考動 その2
2012年8月01日(水)
暑いですねぇ。今朝7時前に家を出たら、琵琶湖湖西の国道161号線沿いの温度計が32度を表示していました。大津というところは京都、大阪のベッドタウン化しているところもあり、人口が増え続けていますが、京都に比べてもまだまだ自然豊かなところですが、やはり街中は大都会と変わらずアスファルトからの照り返しは強烈です。
私が子供の頃は夏休み中の勉強は午前中の涼しい時間にと言っていたと思うのですが、今時そんなことは日の出直後でもないとありえませんから、いつ勉強したって変わりないんじゃないでしょうか。
7/19の聞かない、知らない、わからない。その1 に続いてまた息子の学校の話ですが…。
皆さんは「学校評価」というものをご存知ですか?
私も昨年妻に聞くまでそんなものの存在など知りませんでしたし、妻も学校に保護者代表で呼び出されるまで知らなかったようです(そこもちょっとおかしいですけどね)。
どんな事をするかといえば、生徒、教師、保護者がそれぞれの立場から学校を評価するということらしいです。で出た結果を保護者の代表にありがたくもお教えいただけるということらしいです。何故代表だけなのか、何故保護者全員に周知するようにしないのか、私は聞いていません。
とにかく妻は保護者代表として昨年のある日息子の通う小学校の校長室へ出向いたわけです。そこで教頭先生から「学校評価」の結果について知らされたわけですが、細かいところは何も頭に残っていないと妻は言っていましたが、印象に残っていたのは、4年生の生徒たちの学校に対する評価が他の学年の生徒たちに比較しても非常に低かった事と、その4年生が3年生の時の学校評価の結果と毎年の4年生の学校評価の結果を教頭に尋ねたところ、「知りません。調べていません」と返事が返ってきたそうです。
日常でも非日常でも何かが起きた時、それは何故かと考えるところから、理由を摸索し、導き出し、理由(結論)から人間は知恵を得、文化と文明を築いてきたわけです。
ヒトとその他の生物の差は「何故か」と考えられるか否かだと私は考えています。
「ゆとり教育」を受けた世代は考える力がないなどと言われていますが、本当にそれだけの理由でしょうか。教育者自身が考える気がないなら、当然子供も考えなくなるんじゃないですかね。
「評価」をしても、「調査」をしても、「アンケート」をしても結果を見て考える気がないなら、やらないことと同じです。
次回私のブログは8/10です。