やりたいことをやるために
2013年11月10日(日)
御所南リハビリテーションクリニックは、医療保険のみでリハビリテーションを行っています。
京都大原記念病院グループには、介護保険サービスの訪問リハも通所リハもありますので、
そこは役割分担しております。
また、日本全体の医療・介護制度の仕組み上、
「医療でのリハビリは回復時期・回復途中にある方」「維持のための継続したリハビリは介護保険へ」
という流れで運用されております。
なので、介護保険をしっかり使われている方には、医療保険でのリハビリは実施しにくい状況があります。
当クリニックでは、介護保険リハを使っておられない方が通院する外来リハビリということもあって、
身の回りが自立した生活を送っておられる方や、仕事や余暇活動をされている方も多く来られます。
リハビリの目標も、仕事復帰(元の業務希望)とか、家庭内・地域内の元の役割へ復帰だけでなく、
登山やダイビング、自転車や自動車の運転などの活動能力を希望される方も少なくありません。
いまやなんでもある便利な時代ですし、やりたいことを実践されている方は数多くおられます。
判断力等の要素と、自分のことが自立する程度の能力に問題がなければ、
トレーニングと発想の転換と方法論で、かなりのことが実現できます。
そのためには自主訓練をすることなんて当たり前で、生半可なトレーニングでは達成できません。
また、リスク管理は、必要以上に目を光らせてやる必要があります。
でも、ちゃんとやれば、「危ない」「止めとこう」といわれなくなり、応援してもらえるようになります。
結局、一番必要なのは、周囲のみんなを納得させられるだけのエネルギーということでしょうね
お便り
2013年11月09日(土)
昨日、両親から柿が送られて来ました。
※毎年、ご近所からのお裾分けを頂いております。
その隅に手紙が添えられておりました。
※私の両親は昭和の人ですので黒電話に手紙が基本ではありますが、メールやライン等、私よりも逸早い使い手です。。
そんな母親が何故に手書きで手紙なのか?を思い拝見しながらも、
久しぶりに母の文字を見た様な気がします。
さすが「綺麗な字」とは思うのですが、昔よりも何か力強くまた勢いが無い様な気が致しました。
寄る年波には・・・でしょうか?
その様に感じながらも私は手紙を読み返し、なぜが温かさを感じました。
良いものですね。手紙。
心に響く文章もさる事ながら、文字の織り成す豊かさが交わって何とも心地よさ。
その様に私の心に伝わり感じながら、久しぶりに私も手書きで手紙で返してみたいと思います。
手紙を返した後には、もう一度読み返してみようかと。
しかし、
いくら便利になったとは言え肝心要こそは、やはり手書きの手紙ですね。
苦行
2013年11月08日(金)
今、朝の8時です。休みではないのですけど、近場に出張なので(浜松まで)、まだ自宅にいるわけです。
休みではないけど、この時間に自宅にいるという事が普段ないので、まるで落ち着きません。
ブログを書かなきゃとパソコンに向かいましたが、いつもと違う環境なので頭が真っ白です。
ここのところ、文章を綴るのが苦行レベルです。来週に迫った締め切りの原稿が一つあるんですけど、もともと1600字の文章を600字にリライトするというところに無理があります。削ぎ落として削ぎ落として原稿用紙4枚分なのにそれからまた半分以上も…。
私の腹回りの脂身もそうならないもんかと。(私が苦行した原稿はUR都市機構の広報誌で読めますけど、昨年ブログ開始時で紹介した「リハビリの寺子屋」の焼き直しですから)
一度絞り出すと同じテーマではなかなか書けないものです。
次回私のブログは11/14です。
靴買っちゃった
2013年11月07日(木)
久しぶりに買っちゃいました。
以前、私が地下足袋を履いているお話をしましたが、
子供の運動会や、釣りや、キャンプなどを考えるとやっぱり、ヒモ靴もほしいなって思いました。
そこで、「足袋靴」買っちゃいました。
早速、使ってみましたが…足首も密着してしっかり縛れるし、絶対脱げません。
この足首のぴったり感や脱げない安心感がうれしいです。
でも…、その代わり、しっかりしめると脱ぎ履きが…とってもしにくいんです。
なので、この足袋靴は脱ぎ履き頻度が多いときは、やだなって思いました。
※先日、嵐山のモンキーパークにでかけて、道中ご飯を食べてトイレに行くと、靴からスリッパに履き替える必要がありました。脱ぐのはともかく、履くのに難儀しました。(しかも少し雨が降って地面もぬれていたので、うーん、これの欠点を痛感しました。)
まあ、何でも一長一短です。
一長を欲しくて買ったものには、一短のおまけが付きます。
いろんなものを使い分けて、それぞれ一長一短に付き合って、
時に面白がり、時に残念がっては、楽しく過ごしていければと思います。
(ちょっとしたことができないことに驚き、ちょっとしたことができることに喜ぶ。なんとなく、子どもの成長を見て一喜一憂しているのと同じ感覚ですね。)
普通の靴では困る私でも、まだまだ選択枝がありました。
探せば、また今日新しいものが増えているかもしれません。
何か、やりたいことがあったら時々探さないといけませんね。
SBAR
2013年11月06日(水)
みなさん、「SBAR」って聞いたことがありますか?
私も字面は見たことがありましたが、詳しい内容までは知りませんでした。
昨日行われた院内研修のテーマがこの『SBAR』。
『SBAR』とはアメリカ海軍の潜水艦で重要な情報を迅速に伝達するときの
コミュニケーションツールとして開発され、
医療安全に関わる医師らにより医療現場で使えるよう改良されたもの。
S(situation)・・・状況
B(background)・・・背景
A(assessment)・・・判断
R(recommendation)・・・提案・要請
英語の頭文字をとって『SBAR』と呼ばれるようになったそうです。
普段何気なく報連相していることも少し意識して、
情報の受け手がより適切な判断や行動ができるように伝えることは重要です。
特に医療安全では一刻を争うことも多く、
伝える側は必要な情報を簡潔にまとめ伝達しなければいけません。
これをダラダラと要点を得ない伝え方をされたら、受け手は要点を掴めませんし、
一番迷惑するのは患者様です。
適切に情報伝達するために『SBAR』意識していきたいですね。
生活の知恵
2013年11月05日(火)
先日、TVにて紹介していた生活の知恵をご紹介します。
鋏のキレ味が悪くなった場合
アルミホイルを鋏で何度も切るとキレ味が復活します。
ホントですよ。
写真を見てください。
これは何故かと言うと、すり減った鋏の刃先の隙間を埋めるべく、金属(分子)が付着するからなんです。
納得できましたか?
だからキレ味が復活するみたいです。
何故の部分に理由がつくと何だか説得力がありますよね。
リハビリも同じです。
患者さん、ご家族の皆さんも療法士に「何故こんな訓練をしているの?」
、と素朴に質問してみてください。
そこでしどろもどろのセラピストは間違いなくヤブです。
アキレスと亀の理論
2013年11月04日(月)
アキレスと亀の理論というのがあります。
(いろんな呼び方がありますが、一応検索に引っかかるから名称は正しいかな?私も数学とか哲学とか苦手な方なので、細かいことは検索の結果に譲ります。)
もとはたしか、ピタゴラス派の「時間と空間は無限に分割できる」とする理論に対して、
その理論では起こりえないことが正しくなるとして、提示されたパラドックスと言われています。
このパラドックス、簡単?にご紹介すると・・・、
先行して進んでいるカメをアキレス(人)が追いかけて抜こうとします。
現実は、カメよりも人の方が早く歩けるため、そのうちに追い抜くことができます。
しかしながら、時間と空間が無限に分割できるとすれば、いつまでも追いぬけないというお話。
要は、アキレスが進んだら、カメも少し進む。
差は縮まるかもしれないけれど、アキレスが進めばカメもちょっとは進む。
だから、無限に分割された時間、無限に分割された距離があるとすると、
ちょっと時間・ちょっとの差として分割できるので、いつまでも追いぬけないということだそうです。
だから、時間も空間も無限には分割はできない・・・・ということです。
理論・概念上は、100m->100,000mm->100,000,000μm、1秒->1/1000秒・・・と分けれますし、
決まった時間にカメが積み上げる距離と人が積み上げる距離も明確ですので、
間違ったパラドックスの提示なのですが、どちらにも理があるように思う、まことしやかなお話です。
さて、このお話は、算数や数学などでありがちな基本設定ですが、
食事・トイレなどの生理現象、体力・疲労・根性・休憩・睡眠・老化・寿命などなど考慮されていません。
無限・有限という概念上のお話で、ずーっと同じ動作を続けるという非現実的な設定となっています。
でも、実際の世の中では、疲れてくれば遅くなるし、動いた分だけエネルギーは消費するし、
休憩が多いと時間はロスするし、成長や老化などで条件も変わるし、そもそも寿命や健康寿命がある。
そんな簡単に片付けられないような設定です。
でも、普通に生活していて、
「年上・先輩だから能力がいつまでも上」「前できたことなんだから、今でもできる」
なんて思いを感じることも少なからずあるでしょうし、
「やればやるだけ上に上がれるんだ。なんとかなるんだ。」なんて思いも普通に感じることでしょう。
こんな感じで、胡坐をかいてたり、錯覚していたり、なんてことによる矛盾は、生活の中にこそあるのかもしれませんね。
しかし、こういう類のお話や故事・諺にいっぱい登場する「カメ」。 実はすごい存在なのかもしれません。
管理者研修
2013年11月03日(日)
先日、管理者研修が開催されました。
毎年、この時期になりますと行われる研修なのですが、管理者として求められる事を勉強するに良い機会であります。
私自身、管理者としてどの様な事が求められているのか?常に意識せずにはいられません。
スタッフから、病院から、如いては世間からも。
何故ならば、リハビリテーション部の歴史は浅く、その様な考えがなくても良かった時期を私は過ごして参りました。
しかし、今では世間からリハビリテーションについて広く認知して頂くようになり、また多くのスタッフならびに仲間を得る様になりました。
そうすると、必要になるのは管理となります。
管理?その様な事を考えた事もなければ、勉強した事もない。
それよりも、その様な管理をしている所もなければ、されている所も余りない。
ないない尽くしの状態でスタートしました。
そのため、毎日頭をぶつける思いで取り組んでいましたが、今ではこの様な機会を頂き勉強しております。
その様な中で思うこと。
やっぱり幾つになっても勉強。
恥かしがらず、他人を管理する事を意識するのではなく、
自己の都合にならぬ様、自分自身への管理について学んでいきます。
まずは、自らでしょうか。
真っ赤なハコスカ
2013年11月02日(土)
今日は休みです。
午後に用事があって、ちょっと車で出かけたんですけど、信号待ちで轟音の方を振り向くと、今時珍しい真っ赤なハコスカが走っていました。
ざっと40年前の車ですから、大事に乗り継がれたというよりかなりの費用をかけてレストアされたのでしょう。
今でもピカピカに輝いているハコスカが瞼に浮かびます。
そういうレアケースはともかく、市中を走り回る車で10年を超えているのはちらほらあっても、20年越えになると殆ど皆無でしょう。
あなたのご家庭ではどうでしょう。10年を超える電化製品はいくらかあっても、20年を超えるとどうでしょう。仮にあったとしても、部品交換もなしで使用されているのはなかなか少ないのではないかと思います。
さて部品交換もなしで数十年の使用に耐えうる機械がどのご家庭にもある事をご存知でしょうか。
あなたとあなたのご家族の体です。
人間の体と言わず、およそ生物の体ほど複雑で精密、極限に近い状況まで効率化された上に、耐久性に優れた機械というものはありません。
ある一定の年齢を経ると誰しも足腰や関節に何がしかの不都合が生じてくるものです。そう言う時に「年」を感じ、人によっては慨歎する事もあるのでしょうが。
人の体と同じだけの酷使に耐えうる機械などどこにもありません。
例えば膝。毎日毎日数十キロの重さを支えて数十年を経て、ようやく機能障害が生じるほどの摩耗が生じるなどと言う材質は、人工では作り得ません。人工関節はわずか十数年と言われています。
人工透析や、人工心肺や人工関節、いろいろと作り出されましたが、結局人の体に及ばず、一時しのぎに過ぎません。
見方を変えると、だから何十年も使えば、いろいろとガタが来て当たり前とも言えます。いちいち嘆いていも仕方がない、と。
皆さんは衰えが来たなと感じた時、どう感じますか。
私はそんなもんだと思いつつも、結局嘆く方ですけどね。
せっかくなら
2013年11月01日(金)
ものの見方、とらえ方
コップに水が半分ぐらい入っています。
このコップをみてAさんが言いました。「これだけしか水が入っていない」
このコップをみてBさんが言いました。「水がこれだけ入っている」
このコップをみてCさんが言いました。「水がこんなに入っている」
気付きましたか?
同じ物をみて、AさんとBさんとCさんでは水の量について同じ量を見ても、とらえ方が違います。
Aさんは水が入っている量が少ないと思いました。そして、入っていないことを強調しています。
Bさんは水の量を示しただけです。
Cさんは水が入っている量が多いと思いました。そして、入っていることを強調しています。
物事に対して、どうとらえるかというたとえですが、
Aさんは悲観的な表現、後ろ向きな表現で認識し、不満足です。
それに対して、
Cさんは肯定的な表現、前向きな表現で認識し、満足です。
同じ事柄について、人によって感じ方は変わるということ、そして、
もうひとつ、
Aさんも一旦は後ろ向きに認識したのですが、再度振り返ってCさんのように思いなおすことが可能だってことでもあります。
だから、水が入っていることを認識すると、気持ちが穏やかになりますよってことでもあります。
そして、もうひとつ。
たとえば、工事現場によく置いてある赤いコーンを見たとします。
Aさんは横から見て三角形に見えました。
Bさんは下から見て四角形に見えました。
Cさんは赤い色に注目しました。
Dさんは素材が何かに注目しました。
Eさんは大きさに注目しました。
Fさんは重さに注目しました。
同じ事柄について、見る角度によって違うように見えます。
同じ事柄について、人によって着目するところは違います。
つらい時は、その事柄を違う視点で考えてみようってことでもあります。
そうすれば、違う側面が見えてきます。
答えは一つではありません。
どんなことも、良い点もあれば悪い点もあります。
そんなたとえでもあります。
同じ事柄、同じ状況、でも、せっかくなら前向きに、せっかくなら気持ちよく。
ちょっとしたトラブルも視点を変えれば、解決策がなにか見えるかな?
視点を変えられる何かを見つけられたらいいな。