですが、さすがにびっくりしました。
150人越え・・・・恐るべし。
そして、全員出勤の日の恒例行事の全体写真撮影を朝一番に取りましたが、
150人が顔が見える大きさで1枚の写真におさまるのに、一苦労・・・、
その後、みんなでミーティングする時もおさまるだけで、二苦労・・・、
人数が多い分、指示命令も情報共有も、いつものようにいきません。
昼休みも、人が多すぎて探している人が見つかりません。
情報共有や指示命令の伝達などに、
相互に緊張感をもって取り組むことの大切さを痛感した1日でした。
新学期
2013年4月08日(月)
みなさんお花見はすみましたか?
京都市内の殆どの小・中学校は今日から新学期です。
4年生に進級した息子は今日から学童保育がありません。
親としてはとても心配ですが、当の本人は嬉しくて仕方ないようです。
自由になった放課後をどう遊ぶか・・・
過保護なのかもしれませんが、
宿題を済ませてから遊びに行くこと。
5時までに帰宅すること。
etc etc
息子と話し合いをして、いろんな約束事を決めました。
自由になった分、責任も大きくなったことを分かってくれたかなと思います。
ところで、
当院の新人さん達も他職種との合同研修も終了し
先週末から配属部署での研修が始まりました。
今は右も左も分からない状態ですが、今のところ元気いっぱいに頑張っています。
スタートラインに立ったばかりなので、まずは基本的な業務を覚えるための研修を先輩セラピストについて実施しています。
今年新たにスタートしたみなさん。
ガス欠しないよう、5月病(古い?)にならないように飛ばし過ぎないよう
体調管理しながら頑張って!
世界保健デー
2013年4月07日(日)
4月7日は世界保健デーです。
医療関係者の方々につきましては聞き及ぶ所であるかと思いますが、一般の方ではなかなか馴染みがないかと思います。
世界保健デーとは
世界保健機構(World Health Organization:WHO)が設立され、その記念として設けられました。
毎年、WHOによって国際保険医療に関するテーマが選ばれるのですが今年度は、
『高血圧』
~血圧管理の重要性:心臓疾患・脳卒中のリスクを減らそう~
をスローガンとしてキャンペーンされるかと思います。
高血圧と言えば、
自覚症状がありませんので、健康診断もしくは病気で血圧を測ってから気づく事が多いかも知れません。
しかし、まだ気づく機会があれば良い方です。
知らず知らずに重度化して重い病気に掛かってから『後々、高血圧であった』では手遅れです。
※ちなみに私も知らず知らずに年を重ね、高血圧になりやすい年齢となりましたので血圧を気にする様にはしております。
※家電店で血圧器が置いてあると、つい測ってしまいます。
それだけで良かったのですが、いつしか結果(徐々に高血圧)までついて来るようになりました。
※いらないと思ってみても、なかなか上手くはいかないようです。
その為、運動と食事に気を使うようになりましたが一番は、
ストレスをためない様にする事を、ここ最近学ぶよう努力しております。
その為には、
しっかりと休息をする事、メリハリを持つ事、楽しみを持つ事でしょうか?
後はゆったりと気を持つことでしょう。
知恵は知恵
2013年4月06日(土)
車で子供を連れて出かけるときに、落語のCDを聞くことがちょくちょくあります。
もともとは、おまけの物語CDで子供受けが良かったことから始まったのですが、
せっかくならと、子供向けの落語集に手をつけ、最近は普通のものも聞きます。
最初は、早口だったり古い言葉だったりで、聞きとるのが難しいのですが、
3回目ぐらいには、我が子たちは大笑いしたり、真似したりするようになりますし、
時々、そうやんなぁ・・・と考えさせられることもあります。
そんなライブラリの一つ、真田小僧の中では、
子供が父親に気を持たせて小遣いをせびったあと、
気を持たせた発言が父親は悪知恵だと憤慨するものの、
母親は、知恵があると感心するという場面があります。
母親曰く、知恵も悪知恵も知恵は知恵、
子ども頃の知恵なんてちょいちょい変わるから、知恵があるだけですごいことだと。
たしかに、社会的なルールや道徳的なこと、経験や知識により、良い悪いはあるけど、
最初から、ちゃんと判断して良いことだけを行動することは不可能だし、
悪いことをしていないことは、行動を起こしていないだけ・・・ということも往々にある。
行動やideaなどが活発にあって初めて具体的な指導や試行錯誤ができることからすれば、
知恵の良し悪しよりも、有無の方が大事であるということでしょうか。
このことは、新しいスタッフが一人前になるということだったり、
患者さんや利用者さんのリハビリで練習することも同じように思うことがあります。
初めから、社会人として推奨されるような行動が間違いなく出来たり、
不自由な体を上手に動かしたり、いいことばかりを厳選して身につけることはおそらく無理でしょう。
やはり、聞いてみたり、行動してみたり・・・・の積み重ねが大事です。
新人さんも、患者さんも、活発な行動ができるといいですね。
さて、車の中で我が子に落語を聞かせて、親と同じようなことを感じるはずもありませんが、
本読み(音読)のとき、落語の様なリアルな口調で強弱・変化をつけられるようになったようです。
どんなことも、多少の良い影響は産まれるということでしょうか・・・。
思いもよらない事は
2013年4月05日(金)
今日から新人さんは「研修」という名目で、現場にはいります。
すでに国家試験にも合格し、免許登録も終えているので、患者さんの訓練をする事も可能ですが、とりあえずは見学のみです。
多分これから各管理者の下へ、新人さんの行状に関する日々色々な報告が入ってくるようになると思います。目や耳を疑うような事を見聞きする事にもなると思います。
他部署や利用者の片からの苦情も入ってくるでしょう。
管理者の新たな苦悩が始まります。
いつぞやある著名な脚本家の方のエッセイを読んだのですが、ある出版社の担当がベテランから入社したての新入社員に替わったときのこと。新たに担当になった社員からファックスで名刺が送られてきたそうです(よろしくお願いしますと一言添えて)。
その脚本家はさっそく上司にあたる人間に連絡を入れたそうです。貴社の社員教育はどうなっているのかと。
ただその脚本家偉いのは、クレームをいれたはいいが、ちょっと思い返したこと。
そもそも教育というのは誰にも見受けられるような問題に対処するためであって、誰にも思いも寄らない問題に対して、あらかじめ教育して予防する事はできないことに気付いた。
まさか担当変更の挨拶をファックスで済ませるとは、誰も思いもよらないから、「担当変更の挨拶はファックスでやるな」と言えないわけです。
昨年6/22のブログ「都市伝説」に書きましたが、「担当して一ヶ月以上患者さんの主病名を知らずにリハビリしていたセラピストがいる」
誰に聞いてもありえないと言いますし、そういうセラピストがいるなどと想像すら出来ないでしょうが、現実にはいたわけです。
ですからその存在が確認されるまで(UMA:未確認生物か!!)、誰も「担当患者の病名を確認しろ」などと言わなかったわけですが、その生存が一人(本当に知恵あるホモサピエンスですかね)でも確認された今、私たちは新人セラピストに言うべきなんでしょうけど、本当にそれを言わなきゃ駄目な奴なら馘首にした方がいいんでしょうね。
次回私のブログは4/11です。
Ciao(チャオ)
2013年4月04日(木)
「おおはら雅の郷」の玄関先で、今朝撮った桜の写真です。
大原はちょっと標高がありますので、
同じ京都市でも、桜の見頃には…あと少しですね。
それでもこれぐらいは咲いています。ぼちぼちきれいです。
(通勤途中に見ましたが南禅寺などはきれいに咲いてますよ…お花見したいなぁ)
さて、
私、3月後半はブログの出番がありませんでした。
それもそのはず、しばらくの間(と、いっても1週間ほどですが)イタリアに研修に行ってまいりました。
これは、イタリアで提唱された認知運動療法というのがあるのですが、その日本版のマスターコースに行っていました。
日本版というのは、そもそも療法士の資格からイタリアと日本では違いますので、日本の資格ではイタリアで仕事することができません。なので、あくまでも日本のセラピストが日本内で認知運動療法士と名乗って仕事ができるようになる。そんな日本版の研修です。
私は、第1回認知運動療法マスターコースに10年前に一度参加しました。
今回は、10年を経て第11回認知運動療法マスターコースに参加したことになります。
この認知運動療法は簡単に言うと、名前の通りに認知機能や心理機能、言語機能などを使った運動学習に特化した療法です。
日本だけではなく、世界中に様々な療法があります。
そして、世界に渡ると、日本の資格ではできないこともリハビリに取り入れられていることもあります。もちろん同じ役割をする職種でも、資格が違うのですから、資格に則ってできることも違ってきます。そして、制度も違いますから、日本の制度に合わないこともあります。
ですから、日本にある療法はどの療法も厳密には日本版かもしれません。違う国に行けばちょっと変えて行う必要があるのかもしれません。
そんなことを思いながら、学んだことをどうやって生かしていこうか…検討中です。
(研修施設から一番近い都市が、
水の都ベネチア[Venezia]でした)
Ciao!
はじめまして
2013年4月03日(水)
あっと言う間
2013年4月02日(火)
3月もあっと言う間に過ぎ、4月になりました。
特に新聞やメディアでは、今年度4月から『○○が変わりました』『○○になりました』などの話があちらこちらで目に致します。
ですので、あれやこれやと覚える事も多く、頭の中であれはどうだったかな?それはどの様に変わったかな?と困惑してしまいます。
一言で言うと憶える事が多すぎて、次から次へと変更点を差し替えするのですが、脳に記憶するまでには至りません。
※恥ずかしながら年齢の問題?
新しい記憶と古い記憶とが混在して自己解釈になり、二転三転と話になりがちに。
ですので、この時期は余り話をすると逆に困惑させてしまいます。
※周囲の皆様、大変ご迷惑お掛け致します。
ですので、あれやこれやと次から次に片付けるのではなく、整理整頓をしながら進めて行きたいものです。
今覚えなければならないもの・後で覚えて行くに差し支えないもの。
仕事の事でも・家庭の事でも。
特に新入社員の方・入学された方々にとっては憶える事が沢山あります。
目の前にある、その沢山に押し潰されない様に、努めて参りましょう。
新社会人の皆様、人生は長い道のりです。
ですので今、この時も大切ですが、大きな視野で見れば小さな出来事の一つです。
そう思うと少しは笑って乗り切る事ができるかも知れません。
そうすると少しは有意義な人生を送る事が出来るかも知れません。
何にしても慌てる事なかれでしょうか。
余裕を持って進みたいものです。
先生は居ません
2013年4月01日(月)
昨日まで法事のため、実家のある九州へ行っていました。「狭いニッポン」とは言いますが、片や太宰府天満宮やわが故郷久留米では桜が満開。片や琵琶湖湖西では開いた桜が一つ二つ。地球儀の上では小さな差異も、実際の700キロの距離を痛感しました。
人間とチンパンジーのDNAの差異はわずか3%だそうです。わずか3%の差がこれほどの違いを見せるわけです。とするなら私と木村拓哉はDNA的には同一人物と言っても良いぐらいに…
本質的にはわずかな差でありながら、結果的には大きな差になるものなど沢山あります。
今日は学卒新人職員の辞令交付式がありました。それぞれの職種で同じ資格を持ってのスタートです。一斉スタートで差はないとも言えますし、生まれて来し方、最低でも20数年の差異が生じているとも言えます。
一般的に学卒新人には教育が必要と思われています。20年にわたって培われてきたものは、長所はそのままで良しとしても、業務上支障があれば短所は何とかしなければなりません。短所は強固で修正困難に思えますが、不動ではない、不変でもない。本人の自覚さえあれば、修正は可能です。長所を更に伸ばす事も可能です。
修正は可能ですけど、そんな大それたことが出来るような「教育者」や「先生」はうちには居ません。何故ならここは学校ではありませんから。ただ欠点に気付かせてくれるような「にぃちゃん」や「おばちゃん」ぐらいならいます。長所を伸ばしてくれるよう応援してくれるような「ねぇちゃん」や「おっちゃん」程度ならいます。患者さんの自立を支援するように、セラピストの自立を支援するスタッフです。
でも手取り足取り教えてくれる「先生」は居ません。基本は自助努力です。学生気分が抜けて最初にそれに気付いたところからスタートと言えるかもしれません(気付かなければスタート出来ないままですけど)。
次回私のブログは4/5です。